第41話 対峙と選択
「――――――ッ!」
回避は出来ない、それはもう間に合わない。
ただ、軽減は出来る。一瞬の判断が、そう言っている。
ドーンとの訓練の結果、そういう判断が出来るようになっていた。
左腕を突き出し、獣に噛みつかせ。
鋭い痛みと、鈍い疼き。制服を通して、獣の牙と、その呪いが腕に走る。
だが、躊躇している余裕は無い。右手に持った刀を、獣の首に突き立てる。
「お? やるじゃねえの! 狩れたと思ったんだがよぉ」
腕に噛みついていた獣を振り払い、声の元を見た。
そこには、無傷の男が居た。服装も、この街の人間とも思えない。
皮製の服装に、肩から掛けたローブ。如何にもファンタジー世界の冒険者らしいものだ。
「……お前が、この世界を襲った犯人か」
極力冷静に、冷淡に、男へと真意を問うように。
今すぐにでも殴り飛ばしたい。直ぐにでもその罪を償わせたい。
だが、それをしてはいけないという自制心はまだ働いている。
「目的を話し、投降する気があれば……」
「はぁ? ンなもんあるかよ。お前、勝ったつもりか?」
男は下卑た笑いを浮かべながら、背後へと距離を取る。
その腕が振るわれると、地面から黒い獣が数匹湧き出した。
「俺は転生者でね、獣使役の力を神からもらったのさ。今じゃこうして獣神の使役まで出来るようになった!」
「ヒヒッ、お前みたいなひょろっこいガキが、俺様に適うとでも思ってんのか?」
……転生者。
もしかして、タナさんが面接した誰かだろうか。
いや、こんな奴を転生させるとは思えない。この世界に転生させたとも思わない。
この世界に住む人間なら、こんな奴に墜ちるとは思えないから。
だが……もし、管理局で転生させたのなら、その始末は付けなきゃいけない。
その罪は、今此処に居る自分しか負う事が出来ない。管理局員としての責任だ。
「……っ…………」
――――右手で刀を構え、状況を観察。
左手の痛みは無視できる。除外。
男の周囲には、3匹の獣。
どれも同じような姿の、狼のようなもの。主な攻撃は噛みつきだろうと判断する。
この男の振る舞いからして、わざわざ獣を残して自分を守らせる、なんてことはしないはずだ。やるとしても、次から次に召喚するはず。
だが、数は一度に揃えられないと見た。
圧倒的な戦力差を見せつけたいなら、もっと多くを一度に呼び出すだろう。
力を持った者は、大概が驕る。力に溺れ、力に酔いしれる。
力をひけらかし、振り回したがる。それは大体の歴史が証明している。
故に、その結果が3匹だと言うのなら、底は見えていると言っても良い。
「お、やる気か? 今逃げりゃ命は助かるかもしれないぜ?」
ありがたいことに、相手はこちらをナメている。
それはいい、とても良い。十分ナメさせてやろう。
非礼には、億千倍で返してやる。
「――ふざけるな。お前からは何も要らない」
お前からは何も奪わない。
だから、お前を始末する。もう、何も奪えぬように。
――その責任は、僕が背負う。
―――――― ◆ ◇ ◆ ――――――
思考を加速。自己は切断、自我は除外。
純粋な思考と理性をすりあわせ、研磨する。今必要なのは、思考の加速。
身体がどうなろうと構わない。身体はただの道具でしかない。
重要なのはどう使うかだ。
痛かろうが何だろうが、それは付随する結果でしかない。
状況を観察し、展望を勘案し、行動を定めたら、そう動けばいいだけだ。
だから十分に観察し、十全に思考する。その為の加速。
考慮外のイレギュラーが無いように、この選択が十全に機能するように。
僅かな時間で、最適を選択する為に鍛え上げた思考力を発揮する。
「……っ――――』
改めて、相手との戦力差を観察。
相手の持つ力は、自分で言った通りに零落した獣の召喚と使役。
アゲハは血を用いて、自分の権能が及ぶ環境を構築したが、この男がどのようにしてその力を行使してるのか、現状推測が付かない。
およそ相手は異世界人、何らかの外的な支援を受けている、と推察は出来る。だが、現状眼前のそれを相手にするにあたって、それを考慮する必要はないだろう。
状況は最早、制圧済みのエリアを蹂躙するフェーズ。
戦力の逐次投入が悪手である、という古来の兵法からすれば、その主戦力は眼前の男と、それが呼び出す獣のはずだ。
そして、使役という言葉を前提に考えるなら。
獣を召喚している男を始末すれば、その力によって召喚されたものは、この世界に留まってはいられないだろう。残ったとしても、使役者との繋がりが切れることで、大きく弱体化するはず。そうなれば、アゲハ達でも何とかなる、と思う。
この男を、転生者を名乗る獣使いを倒す。
第9世界を守る、ということにおいては〝それ〟が最重要目標。
達成できれば、勝利と言える。
そして、こちらの戦力は自分だけ。
武器はアゲハからもらった刀が1本。
彼女も言っていたが、刀は魔を祓い邪を退けるもの。これはこの世界でも、むしろ技術を基底とするこの世界だからこそ、十分通用する。
先の獣に刃を突き立てた際に、理解できた。
これなら、十分に相対することが出来る。
左手は受けた呪いが蝕んでいるが、制服の力か、ただ痛覚が悲鳴を上げるだけで、すぐに死ぬなんてことはなさそうだ。
なら、死ぬまでに決着を付ければ良い。
次に、此処から先の行動を検討する。
一歩踏み出せば、獣は迫ってくる。予測としては、一斉に。とはいえ、獣には変わりない。完璧な統率が取れる程とも思えない。
それなら、その統率を乱せば良い。右か、左か。
……ルート上、瓦礫が少ないのは、右だ。
『――――……っは……』
一呼吸。不足した酸素を血流に流す。
状況は観察した。展望も見えた。故に、選択は取捨される。
だから今、出来る最適の選択をしよう。
相手を打ち倒し、相手を討ち滅ぼす為の選択をしよう。
後のことは、きっとミラとアゲハが上手くやってくれる。
そう信じて、足を、前へ。
「――やっぱバカだな、お前はよォ!」
一歩踏み出すと、男は笑いながら獣をけしかけてきた。
予測通り、3匹の獣を一斉に。
上手くはまったな。身体を右に振り、弧を描くように前へと足を走らせる。
思った通り、相手もそれに乗って来た。
狙ったのは、マラソンにおけるコースの理屈。
直線であれば距離の差異はない。だが、直線ではない半円などのコースになれば、内周の距離は短く、外周の距離は長くなる。
スタート地点とゴール地点、そしてそれぞれの速度が同じなら、ほんの僅かだが誤差が出る。
――狙い通り、ほんの僅かな差が生まれた。
『っあ……ッ――――!』
僅かに身体を翻し、1匹目には左腕をくれてやる。
今はただの肉だからこそ、使い道がある。
その間に、2匹目の首に刃を突き立てる。彼女からもらった刀が、獣の外皮を容易く貫くことは既にさっき理解していた。
そのまま、刀を大きく振るい、残りの1匹を弾き飛ばし。僅かに作った隙で、腕に噛みつく獣の首を貫いて。
「――…………おい、おいおい! なんだ、その武器と防具……!?」
男が僅かに恐怖したように見えた。
そりゃ、そうだろうな。
これがどんな想いで造られたものかをコイツは知らない。
最初の一撃だけ有効だった、なんて訳がないだろ。
血や脂如きで、その鋭さが鈍る訳がない。
それが邪に由来するものなら、この刀は万全にその力を発揮するんだ。
ナメるなよ、あの子を。
迫ってきた最後の1匹の額に刃を突き立てながら、獣の黒々とした血に濡れた刃を見て、少しだけ笑みを浮かべて思う。
「クソッ! こんな奴が居るなんて聞いてねえぞ!? 転生者だろ、お前!?」
現状の相対距離は……そう遠くない。
そこから、距離を取るにせよ、既に遅い。背を向けて逃げだそうとすれば、獣の召喚も乱れるだろう。
例え逃げ出さなくても、もう展望は見えている。
――――此処から先は、時間と体力の勝負。
あの男が、他の獣を多く揃える前に辿り着く。それだけの勝負だ。
最期の最期、首ひとつ残って、刀ひとつ残して、辿り着けば良い。
……だから、話を聞く気は毛頭ない。答える気も、なかった。
足を前へ。
新たに獣が召喚されたとしても、別に良い。
迫り来る獣は、ある程度無視していい。
ただ、ひたすらに足を前へ。
前へ。
前へ。
――――前へ!!
―――――― ◆ ◆ ◆ ――――――
「な、何だよお前!? なんで、お前は――」
男の眼前に迫り、身体に乗せた速度のまま、突き倒す。
……もう、右手もろくに動かない。足も、良く持った方だ。あちこち噛まれたまま、良く動いてくれた。
後は、最期の始末を付けるだけ。それくらいの体力は、残ってくれた。
男の上に馬乗りになりながら、その肩に刃を突き立てる。
せっかくだ。
この刃についた、獣の血。それに含まれた呪いを、ちょっとは体験させてやろう。
「ぐ、ぅぅっ! ……な、なんだ、これ……、腕が、アァァァ!?」
なぁんだ。
自分で使役しておいて、自分に使われる対策はしてないのか。
呪詛返し、なんてのはオカルトの基本中の基本だろ。
『つまんないやつだね、お前』
のたうち回るのは勝手だけど、獣はどうした。
まだ死んでもいないのに自分で呼び出した獣すら保てなくなったのか。
バカだな、こいつ。笑ってやろ。
「なッ、なんで、お前はッ……! そんな、笑っていらっ――!」
ああ、もう。うるさいな。
耳障りにも程がある。死に様くらい潔くしろよ。
それが無理なら、早く黙らせてしまおう。こうやれば、黙るくらいは出来るだろ?
その首に刃を突き立て、肉に切っ先が埋まるようにゆっくりと……力を込めた。
――――その時。
何かの力に、大きく弾き飛ばされ、瓦礫にたたきつけられる。
これは、この男の力じゃない。
前にも一度、こんなことがあったか。あの時と同じように、さっき考えた通りに、外的な要因は存在した。
でも、もう勝ちだ。
少なくとも、目標は達成した。直にあの男は血の呪いに食い破られるだろう。
……僕の、勝ちだ。
『……………………』
でも……遠方から聞こえる足音と、手を打つ軽い破裂音。
嫌な音だ。気分が悪い。
「――いやはや、お見事。ミスター」
視線の向こうには、一見上品な男。
先ほどまで苦痛に悶えて、怯えていた男は、味方の登場に安堵したようだ。
「ガフッ、え、ぁ゛……! きょ、教授……たず、げ……」
「君の戦闘を見させてもらった。まさか、このタイミングで君のような〝変数〟が存在していたとは思いもよらず、つい見入ってしまったよ」
上品な男は、呪いに悶えるそれを放置し、こちらに向かってくる。
あーあー。あのバカは呪いが血を巡って痛そう。
こんなどん詰まりで現れたのだから、助けるつもりも、癒やすつもりもないに決まってるのに必死に喘いで。
まあそれはいい。その末路は自分で選んだものだ。
今重要なのは、教授と呼ばれた男。
これは…………失敗だ。
男の振る舞いには、隙は見えない。眼前の男への……対抗策が、思いつかない。
足はもう、立ち上がるのがやっと。前に進むのも、数歩が限界。
思考もこれ以上は回らない。
……ああ、本丸はこっちだったか。
それは考慮出来ていなかった。支援があっても、後方支援タイプかと思っていた。
だが、敵は、敵の主戦力はこの男だった。まるで実験を観察するかのように、傍観していたんだろう。
……残念ながらゲームオーバー。リセットは、ない。
「――ミスター。名前を聞いてもいいかね?」
『あめ、みや』
口を動かして答える。墓標なら要らないんだけど。
すると、男は穏やかに微笑んだ。しかしその目は、笑っていない。
暗闇の奥、深淵のような暗い瞳が、じっとこちらを見つめてくる。
「ミスター・アメミヤ。君は……なるほど、贋作か、この状況で、そんな顔をするとは」
『――――――――』
贋作。
その言葉は、嫌いだ。昔から、嫌いなんだ。
ちゃんと機能しているはずだ、この場にあった表情に。
「なるほど――君を構成する人格、感情、理性、思考。そういったあらゆる物を、君は偽装し続けてきたのだね。代わりに、君は相対する獣性を内包している」
「普段は秘めている獣性が、こうした状況下では発露する。それが君の防衛機構なのではないかな?」
「――実に見事だ、それは勇者の素質と言っても良い。賞賛に値する」
拍手と共に、男が笑う。
だが、男が言っている意味が分からない。
何を言っているか、理解出来ない。
『なん、で…………」
「君は、見事な贋作家だよ、ミスター」
男は、そういうと手を差し伸べてきた。
「――君は我々と共に来るべきだ。我々ならば、君の本質を理解してやれる。それを使える場を、用意してやれる」
「君が共に来てくれるなら、我々はこの世界からは手を引こう。此処を捨ててなお、君にはその〝価値〟がある」
その手は、何処か蠱惑的で。
その誘いは、何処か魅力的で。
「さあ、選択したまえ――――――ミスター」
既にゲームオーバーに至った自分が、この世界のために出来る最期の選択肢を提示されたように思えた。




