第36話 テクノロジカ大食堂
ドームの外に待ち構えていた車によって、ホテルへと案内された。
宿泊の手続きは、ミラからの紹介であることを告げると、すぐに案内して貰えた。しかもアゲハには専属のコンシェルジュまで付けてくれるというし、部屋も別々。彼女が邪魔……というわけではないが、気兼ねなくこの街の散策が出来る。
通された部屋は、一人で宿泊するには十分すぎる広さがあった。
内装の造りは簡素なもので、テレビやベッド、デスクがある程度だったが、大きな窓が据え付けられている。
窓の向こう、その眼下にはこの街でキビキビと働く人が見えた。
こうなると、少し落ち着かない……。
「あ、……そろそろ連絡いれとかないと」
第9世界に到着してから色々あったけど、とりあえず時間が出来たのでようやくアスカに連絡が出来る。
受け取っていた通信端末を取り出して操作して、アスカに通信を試みた。
操作は……殆どスマホと同じだ。
『あ、雨宮くん! 大丈夫? 何かあった? 遅かったから心配してたよ』
通信は数コール待たずに繋がった。
アスカの声は、少し緊張をはらんでいる。到着したら連絡する、と言っていたのに、大分遅れてしまったからだろう。
「すみません、到着早々ミラさんにお会い出来まして、その後テクノロジカ様ともお話が出来ました」
ひとまずの現状を説明する。
すると、ミラの名前を出した途端、彼女の声が上ずった。まさか、親の名前が出てくるとは思わなかったらしい。
『……ウソ、ママが来てたの? 応接役を向かわせるって聞いてたけど……、……ママ、なんか言ってたりした?』
「たまには帰ってこい、って言ってましたよ」
苦笑交じりにミラが言っていた言葉を伝える。
っていうか、ママって呼んでるんだな。ちょっとイメージが変わった。
『あー……暫く帰れてないからなぁ……、分かった。ありがとね』
「とりあえず報告事項はこれくらいですが、そっちの仕事は大丈夫ですか?」
『うん! 大丈夫、心配しないで。雨宮くんはそっちで楽しんで来るといいよ、ご飯も美味しいし』
念の為向こうでの仕事の状況も念の為確認しておく。
年末年始は神々のかき入れ時、神祇部は忙しくなると聞いていたが、現状は大丈夫そうだ。
「わかりました、また何かありましたら連絡します」
『オッケー! じゃあねー!』
連絡すべきことは伝えたし、別れの挨拶をして通信を切る。
このまま今日は一眠りして、明日からは、暫く自由にこの街を散策してみよう。
きっと、明日も良いものがたくさん見られる気がする。
―――――― ◆ ◇ ◇ ――――――
1日目の朝、ホテルで朝食を済ませて、街へと繰り出してみる。
一通り街をぶらついてみると、この街はあの大工廠等で働く人々の為の、ベッドタウンのような機能を持っているのが分かった。
子連れで休日を楽しむ、異種族同士のカップルなんかも見かけるし、一仕事終えてきたらしき、がっしりとした男達が、酒場に向かって歩いている姿もある。
なんだろう、街の雰囲気がすごく落ち着いている。
人々の安らぎの為に造られた街のように思えた。
――良い街だ。
こういう街が、もう少し自分の世界にあればいいのにな。
暫くぶらついて、少しお腹が減ってきた。
そろそろ昼食時、何処か食べられる場所は無いかと辺りを見渡していると、老婆が声を掛けてきた。
「アンタ、旅人さんかい? 此処らじゃ見ない顔だね」
「あ、ええ、怪しい者では……」
自分が異邦人なのは間違いないが、異世界人であることを明かして変なトラブルになったりしても迷惑になる。
そう思って弁解しようとすると、老婆は大きく笑った。
「なーに、取って食いやしないよ! なんか迷ってるようだったからね、どうしたんだい」
「ああ、ちょっとお腹が空きまして、ご飯を食べられる場所は無いかなと……」
彼女が自分に懸念を抱いた様子はなかった。それなら安心だ。
現在空腹である旨を伝えると、老婆はにんまりと笑顔を浮かべ。
「ああ、それならちょうど良いさね。うちが飯屋だ、寄ってきな!」
これは渡りに船だ。繁華街で変なキャッチに捕まるのとは訳が違う。
笑顔で頷き返し、老婆の案内で、彼女の営む食堂へと向かった。
辿り着いた老婆の営む食堂は、建物自体は大分古びているようだが、広さは十分にあった。
掲げられた古びた看板には〝大食堂〟とのみ表記があり、店の外にはラーメンや定食と書かれた幟も立っている。
古き良き大衆食堂の趣きだ。
店に入ると、そこそこの数の客が、席について思い思いに食事中だった。店員も数人、忙しそうに動き回っている。
人種も職種も多様、食べてるものも色々だ。酒盛りをやってる席もある。
そのまま、2人掛けの席へ案内され、コップに入った水を貰った。
「アンタ、何が食べたいんだい? うちはあらかたのモンなら作れるよ」
「ああ、じゃあ……チャーシュー麺を」
先ほど店の前に立っていた幟にあったラーメンの文字。
それが今の腹の気分を決めていた。インスタントじゃないラーメンを食べるのも、かなり久しぶりだ。それなら少し豪勢に、とチャーシュー麺を選択した。
老婆はあいよ、と気っ風の良い返事で、厨房へと向かっていった。
程なくして、運ばれてきたのは濛々と湯気を立てるラーメンと、頼んだ覚えの無いライス。
しかも茶碗に山盛りと言える程の大盛りライスだ。茶碗の縁から更に、その茶碗と同じくらいの高さまで白米が盛られている。
「アンタ、若いんだろ? なら腹一杯食べていきな、飯食って力つけるんだよ」
これはあの老婆の気遣いか。
厚切りのチャーシューが4枚以上乗っているラーメンに、この山盛りのライス……。全部、食べられるかな……。
―――――― ◆ ◆ ◇ ――――――
「悪いね、ちょいと混んで来たから相席でもいいかい?」
ラーメンと大盛りのライス相手に格闘していた時、老婆が声を掛けてきた。
麺を咥えたまま目線を向けると、いつの間にか店の中はかなり混雑している。
ラーメンの味は古き良き中華麺のそれ、チャーシューも良く煮込まれていて味がしみている。米も程よく甘みがあり、ラーメンの塩気と合っていた。
いつの間にか……このラーメン相手に、すごい集中していたらしい。周りが混んで来たことに全然気づかなかった。
その言葉にコクコクと頷き返す。麺を口に含んだまま喋れば零れ落ちそうだったからだ。
それを腹に落とし込んだ頃、向かいの席に一人の男が腰を下ろした。
旅人らしく、着古したマントを羽織った青年に見える。
「おや、美味しそうだね。私にも彼と同じものを」
この青年は、自分と同じもの……つまり、チャーシュー麺とライスを注文した。
席に着いたときから、穏やかな笑みを浮かべている好青年。
「もしかして君も旅の途中かい?」
「ええ、まあ……そんなところです」
「旅人仲間か、よろしくね」
差し出された手を、握り返す。思ったより、その手は力強く、熱を持っていた。
きっとこれまで色々と旅をしてきたのだろう。その苦労、苦難が刻み込まれた手、という印象を受ける。
もしかしたら、この世界の人ではないのかも。鉄道を使って旅をしている旅人か何かだろうか。
そんなことを考えていたら、青年が微笑みながらこちらの目を見つめて。
「おや――君、珍しいものを持ってるね」
と言った。
珍しいもの、と言われても……思い当たるものは胸元に入っているアゲハからもらった刀くらいしか思い当たらないし、こんな所で刃物を出すわけにもいかない。
胸元に手を添えて隠すように振る舞うと、青年は苦笑しながら目線を少し下にずらし、腰の方に向けてきた。
「いやいや、腰に付いているそれの方さ」
「……これ、ですか? このキーホルダーが?」
腰につけているもの……といえば〝流れ星のキーホルダー〟くらいしかない。これは、あのクリスマスの時からずっと着けている。
それを取り外してテーブルに置くと、青年は目を細め、じっとそのキーホルダーを見つめた。
「ああ……これは、ある神様の紋章とでも言えばいいのかな。光輝の羅針盤、暁の星、極点を流離う旅する星を模したものだ」
「その神様はすごい古い神様でね。旅人の守り神、旅路を見守る者、子供の夢に寄り添う者……なんて言われてる。まあ……だからといって、良い神様とは限らないけどね? 史上最低のロクデナシなんて噂もある」
そんなに古い神様の紋章を象ったものだとは……。
これをプレゼントしてくれたのが、アゲハかどうかの確証はない。でも、もし彼女がそれを知っていて、あのマーケットでこれを見つけて選んでくれたと思うと、少し温かな気持ちになる。
違う誰かなら……きっとこれは、自分の為に誰かが贈ってくれたものだ。本当のサンタクロースからのプレゼント、だったりするかもしれない。
「……これ、この間プレゼントしてもらったものなんです」
そして、これを貰ったあの世界を滅ぼしたことも。
自分で選択して、逃げないと決断したあの時のことが、脳裏によぎった。
「――そうなんだね、じゃあきっと君の旅路はその神様に見守られているよ。大切にするといい」
青年の優しげな笑みに、あの時の想いまで見透かされているような気がして、少しだけ気まずい。
そんな時、店員が青年の分のラーメンを運んできた。自分が頼んだのと同じチャーシュー麺に、うずたかく積まれたライスの山。
流石の青年も苦笑を浮かべている。
「おっと、無駄話に付き合わせてしまったね。私のラーメンも来たし、さあ食べよう! 君も早く食べきらないと麺が伸びてしまうよ」
話を振ってきたのはそっちなのに。
と思いつつ、目の前のラーメンに再度向き合う。まだ、ライスもあわせて1/3近く残っている……。
―――――― ◆ ◆ ◆ ――――――
「なに? 金が足りない?」
食事を終え、満腹を超えた満腹で重たい身体を起こし、青年に別れを告げてレジへ向かい財布を開く。
そして、気づいた……。この世界の通貨に換金するのを忘れていた事に。
管理局の給与は根源という神々へ供給するエネルギーを使用している。
毎月、各職員には一定額の根源が振り込まれ、その一部がダミー企業を通して日本円に換金されている。残った根源は、ためておくことも出来るし、管理局内の設備で利用したり、こうした異世界の現地通貨に換金できる。ボーナスについても、例外なくこのような手順で行われていた。
だから、いくら給料を貰っていたとしても、異世界では換金しなければ無一文だ。
駅についたら換金するつもりだったのに、今の今まですっかり忘れていた……。
「あの、もしよければ今日1日、皿洗いでも何でもしますから、今回の食事分働かせて貰えませんか?」
頭を下げて老婆に頼み込む。
一端ツケにしてもらって、すぐに駅に向かい換金してから戻ってくる方法も、ミラの名前を出して支払いを待って貰う方法もあるだろう。
だが、ミラの名前を出せば彼女に迷惑が掛かるだろうし、一端ツケにしてもらうにしても、戻ってくる保証として提案できるものがない。
何も言わずに、大盛りライスまでつけてくれたこの人に差し出せるものといえば、今の自分の身体、労働力くらいだ。
「別にウチはある時払いでも構いやしないけどさ、アンタ本気で今日1日働く気はあるのかい?」
老婆の問いに頷きを返す。
管理局で副業って許されるだろうか、とも思ったけど……まあ、後でアスカに確認しておこう。
「よーし! なら、まずは皿洗いだ、ウチで働くってんなら容赦はしないよ!」
暫く、じっと此方の目を見つめてきた老婆は、大きく首を振った。
老婆が放り投げてきた前掛けを着け、袖を捲り、厨房へ向かう。
目の前には大量の汚れた皿、昼飯時だからこそ積み上がる山がある。こういうのは、どの世界もあまり変わらないのかもしれない。
「……よし!」
目の前の食器の山相手に気合いを入れて。
昼飯代を稼ぐために、スポンジへと手を伸ばした。




