第38話 襲撃
――――厭な、夢を見た。
真っ黒な影が、纏わりついてくる。
その影は素肌に、ベトついた粘液のように絡みつき、身体の内側を侵されるように、厭なものが身体の中へと流れ込んでくる。
影をいくら振り払おうと、底なし沼のように身体が影に沈み込んでいく。
足首が、膝が、背中が、胸が。
影へと飲まれ、自分ではない何かに覆い尽くされてしまう。
これは、喪失の感覚。
何もかもを奪い去る時に、身体を流れる黒い泥。
喪われていくモノを取り繕う為に、溜め込まれた仮初めの影。
――厭だ。
こんなものは厭だ。
こんなものは、在ってはいけない。
だが、それでも。
これまでは受け入れてきたはずだ。
それでいい、と受け入れてきたはずだ。
でも、今は…………厭なんだ。
何も見えない空へと手を伸ばす。
空には闇もなく、光もなく、ただ無と言えるようなもの。
それでも、手を伸ばさずには居られなかった。
――その時、空に一筋の光が輝いた。
何もない空、その空虚の果てにただひとつだけ。
か弱くも、ただ其処にあるというだけで意味のあるもの。
それは、極点を流離う星の影。
旅人を導く、夜空に輝く光輝の羅針盤。
その道行きを祈り願った、誰かの想いを抱いたカタチ。
手は、届かない。
もうその果てへ伸ばす手も、肩から歪み、溶けて墜ちた。
立ち上がる為の足も、既に飲まれて崩れ去った。
この目も、いずれ灼けついて見えなくなるだろう。
自分が自分であるかすら、もう分からなくなっていく。
だから。
届かないのは分かってるけど。
それでも〝僕〟は――――
―――――― ◆ ◇ ◇ ――――――
「――――――ッは……!?」
目が、覚めた。
身体中に、嫌な汗が張り付いて気持ち悪い。
呼吸も鼓動も乱れているのが分かる。
今も、夢の感覚が残っているような、ドロリとした感触を感じる。口元から、何か苦いモノがこみ上げるような。嫌な感覚。
夢の内容は、もう殆ど覚えていない。気持ち悪い、恐ろしい夢を見た、という感覚しか残っていなかった。
……ひとまず、シャワーを浴びてさっぱりしよう。何か、嫌な予感がする。
「おー、雨宮。おはよ――」
シャワーを浴びてロビーへ降りると、そこにはアゲハが居た。
目を合わせた途端、すごい圧で彼女が睨み付けてくる。
「――雨宮、お前、何を見た! 言え!!」
突然の怒声。彼女からこれほどの声が出るとは思わず、一瞬たじろいでしまう。
「な、何って……ちょっと、嫌な夢を……」
彼女の問いには〝嫌な夢を見た〟としか言えない。それ以上の記憶も、今となっては消え失せた。
圧に気圧されながら答えると、彼女は、こちらをじっと睨み付けたまま、のしのしと近寄って来る。
「…………そうか。分かった、ちょっと屈め」
言われたとおり、跪くように彼女の前に屈む。従わなければ、殴られるんじゃないかと思うほどの圧がビリビリと伝わってきた。
屈んだのを見た彼女は、両手でこちらの両肩を掴み、何かを唱えるように呟く。
……すると、少しだけ残っていた肌に残る感覚が、溶け落ちるように失せていくような気がした。
「……これで暫くは大丈夫じゃろ。余計なモノを寄せおって……」
「何、だったの?」
目を上げ、アゲハに目線を合わせるが、彼女は首を振る。
「さあな。……質の悪い虫の知らせの類いかもしれん」
「虫の知らせ……なら、急いでミラさんに会って、状況を確認しよう」
彼女の言う通り、あの夢が虫の知らせの類だと言うのなら、何か良くないことが起きる可能性がある。
それなら……すぐにでもミラに会わなければ。
急ぎホテルでバイクを借り、大ドームへと急いだ。
―――――― ◆ ◆ ◇ ――――――
「おはようございます、雨宮様、アゲハ様。如何しましたか? もう少ししたらお迎えにあがる予定でしたが」
大ドームに辿り着き、兵士に話を通してミラを呼んでもらう。
ミラは、何故呼び出されたか分からないとばかりに微笑むだけだ。
「あの、何かトラブルなどはありませんでしたか?」
「いえ、なにも。次代のテクノロジカ様も、まもなくお生まれになりますので……」
ミラの言葉に、胸をなで下ろした。
良かった、何も起きていない……。あの、嫌な夢はただの嫌な夢だけだったのかもしれない。
「朝食のご用意をしましょうか? 何も食べておられないのでは?」
「いや、要らぬ。代わりに此奴に水をやってくれ、なるべく清いものを」
兵士が持ってきてくれた水を受け取り、一気に喉へと流しこむ。
張り詰めていた緊張の糸が、水によって解されていくような心持ちがした。
「ありがとうございます……」
兵士に礼を言って、グラスを返そうとしたその時。
「ミラ様! ミラ様はどちらに!?」
大慌てでミラを呼ぶ声がした。
「何事ですか?」
「それが、世界群全てとの通信が途絶しました……!」
「何ですって……!?」
彼女の声に、焦りが奔る。
状況の詳細も分からず、そこから得られる展望も見えない。
「予備回線も全て途絶、緊急用ホットラインも通じません!」
「なんてこと……よりによって、いや……このタイミングだからかしら……!」
あの嫌な夢が知らせた、予感。
それが、的中してしまったとでも、言うのか。
―――――― ◆ ◆ ◆ ――――――
「何かが起きているのは分かるが、わらわ達に分かるよう説明せい!」
暫く状況を静観していたアゲハが、業を煮やしたかのように、一喝した。
それは子供のワガママのようなものではなく、立場ある者が狼狽える者の為に、新たな道筋を示す為の、幕開きの声。
その声に応え、ミラが一呼吸整えてから口を開く。
「……そうですね、この世界は、幾度となく襲撃を受けていました」
「此処の技術や、あのお方の意志を邪魔だと考える者がいるのです。貴方がた管理局とは違う、別の異世界人の組織の仕業でしょう」
無理矢理、世界の運行の邪魔をしようとする者が居たなんて思わなかった。
何より、あの老人の想いを踏みにじろうとする者がいるなんて。
拳に、力が入る。
「度々、第9世界群に襲撃を仕掛けてくるのです。技術の簒奪、破壊……そして継承の途絶が目的だろう、と我々は判断していました」
「……それで此度は、代替わりの隙を狙われたと言うわけじゃな?」
「恥ずかしながら、仰る通りでしょう。しかし、まさか第9世界群全てに、同時攻撃を仕掛けてくるとは……念の為、世界群の防衛体制を強化してありますので、直に状況は判明すると思います」
流石はミラだ。有事を見越して、先手を打って防衛強化を図っていた。
それなら、こちらも何か手伝えることがあるかもしれない。
管理局なら、あの人達ならきっとこの状況に対して、何かの手段を講じてくれるかもしれない。
「すみません、管理局に……アスカさんに連絡を取ってみます。もしかしたら何か追加の対策が取れるかもしれません」
ポケットにしまっていた通信端末を取り出し、アスカへの回線を繋ぐ。
……返ってきたのは、荒れたノイズ。
期待していたアスカの声は聞こえない。雑音とノイズが、ただ鼓膜に響くだけ。
「……繋がら、ない……?」
何度掛け直しても、不通を示すが返ってくる。
でも、何故管理局にすら繋がらないんだ? 襲撃されているのは、第9世界の世界群のはず――――
――いや、それなら。
こういう状況なら、見える展望はこうじゃない。
もし、自分が襲撃者だったら、どんな手を使う?
視点の反転は発想の転換に繋がる。〝参加者〟の視点で見えないものがあるなら〝支配者〟の視点で盤面を見るべきだ。
今の立場は〝参加者〟のそれ、盤面の支配権は相手に奪われている。
それなら。
視点を変えて、再思考する。
時間はない。状況を再分析しろ。
1、今この世界の主神の加護は弱まっている。襲撃のチャンス。
2、全ての世界群との通信は途絶させた。戦力と情報の分断に成功。
3、管理局への通信も妨害できている。第三勢力の参入を妨害。
以上の観点から導かれる状況は、こうだ。
これは実に単純な差、僅かな差異。
だがこの状況においては、この僅かな差が決定的な分岐になる。
部屋に閉じ込められたのか、それとも部屋から追い出されたのか。
敵は〝世界群との通信を途絶させた〟んじゃない。
〝外部との通信を途絶させた〟んだ。
それは何の為に? 何が目的で?
自分が襲撃者ならこの状況でどんな選択をする?
展望を考えろ、時間は無いんだ。
自分がこの世界を叩くなら……狙うべきは――――
「――ミラさん、違います! 敵の狙いは、そっちじゃない!」
突然、大きな爆音がドームの外で響く。
それも、一度では無く、散発的に。あわせて、人々の悲鳴の声が聞こえて来た。
急ぎドームの外へ出てみると、街の至る所で爆煙が上がり、建築物が燃えている様が見える。
それに、まるで黒い獣のような何かが、街中で逃げ惑う人々を襲っていた。
目の前の事態に、声が出ない。
だが、それでも伝えなければ、口にしなければいけない事がある。それだけを頼りに、なんとか口を開いて。
「……敵の狙いは……此処、基幹世界……そして、テクノロジカ様です……!」
絞り出すような声に、ミラとアゲハが、大きく目を見開いた。




