第43話 目覚め
――――――暗い、暗い闇の中。
何も見えず、何も聞こえず。
手を動かしてみても、何にも触れず。
足を動かしてみても、床の感触はない。
前に歩いているのか、後ろに進んでいるのか、何も分からない。
でも、何か、いる。
何かが、こっちを見ている。
その時、暗闇の向こうに、何かが見えた。
それは周囲の闇を一層深くしたような、影。
――誰?
と、声に出そうとしても、声にはならない。
ただ、その影が、じっとこちらを見ているようで。
深い深い闇の中で、一層深い闇を纏った影が、揺らめいていた。
―――――― ◆ ◇ ◆ ――――――
――――――――…………。
目が、覚めた。
日差しが何処かから、顔を照らし、穏やかな風が頬を撫でる。
目線の上には、見知らぬ天井。真っ白な天井があった。
……あれ、昨日何してたんだっけ。
いまいち、……記憶が定かじゃない。ゲームしながら寝落ちたんだったか、それとも漫画でも読みながら、寝落ちたんだったか。
何、してたっけ?
…………というより、此処は何処だ?
「――おや、目が覚めましたか」
カーテンが開く音がする。
目線を向けるとそこには看護師らしき服装の女性。
あー、もしかしてひっくり返って入院でもしちゃったのか。救急車、誰が呼んでくれたんだろう。
「直ぐに先生を呼んできます。安静に」
あ、行っちゃった。
担当医でも呼びに行ったのかな。まあ、そりゃそうか。
身体に何かがあったなら、その説明は医師の仕事だ。
とりあえずすることも無し。のんびり待っていよう。
暫くして。
パタパタと2つの足音が聞こえた。
「お、目、覚めました? どうでしょう、調子は」
カーテンの隙間から潜り込むように、医師らしき白衣の男と、先ほどの看護師が入ってきた。
どうでしょう、って言われても、いまいち分からないんだけど。
少し戸惑っていると、医師が何処か納得したような顔をした。
「あー、此処は癒療部ですよ。一応確認しときましょう、お名前言えます?」
――あめみや、ゆきひこ。
言われたとおりに名前を答える。
そういや大学病院とかって、大体こうして名前聞かれるもんな。
癒療部、って単語は何処かで聞いたことあるけど、新設された科か何かだっけ。
「よーしよし、それじゃ次は右手、動かせます?」
動かせるも何も、腕が吹き飛んだ訳じゃあるまいし。
言われたとおりに右手、左手、右足、左足、首と動かしてみる。
問題は無い。指も動く。
「うん、大丈夫そうですねー。少し記憶の混濁は見られますが、まあまあそこは追々落ち着くでしょ」
記憶の混濁?
何か、忘れてる? いや、何か大切なことを、忘れてるような。
そうだ。忘れてる。大切な、何かを。
「とりあえず今日は、そのまま安静にしてて下さい。また明日、お話してみましょう――後、お願いしていい?」
医師の言葉に、看護師が頷いた。
もう少し、もう少しで何か思い出せそうな気がするのに、掛けられた毛布が整えられ、そのまま寝てしまえとばかりに見つめられる。
その目で見られていると、徐々に、徐々に……眠気に、睡魔に飲まれて。
もう一度意識を手放した。
―――――― ◆ ◆ ◆ ――――――
あれから一週間。
何やら記憶はぼんやりしたまま、朝起こされて、医師と話して、夜に寝る、という周期を繰り返して7日間。
意外と、此処の病院食は美味い。
病院食って味も素っ気もないものと相場が決まってたけど、最近はそうでもないらしい。粥も甘いし、おかずも美味しい。しかもちゃんと温かい。
少し量は物足りないが、それでも腹が膨れれば満足だ。
食べたら食べたで眠くなる。眠い。
ただそれでも、何か忘れてしまったことが気に掛かる。
大事な事に、ずっと靄がかかったような。
でも、それでもご飯を食べて、寝てしまえば日は徐々に過ぎていく。
目が覚めてから8日目。
その日の昼を食べた後、医師と話をした。
「うん、今日も調子良さそうですね。そろそろ面会の許可も出していいかな」
「面会?」
「そうそう、君の上司とか。君が目を覚ましてから毎日問い合わせがあってね、そろそろ良いでしょ」
上司……上司?
ああ、そういえば、すっごいきれいな女の人だったっけ。
なんとなく思い出してきた。名前は、確か……アスカ、だったかな。
「それじゃ、後で連絡いれとくね。明日には来ると思うから」
「はーい。……そういえば此処、喫煙所って、ないですよね」
「ないねー、流石に。一応、入院患者であることを自覚してね?」
布団に潜り込んで、医師を見送る。
なんかこのおっちゃん、ちょっと軽いんだよな。
まあいいか、そろそろ眠いし。
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――…………………………
そして翌日のこと。
朝も早よから起こされて、朝飯を食べ。今日の献立はおかゆに、野菜を炒めたもの、ローストビーフらしき肉に、オレンジ。
食べ終わった頃に、騒々しい足音が2つ、聞こえて来た。
「――雨宮くん!」
カーテンを開けて入ってきたのは、確かアスカという女性と……えーと、なんだっけ、この人。
そうそう、タナさんだ。どっかオカマっぽい人だ。というよりオネエっていうんだっけ、今は。
「あ、どうも」
「――――――良かった、ほんとに、良かった……!」
あっ……。
急に、抱きしめられた。
彼女の体温が、その身体を通して伝わってくる。
ちょっと、苦しいくらいだ。でも、女の人に抱きつかれるのは……悪い気分じゃ無い。少し恥ずかしいけど。
「……っ、ひ、ぅ……っ、く……っ」
でも、この人……泣いてる?
何で……ああ、いや、そういえば。
この人は上司で、この人と一緒に神々の為に働いてきたんだ。横のタナさんは、確かあの世関連の。
徐々にだけど、思い出してきた。
「…………大丈夫ですよ、僕はちゃんと生きてますから」
とりあえず、泣く子をあやすように背中をさする。
昔、転んで泣いた姪っ子に同じようにしてやったっけ。
「……アスカちゃん、ほら、そのままだとべちゃべちゃにしちゃうわよ」
タナさんが見かねて声を掛けてくるまで、暫くの間そうしていた。




