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第37話 神の想い


 大食堂での臨時アルバイトから解放されたのは、夜も大分更けてきた頃だった。

 つまり、店じまいまでだ。


 主人である老婆は、文字通り容赦なくこき使ってきた。

 皿洗いに配膳、調理の手伝いまで何でもかんでもやらされた。

 ドーンとの訓練や、日々の軽い運動をしてなかったら、途中で倒れたかもしれない。それくらい、疲れた……。


「お疲れさん。まかない程度だけど、晩飯食ってきな」


 閉店作業が終わり、他の店員が帰った頃。

 自分も帰ろうと支度をしていると、老婆に呼び止められる。


 言われるままに席に座って待っていると、何かを作って持ってきてくれた。

 見るとそれは、出汁としっかり煮込まれたカツが、卵で閉じられ、米の上に覆い被さった、カツ丼だった。


「それとね、今日の給料だよ」


 続いて差し出されたのは、茶封筒。

 中には数枚の紙幣らしき紙と硬貨が入っていた。

 金額的にはラーメンの代金と比較すれば、およそ8、9000円程になるか。


 でもまさか、給料まで貰えるとは思ってなかった。

 無銭飲食にならない為の、穴埋めとして働いていたつもりだったのに。


「今日はよく働いてくれたからね、昼の飯代はちゃんと抜いてあるから安心しな」


 当惑している様子を見て、老婆は笑いながら言う。

 それなら、まあ……と封筒をそのまま、制服の内ポケットへとしまい込み。


 冷めないうちにとっとと食べろ、と老婆が言うので、両手を合わせてからカツ丼へ箸をつける。

 見たとおり、カツはくたくたになるまで出汁で煮込まれていて柔らかい。卵も程よく半熟で、とろりと米と絡みあい、仕事明けの空腹も相まって、箸が進む。

 一気に食べ終え、箸を置いて口を拭き。出された水を飲み干して、ご馳走様でした、と両手を合わせる。


「ところでアンタ、今日行くところはあるのかい? ちゃんとホテルは取ってあるんだろうね?」


 ガツガツと食べた自分が行く当てのない苦学生にでも見えたのか、老婆が心配そうに問いかけてきた。

 そう見えても仕方ない。食べる場所を探して彷徨(さまよ)っていた上に、飯代が足らず働かせてくれと言ってきたのだから。


「ええ、大丈夫です。今日は、本当にありがとうございます」


 軽く頭を下げる。

 老婆は、首を小さく横に振り。何処か、その目は潤んでいるように見えた。


「良いんだよ。息子が帰ってきたみたいで楽しかったさ、……また食べにおいで」


「……ええ、ご馳走様でした。明日また、食べに来ます」


 老婆の見送りを受け、店の外へ。

 外は既に夜の帳が降りきって、街の明かりと天上の星のみが輝いていた。


 明日もまた、昼はこの店に来てみよう。

 そう思いながら、ホテルへの帰路を、のんびりと星を眺めながら歩いていく。






 ―――――― ◆ ◇ ◇ ――――――






 それから、約束をした日までの2日間。

 昼はあの大食堂で取り、そこの客や店主の老婆と雑談をして、その流れで知り合った人々の手伝いなどをして過ごした。


 話を聞いてみると、この街の人々は主神の代替わりを認識しており、交代後の祭りの準備で大忙しなのだそうだ。

 それならただ散策だけで時間を潰すより、色々手伝って話を聞いた方が面白そう、ということで祭りの準備を手伝うことにしたのだ。


 この街の人々は、やる気のある者には真剣に当たる。

 その分厳しいし、優しい。手伝いをする中でその気質はよく分かった。

 彼らは自分の役目であったり、仕事に対して徹底した誇りを持っているし、自分が何の為にその技術を振るうのかを理解している。


 鋼鉄の意志。断固たる信念。

 この街の人々は、その為に生きている。それに殉じる覚悟で生きている。

 第9世界は、そういう人々しかいないと言っても良い世界だ。

 それが嫌になった人は、自然とこの世界を出て行くのだろう。



 ――――――――――――――――――……

 ――――――――――――――…………

 ――――――――――………………

 ――――――……………………

 ――…………………………



 この世界に来て4日目。

 時刻はそろそろ夕方から夜に移り変わるかという頃にホテルに戻ると、そこには大ドームに居た兵士達と同じ装いの男が2人待ち構えていた。


「雨宮様、お迎えにあがりました」


「すみません、すぐに準備します!」


 約束を忘れていた訳では無いが、少し遅くなってしまったかもしれない。

 迎えの兵士達には申し訳ないが、一端身なりを整える為に待って貰い、ホテルの部屋へと急ぐ。


 少し汗くさいかもしれないが、シャワーを浴びる時間は無い。鏡の前で制服を軽く確認し、髪もブラシでなで付けてから、兵士達の元へ戻り、彼らの乗ってきたであろう車に乗り込む。


 しかし、兵士の出迎えとなると……何処か護衛されてるというか、護送されているというか、そんな気がしてしまう。

 小さい頃に、警察署のイベントでパトカーに乗せて貰ったときの事を不意に思い出した。


「おお、幸彦くん! こっちじゃ、こっち!」


 大ドームへ到着し、兵士達に案内されたのはあのバイオノイドの誕生区画。

 ガラスの筒の中で人々が微睡(まどろ)んでいるそのただ中に、この世界の主神が椅子も用意せず、布きれを広げて酒盛りをしていた。


 ……良いのか?

 なんか、初対面の時のようにもうちょっと整った席が用意されると思っていたけれど……。


「すみません、遅れてしまって……」


 老人の向かいに、地べたに座るように腰を下ろす。

 目の前には酒瓶、ではなくジュースらしき瓶が何本か並んでいる。酒が飲めない、と言ったのをちゃんと汲んでくれたらしい。


「構わん構わん、街の連中に良くしてくれたようじゃな!」


「何処かでお聞きに?」


「ワハハ、そりゃあな。ワシゃ一応主神だぞ?」


「それ以前にな、君の髪やら手やらでよーく分かる! ありがとう、幸彦くん!」


 街での振る舞いが知られていたとは思わなかった。

 いや、タナさんも領域内の事は手に取るように分かる、とは言っていたけど、こんな些細な事に気を向けられているなんて。


 変なことしなくて良かった……。それに、ちょっとだけ誇らしい。

 ……でも手が汚れてる事には気づいておきたかったな。


 会話の後、目の前の瓶を開け、グラスに注ぐ。

 そして、二人で同時にグラスを掲げる。お互いの別れの為に捧げる、献杯。

 後には暫くの静寂が残る。周囲の機械音、そして互いの喉を液体が通る音のみ。

 今は、この静寂が心地良い。


「なあ、幸彦くんよ。ワシの話に付き合ってくれんか?」


「ええ、構いませんが……」


 静寂を破ったのは、目の前の老人テクノロジカの声だった。


「うむ、ワシの寿命は今夜0時で終わる。君に分かりやすく言えば、自殺する、ということになるかもしれん」


「この区画の奥にはな、次代の(テクノロジカ)を生み出し、先代の(テクノロジカ)を消滅させるための設備があってな。そこで今代のワシは終わり、これまで積み上げてきた歴代の経験情報が抽出され、次代へと受け継がれるわけじゃ」


「何代も繰り返してきた事じゃが、それでも寂しいもんは寂しい。ワシが定めた事とはいえ、ミラにも、毎度辛い想いをさせておる」


「ミラは、ワシが代替わりを定めた頃からずっと、ワシを看取る役目を背負っておるからな。ワシの背負う罪のひとつじゃよ」


 その声には、今までのような快活な調子は無く。

 老境に至り、その果てを知り、瀬戸際に立って己を振り返る男のそれ。

 僅かな声の揺らぎが、向かい合うこの人の心中を映し出している。


「それにな、アスカ……あの子は、とても優しい子でなぁ」


「ワシが、幾代も世界の為の柱となることに、そして母であるミラが、幾度となくワシを見送らねばならぬことに、耐えられんかった」


「技術は、技術に過ぎん。それを使う者、それを行う者の良心によって、善とも悪ともなり得る。それは君も十分知っているじゃろ?」


「――――そんな物の為に、そんな者達の為に、ワシやミラが、苦しむことを嘆き、絶望しておった。人という生き物を嫌うほどにな……」


 ……そうだったのか。

 前に、彼女は……『一人で背負うなんて、悲しすぎる』と言っていた。

 きっと、彼女はずっと見ていたのだ。苦痛を、悲しみを……一人で背負い続ける、自らの母の姿と、その主の姿を。


「じゃから罪滅ぼしとはいえ……ワシの判断や、行動は……ミラやアスカに辛い思いをさせてまで、行うべきだったのか……それが正しかったのかどうか、何時も悩んでおった」


 この人は全てを受け入れ、それで納得しているものだと勝手に思っていた。

 でも、それでも。受け入れきれないものがある、と言っているのだ。

 ――その心中、如何ばかりか。自分には計り知ることは出来ない。


「――――だがな、幸彦くん!」


 突如、老人は大声を上げた。それは咆哮(ほうこう)のように、辺りに響き。

 そして、燃える炎を宿したような瞳で、こちらの眼をじっと見つめてくる。


「君のような……君のような男にワシは会えた!」


「君が、ワシの最期を想い悼んでくれたこと、この街の者を想ってくれたこと、君が見せてくれたワシらへの想いを、その全てをワシらは決して忘れん!」


「この命は此処で果てるが、ワシは……ワシらは、君の道行きの支えとなるよう、戦い続けよう!」


「じゃから……お前さんが、何時かその旅路の果てに迷い、立ち止まった時には、思い出してくれ!」


「お前さんの事を想って、技術に命を懸ける者が居ることを! この第9世界の者達が、此処で、君からは遠い世界で、最期まで戦い続けていることを!」


 ――ドクン。


 老人の瞳の炎が、心臓の炉に火を付けたかのように、鼓動を打つ。

 老人の声の熱が、血流と共に身体を駆け巡る。


「……はい、わかりました。絶対に、忘れません」


 震えた声で、頷きながら言葉を返す。

 その拳を、爪が食い込むほどに握り込んで、溢れそうになる嗚咽を堪える。

 ……この人の門出は笑顔で、その旅立ちを見送りたい、と思ったから。


「――ワハハハ、なあにジジイの戯言と思ってくれりゃええ。しかし湿っぽい話をしてすまんな、さあ楽しくやろう!」






 ―――――― ◆ ◆ ◇ ――――――






「うむ、そろそろ頃合いか……。幸彦くん、そろそろ帰って構わんぞ」


 言葉を交わし、杯を交わし、既に数刻。

 時刻にすれば、午後11時を回り、日付が変わるまであと僅か。

 老人はゆっくり立ち上がり、こちらに背を向けた。


「……いえ、最期まで、その時まで見届けます」


 帰っても良い、と言われたが帰る気はなかった。

 元より、見届けるためにこの世界に来た。

 それに、何より最期まで付き合いたいと思った。


 老人は微笑んだように息を吐いて、区画の奥へと足を進めて行く。

 その最奥、小さな扉の奥。そこには周囲に並んでいたようなガラスの筒と、この老人には少し大きめな、棺のようなポッドが備えられていた。

 老人は何も言わずに、ポッドの蓋を開き、白いシートへ横たわる。


「……あの、よければ……これを」


 彼と話をして、心に決めたことがあった。

 腰に着けた、大切な宝物。旅人の旅路を見守るという、神の紋章を象ったそれを、彼の旅路の為に捧げようと。


 老人は、取り外した流れ星のキーホルダーを見ると、瞳を大きく見開いた。


「……――! お前さん、何処でこれを……」


「前に、プレゼントしてもらった宝物なんです。旅路を見守る神の紋章を象ったものだと聞きました」


「だから、神の貴方に別の神の……なんて不釣り合いかもしれませんが、貴方の旅路が良いものになるよう,に、と」


 これは、自分にとっても大切な宝物だ。

 でも、今これを彼の為に差し出すのは惜しくない。

 両手でそれを包み込み、祈るように差し出す。


「……そうか、そうか……! 君は……」


「じゃが、それは……()()()()()受け取れん。それは、お前さんが大切に持っていなさい。それはお前さんの為のものじゃ」


 老人は首を横に振り、指しだした手を押し返して来た。

 代わりに、こちらの手を両手でしっかりと包むように握り込んで。


「良いか、幸彦くん! ワシは、それを君に贈った者と同じように、君の旅路が祝福されることを祈っておるよ!」


「――――()らば。お()らばじゃ、我が友よ!」


 老人はそう言うと、涙ながらに微笑んで手を離す。

 そして、ポッドはその時を待っていたかのように、静かに閉じられた。


 時刻は、丁度深夜0時。

 それを告げるチャイムの音が、出棺のブザーのように鳴り響く。

 ポッドの中には白い煙のようなものが満ち、その内側はもう伺い知れない。


「貴方の友になれて、良かった。……友よ、どうぞ、良い旅路を」


 膝を折り、祈るように両手を合わせ。

 僅かな時を過ごした、自分を友と言ってくれた老人の旅立ちを見送った。






 ―――――― ◆ ◆ ◆ ――――――






「…………雨宮様」


 不意に背後の扉が開き、女性の声がした。

 振り返ると、そこにはミラが立っていた。これまでのようなスーツでは無く、黒衣の喪服を纏っている。


「――――あの人は、今……旅立っていきました」


「ええ、分かっています。貴方のお陰で、あの方は心おきなく旅立つことが出来ました。あの方を……見送ってくれて、……友と、呼んでくれて……ありがとう」


 ミラが、深々と頭を下げた。

 ……本当なら、彼女があの人の旅立ちに立ち会うはずだったのだろう。

 それを、敢えて譲ってくれたのだ。それくらいは、理解出来る。きっと、先ほどまでの会話も、何処かで聞いていたのだ。


「――今日はお疲れでしょう。外に車を待たせてあります、どうかお戻りになって、お休み下さい」


 その言葉に小さく頷いて、無言で部屋を出た。

 そのままドームの外へ向かい、入り口に停められた車に乗り込んで。


 ――ホテルへの帰り道。街の明かりはその全てが消えていた。

 静寂と暗闇、そして星々の明かり。

 この世界にある全ての命が、あの老人へ哀悼を捧げているように思えた。


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