第39話 アゲハの問い
「なんてこと……」
ミラは、絶句していた。
彼女達が、造り上げてきた街が燃えて、人々が逃げ惑っている姿に。
こんな事態は、それこそ想定されていなかったんだろう。
今、眼前に広がる光景に、苦いものがこみ上げる。
「――腑抜けとる場合か!」
「民の避難を急がせよ! 避難先はあるんじゃろうな!?」
アゲハがまたも一喝する。
その声に、こちらも奮い立たされるような気がした。
「え、ええ、地下の工場区画であれば、分厚い防御層があります!」
「ならば、急ぎ兵を遣わし民を誘導させよ! あれらに対抗するなど考えず、ただ民を安全な場所に護送するのじゃ! 決してアレに触れてはならん!」
その声に、ミラと兵士達が行動を開始した。
自分は、と言えば今何をすべきか、何が出来るかが分からない。
……ただ、状況を見ているしか出来ていなかった。
「雨宮、まずは盤を、敵を見よ。あの獣はな……零落した獣神の群れじゃ」
「お主が見た夢は、あれらの気に当てられたのかもしれん。これほどの数じゃ、どうせ何処かに潜ませておったに違いない」
横に並び立つアゲハが、街を蹂躙する獣の群れを差して言う。
その言葉に、かつて面接の際に、部長が言っていたことを思い出した。
神々は、その信仰を失えば消失するか零落する、と。
今、眼前で街を食い荒らすそれらは、零落した神だとアゲハは言っている。
「アレは最早呪いをばらまくだけの存在じゃ。ほれ、あそこで人を喰ろうた獣が爆散し、街を焼いておる」
「――そういうものが、今此処に迫ってきておるのじゃ。理解出来たか」
その声に、震えや怯えの感情はない。
ただ、今ありのままの現状を伝え、示すものだった。
自分の中に起きていた戸惑いが、ゆっくりと消えていく。
現状を見通すだけの、精神の余力が戻ってきた。
「うん、……現状は、把握できた」
彼女の言葉に頷きを返し、また街で起きている惨状に目を向ける。
今こうしている間にも、人々の命が失われていくと理解した。
状況が理解出来たなら、その先を考える。
何かをしなくてはこの惨状は止まらない、でも何が出来る?
「よかろう。ならば、わらわはお主に問わねばならぬ」
アゲハが、こちらをまっすぐに見据える。
「兵は分散され手は足らぬぞ。その手が届く範囲は、あまりにも狭い。故に問う」
「今、お主が助けるべきは、〝テクノロジカ〟か〝この街の人々〟か」
彼女の言葉に、一瞬目の前が白く染まる。
天秤に掛けろ、と言っているのだ。この世界の神と、この街の人を。
自分の立場、管理局としての立場なら、答えはひとつ。神を救うべきだ。
主神の代替わりが失敗すれば、どんな影響が起こるか分からない。下手をしたら、世界がまるごと滅亡に向かう可能性だってある。
それに、あの老人は最後に、自分の為に祈ってくれた。あの人を見捨てる事は出来ない。
だけど。
その為に、この街で数日過ごして出会った人を見捨てていいのか。
あの食堂の老婆や、常連の人々を、同じ天秤に掛けてもいいのか。
それにあの人達を見捨てたら、自分は、あの老人の想いに顔向けが出来ない。
…………絶対に忘れない、と誓ったじゃないか。
答えは、出ない。
時間だけが勝手に進んで、事態は悪化していくのに。
「――選択せよ、雨宮幸彦。お前の手は、何を選び、何を捨てる?」
彼女は一言、そう言った。
これ以上の猶予はない、と。何を為すか、今決めろ、と。
どちらを選ぶ? どちらを犠牲にする?
そんなこと、選択できるわけがない。選択しちゃいけない。
だから――
「……どっちも、救いたい」
口から出た言葉、それは、提示された2つの選択肢ではない、全く別のもの。
驕りとも、傲慢とも言える、3つめの選択。
「――ほう。それは、己の手を超えたものと理解しての事か?」
彼女の目は、ずっとまっすぐに見つめてくる。
――それが、己の傲慢であることを把握しているのか。
――それが、己の増長であることを理解しているのか。
――そして、その結末を受け入れるだけの覚悟はあるのか。
彼女は、それを問いかけている。
王が、臣下にその判断を問うように。
「……少なからず被害が出る事は承知している、人々全てを救うのは無理なのもわかってる。失敗すれば、どちらも救えないかもしれない」
「……それでも、やれることをやりたいんだ。最期まで」
暫しの沈黙。
惨状から来る悲鳴も、己の放つ鼓動も。
一切の音が消えたかのように思える、短くも、永い時間。
その果てに、彼女は微笑んで。
「――――そういうと思っておったよ。馬鹿め」
と、言った。
「ならば、雨宮。一方はわらわが受け持ってやろう。じゃから左手を出せ」
言われるままに、彼女の前に左手を出す。
すると、彼女の爪が中指に突き立てられ、小さな傷を作った。
じわり、と薄く血が滲む。
「っ……」
「多少痛かろうが我慢せい。流石にこの世界では、わらわの権能を及ぼすには場が悪い故、お主の血を借りる」
血の滲む指を押され、赤い血がぽたり、と地に垂れ落ちた。
「血は穢れ。ハレとケの理屈は知っておるな?」
「うん、まあ……」
「今、お主の血を以て異界たるこの地に、お主の世界の穢れをもたらした」
「これによって縁の繋がるわらわの権能も及ぶというもの。……まあ、主神の座が空いておる今だからこそ出来る、裏技という奴じゃな」
血は古来、穢れ……即ちハレとケ、ケガレにおける〝ケガレ〟とされてきた。
宗教のそれによっては扱いは変化するが、概ね不浄、穢れの扱いに入る。
オカルトジャンルでは、魔術における契約媒体であったり、捧げ物として使われているものだ。また、神の血を受けたそれは、聖杯と呼ばれたりもしている。
故に血には、古来から特別な力があるとされてきた。
つまり彼女は、異世界であるこの地に〝第7世界における穢れの概念〟をもたらすことで、縁を頼りに自身の力を使える環境を構築した、ということか。
「雨宮、わらわが事を為したら、お主はお主の為すべきを為せ。だが、必ず此処へ戻ってこいよ」
彼女は瞳を閉じ、懐から二つの道具を取り出した。
右手には笏、左手には鈴の付いた短剣。
それらを手にした姿は、何処か……神々しく見える。
彼女の言葉に頷き返すと、彼女は一歩前へ進み出て。
「――汝よ、吾が名を問え」
と言った。
◆ハレとケ、ケガレ
日本人の有する概念のひとつです。
ハレは即ち晴れの日、お祭りや年中行事などの非日常がハレ(殊・聖)であり、そうではない日常のことをケ(常・俗)といいます。
ケガレ(穢)は不浄、例えば葬式のような余り気分の良くない非日常です。ケ枯れとも言うとか。(葬式はハレとする話もありますが気分的には分けたいものです)
ハレ・ケ・ケガレは様々な論議がありますが、良い日がハレ、日常がケ、良くない日がケガレ、という認識で概ね問題ないでしょう。




