第26話 世界廃滅
「おはようございま……す?」
アゲハをクリスマスマーケットに連れ出してから数日後。
出社すると、部長がおらず、室内の空気がピリついていた。
誰もが険しい顔をして、席に座っている。仕事をしている様子はない。まるで何かの裁定を待っているかのように、各々が沈黙していた。
何故か朝早くから居座っている、アゲハを除いては。
彼女だけは、何も気にしてないとばかりに煎餅を貪っている。
……こんな雰囲気は、初めてだ。
嫌な、予感がする。
「ああ、雨宮くん。――今日の仕事、ちょっとだけ待ってて」
アスカに声を掛けられた。彼女の顔も険しく、声は少し冷たい。
異様だ。彼女がこれほどまでに険しい顔をしているのは。
……彼女は、人を怒る時にはこういう表情はしない。アーノが何かやらかそうが、アゲハが仕事の邪魔をしようが、もうちょっとコミカルに怒る。
だから……初めて、彼女を怖いと思った。
「……あの、何かあったんですか……?」
「ああ、……今確認中だけど、久しぶりの〝大事〟ってやつでね。直に部長が戻ってくるから、待っているといい」
それとなく、隣のドーンに聞いてみる。
しかし、彼は答えてはくれなかった。それを答えるのは自分では無い、とばかりに。
―――――― ◆ ◇ ◇ ――――――
暫くの後、部長が急ぎ足で戻ってきたようだった。
人の姿を取ったその顔は険しい。
その様子に、誰しもが部長とアスカの方に目を向ける。
「――部長、どうでしたか」
「天文部の裁定が下った。結果は……変わらんそうだ」
「……やっぱりですか」
部長の返答と、アスカの声に、より一層空気が重くなる。
「皆、集まってくれたまえ」
部長の招集に応え、席の前へ。
そして、部長が重く、口を開いた。
「本日、天文部より緊急通達が発された。第7世界の一部世界群において、因果律の異常を検知。その結果を受け、因果の再測定を行った結果……」
「世界の廃滅が決定された。当該世界群を〝廃滅世界〟と認定。これより我々〝管理局〟は、世界を滅ぼすための行動を開始する」
部長の言葉に、全員が、沈黙した。
誰もが、それを、受け入れざるを得ない――そんな表情で。
「――皆、聞いたね。覚悟を決めて」
パン、とアスカが手を鳴らす。
「ミュールちゃんは創造部との連絡伝達、リードくんは逗留している神々へ通達! 受け入れ体制、整えるよ」
「ハリマさんは癒療部へ、アーノくんは戦闘部との情報連携、ドーンくんは法政部からの連絡を逐次、報告して!」
アスカが各々に指示を出し始めた。
それぞれが、その指示を受けて動き始める。
最後にアスカは……こちらを見た。
――嫌だ。こっちを見ないでくれ。
「雨宮くんは……そうだね、説明するよ」
――聞きたくない。だが、彼女は言葉を続ける。
「この間、雨宮くんが行った世界、あるでしょ? その世界の……廃滅が決まったの」
――言わないでくれ。
「因果の歪み、は前に軽く説明したよね。……測定して貰ったデータに異常が確認されてね。あの世界周辺で、大きな歪みが起こることが予測されたの」
――お願いだから。
「そして、それがもう避けられない事も、分かった」
――それ以上は、どうか。
「放っておくと、他の世界……例えば、君の出身の世界にも、影響が出かねない」
口に出して、声になって、耳に届けば。
それは、理解出来てしまうのだから。
――だから、どうか、やめて。
「だから、私達はこれから、あの世界と、近い世界のいくつかを〝此処へ堕とす〟……その為の準備を、今からやる」
――彼女は、全てを言った。
これから起こること、これから起こすことを。
口に出し、声にして。それは、死刑宣告のように。
――故に、彼女が言っていることが〝理解〟出来てしまった。
彼女は、いや、管理局はこれから、……あの子と行った世界を、滅ぼすと。
確かにそう言った。
理解はしたくない、そんなこと、やって良いはずが無い。
だが、理解出来てしまった。出来てしまったのだ。
「……あの、あの世界で生きている人は……」
脳裏によぎる、マーケットの思い出。
あの人々は、あの夫婦は、あの夫婦の間に生まれる子供はどうなるんだ。
なんとか救うことは出来ないだろうか。もしもそれが叶うなら、なんだってやる。
……どんなことでも、何があってでも。
「……ごめん。〝誰も〟助けられない。神々の受け入れ体制は整えるけど、人は、生きている人たちは、無理」
しかし、彼女の返答は、冷酷で、残忍なもの。
救えない、という現実が目の前に突きつけられる。
脳が混乱する。
何かが、音を立てて崩れ落ちていくような。
胸の中で、何かが一気に冷えていくような。
――もし、今ここで彼女に抵抗したら、この喪失は止まるのだろうか。
歪んだ思考が、何処かで起きる。
それなら、何時ものように、自己を、自我を切断。思考のみを研ぎ澄ませ――
――腰につけたキーホルダーが、流れ星の形をしたそれが、ちりん、と揺れた。
切断したはずの自己が、自我が、冷静さが、その音に引き寄せられるように、身体に回帰して。
……そうだ。
アゲハが、彼女がいる。
あの世界を知っている、神格でもある彼女なら。もしかしたら、何か……。
「アゲハは……」
「――なんじゃその目は。わらわは知らん」
椅子にふんぞり返り、煎餅をむさぼる彼女は、何の事もなし、とばかりにそう言った。
知らない、って。
何を、言っているんだ。この子は。
あの時、良い子を産めと、あの夫婦に言ったのを、忘れたのか……?
「アスカよ、何時から始めるのじゃ。星見がそう定めたならば、そう時間もあるまい」
アゲハは、その態度を崩さずにアスカへと声を掛けた。
それを受けたアスカが、重い口調で応える。
「……30分後には、全部門が動き始めるよ」
「だ、そうじゃ。んでお主はどうする」
アゲハが、こちらを見て。
「――――あと半刻もないぞ?」
はっきりとそう言った。
あと30分、それが選択のタイムリミットだと。
「――アゲハ!!」
アスカが叫んだ。
その声には、怒りが満ちている。
「……雨宮くんは、アンタと行った世界を滅ぼすんだよ!?」
「どーにもならんのじゃろ」
「アンタは昔からそうやって……! 雨宮くんは――」
二人が、言い争いを始めた。
それは何時ものそれではなく、互いの理念をぶつけ合うような、本気の言い争い。
……自分のせいだ。自分が、選択できないから、始まったものだ。
「――二人とも、止めろ。今、言い争うことではないだろう」
部長が、二人の言い争いを制するように一喝した。
そして、二人の目は……こちらに向けられる。
「…………」
こんなこと、望まれている答えは分かっているはずだ。
分かっているはずなのに。今なっても、答えが出せない。
「……――アーノ君、ドーン君、雨宮君を連れ出してくれたまえ。今の彼には猶予が必要だ」
部長が二人の同僚に指示を出す。
それを聞いた二人は、全てを理解したかのように、後ろに立った。
「りょうかい~」
「――さあ、行こうか雨宮君」
二人に両手を取られ、引きずられるかのように。
思い空気の張り詰めた部屋を後にした。
―――――― ◆ ◆ ◇ ――――――
連れ出された先、廊下の壁際に座らせられる。
隣にはドーンが座り、向かいの壁にはアーノが寄りかかっている。
「アスカさんもあの子も人が悪いよねー、めんどくさいことは黙っとけばいいのに」
「そう言うな、いつかは起こりえる事だ。彼に近しい世界だからこそ、早々に真実を明かしておかなければ」
アーノが退屈そうに言葉を吐き捨て、それをドーンがたしなめる。
普段、仕事中によく見る風景ではある。
だが、今日は。抱えた膝に、その両手に力が入る。
「――あの……、本当に、あの世界の人々は、誰も、助けられないんですか?」
「無理」
同僚達なら、何か違う答えを導き出してくれるかもしれない。
そんな淡い期待すら、あざ笑うようにアーノは言った。
「でも、きっと何か……此処には色々な技術もあるし――」
「だから無理だって、諦めなよ。今の僕達がやれることは、対処療法だけ」
「何でもかんでも出来るなんて、思い上がりが過ぎるよ。全能者にでもなったつもり?」
――彼の言っていることは正論だ。
自分は、ただの人間。神ですらなく、手の届く範囲すら狭い。
それは、分かっている。それでも。
腕にぐっと、力が入る。それを感じ取ったのか、ドーンはこちらの右肩を、力強く押さえてきた。
――それはダメだ、と。
「アーノ、何もそこまで……」
「これが事実でしょ。それが嫌ならメソメソ泣いて帰って寝れば? 此処に居たってしょうがないしさぁ」
――ああ、これはきっと彼らの〝気遣い〟だ。
彼らは、逃げるという選択肢を用意してくれている。
それを選んでもいい、とばかりに、アーノは憎まれ役を買っているのだ。
「……っ、く……ぅっ……」
それが分かった以上、残るのはただの無力感。
こぼれ落ちていく砂は止められない、という当たり前の事。
それに抗おうというのは、ワガママだと。
何より自分自身に突きつけられる現実だけだった。
肩が震え、涙が落ちる。
状況は理解している、展望は変わらない。故に、泣く理由なんてないはずだ。
それなのに、涙は落ちていく。
どうやら、最近涙もろく――感情的になってしまったらしい。
こんなところで感情的になるなんて、何に毒されてしまったのか。
昔は、これまでは〝こんな〟じゃなかったはずなのに。
「……君の気持ちはわかる、なんて言うつもりはない。でも君〝だけ〟の責任じゃない、それは忘れないでほしい」
様子を見たドーンが、優しく語りかけてくる。
「本当は、こんなことは起きちゃいけない。起こしちゃいけない。だから、俺達がこうして働いているんだ」
「日々の仕事も、書類の整理も、こういうことを起こさないためにある。……今回は起きてしまっただけなんだよ。だから、これは〝俺達全員〟の責任なんだ」
「俺達が、俺達全員が、何処かで……何かで力が及ばなかった。だから、俺達全員の責任で始末をつけなきゃいけない。他の誰かに被害を及ぼさない為にも」
彼は言葉を続け、最後に。
目の前に回って、こちらの頬に手を添え、まっすぐに見つめて。
「――だから、君が選ぶべきだ。俺達も、彼女も、皆も……それを尊重する」
彼は、選べと言っている。
適切な選択を、ではなく、後悔のない選択を、と言っているんだ。
……強いなこの人、本当に。
「ド~ン~、そろそろ時間。行かないと怒鳴られるよ」
その様子を見ていたアーノが、ふらりと立ち上がり背を向けた。
もう、30分という時間制限が経ってしまう。
――ああ、それなら、そうしよう。そうなってしまうというのなら、そうしよう。
心は決まった。状況も、展望も、今は関係ない。
だからこそ、選択は成る。
「……雨宮君」
立ち上がり、顔を拭く。泣きはらした顔などで、仕事をするわけにはいかない。
その様子を見たドーンが、本当にそれでいいのか、と確認するように呟いた。
「大丈夫、です。俺、……やります」
後悔もある、未練もある、悲しくも、辛くもある。
――だからこそ、自分で手を下す。
ドーンは、全員の責任だ、と言った。
……だが、今回ばかりは、それは〝ナシ〟だ。
あの世界の人々を知っているからこそ、あの夫婦との……親子との〝次の〟約束をしたからこそ。
自分の責任で、自分の判断で、自分の力で、実行する。
他の誰でもない。
いや、他の誰かにこの判断を委ねるなんて、許さない。
他の誰かに、こんな大切なことをやらせたくない。
自分で、この手で。あの世界を、あの人達を終わらせる。
――それが、今、選んだ選択肢だった。
―――――― ◆ ◆ ◆ ――――――
「あっ、ドーンくん、電話代わって! アーノくんも連絡来てるから大急ぎで返事! 雨宮くん、は……」
神祇部に戻ると、そこは戦場のような喧噪に包まれていた。
電話は常に鳴り続け、誰かがそれに応対し、他部署からの伝達員がひっきりなしに訪れている。
戻ってきたことに気づいたアスカが、ドーンとアーノに指示を出し直し、そして――こっちを見て、複雑な顔をした。
「雨宮くん……〝それ〟でいいんだね」
「――なんて顔してるんですか、アスカさん。俺なら、大丈夫です。決めました」
苦笑気味に笑みを返す。
彼女は、優しい。今ここで逃げていたとしても、明日以降も、何も変わらず接してくれただろう。
だけど、もう決めた。自分でやる、と。
覚悟を決めて、前を向く。
まっすぐに彼女を見つめ、笑みを浮かべ。
「……だから、仕事、下さい。世界を滅ぼす為の仕事を」
彼女がふっ、と息を吐く。アゲハも、それを見て頷いた。
そして、何時ものような、はつらつとした顔で。
「……わかった、じゃあ。雨宮くんはすぐに終末部に行って!」
「今回の因果の歪みだけど、ターちゃんが今調べてるの。気になることがある、って言ってたから、手伝って来て!」
「さあ、行動開始!」
「――はい!」
彼女の指示を受け、動き出す。
目指すは終末部、やるべきことは定まった。
さあ、行こう。
あの、暖かくて、優しくて、大切な……世界を滅ぼす為に。
◆廃滅世界
他の世界の因果も歪めそうな悪性状態になってしまった世界を、
管理局では〝廃滅世界〟と呼んでいます。
こうなってしまったら、世界まるごと堕とすしかありません。




