第16話 ドーンズブートキャンプ-2
「――いやぁ、よく頑張ったよ! お疲れ様!」
解放されたのは、練習を始めてから1時間くらい経った後だった。
最後の訓練は、ほぼ彼の攻撃を防ぐ一方。時折見せる隙を捨て身で狙っても、それは軽くいなされてしまった。
……もう、1歩も動けない。
立っていることすらやっとだった。
「ひ、は、はい……あり、がと……ござ、まひた……」
なんとか一礼してその場にへたり込む。
ここまで身体を動かしたのは、本当に久しぶりだ。
「さあ、これを飲んで。一息つくと良い」
手渡された瓶を口へ運ぶ。中身は良く冷えた水で、レモンのような柑橘の風味がある。
その冷たさが、熱く火照りきった身体の熱を冷ましてくれた。
身体から排出された水分が、充填されていく感覚。水が身体に染み渡る……。
「いやぁ、初心者なのに良くついてこれたものだよ。教え甲斐がある」
ドーンが隣にどっかりと腰を下ろして、屈託のない笑顔を向けて来た。
顔を見ても、彼は本当に汗ひとつかいてない。この程度、彼に取って準備運動にすらなり得ないのか。
もしやゴリラなのでは?
ゴリッゴリのゴリラ騎士なのでは?
「ありがとうございます……、しかし、何故急に……?」
「ん? ああ、そろそろ君と一回戦ってみたいと思ってね。君は筋がいい、今後の訓練メニューを考えるのが楽しみだ」
「は、はは……」
戦ってみたい、なんて理由で付き合わされたなんて……。しかも、これからも続けてやるつもりなんだ、この人は。
毎日なんてことはないだろうが、願わくば月1程度にして欲しい。そうしないと身体が持たない。
断って微妙な空気になるのも嫌だし、付き合える所までは付き合おうと思ってはいるが、ついて行けるだろうか……。
―――――― ◆ ◇ ◇ ――――――
「でも、元の世界ではお弟子さん希望の人とか居るんじゃないですか?」
しかし、わざわざ自分みたいな一般人相手に教えるより、元の世界で教えた方が、それこそ彼自身の功績になるんじゃないか?
彼ほどの強さを持つ人なら、教えを希望する兵士や戦士なんてごまんといるはずだ。
そんな疑問を、それとなく聞いてみた。
「あぁ……まあ、居るんだけどね。でも、教え甲斐のある子っていうのはなかなかいないんだ」
「それはセンスとかの意味合いで、ですか?」
人間にはそれなりに生まれもった資質や、体質というものがある。
向いている事、向いていない事、それなりに差はある。
しかも彼は英雄と呼ばれる程の人なのだから、資質を見分けるのには長けているだろうし、教えても意味がない、と思うことだってあるはずだ。
「いや、そうじゃない。そこはある程度は補えるものなんだけど……なんていうのかなぁ、〝目的〟が違うんだ」
彼から返ってきた答えは、すこし意外なものだった。
「〝目的〟?」
「そう。さっき言った通り、剣も槍も戦うための道具。つまり、戦ったり、生き残ったりするために使うものだろう?」
「だが、俺に教わりに来ようっていう子達は、大半が名誉とか、栄達ってのが目的みたいでね。――俺の教えを受けた、って実績を得たいだけなんだよ」
「ああ、そういう……」
――なるほど。彼の言うことは当然起こりうることだ。
彼の世界がどのような情勢なのか詳しくないが、英雄の教えを受けた、という実績は士官するのに役立つのは理解出来る。
考えてみれば、自分の世界でもその辺は変わらないし、歴史を振り返れば同様の例だって思い当たるものはある。
「俺は一度戦ってみればそういうのが分かってしまう性質でね、そういうのが嫌で弟子はずっと取ってないんだよ。それでも来る子は居るから困ったものだ」
「それに、俺は実のところ――人嫌いなんだ。名誉騎士だの、英雄だの言われるのは苦手でね」
彼が苦笑しながら天井を見上げる。
だが、普段の彼からは、そんな雰囲気はみじんも感じられない。
気の良い人だし、豪放磊落が過ぎるという程でもない。優しく、そして芯の強い人だ。
そうか、彼はきっと〝人の良くないところ〟を見過ぎてしまったんだ。
彼はそれ故の孤独を知ってしまったんだろう。高み故に見えてしまう人の姿が、彼には辛いものだったはずだ。
それを哀れむのは、傲慢というものだし、彼のような人にはふさわしい言葉じゃ無い。
今の自分に出来るのは、彼へ率直な印象を伝えることだけだ。
「人嫌い……全然そうは見えないですよ、優しいですし、困ったときも助けてくれますし。いつも助かってます」
笑みを向けながら、彼の顔を見やる。
すると、彼は頭をポンポンと撫でてくれた。
「はは、そう言ってくれるのはありがたい。君と仲良くなれて良かった。――心からそう思うよ、雨宮君」
―――――― ◆ ◆ ◇ ――――――
「そうだ、君の剣筋を見て思ったことがあるんだが、いくつかアドバイスさせてもらってもいいかな?」
一息ついて、徐々に体力も戻って落ち着いてきた頃合い。
ドーンは、ふと思いついたように口を開いた。
「あ、はい。お願いします」
「まず1つ、やはり基礎的な体力や筋力はしっかり鍛えた方が良い。無理しない範囲で、簡単な運動を続けることを勧めるよ。それは健康にも繋がる」
いや、一般人なんだからそこまで筋力を求められても困るんだけれど。
ただまあ、言われたとおりに何か運動を始めてみようとは思った。そうでもしないと今後の訓練について行けない気がしたからだ。
付き合うと決めたなら、期待に応え得るくらいの力はつけておきたい。
「次になんだが……君は、なんというのか、勝つ気が薄いように感じてしまった。思い当たることはあるかい?」
「――いえ、そんなことは……一応全力だったつもりなんですが」
そう、言った通り全力で当たった。ギリギリまで、攻め込んだつもりだ。
まあ、彼より弱いのは当然なんだから、勝てる見込みは元々無い。
それでも、やるだけやったはずだ。
「そうかい? 杞憂なら良いんだが……」
彼は苦笑気味に言葉を続けた。
「勝つ、ということは相手よりも〝生きる〟という事なんだ。君の世界や人生において戦いは不要なのかもしれないが、生きる力で負けてはいけないよ」
彼は笑いながら、それでもしっかりとこちらの瞳を見つめてくる。
……こうして、直接じっと見られるのは、少し苦手だ。それを悟られないように、若干苦笑気味に笑みを返す。
「……わかりました、肝に銘じておきます」
「良し! 後は片付けておくから帰って構わないよ。お疲れ様!」
一礼して、訓練室を後にする。
帰ったらシャワーだけでも浴びておきたい。でも、そこまで体力は残っているだろうか。
そもそもちゃんと帰り着けるのか……一抹の不安を抱えながら、よたよたと、エレベーターへと向かった。
―――――― ◆ ◆ ◆ ――――――
なんとかアパートへ帰りつき、べったりと床に倒れ込む。
流石に身体を動かしすぎた。数年ぶりに身体を本格的に動かしたのだから、こうなっても仕方が無い。
「こんなに疲れたの……ひさしぶりだ……」
床に大の字に身体を預けたまま、ぼんやりと天井を見つめる。
制服の中は、既に汗でぐっしょりと濡れているし、髪もべたついて気持ちが悪い。
でも、シャワーを浴びるほどの元気もなかった。制服を脱ぐことすらめんどくさい。
もうここから起き上がることすらおっくうだ。
「……明日で、いいか……」
呟きながら、ドーンに言われた言葉を思い返す。
「生きる力、かぁ……」
生きよう、あるいは生きたい、という欲求は生き物の本能だ。
例え力が無くとも、格好が悪くとも、生きていけるうちは生きていかなければならない。
――ちゃんと、生きようとしてるつもりなんだけどなぁ……。
そう考えているうちに、意識がゆっくりと、微睡みへと落ちていった。
その後、毎週一回付き合わされる羽目になりました。




