第27話 ドーンとの訓練日
――――世界を滅ぼす準備は、2日と経たずに終わった。
現地の職員と、その世界に滞在している神々の避難を終えた後、冥界……あの世にある魂を回収。
あわせて天文部が、世界を墜落させる場所へ誘導する為に、因果の調整を行い、それが終わった後、世界を創造部が造った保護膜で覆う。
滅びるという〝情報〟が周辺世界に影響を及ぼさないように隔離する措置、これが世界を滅ぼすための最後の手順。〝世界を閉じる〟という処置だ。
保護膜に覆われた後は、管理局は一切の手出しが出来なくなる。
文字通り、何も出来ない。
その後、周囲との情報が隔絶された世界は、ゆっくりとグラウンド・ゼロの引力に引き寄せられ、墜落する。
……墜落する直前まで、あの世界に住まう人々は何も知らない。墜落に伴う痛みも、苦痛もなく、まだ明日があると信じて、眠るように消えていく。
――ある意味では救い、とも言えるだろう。
全ての準備が終わった時、世界を滅ぼす最後のボタン、世界を閉じる膜を展開する為のスイッチを、押させてもらった。
本来なら、創造部の誰かが押すもの。それを、頭を下げて代わってもらった。
誰しも、こんなものは押したくないのだろう。あのシバや、メイですら苦い顔をしていた。
だからこそ、代わってもらえた。
……このことは、神祇部の皆には内緒にしてくれと、お願いしてある。
「……………………あぁ」
ボタンを押す直前に、良かった、と思った。
微笑みさえ、浮かんでいたかもしれない。
でもいいんだ。
――この痛みは、誰にも渡したくなかったから。
―――――― ◆ ◇ ◆ ――――――
「――よし、今日はこんなものだろう。お疲れ様!」
折しも今日はクリスマスイブ。
何時もの様に週末の仕事を終え、ドーンによる剣術訓練を終えた。
無心で身体を動かしていると、余計なことを考えずに済む。
「……ありがとうございました」
汗を拭いて、一礼。
少しずつだが、動ける様になってきている気がする。地の体力がついてきたのかもしれない。
帰宅後に、30分程度ではあるが運動しているのが効いてきているようだ。
「たった1ヶ月ちょっとだが、君はやはり筋がいいよ。ほら、飲みなさい」
差し出された瓶を受け取り、喉へと流し込んでいく。
果実の風味が、乾いた身体には心地良い。この果実水が楽しみな所もあって、ドーンの訓練に付き合っている節も無くは無い。
それに、動けば動いた分だけ雑念を振り払える。理性と思考を研ぎ澄ましていくのにはちょうど良い訓練だった。
「そうでもないですよ、まだまだです」
「いや、ちゃんと基礎が出来ている事は良いことだ。体力もついてきているし、そろそろ訓練メニューを上げてもいいね」
「ははは……出来ればお手柔らかにお願いします……」
今でも割と、ドーンの槍や剣について行くのは精一杯だった。
速度も、圧も回を重ねるごとに増していく上に、徐々にではあるが攻撃される回数が増えて来ている。
しかも、彼はまだ大分手加減しているし、汗もほぼかいていない。いつか、本気を出せる位まで仕込まれるのかも知れないと思うと、気が遠くなる。
「……君は、大丈夫かい?」
壁際に身体を預け、一息ついた頃合いに、ドーンが声を掛けてきた。
口調から感じられるのは、きっとこの間の選択のことだろう。彼なりに、気を遣ってくれているのか、その顔はどこか心配そうで。
だからこそ、笑顔……いや、少し苦笑を作りながら答えを返す。
「大丈夫ですよ、自分で選んだ事ですし。思う所はありますが、後悔する程じゃありません」
その反応を見たドーンは、大きく笑った。
呵々大笑、これぞ大笑い、とばかりに、声を上げて笑う。
「そうか、君は強いなぁ! 俺は、何時も悩んでしまうよ」
「そうなんですか?」
意外な言葉だった。
彼ほどの人物……強くて優しい男が、未だに悩んでいるなんて。
てっきりもう割り切っているのだと思っていた。
だから、ふいに、口をついて聞いてしまった。
「まあね……自分が選んだ事とはいえ、結局やったことは世界の敵みたいなものだ。戦争や決闘で相対する敵と戦う方が、まだ割り切れるさ」
仕方なさげに、苦笑気味に答えるドーン。
彼の目は、何処か遠くを見ている。きっと、これまで戦った相手などを想起したのだろう。
……少し、申し訳ないことを言ってしまったかもしれない。でも、此処で謝れば彼も気を悪くするだろう。
なのでちょっとだけ調子よく、声のトーンを上げて笑みを返し。
「なんかもう、その辺全部乗り越えてるのかと思ってましたよ。だって、俺の世界でもドーンさん程、心も体も強い人なんて殆どいませんし」
すると彼は、何時ものような笑顔に戻った。
「ははは、俺は野獣をなんかだと思ってないか? 俺だって人の子だぞ?」
返ってきた答えに、少しだけ……本当に? なんて思ってしまった。
力もある、武術も優れている。心だって頑強。まるで足柄山の金太郎だ。
日中三倍の逸話がある騎士の話だって聞いたことがある。そういうタイプの人だと、何処かで思っていたからだ。
「だから悩むし、後悔もする。それに、心が痛む……なんて、ちょっと詩人らしい言い方だけどね」
「ただ、俺はその痛みを捨てきれないんだよ」
自嘲気味に、彼は言う。
彼にとって、それが自分の〝弱み〟であることを、何より自分自身で理解している、という風に。
「――どうして、ですか? 痛みなんてない方がいいのに」
また、口をついて言葉が出てしまった。
でも、痛みなんてない方がいいのは、誰だって同じ事だろうと思うし、捨てられると分かってるなら捨ててしまえばいいのに、なんて思っていたのも確か。
自分で負うべき痛み以外は、捨ててしまえばいい。
それを聞いた彼は、気を損ねるでもなく、大きく笑った。
「うん、どうしてだろう。俺にも分からん!」
「ただ、俺はその……痛みを感じる心を大切にしたいだけかもしれないな」
その言葉を聞いて、実感した。
この人は〝本当に〟強いんだ。あまねく痛みを受け入れる事を、自分から選んだ人だ。
……少しだけ、羨ましくなった。
「――なんて、ただ俺が弱いだけかもしれないけどね。……ああ、ちょっと退屈だったろう、もうちょっと少し面白い話をしようか」
彼は取り繕うように、別の話を切り出して来た。
きっとこれ以上は、深入りしてはいけない彼だけの領域なのだろう。
だから、彼の話に乗ることにした。
「いや、退屈なんかじゃなかったです。でも、面白い話にも興味ありますね」
「そうかそうか。じゃあ……俺が16の頃に、大岩ほども大きなイノシシとやりあった時の話でもしよう。きっと気に入るんじゃないかな」
―――――― ◆ ◆ ◆ ――――――
彼が語ったのは、お伽噺の中の冒険譚のような話だった。
大猪との死闘や、村を襲った魔物との戦い、騎士としての決闘の話。
彼の身振り手振りを交えた語り口調は、まるで子供に寝物語でも聞かせるようで、想像力を大いに働かせるものだった。
「そういえば、そろそろ〝お試し期間〟は終わりだろう?」
暫くそうして彼の話を聞いていたが、一通り語り終えたのか、ふと思い出したように〝試用期間〟の話を持ち出してきた。
思い返せば、そろそろ3ヶ月だ。もうすぐ、此処に勤め続けられるか決まる頃合いとも言える。
「ああ、そういえば……そろそろ3ヶ月ですね。どうなるか、少しだけ不安です」
そろそろ、面談か何かがあって今後の処遇が決まるのだろう。
どうなるかは分からないが、此処に勤められればいいな、と思う気持ちはあった。
結構良い給料を貰ってるのもあるし、例え転職するとしても、此処での仕事を履歴書にどう書いたらいいか分からないのもある。
だから、少しだけ遠くを見て、呟くように。
その様子を見たドーンは、慰めるように肩を叩いてきた。
「判断するのは俺じゃないが、きっと君なら問題なく此処で働く事が出来ると思う。正式に所属が決まったらお祝いしよう!」
「それに、所属が決まれば此処の入浴設備や寮だって使えるようになる。訓練明けに一風呂浴びて帰ると気持ちがいいぞ」
本当に所属できたら、彼らの本当の仲間になれる。
それは、すごい魅力的だ。まだ迷惑を掛けてしまうこともあるが、ちゃんと仕事が出来るようになってくれば、彼らに恩返しも出来る。
それに訓練の後、シャワーを浴びて帰れるのは、すごいメリットだ。
だいたい、汗かいてヘトヘトで帰るとシャワーを浴びる気力すらなくて、翌日なんとか入ることになる。
出来れば、此処で汗を流していきたいと思っていたところだった。
「楽しみにしておきます。その時は……ご飯奢って下さいね?」
彼に悪戯っぽく笑いながら、落ち着いてきた身体を起こし、また訓練の為に剣を取った。




