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第32話 食堂車


 指定されたコンパートメントに辿り着き、アゲハを向かいの席に座らせる。

 ここは座席、といっても個室のような造りになっていて、壁は落ち着いた色調の木製張り。加えて、今はシャッターが降ろされているが、大きな窓が1枚据え付けられている。

 座席も赤い布地のソファになっており、少し狭いが横になって眠れそうだ。


「んん……ここは……」


「目、覚めた? 眠いなら寝てていいよ、着いたら起こすから」


 アゲハの意識がようやく、まともに働き始めたようだ。

 目を擦りながら、未だぼんやりとした目で周囲を見渡している。


「ああ、列車の中か……列車……!?」


「あれ、乗ったこと無いの?」


「うむ! 初めてじゃ!」


 彼女の目が爛々と輝き出した。

 それは好奇心に満ちあふれ、天井や床、座席の布地に至るまで、周囲の全てが輝かしいものに見えているかのようだった。

 大人になれば、忘れていってしまう見知らぬ物への好奇心。

 それを体現した姿は、微笑ましいものだ。


『毎度ご乗車ありがとうございます、この列車は第9基幹世界〝テクノロジカ〟直行特急です。途中停車駅はございません。到着はただいまより4時間10分後を予定しております』


『お食事、ご休憩をご希望のお客様は、3号車の食堂車をご利用ください。また途中、車掌による検札がございますので、ご協力の程、よろしくお願い致します』


 何処かから、車掌のアナウンスが聞こえてきた。

 内装からして豪華だが、食堂車まであるのか。これじゃ、ほんとに何処かの寝台特急クラスの高級鉄道だ。

 ……切符代がちょっと心配になってきた。こちらの世界でこの手の列車に乗ろうと思ったら数万円、とある探偵物の舞台となった寝台列車に至っては、今乗ろうと思ったら数十万掛かると聞く。

 ……いくらなのかちゃんと聞いておけば良かった。


「そういえば、朝ご飯はちゃんと食べてきた?」


 その時、少しだけお腹が鳴った。

 自分は普段、殆ど朝食を食べないと言っても良い。簡単な野菜ジュースやゼリー飲料で済ましてしまうことが多かった。

 ただ、人と食べるなら別だ。相手の好みさえ聞いていれば弁当を作るくらいは出来るし、敢えて相手の苦手なものを美味しく食べられるように作りさえする。


 今回は、向こうの世界に着いてから一緒に食べればいいか、程度に考えていた。だから、殆ど食べてないに等しい。


「いや、今日は朝餉はまだじゃ。普段ならそろそろ食う頃合いじゃが、お主、腹が空いたか?」


「ちょっとね、食堂車行こうかなと思って。来る?」


「無論じゃ!」


 アゲハがぴょん、と座席から立ち上がり、意気揚々と扉を開ける。

 先のアナウンスでは、確か3号車と言っていたはずだ。

 此処は……6号車、3両ほど先になる。中を見て回るついでに行ってみよう。






 ―――――― ◆ ◇ ◇ ――――――






 食堂車に辿り着くまでに見て回った各車両も、自分達の車両と同じような豪華な内装で、全ての座席が個室で区切られていた。

 ぱっと見る限りでは、他の乗客はいないようだ。第9世界へ行く都合がある人は、そんなに居ないのかも知れない。

 まあ、そもそも世界を移動する、という時点で凄まじい事なのだが、先の駅の様子を見ると、少しだけ違和感を覚えなくも無い。


 そうして辿り着いた食堂車は、臙脂(えんじ)色の絨毯のような床で、純白のクロスが掛けられたテーブルが、金縁に彩られた赤い椅子を挟んで並んでいる。少し先にはカウンター席があり、そこではドリンクや酒類が提供されているようだ。

 テーブルの上には花瓶に活けられた花と、小さなライトが置かれているし、ウェイトレスも脇に控えて立っている。

 まるで高級レストランの趣き。……支払えるのかな、ここの代金。


「お主は何を食べるのかの?」


 早々に席に座ったアゲハが聞いて来る。

 まずは、メニューを見てみないことには始まらない。

 水を注ぎに来てくれたウェイトレスに軽く会釈を返しながら、テーブル脇に添えられたメニュー表を開いた。


「うーん……何にしようか」

 其処には一般的な料理メニューだけではなく、コースメニュー等の記載もある。

 しかし、どれも値段が書いてない。コースもそれなりに魅力的ではあるが、値段の記載が無いとなると、選べるメニューは絞られてくる。

 流石にコース料理なんかを頼んで、後で結構な請求をされても困るし……。

 とりあえず此処は、無難な選択肢を……。


「アジの開き定食にするよ」


「ならわらわもそれにしよう! 何を食うても良いが、美味ければ良い!」


 彼女の言葉は事実だ。なんだって美味しければいい。

 その点で、干物定食なら、まず外れは無いだろう。ビフテキなんかを頼みたい気持ちはあるが、そんな豪勢に行かなくても腹は膨れる。

 それに、最近アジの干物を食べてない。一度決めた以上、腹がもうアジの干物を求めている。

 干物のしっかりとした風味と、骨に張り付いた薄い皮の濃厚な旨味が脳裏によぎり、空腹が更に促された。


 すみません、とウェイトレスに声を掛け、注文を済ます。

 ついでに料金について聞いてみると、ドリンクやデザートなども含め、全てサービス……つまり無料らしい。

 それなら先に書いておいて欲しかった。まあ、帰りの列車で色々試してみるのも悪くはないか。






 ―――――― ◆ ◆ ◇ ――――――






 注文から暫くすると、ウェイトレスがカートに乗せた料理を運んできた。


「うわ、……すごい……」


 アジが、少なくとも30cm以上はある……。それに、程よく脂が乗っているのか、その身からてらてらとした汁気を噴き、皮目の焦げた良い香りがする。

 脇に添えられているのは、柑橘系と思われる果実の輪切りと、純白の大根おろし。こちらもおろしたばかりなのか、大根の繊維がへたれていない。


 汁物は、粒のアサリを使った味噌汁のようだ。こちらもいい匂いを漂わせている。その他に2種類の漬物と、小鉢が2皿。卵焼きまで付いているし、白米に至っては炊きたてとばかりに真っ白な湯気を立てていた。


 これは、豪華だ。

 イメージしてた米、汁、干物の定食とは全くの別物。

 …………本当にタダで良いのか……?


「おお、美味そうじゃの!」


 アゲハの声に、現実に引き戻された。

 そうだ、アジの干物の気迫に負けるわけには行かない。


「それじゃあ冷めないうちに食べようか、――頂きます」


「うむ、頂くとしよう!」


 まずは最初に米を口に運ぶ。

 すると米は口の中で柔らかく解け、咀嚼する度に甘みを膨らませていく。

 一口目で訪れる強烈な幸福感に、いささか口元が緩んでしまう。


 次に、この定食の主格とも言えるアジの干物に手を伸ばす。

 身はさくり、と剥がれる上に、小骨も出来る限り取り除かれているようだ。中央の骨は残っているが、それは敢えて残した、というところだろう。


 口に運んでみれば、濃厚な旨味と脂が口いっぱいに広がり、穏やかな塩気によって、自然と味覚が白米の甘みを求め始める。

 果実の果汁と、大根おろしを合わせて食べてみると、先ほどまでの脂が嘘のように消え、口の中にはほんのりとした旨味が残される。


 程よい所で、汁物にも手を伸ばせば、こちらは強烈な磯の風味。しかし決してアサリが主張しすぎず、味噌とアサリによって新たな風味に昇華しているといっても過言では無いだろう。


「これは美味い! 美味いぞ雨宮! 干物がこうも美味いとはのう!」


「うん、これは――美味しい」


 箸休めの漬物や小鉢も、塩気や酸味、はたまた少しの甘さで、他の食材の風味を損なわせず、むしろ引き立ててくれている。

 卵焼きは焼き加減も完璧と言えるだろう。ほんのりと効いた出汁の香りと、卵の甘さが十分に引き出されている。


 下限、量、品質、バランス……全てが、お互いを活かしあい、お互いの欠けた部分や過ぎた所を補っている。全てが計算し尽くされた、細かな細工物のように、それぞれが独立しながら、ひとつの膳として成り立っている。


 ――これは、本当に……、美味しい。

 アジの干物定食の概念というのを、覆された気分だ。これほどの美味しいアジを、元の世界で食べようと思ったら、いくら掛かるかわからない、そもそも食べられるかも分からない。

 無我夢中、引き込まれるように箸が進み、口へと運ばれていく。


「お主、よう食うのう! 食えるのは良いことじゃ、どんどん食え」


 言われるまでもなく、運ばれた定食はどんどんと咀嚼され、胃の腑へと流されていく。


 最後に残った骨身に付いた薄皮を丁寧に剥がし、少しだけ残した白米を、そっと巻いて口へ運び。


「……ご馳走様でした」


 いつの間にか、全ての食器は空になっていた。汁物のアサリすら、いささか無作法ではあるが身を引き剥がし、食べきってしまう程に。

 しかし、空になった皿を見ていると……少し、名残惜しい気すらしてしまう。もう一度この定食が食べられるなら、その為に切符を買っても良いかもしれない。


「よう食う(わらし)はいいものよ、立派に育つ。……さて、そろそろ〝でざあと〟を選んで置くがよいぞ、わらわもじきに食べ終わるからな」


 アゲハの膳を見てみれば、確かに食べ終わりが近かった。米粒ひとつ、魚の身ひとつ残さずにしっかり食べている。

 ご飯一粒には七人の神様が宿っているから、お椀についたご飯もきちんと全部食べなさい……って昔、母さんに教わったっけ。

 それを思い出させるような、良い食べっぷりだった。


 ……しかしデザートはどうしたものか。

 流石にケーキ等の洋菓子系は合わないだろう。

 なら、和に合わせるなら和、といった所で組み立ててみるか。


 食べ終えた皿を片付けにきたウェイトレスに、ドリンクとデザートを注文した。

 内容は、宇治金時のかき氷を2つと、団子……そして温かいお茶。

 宇治金時の甘さと冷たさで頭をさっぱりとさせ、最後に団子とお茶で締める。我ながら良い組み立てだ。






 ―――――― ◆ ◆ ◆ ――――――






 後に届いたデザート……かき氷も、団子も、全てが美味だった。

 氷菓子で冷えた身体を、最後に残ったお茶が温めてくれる。お茶とお茶がダブっているように見えるが、一方は抹茶、一方は焙じ。ダブりとは言えないだろう。


「――美味しかったね」


「うむ……、これほど満ち足りた朝餉は久方ぶりじゃ……」


 ずっしりとした満腹感に満たされ、穏やかな眠気すら湧き上がってくる。

 このままだと、此処で眠ってしまいそうだ。


「そろそろ戻ろうか」


 声を掛け、コンパートメントへの帰還を促す。

 腹を満たして、程よく時間も経った。戻って一休みしていれば、到着までそう時間を持て余すことも無いだろう。

 ウェイトレスに礼を伝えた後、少し重たさを増した身体を起こして、元の車両へと戻っていった。

◆アジの開き

 アジの開きは、骨に張り付いた薄皮が一番美味しいと言いますが、どっかの恐竜もそうだそうだと言っています。

 あと鮭の皮を炙ったものも美味しいですね。

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