第46話 分からなくなっても
退院の手続きは、何事もなく終わった。
用意されたシャツとジーンズに着替え、看護師達に見送られて、帰宅する。
誰かしら付き添いに来させようか、とアスカに言われたが流石にそれは断った。
持って帰るものなんて、トランクに入るくらいしかない。付き添いに来てもらう程、ではないのだ。
エレベーターも、何のことは無く動いて、何時もの神社へと帰って来た。
何時もの老爺も、煙管を咥えて座っている。
なんだか、前にこの光景を見たのが遠い昔のようだ。
「おう坊主。久しぶりだな」
「ええ、お久しぶりです。お元気でしたか」
「ぼちぼちな」
老爺と簡単な挨拶を交わし、神社を出て。
途中、スーパーとコンビニで食材などを買い込んで、帰路に着く。
不思議だ。
ただの日常、ただの何事もない日常の動作、行動なのに。
これまで以上に、何か感じるものがある。
これほどのものが、身の回りに満ちていたのか。
これほどのものを、これまで見ていなかったのか。
世界が美しいか、と言われれば、美しいと断言は出来ないだろう。
それでも、今感じているものは美しいものだ。
それだけは、それだけは断言できる。
――――失ったものがあるからこそ、見えるものはある。
なんていったら、詩人くさいと笑われるだろうか。
―――――― ◆ ◇ ◇ ――――――
退院してから数日後。
職場復帰は来週予定。ここ数日は何もすることがなく、積みゲーを消化したりしていた。
それでも時間が余りあるので、食事も自炊してみている。
自分の為に食事を作るのは、割と久しぶりだ。
これまでは、朝は軽く済ませ、昼と夜はコンビニがメインという食生活。
流石に退院してから同じ生活に戻るのは、身体にも良くないだろうと考え、食材を買い込んで、自炊している。
今日の夕食は、鍋。
鶏を使ったちゃんこ鍋の準備中、つくねを練り始めた所でチャイムがなった。
手袋を外し、ドアを開けると。
「あ、どうもー。雨宮さん、お疲れ様でーす」
そこには終末部骸骨3人衆の一人、エリントンが居た。
「あ、エリントンさん、……なんで?」
「なんで、は酷くないすか?」
彼は笑いながら、玄関に入ってきた。
その手には、紙袋がある。何か買い物をしてきたのか。
「ちょっと事後処理関連でこっちの冥界に来てたんすよ。そのついでにはい、お届け物っす」
「お届け物?」
紙袋から、彼は前に出張した時に借りた端末のようなもの、そして袋にまとめられたカード類を取り出した。
「ええ。はい、これ。設定できたから渡して欲しいって。正職員用の連絡端末、まあいわゆる電話ですよ。こっちじゃ割と当たり前に使ってるでしょ?」
「それと新しい身分証? とかなんとか……法政部が偽装身分を用意したそうで」
そういえば、退院前に今後の身分をどうするか、みたいなことを言われたのを思い出した。
外見が変わってしまった都合上、管理局で使うわけでは無いにせよ、こちら側での身分証明が何も無い状態に等しい。流石にそれは困るので、どうにかならないかお願いしてあった。
端末はさておき、身分証明は大切だ。
……見てみると保険証と顔写真付きのカード、あと何処かの私学の学生証。
まぁこれだけあれば、こちらの世界で生きていくには困らないだろう。
「ああ、どうも。お手数かけます」
荷物を受け取ると、彼はもう1つ袋を取り出した。
中身はよく見た煙草のカートン。普段吸ってるメンソールの銘柄だ。
「あとこれ。ターちゃん様から聞きましたけど、煙草吸うんすよね?」
「ええまあ……この姿じゃ買えなくってどうしようかと」
この外見では、流石に何処でも買えない。
通販が出来なくは無い、が手間が掛かる。外で吸える訳でも無い。
既に予備も殆どないし、これを機に禁煙し始めようかなんて考えていた所だった。
「そう聞いて買ってきました、でもあんまり吸わない方が良いですよ? 身体にゃ良くないんでしょ?」
「これを機に徐々に禁煙してみますよ、ありがとうございます」
今は、ありがたく受け取っておこう。
しかし、毎度誰かに買ってもらう訳にもいかない、禁煙は始めるつもりだ。
「にしても……ダボダボすね、その服。しかも半袖っすか」
「まだサイズ合うの買い直してなくて……」
それはそれとして、エリントンの目線が自分の背後に向いている、気がする。
丁度夕食の準備中、それが気になるらしい。
終末部の彼らには良く世話になっているし、食材もそれなりにある。
都合がいいことに、今日はちょうど鍋だ。
追加で作らずとも食材を足すだけで良い。
「あの、……良かったら食べていきますか? 簡単なものですけど」
「いいんすか!? そりゃもちろん頂いていきます」
誘ってみると、満面の笑顔で乗って来た。
たまにタナさんが彼らを〝犬のよう〟なんて言っていたのを覚えているけど、今の彼はまさにそれだ。
裏も表もなく、人なつっこいタイプ。
こっちの世界に住んでたらモテるだろうになー。
―――――― ◆ ◆ ◇ ――――――
「はい、出来ました。熱いので気をつけて下さい」
畳の上にテーブルを広げ、カセットコンロを置き。食材と出汁を入れた土鍋を火に掛ける。
練っていたつくねや豆腐も入れて、適宜、灰汁を取りながら煮込むこと暫し。
今晩の夕食、ちゃんこ鍋が出来上がった。
「おー、美味しそう! ……これはどうやって食べるんです?」
それを見たエリントンは、興味深そうに鍋を覗き込んでいる。
多分、見たこと無いのだろう。終末部で食べさせてもらった食事を思い出すと、この人ら良いもの食べてるし、口に合えばいいんだけれど。
とりあえず、見本ということで椀に適当に食材を持って、差し出した。一応彼には、フォークとスプーンを出してる。
「シチューみたいなものです、適当にそこのお玉……これで、こう……こっちに掬って食べて下さい。どうぞ」
「頂きまーす……熱っつ! は、あふ、はふ……」
「だから言ったじゃないですか、熱いって」
……いきなりつくねを丸呑みするなんて。そりゃ熱いに決まってる。
でも葱じゃなくて良かった。アレは下手に食べると喉を焼き焦がす火矢になる。
苦笑しながら冷やした麦茶を差し出すと、彼は一気に飲み干して笑った。
「ぷは……そ、そうっすね……でもすごい美味いです、料理得意なんですか?」
「人並みですよ、人並み。出汁も出来合いのものですし」
実際そこまですごいものではない。
手を掛けたのは下ごしらえとアク取り、今の時代は大体それで美味しくできる。
下ごしらえと言っても、大したことじゃない。
豆腐の水を切っておく、とかつくねを練る時にショウガなどを混ぜてみる、とか。
そういう簡単な手間だけで、大体美味しく出来るものだ。まあ、掛けずともベースさえ整ってれば美味しいのだけど。
「でもすごいっすよ、今度アスカさんに、何か作ってあげたら喜ぶんじゃないですか?」
「あの人、普段もっと良いもの食べてると思うんですけど」
「いやいや、きっと喜びますって。こういうのって気持ちじゃないですかー」
彼は笑ってそう言うが、彼女の口に合うものを作れる自信はまだ無い。
それに味の好みも知らない。
せっかくなら、美味しいと思って貰えるものを食べて欲しい。
今回のように、喜んで貰えるのが一番だ。
でも、今度試しに、皆に何かおかずでも作って持って行ってみようか。
皆で食べて美味しいもの、ってなんだろうな。
そういえばそろそろバレンタインだっけ。チョコ菓子なんかでもいいかもな。
―――――― ◆ ◆ ◆ ――――――
「いやー、ご馳走様でした! 美味しかったです」
鍋は程なくして空になった。
〆にレンジで温めた米と溶き卵を加えて雑炊に仕上げたが、それも互いの腹に収まって。
結構重ためな満腹感に満たされている。
「お粗末様でした、……あ、お酒飲みます?」
鍋とコンロを片付けながら、ふと思い出して聞いてみた。
半年ほど前にコンビニのくじで貰った酒がある。料理酒にでもするか、と思いつつ冷蔵庫に眠りっぱなしだったが、彼は割と酒を飲むタイプだ。
そう高いものでもないが、もしかしたら飲みたいかもしれない。
「あるんすか!?」
「安ワインとビールですけど、それでもよければ」
「わーい! 頂きまーす」
長らく冷蔵庫を占拠していたワインボトルと瓶ビールを取り出して。
グラス代わりのマグにワインを注いで差し出すと、彼は喜んで飲み始めた。
つまみ代わりにレンジで爆発しない程度にウィンナーを温め、持って行き隣に座り、雑談しながら暫く過ごす。
終末部に来た魂の話や、タナさんの話、面白い話が湯水のように湧き出てくる。
程なくしてワインは空になり、瓶ビールに手をつけ始めている。
割とガブガブ飲む割に、そこまで強くは無いのか既に顔は真っ赤だ。
いや、この人、骨でもあるんだよな、とも思うけど。
「そういえば、雨宮さんってもう身体は大丈夫なんです?」
「まあ一応は。何か色々後遺症が残ったらしいですけど」
退院して数日、特に問題は無かった。
買い物含めて多少不便なことはあれど、無視できる範囲だ。
「生きてただけで儲けもんですって、消滅する可能性があったらしいじゃないすか」
「そう、ですかね」
「そーそー。俺らはもう死ねないですからねー」
彼は飲むと気が大きくなるのか、それとも地からそうなのか。
大笑いしながら〝もう死ねない〟と言った。
彼ら、終末部で働く3人衆、その他あそこで働く人々は基本的に不死者だ。
何がどうしてそうなったのかは知らないし、踏み込む気も無かったけれど。
自分も場の空気に酔ったのか、少しだけ聞いてみたいことがあった。
「――死ねない、ってどんな気持ちですか?」
死ねないってどんな気持ちなんだろう。
下手すれば、自分も片足突っ込んでる領域。不死ではないにせよ、不老の可能性がある。
だから、場のノリに任せて聞いてしまった。
「どんな? どんな、どんな…………うーん……別に困る事は無いんすけど、ただ、たまーに思うんすよ」
「死ねる、ってどんな気持ちだったっけかなーって」
「まあでも、俺らみたいなのはそれを選んで成ったんで、あんま参考にならないんじゃないですかね」
……死ねる気持ちがどんなものだったか。
確かに忘れてしまっても仕方ない、死の概念から外れた人なら、そうもなる。
それが諦めから来るものなのか、別の何かから来るものなのかは分からない。
「いや、十分に参考になりますよ。ありがとうございます」
お礼を言いながら、瓶を片付けようと立ち上がろうとした時。
彼は腕を肩に回し、引き寄せてきた。
「なーに辛気くさい顔してるんですか! こんな話なんかよりもっと楽しい話しましょうよ」
何かを、感じる。
ここ数日、ずっと感じなかった、何か。
肩に触れた腕から伝わる何かが、感じられた。
「ぁ――――――――」
「ん? どうしました?」
吐息が漏れ、少しだけ固まってしまう。今、感じているものから
彼が不思議そうにこちらの顔を覗き込んで来る。
「……いや、あの……温かい、な、って」
「? そりゃまあ受肉してますし、酒も大分頂きましたし」
――――熱感。
生きている者なら誰しもが持ちうる、感覚。
それがここ数日、よく分からなくなっていた。
どんな服を着ていても、暑くも無く、寒くも無い。
火に触っても、火傷の痛みはあっても熱さは感じない。
心頭滅却すれば、というが、火はもう熱く感じられなくなっていた。
制服に掛けられた加護のひとつが、焼き付いてしまった結果だ。それは仕方ない。
だからもう、自分は〝温度〟というものを感じられなくなってしまったのか、と思っていた。
熱感への耐性ではなく、感覚の喪失ではないかと考えていた。
でも、今感じているそれは……。
淡い期待を芽吹かせるのに、十分な、温かさ。
「あの、僕は、まだ……温かい、ですか?」
「え? うん、まあ人並みじゃないすか? むしろちょっと熱いくらいだと思いますよ。人間メシ食うと暑くなるでしょ?」
彼は笑いながらそう言った。
……そうか、僕も、ちゃんと温かいんだ。
「……良かった、…………すみません」
「別に良いですよ。そうそう、ターちゃん様が俺らの肋骨がまた入れ違ってるとかなんとか言って……」
その後の話は、いまいち覚えていない。
まだ、人の温度は感じられるのだ、という実感だけが、強く記憶に残っていた。




