第34話 第9世界神テクノロジカ
「お車をご用意しております、どうぞ此方へ」
ミラ、と名乗った女性は穏やかな微笑みを湛えながら、駅の出口を指し示した。
彼女に付き従い、歩みを進めて行くと、そこには大きなエスカレーター。
アゲハと共にエスカレーターに乗り、傾斜を昇っていく。
暫くの間、無言で付き従う。
昇りきった先には外光に照らされた広い広間があり、一台の車……らしきものが留められていた。
車らしき、と思ったのは、その車体は普通のオープンカータイプの高級車のようであったが、車輪がなく、宙を浮いているからだ。
どうぞ、と車の扉が開かれ、足を乗せる。少し沈むのかと思いきや、体重を掛けてもまるで普通の車のように、しっかりとした反発力で足を支えて来る。
浮いているような実感がない。見えないガラスの上に置かれているかのようだ。
「おお、浮いた輪の無い車とは面白いのう!」
「おとなしくしなさい、人の車でそういうことしちゃダメだよ」
……アゲハは此処でも楽しそうだ。
まるでベッドの上で跳ねてみるかのように、マットの上に立ち、体重を掛けている。楽しそうではあるが、流石に人様の車でやるのは良くないので無理矢理座らせ、シートベルトを着けた。
意外とおとなしく座ったのには、少しばかり驚いたが。
「それでは、まずはテクノロジカ様の元へ向かいます」
こちらが席に着いたことを確認して、ミラが運転席に乗り込み、エンジンらしき機関を起動させた。
ゆっくりと、車が高度を上げる。大きな音もなく、ふわりと空へと浮かび上がった。列車の中から見たように、遠方の峰や草原が見える。
彼女がアクセルを踏み込むと、車は文字通り空を滑るように走り出した。
走り出しから、加速度や重力と言った強烈な圧は感じられない。風のみが、眼下の移り変わりに反して、穏やかに感じられた。
「ふっ……」
空を飛ぶ車なんて、技術的な原理も、物理的な法則も理解出来ない。
それなのに何故か受け入れてる自分が、何処となく面白く思えた。
考えてみれば、管理局に入ってから理解できない事だらけ。
でも、何時の間にか受け入れている。
これが、慣れるという感覚なのだろうか。不思議なものだ。
「楽しいか、雨宮!」
アゲハの声で、ふっと思考の渦から引き戻される。
彼女は、楽しいか。と問うた。なら、その答えは――
「――うん、とっても楽しいよ!」
これは本心からの言葉だ。
管理局に入らなければ、体験できなかった事の数々。それらを含めて、今の状態を、楽しいと感じている。
久しく感じていなかった、身体の内側から湧き上がる熱。
それが今はとても心地良い。
自然と浮かぶ、造られていない表情。それを見たアゲハは、笑って言った。
「好い顔になったな!」
今の自分は、どんな表情をしているんだろう。
でも、きっと。彼女が言うように……。
とても、良い顔をしているはずだ。
―――――― ◆ ◇ ◆ ――――――
車が速度を落とし、降下し始めた。
そこは、数多くの建物が建ち並ぶ都市、人々が行き交うその中心、高台に聳え立つ大ドーム。
その目の前で、車は停車した。
「どうぞ、テクノロジカ様がお待ちです」
ミラに促され、車を降りる。
ドームの入り口には幾人かの兵士らしき人が立ち並んでいた。その誰もが銃らしき武装をしている。
物々しい、といった空気では無く、英国の護衛兵のような、儀式的な振る舞いをしている兵士達だ。
「ここは……、空気が澄んでおるな。外よりも良い空気が満ちておる」
内部は静寂に満ちていた。
外見や内装は機械的だが、その雰囲気は神殿そのもの。
それにアゲハが言う通り、何処か先ほど見えた草原のような、落ち着いた朝のような……穏やかな空気に満ちている気がする。
動く歩道の軌道に乗り込むと、歩道は勝手に動き出した。
そして何層かの隔壁を抜けた後、大きな扉が現れる。まさに、最後の扉、といった雰囲気だ。
「此処から先は、雨宮様のみお進み下さい。アゲハ様は、あちらに歓待の席を設けておりますので」
「……うむ、それじゃ雨宮、しっかりやれよ」
……意外にも、アゲハはおとなしく引き下がった。
彼女の性格なら意地でもついて行く、と言いそうだが、流石に今回ばかりは相手が悪く、緊張でもしているのだろうか。
……あるいは、単純に歓迎の席と呼ばれた方から、何やら美味しそうな匂いがしているからか。
ミラとアゲハが立ち去った後、一呼吸入れて、扉に触れる。
すると扉は、自動的に音も無く開いた。その先は、白い光に包まれている。
勇気を出して、一歩、前へ。光の中へと進んでいく。
―――――― ◆ ◆ ◆ ――――――
「あぁ…………」
光の向こうには、青々とした草原。
ドームの内側、建築物の内部とは思えない空間だった。
穏やかな風と、青空。雨上がりのような、若芽の匂い。先ほど感じていた空気の清らかさ、その源が此処にある。
そして視線の先には、外周の12本の柱と中央に立つ2本の柱に支えられた、西洋風の東屋があった。
「おおい、おおい! こっちじゃ、こっち!」
その東屋から、自分を呼ぶ声が聞こえた。
声の元へ歩いて行くと、そこでは老人が一人、円卓に座ってお茶を飲んでいた。
「やあやあ、よう来てくれた! さあ座れ、茶は好きか? うん、それとも酒がいいか? ワハハハ!」
小柄ではあるが、白髪に、足下まである白いヒゲをモジャモジャと蓄えた老人。白いローブを纏ったその姿は、如何にも神、という風体。
目の前の相手が、この世界の主神……14柱の1柱であり第9世界を司る神、テクノロジカ。
威圧感はないが、その存在感はひしひしと伝わってくる。
「こ、この度は……管理局の指示でお伺い致しました、雨宮幸彦と申します」
「良い良い! ほら、座って茶を飲め若人よ!」
席に座ると、目の前にポットとカップが何処からとも無く現れた。
ポットを手に取り、注いでみると紅茶の良い香りが立ち上る。口をつけてみれば、ほんのり甘いレモンの風味がした。
「いやぁ毎度のことじゃがすまんな! ワシが第9世界の主神であるテクノロジカじゃ、よろしくな幸彦くん!」
「よろしくお願いします、この度は代替わりとのことで、その……」
代替わりと聞いているのは間違いないが、それを本人に向かってお祝いの言葉を述べるべきなのか……続く言葉が思いつかずに詰まってしまった。
人なら、ただ跡目を譲るだけ、ということもあるだろうが、神の場合はどうなるんだろう、と。
なんとなく、予測は付いていた。だから、言葉が出ない。
そんな様子を見た目の前の老人は、大笑いしながら言った。
「何じゃ、ワシがくたばりぞこないのジジイとでも思ったか? ワハハハハ! 似たようなモンには変わりないがな!」
「何、数日のうちにワシは死ぬ! そんで次のテクノロジカが生まれる! そんだけの話じゃが、まぁまぁこの手の〝引き継ぎ〟は色々と大変でな!」
「管理局の連中には毎度の事ながら迷惑を掛けとるよ! よう来てくれたわい!」
この老人は、死ぬことを受け入れていた。神にとって死とは、どういうものかはわからないが。
それがさも当然とばかりに、最初から決まっていたかのように。
……少しだけ、胸が締め付けられるような。きゅっと、胸の奥に痛みが走る。
「ミラにはもう会ったじゃろうが、アスカは元気か? あやつは管理局務めに行って長いからな、元気にしとるか?」
老人はありがたいことに、何事も無かったかのように話題を変えた。
送り出してくれたアスカの笑顔を思い出し、笑みを返す。
「ええ、直属の上司です。いつもお世話になっています」
「そうかそうか、てっきり今回はあやつが来ると思うたが、なるほどな。……娶るなら今のうちにワシが許すぞ? あれはなかなかのじゃじゃ馬故に大変ではあろうがな!」
「い、いえ? そういう関係では……!?」
――突然、何を言い出すんだこの人は。
手に持ったカップを落としそうになって、少し紅茶がはねてしまった……。
それにじゃじゃ馬だなんて、彼女が何時もアゲハに言ってる言葉じゃないか。
「ワハハハハ、冗談じゃ、冗談! しかしまあ、そうだな。聞いていた通り、良い男のようじゃて」
「……うん、幸彦くん。君にこの世界の心臓を見せよう、ついてきなさい」
何かを納得したように老人が立ち上がり、円卓を指で突く。
すると、周囲の床が円周状に降下し、下へと降りる階段が現れた。
老人は、数日以内に死ぬ、なんてみじんも感じさせない、しっかりとした足取りでひょいひょいと先に降りて行ってしまった。
老人に追いつくように階段を急ぎ足で下っていく。
その終点には、小さな球形の広間。金属製の壁に、いくつかのモニターや端末が設置された場所があった。
「さて、しっかり立っておれよ! 腰抜かしてひっくり返るでないぞ?」
この世界の主神たる老人が、端末を操作する。
その刹那、壁面から床、天井に至るまでが、突如ガラス張りに変化したかのように、消え失せてしまった。
今、自分が立っている足下すら、何も存在していないかのように感じてしまい、足がすくむ。
そして、その先に見えたのは。
ありとあらゆる機械が立ち並び、人種も、種族も問わず、あらゆる人々が一心不乱に作業をする大工廠。
人と、機械とが一体になって、その技術を駆使している戦場。
その風景が、眼前に広がっている。
……熱血とか、やる気とか、そういう言葉は好きじゃない。その手の言葉を使い倒すのは、暑苦しいだけの連中ばかりだったはずだ。
だけどここは、……胸を打たれるものがある。管理局の創造部で見た以上の、何かを感じている。
アゲハと共に空飛ぶ車で笑ったときのように、身体の奥から、その最奥から。
熱さが、鼓動が、こみ上げてくる。
「……ここは……工場、ですか?」
なんとか絞り出した形容の言葉だが、工場、なんて呼んでいいのか分からない。こうして見ている範囲だけでも、創造部以上だと思う。
どんな言葉を当てはめても、その枠組みに収めてしまいそうだ。此処が、それ以上の場所なのは分かっている。
だが、それを聞いた老人は嬉しそうに微笑んで、口を開いた。
「うむ。だがワシはこう呼んでおるよ」
「――此処こそが、第9基幹世界の心臓であると」




