第30話 3ヶ月面談
「雨宮くーん、今日の仕事あとどれくらい?」
夕方頃、ちょうど仕事が片付いてきた頃にアスカが声を掛けてきた。
任された書類のチェックはあらかた終わって、後は各部署にこれを引き継ぎに行くだけ、というタイミングだった。
「ええ、殆ど終わってます。後は創造部と終末部に書類を渡しに行くくらいで」
手元の仕分けた書類を、軽く束ねながら返事を返し。
すると彼女は、すまなさそうに両手をあわせる。
「あ、じゃあそれは別の子に任せておくから、今からちょっと時間良いかな? 今後の事、話したいし。部長にも時間取って貰ってるからさ」
「ああ……わかりました」
今後のこと、正式採用されるかどうかについての面談と言うことだろう。
それなら、何においても最優先だ。これから先、此処で働けるかどうかが決まるのだから。
彼女に頷き、束ねた書類を手渡すと、部長……今日は人の姿だったが、彼について行くようにとの指示を受けた。
裏口側から、部長と共に廊下を進み、辿り着いたのはかつて最初に面接をした、応接室。あの暖炉や絨毯のある、サンタクロースの客間みたいな部屋だった。
パチパチと薪の爆ぜる音が響く、暖かな部屋。ここに来たのはもう3ヶ月近くも前だと思うと、少し懐かしさすら覚える。
―――――― ◆ ◇ ◇ ――――――
勧められるままにソファに腰を下ろし、暫く部長と向き合う。
こうして部長と相対するのは、面接の時以来だ。それ以外は、書類の決裁などをお願いするくらいしか、話したことがない。
お互いの間には、暫くの沈黙。
アスカがこの後来るのだろう。彼女が来るまで、話は始まらない。
だから、少しばかり気まずい。
しかし、そう時間は掛からずにアスカは現れた。
3組のお茶をそれぞれにおいて、アスカも部長側のソファに座る。
それを合図とばかりに、部長は口を開いた。
「ひとまず、我々の所感から述べておこう」
「我々は、君には継続して働いて貰いたいと〝思って〟いる。君はどうかね?」
部長の語調は、肯定的なものだった。
まだアスカや他の同僚達に、仕事で適う程の技量もスキルもない、と思ってはいたが、好意的な評価を得られている、という実感が湧いてくる。
「ええ。勿論です。まだ迷惑を掛けることもありますが……是非此処で働き続けたいと思っています」
努めて笑顔で、頭を下げる。
正式採用となれば、もっと仕事の幅も広げられるだろう、という期待もあった。
しかし、続く部長の言葉は、淡い期待を打ち払うようなものだった。
「それはよかった……。しかし、現時点では君の継続的な採用を決定することが出来ていない、というのが現状だ」
……それはないだろう。
働いて貰いたい、と言っておきながら、採用を決定出来ない、なんて。
これは〝契約終了〟の宣告か、あるいは〝契約社員〟待遇のまま、のどちらかという流れだ。
これまでの経験から言えば、この手の話を切り出してくる時は、正社員採用を餌にぶら下げて、契約社員やアルバイトのまま登用し続けたい、というようなものだと言える。
一応、現状の待遇だって、不満は無い。給料も良いし、カレンダー通りとはいかないにせよ、休みもしっかり貰えている。
でも、アスカや、他の同僚達の本当の仲間にはなれない、という気持ちが湧き上がってくるのだけは、抑えきれなかった。
「……そう、ですか。それは……――残念です、力不足で申し訳ありません」
頭を、今の位置から少し深く下げる。
こういった場合、自分の力不足であることを明言しておいた方が、良い。
理由なんか聞き返せば相手の気を損ね、待遇を下げてくるような上長も居る。こういう時は、理由はさておき自分の非、としておいた方が都合が良い、という判断だ。
頭なんてものはいくら下げても損は無いのだから、その方が気が楽になる。
しかし、アスカが気まずそうにそれを遮った。
「ううん、雨宮くんのせいじゃないんだ。これは……こっちの都合なんだよ、本当にごめん……、だから頭上げて、ね?」
促されるままに、頭を上げる。
二人の顔は、どこか難しそうな顔をしていた。
「君の継続的な採用については、天文部に裁定権があるのだ。……これを見てくれたまえ」
「これは……? 出張の指示、ですか?」
部長が1枚の紙を提示する。
テーブルの上に置かれたそれに目を通すと、何やら別世界への出張を指示するような内容だった。
しかも、ぱっと見た限り、出張する担当として自分を指名しているらしい。
「ああ、14柱の1柱、第9基幹世界の主神が代替わりするということでね。その見届けに行って欲しい。……これが、連中の付けてきた条件だと思ってかまわない」
部長の説明と合わせて、書類を軽く斜め読みしてみると、第9世界への出張し、神の代替わりを見届けろというものなのは理解出来た。
これが、人事権を持つ天文部からの指示だとすれば、きっとこれは登用試験みたいなものなのだろう。
「……最終試験、的なことですか?」
「うん、まあ……そんなところ、かな」
軽く聞き返してみると、アスカは言葉を濁したようだった。
天文部はめんどくさい、とすら言っていた彼女のことだ。彼女達しか知らない〝何か〟があるのは間違いない。
とはいえ、例え裏でどんな物事が動いていようと、今の自分にはこれを受ける以外の選択肢は無く。
笑顔を取り繕って、了承の返事を返した。
「是非、行かせて下さい。念の為に注意事項とかあれば伺いたいですが」
そう答えると、部長は小さく唸るように、そして何処か苛立ちを押さえるように答えた。
「……こう言うのも、どうかと思うがね。天文部がこういう依頼をしてくる時というのは、何かしらの意図があってのことだ」
「故に、君にとって、何か大きな〝変化〟がある可能性が高い。……十全な準備と、覚悟だけはしておいて欲しい」
「連絡手段も用意するから、何かあったらすぐ報告して。――私達が、絶対に君を守るからね」
大きな変化、と言われても想像する事は出来なかった。
アスカまで割と深刻そうに言っているが、まさか死ぬようなトラブルが起きる訳でもないだろうに。
しかし、まあ……天文部の信頼って本当に無いんだな、という実感は得た。
同じ仲間内でこんな陰謀的なやりとりをしてて、本当に大丈夫なんだろうか。
「はは、ピンと来ませんけど……一応、覚悟だけはしておきます」
「それでいい。……では、明日の出勤時にそのまま出張して貰うことになる。後ほどアスカ君と子細の確認を済ませてくれたまえ」
話は、それで終わった。
今後どうなるかは、出張でうまく……といっても、ただ見届けるだけだが、それ次第ということだろう。
それに、全く違う異世界……第9世界に行ける、ということで少しワクワクもしている。
全く見知らぬ世界……。
アスカの出身地である、異世界……どんな世界なんだろう。
―――――― ◆ ◆ ◆ ――――――
職場に戻ると、そこにはアゲハが待っていた。
人の椅子に座り、足をぶらぶらさせながら、誰か……きっとミュールかハリマさん辺りに餌付けされたのだろう、煎餅をむさぼっている。
「おー、雨宮! 待っとったぞー」
「げぇっ! 妖怪じゃじゃ馬娘、性懲りも無くまた現れたか! 今日という今日は調伏してくれるわ!」
アスカが警戒態勢を取る。何時もの事だ。
仕事終わりの片付けもしたいので、出来ればよそでやってくれ、と思いながらアゲハに近づいて。
「何しにきたのアゲハちゃん……部長なら今日は猫じゃないよ」
言葉の通り、聞いてみた。
彼女が来る理由といえば、大概が部長を撫で回しに来るか、此処でお菓子をねだるかだ。
この間チョコレートの味を知ってしまったので、最近はチョコレートをねだることも多くなっている。
「今日は雪見に良い日と思うた故に、お主と遊ぼうと思うたのじゃ」
「どうじゃ? 今宵一晩雪でも見ながら歌詠みなど。タカちゃんの歌合は実に楽しいぞ?」
煎餅をパリパリと咀嚼しながらこの子は笑う。
歌なんて言われても、和歌とかよく分からない。それに明日から出張だ、早く帰って寝ておきたい。
とはいえ、つっけんどんに断れば彼女もヘソを曲げるだろう。だから、やんわりとお断りすることにした。
「あー、ごめんね。明日から出張なんだ。だから今日は早く帰らないと」
「出張? 何処へ行くのじゃ」
「第9世界だって」
「おお、ならわらわも付いてってやろう! 喜ぶが良いぞ」
うん……断り方を間違えた気がする。
逆にこの子の興味を惹いてしまった。もう少し、良い断り方にすれば良かった。
「神様があっちゃこっちゃ出歩いてていいの? お仕事あるでしょ」
端からそうは見えないが、この子だって神格だ。
年末年始ともなれば、一応神々も忙しい頃合いのはず。それに普段何をしてるのか知らないが、ここに居る以上、何らかの役目は負っているのだろうと思っていた。
それがいつも自由にうろうろしているとなれば、いささか心配にもなる。
「別に良い。わらわは別段、社に顔出す必要もないからの」
「それにお主とわらわは既に縁を結っておる、故にお主を見守るのがわらわの務めと言えるな!」
「何時そんなものを……」
縁を結う、なんてこの子と特別な儀式なりをした覚えは無い。
強いて言えば、クリスマスマーケットに連れ回して、二人で泊まって帰ってきたくらいだ。
だが、彼女は大きく笑って言い放った。
ある意味、致命的な一言を。
「だってわらわと〝寝た〟じゃろ。故にわらわとお主は既に縁を契っておる」
「――は?」
周囲から向けられる好奇の目。
ミュールはあらあらまあまあ、という風に。
転じて男性陣はアーノやリードさんはゲラゲラ笑い、ハリマさんとドーン、部長に至っては哀れみの表情すら浮かんでいた。
アスカは……ヤバい、顔を真っ赤にして怒り心頭の様子……。
――これはまずい。
これでは周りから〝そういう趣向は否定はしないが、ある程度弁えた方がいい〟とまで言われかねない。そういう〝タイプ〟だと思われるのは、非常にまずい。
その誤解は、あらゆる意味で致命的すぎる……!
その後、彼らの誤解を解くのに暫くの時間、弁明する羽目になった……。




