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北アルプス奥地 縦走紀行~2016年8月~  作者: たかの りつと
9/10

9.笠ヶ岳

 抜戸岳を過ぎると、新穂高への分岐点があった。ここから笠新道だ。笠ヶ岳に登頂して再びここへ戻ってくる頃には、きっと、今とは違った感動を抱いていることだろうと思った。今はただまっすぐ、先へ進むだけだ。笠ヶ岳らしい盛り上がりは見えるものの、その姿はガスに包まれたままだった。そこへは、まだなお、それなりの距離が残っていた。それでも、確実に近づいてきているのだと言い聞かせて、歩き続けた。

 その途中に、抜戸岩があった。巨大な岩がぱっくりと割れて、まるで門のように、その間を抜けていくのだ。明らかに、これが抜戸岳の由来だろう。そばまで来ると、実際に大きかった。楽しくなって、写真を撮った。背丈は私の倍以上はあるだろうか。それよりも、かなり奥行きがあったので驚いた。10メートルほどもあっただろうか、両側を岩に挟まれて、人が一人通れる程度の細い間を歩いていくのはおもしろかった。なんとなく、日本神話やアニメにこういう場面があるような気がした。ここを通ることによって、神威や奇跡の来光が起こるといったたぐいのものだ。

 まさか本当にそんなものがあるわけではないだろうが、両側の狭い岩の間から、今まで見えなかった笠ヶ岳の姿が、前方のガスの中にうっすらと見え隠れしているのが見えた。これこそ奇跡なのかと思った。それは、私がこの抜戸に立った時に偶然ガスが薄れただけなのであろうが、奇跡の真偽はともかく、間違いなくその笠形のユニークな山容が見えたという感動は禁じ得なかった。思えば、笠ヶ岳は初日こそ見えなかったものの、二日目からずっと見えていた山だ。まだ数日先だという意識しかなかった山が、昨夜には目的地となり、いまはこうして目の前にある。今回の長い旅を象徴する山だと思った。

 抜戸岩を過ぎれば笠ヶ岳まであとひといき、という文句がガイドブックにあったことを思い出した。最後のピークがもう、射程圏内に入っている。ほっとすると同時に、そのあとは下山なのだと思うと、なんともいえない空虚なものが心中に去来した。先ほど通過した抜戸分岐の標識に書かれていた新穂高の文字が頭に浮かんだ。下山のことを考え始める時期に来てしまったのだ。昨夜はあんなに下界が恋しかったのに。今は逆だった。

 “笠ヶ岳まであとひといき”、それは体力の観点から見た言葉ではない。単なる行程距離だ。それはすなわち、今までしばらく続いた平坦な縦走路が終わり、笠ヶ岳の山頂に向かって登行が始まることを意味していた。ガスが流れていて、笠ヶ岳の山頂が隠れたりまた見えたりを繰り返していた。抜戸岩からなお少しの間は細かいアップダウンが続いたが、笠ヶ岳山荘が大きく見える頃になると、いよいよ登りとなった。

 その辺りにはテント場があった。山荘とは高低差で30メートルほど離れているだろうか。テント場の直上はガレ場となっていて、そこを登らないと山荘には行けないわけだ。テント泊をすると決めていれば、先にここで張ってから上がるのだが、今日はこれから天候が崩れる予報で、山荘に泊まることも選択肢にあったから、この装備のまま山荘まで上がる必要があった。その前に、水場を示す標識を見つけたので行ってみようと思った。標識の示す南側の斜面に寄っていくと、山荘下のガレ場の様子がよく分かった。無数の岩石で覆いつくされた斜面に、直線で50メートルほどの間隔で黄色のタンクが二つほど置かれていて、その下に小さな雪渓があった。水はあの雪渓だと思った。タンクは、それを山荘まで上げるための経由タンクかポンプであろう。雪渓は見るからに小さかった。水が少ないはずだと言っていたKさんの言葉が思い浮かんだ。

 私はボトルだけ持って水場へ向かった。かなり下へ下ろされたところに水場があった。雪渓から流れ出る雪解けの水を集めるための樋が縦横に張り巡らされていて、そこに置かれた木製の水桶に集められるようになっていた。水桶には満々と水が満ちていて、そこへ流れ込む水はあふれていた。水の中にホースが差し込まれていて、そこからさっきの黄色いタンクを経て山荘へ吸い上げているのだ。私は水桶に流れ落ちる部分にボトルを差し入れて、樋から流れてくる水を受けた。ボトルの中に少しずつ水が入っていった。満たされるのを待ちながら、上方に網のように張り巡らされた樋を眺めた。本当に、山上では水を集めるのに苦労があるのだ。ひとかたならぬ苦労の跡を見て、これを見るだけでも価値があるものだと感じた。山荘泊であれば決して訪れない場所であろうから。

 給水を終え、ザックを担いで山荘へ向かった。テン場は、斜面のあちこちが整地されていて立派に区画されていた。その中を通過していく間、そこらの岩に、ペンキで「ガンバレ」などと書かれていて励まされた。ガレ場に入ろうとするとき、笠ヶ岳の姿がはっきりと見えた。まずは山荘まで上がり、そこからまた山頂へ上がるのだ。100メートルもないだろうが、そこそこ高低差がある。けれども、これが本当に、あとひといきだと思った。そのモチベーションが、ガレ場を進ませた。いくつも大きな岩が折り重なっていて、ペンキのしるしをたよりに進むのだ。指定されたルートは浮石がなくて安定していたから、ルート探しを楽しんで、登りのきつさは苦にならなかった。ぐんぐん近づく笠ヶ岳山荘が、いっそう足を速めさせてくれた。

挿絵(By みてみん)


 ついに山荘に着いた。山頂を見上げると、またガスが来ていて空は見えなかった。先行していた青年が休憩していたので声をかけると、今登ってきましたと笑っていた。これから下山したら、新穂高の温泉に入って、あとは車中泊ですねと聞くと、そうだと言って、晴れ晴れとした笑顔を向けてくれた。

 私はザックを下ろして、空いていたベンチに座った。少し休憩してから山頂へ登ろうと思った。11時20分。双六小屋から5時間半だった。彼のように下山してしまうこともできるが、今日は宿泊の予定なので急ぐ必要はなかった。行動食を口に入れて、山頂に持って行く貴重品などをサコッシュに移したりして休憩した。

 山頂へは、ほとんど駆けるように登った。軽装だし興奮気味だから、わずか10分程度で山頂へ着いた。無人だった。三角点と、笠ヶ岳の標柱があった。頭上のほんの一箇所だけ青空が見えていたが、周囲はほぼ真っ白なガスだった。これで目標としていた五座のすべてに登頂したのだが、何も見えず、あまりにあっけからんとした山頂で、これが旅の締めくくりなのかと拍子抜けした。ガスがなければ槍や穂高の眺めが素晴らしいだろうにと残念だったが、展望が期待できないことは昨日の時点で覚悟していたから、雨が降っていないだけましだと思った。あわよくばという期待はあったが、悔しさはそれほど感じなかった。これが山なのだと思った。

挿絵(By みてみん)

(笠ヶ岳 山頂)


 狭い、無人の山頂で写真を撮り終えると、山荘へ下りた。さてどうしようかと思った。テントを張るか山小屋で泊まるかどうか、である。天気予報を見ようと思って中に入ったが、テレビは置いていなかった。奥で誰かが食事をしていて、何だかとてもいい匂いがした。味気ないフリーズドライの食事と、不味い行動食ばかり食べていたから、温かい料理の匂いが私の心を大きく惑わせたのだ。メニューの札を見ると、うまそうなものばかり掲げられていて、思わず生唾をのみこんだ。何か頼もうかと一瞬考えたが、食糧はまだたくさんあるので、ぐっと我慢した。

 ただ、目標五座の完登を記念して、ここでビールを飲むつもりでいた。今回の旅は渇きとの闘いであったが、疲労のあまり、初日を除いてビールを飲みたいとは思わなかった。今もそれほど飲みたいという思いはなかったが、昨年の表銀座の縦走の最後に槍ヶ岳山頂で飲んだ冷たい生ビールの感動が忘れられなくて、今回も同じ感動を味わいたいと思ったのだ。あいにくなことに生ビールはなかったので、代わりに缶ビールを所望した。

 ビールを購入してから、テントにするか小屋泊にするか迷っていると前置きして、受付の人に天気予報のことを聞いてみた。ラジオの数時間前の情報では、という程度の情報で、昨日からあまり変化はなかった。考える時間はたっぷりあるのだから、少し考えますと言って、スタンプを押させてもらってから外に出た。

 ザックを置いていたベンチに座ってビールを開けた。感動するほどではなかったが、うまかった。ガスに見え隠れする笠ヶ岳に向かってビールを上げた。祝杯のつもりだった。宿泊する場所は未定だったが今日はもうオフなのだ。三千メートルにはわずかに満たないものの、こんな隔世の高山地帯で、昼下がりの時間帯にビールを飲むなんて幸せだと思った。視界はなかったが、その代わり陽射しもなく涼しかったし、風はおだやかで寒いこともなかった。心地よい気象だった。

 ここは携帯の電波が入るエリアだと知っていたので、ビールをやりながらスマホで天気予報を見た。曇とも雨とも判断できないような予報であった。ガスはあるが青空が時々見えるので上層の雲はなさそうであったが、これから夕刻と夜にかけてどう変化していくかが気掛かりだった。特に風が心配だった。しばらく様子を見て予兆を探すしかなかった。

 そうしてビールを片手にスマホを見ていると、とうに引き離していた年配のご夫婦が上がってきた。すぐに目が合って、お疲れさまでしたと大きく声をかけた。ちょうど隣のベンチが空いていたので、彼らはそこに座って、疲れた疲れたとにぎやかに話し出した。本当に明るいご夫婦で、私も知らず知らず笑顔になった。入口の横にスイカと書かれているのを見て、あらスイカがあるんだと話しながら山荘の方へ行かれた。実を言うと、私もスイカは非常に迷った。悩んだ挙句、ビールを飲むのだからと、スイカは断念したのだ。昨年、表銀座の合戦小屋で食べたスイカは本当に美味しかった。スイカは誰しも惹かれるものだ。

 ビールをちびちびやりながら、笠ヶ岳に流れるガスの流れをぼんやりと見ていた。やはり身体が欲していないせいか、最初のうちうまかったビールは、半分ほど飲むと飽きてきた。私には珍しく、早くアルコールが回ってきたせいもあって、余計にぼんやりとしてきた。そこへ声がかけられたので振り向くと、ご夫婦のうち奥さんが、私にスイカを差し出して、食べてと言われた。その意味を図りかねて、えっ、と聞き返しながらご主人の方を見ると、ご夫婦ともに自分のスイカを持っていた。わざわざ私の分まで購入してくれたのだ!と分かって、えーっ、とさらに驚いた。まさかまさかと、にわかには信じられなかったし、あまりにも恐れ多いことだと思った。しかし奥さんが、これも縁だからと、にこにこと勧めてくれた。その嬉しそうな表情を見て、ご厚意をありがたく受けようと思った。せっかくなので記念に写真をとお願いして、私のカメラで、スイカを構えた姿を撮ってくれた。

 飲みかけのビールを置いて、いただいたスイカを食べた。ひじょうにうまかった。その味よりも、人とのつながりの温もりがなおそう感じさせるのだと思った。ひと口、ひと口が、たいへんな感動だった。食べながら、ご夫婦といろいろ話をした。今回は中房温泉から表銀座を縦走して、槍ヶ岳から双六へ下りてこちらへ来たのだという。燕岳から西岳まで歩いて泊まろうとしたが、山荘の主人がたいへんな迷惑顔で意地悪をされたから結局槍ヶ岳まで歩いたという。経緯はどうあれ、昨年歩いたことのあるその区間のつらさを思うと、いくら小屋泊装備とはいえ、たいへんな行程を一気に歩いたのだと思って舌を巻いた。

 食べ終わると、返しに行くから皿をどうぞと言われたが、さすがにそれは頼めないと思って、自分で受付へ返却しに行った。その際、少し離れた所でラーメンを調理して食べていた先刻の青年が、出発の準備を始めていたので、彼のそばへ行って、気をつけてと声をかけた。自分の場所に戻ってくると、ご夫婦にもう一度礼を言った。

 残っているビールを再び飲み始めて、ぼうっとしかけた時、また奥さんから声をかけられた。今度は食パンほどもある、大きなパウンドケーキを差し出された。えーっ、またこんなものを、と驚き、あまりの親切に申し訳なくなった。私のぐちゃぐちゃになった行動食など見る影もない、立派なものだった。もう下るだけだから、余ったものを食べるの手伝ってと、飲み物もあるからカップだけ貸しなさいと言われた。親切すぎて、笑ってしまった。遠慮していたら逆に迷惑だろうと思って、いただくことにした。ご主人が湯を沸かしてくれて、インスタントのコーヒーを入れてくれた。パウンドケーキと一緒にいただくと、これもたいへんうまかった。奥さんはさらに、後続で上がってこられた単独の女性の方にも、ケーキとスイカを振る舞っていた。その人ともどこかで話をしてきて知り合ったのだろう。その人もたいへんびっくりしていたが、私から見ると、奥さんは、そうして他の人に振る舞うのが好きな方なんだと思った。今は年をとったから小屋泊をしているが、昔はテントでやっていて、道具はすべて持っているんだと、コンロやヤカンなどを示しながらご主人が話した。

挿絵(By みてみん)

(いただいたご厚意。嬉しさと感謝の言葉もなかった)


 食べ終わって、後片付けを終えると、ご夫婦は荷物を置いて山頂へ出掛けていった。山頂までどうだったかと聞かれたので、遠く見えるけど15分くらいですぐ登れますよと、少し余裕を見た時間を教えた。

 いただいたものを食べている間、眼下のテント場で、テントを張っている人の姿が見えていた。ここまでずっとテントで泊まってきたし、あのご夫婦と一緒に小屋泊すると楽しいだろうとも思ったが、風が穏やかなので、最後までテントで泊まろうと思った。ビールを空けて、空き缶を返しに行ったときに、受付でテント泊の申し込みをした。先刻は男性の受付員だったが今度は女性だった。いずれも若く、アルバイトかもしれない。金を払ったが、受付票などはない、どこでも空いているところに勝手に張ってくれたらよいとのことだった。なお、トイレはここまで来てくれと言われて、それが面倒だなと思った。水はと聞くと、水場に行かれましたかと反問されて、場所の認識が違っていたらいけないと思って、いいえ行っていませんと答えた。すると心配そうに、いまスタッフが見に行っているが、昨日の時点でかなり少なくなっていたから午後には枯れるかもしれないので早めに行くといい、もし枯れていた場合は無料で渡すからここまで来るように、と言われた。礼を言って山荘を出た。

 外へ出ると、上半身が裸形の筋骨隆々とした若い男性がやってきた。裸形でこんな高山をうろうろしていることにびっくりすると、その姿を認めた山荘内の女性スタッフが、水はどうでしたかと彼に声をかけた。彼はその問いと私の装備を見て察したらしく、私に向かって、いま水場を見たけどこんなんだったよ、と人差し指を下に向けて見せた。つまりは水流がそのくらいの細さだということだ。もう枯れるから早く行った方がいい、もしあとから来る人があれば、そのように伝えてほしい、と言われた。私は特段、自分が客だという感覚はないので承知したが、そのような大事なことを無造作にお願いされて、家族経営というかおおざっぱというか、なかなか面白い気質の山荘だなと思った。いや、山の仲間同士、皆で助け合おうということなのだろう。

 それよりも、私は風のことが気になっていたので聞いてみた。すると、風はこちらから吹いてきて、と山荘の背後を示して、ここが一番強い場所で、テント場はそれほどでもないよと教えてくれた。裸形の彼が客観的に言う姿に説得力を感じて、私は安心してテント場へ下りた。依然、風は穏やかなままだった。

 テント場に下りてくる間に、もう一人が新たにテントの設営に取り掛かっていた。秩父平で少し話をした年配の男性だった。トイレのためにいちいち上へ上がらないといけないから、なるべく上方に張ろうと思っていると、おあつらえな場所があってそこに張った。テント場にはハイマツと岩石が点在していて、その中に点々とテントスペースが区画整地されていたのだが、中でも私が張った区画は、周りをぐるりと城壁のように石が積まれていたのだった。その高さは、人が座ったときの目線の高さほどもあったから、ここならば仮に風が強くなっても少しは減殺されるだろうと思った。周りを囲まれて自分だけの空間のように独占できるし、テントと壁の間を我が庭のように使うこともできる。極めて理想的な空間であった。年配男性のところよりも少し上の場所だったが、声をかければ届きそうな位置だった。そんな距離感も適当だった。

挿絵(By みてみん)


 テントを張ってから、その方のところへ挨拶に行った。私を覚えていてくれて、少し話をした。

 テントは14時前にはすでに張り終えていた。あらためて水を汲みに行こうと思った。先刻は、休憩する分しか水を汲まなかったので、明日の行動分を含めて満タンに給水しておく必要があったのだ。

 山荘の人から早く汲みに行くよう注意されたが、教えられた状態が先ほど私が見た印象とは違っていたので、大げさに注意したのだろうと高を括っていたのだが、実際に行ってみると、水は本当にちょろちょろとしか出ていなかった。満々とあふれていた水桶も半分ほどに減っていた。私は慌てて、樋から落ちてくる水をボトルで受けた。二リットルの水がたまるのに、けっこうな時間がかかった。ちょろちょろとしか落ちてこないから、樋からの落ち位置が変わって、桶に水が入っていかない状態であった。少し調整して、桶に水が落ちるようにしてやった。やれやれと思った。こんなに急変するとは驚いた。枯れていれば山荘で分けてもらえるとのことだったが、水場自体がけっこうな高低差なので、そこを空しく往復してまた山荘へ上がるというのはいかにも億劫だったから、そんなはめにならなくてよかったと思った。昨年の冬の降雪が少なかったことが、今年の水不足につながっているのだ。

 荷物の整理をすれば、あとはただ時間をゆっくりと過ごすだけだ。私は“庭”に平たい石を並べて素足で歩けるようにして、そこに腰掛け用の石を設置して座った。快適で、ほとんど住居と言うべき状態であった。私はそこに長い間座って穂高方面を見ていた。ガスによって谷の向こう側は見えなかったが、抜戸岳までの稜線や、動いているガスの流れに目をやっていた。

 時々ガスの間から陽が射してくる間は、テントの中に避難した。それを除けばじつに快適な気象だった。時が経つのを忘れて、ぼうっとしていられた。少し暇だと感じたときは、ここは電波が入るから、スマホの山アプリでカメラの画像を整理したりした。15時半頃に湯を沸かして甘酒を飲んだ。穂高は稜線が見えなかったが、下方の山肌が見えたので、そんな眺望を楽しみながら、温かい飲み物を片手に時間を過ごした。ぜいたくな時間だった。

 16時近くになると人の姿も多くなってきた。私の上方に、壮年の男女がテントを設営しだした。関西弁のうるさい人たちだった。あまり関わりたくなかったが、一応義務は果たしておかねばならないと思い、そこへ行って、水は汲まれましたかと声をかけた。不審そうな目で見られたが、汲んでないというので、山荘の人が早く汲んだ方がいいと言っていましたよと伝えた。それを聞いて彼らも警戒を解いて礼を言われたが、最初に向けられた視線で、あまりいい気分はしなかった。その後聞こえてきた会話では、どうやら汲みに行ったがすでに枯れていたようだった。そのあと山荘へ上がって水をもらってきたらしく、それなら最初から分けてほしいとぼやいていた。そんな言い草は何となく不愉快に聞こえたが、言っている内容はその通りだと思った。ただ、山荘の人たちにすれば昼の時点では水は出ていたわけであるから、私と彼らとで明暗が分かれただけであって、誰も責められないだろう。

 それから、笠ヶ岳山荘で泊まろうと歩いてきた人たちだろう、下で水場の標識を見た年配の団体が、下のテントの方へ水場のことを聞いていた。私はその時テントの中に引っ込んでいたので声しか聞こえなかったが、どうやら不在にしているらしく応答がないようだった。にもかかわらず彼らはしきりと、聞こえますかとテントに向かって声を張り上げていた。たまりかねて外へ出ると、彼らも諦めたようでこちらへ上がってくるところだった。水場のことを聞かれたので、数時間前に枯れそうな状態だったからきっと今はだめでしょうと教えてやった。残念そうに上がっていったが、山荘まで行けば飲料にありつけるのだから心配はあるまいと思った。

 そろそろ夕食を作ろうと思い17時頃に天幕を開けてみると、笠ヶ岳のガスが晴れて、うろこ雲が広がってはいたが青空が見えた。槍や穂高は依然としてガスが流れていたが、このぶんだと今夜はもつかもしれないと思った。

 夕食は、今回初めて試みる粉末カレーだった。粉末カレーを適当に二食分、ラップに包んで持ってきたのだ。フリーズドライ食品と比べてかさばらないことと(かさばるものから先に消化する)、これを調理したあとのコッヘルが衛生上心配だったので、最終日に食べる予定だったのだ。考えていた調理法は雑炊と同じで、出来上がった白米にカレーを入れて、水を足してまた煮るというものだ。実際に出来上がったご飯にカレーを入れて混ぜてみると、ご飯の余熱でカレーがすぐに融けて、ドライカレーのようになった。香辛料のいい匂いがした。これで充分食えると思って食べてみると、たいへんうまかった。が、少し味が薄いように思えたので、もうひと包みを入れて、水を少し足して煮てみた。ふた包み持ってきたのは、最初の予定では翌朝の献立計画だったラーメンをカレーラーメンにしようと考えていたためである。ラーメンは既にその日の朝に食べてしまっていたので、カレー粉を残しておく必要はなかった。出来上がったカレーは美味かった。スパイスが食欲をそそって、あっという間に平らげてしまった。具など何もない殺風景なカレーであったが、満足のいく食事だった。たくさんあった米もこれでなくなり、出発時と比べれば食糧のパッキングがだいぶ小さくなった。いよいよ旅も終わるんだなと思った。

 だんだんと暗くなるテント場。19時頃になってトイレを済ませておこうと思って外に出ると、思いがけず、槍と穂高の稜線がとうとう見えたのだった。谷を埋め尽くす雲の中から稜線をのぞかせているのである。陽が落ちて色彩の失われた時間帯で、まるで水墨画のような光景であった。稜線より上は、はるか上層のうろこ雲までの間に雲はない。もしかしたら、明朝はよいご来光が見えるのではないかと思った。

挿絵(By みてみん)

(雲海に浮かび上がる穂高連峰)


 用を足したあと、しばらく谷向こうの青い稜線を眺めた。槍ヶ岳や穂高岳を対峙するほどの標高にテントを張って、眠ろうとしている。信じられないような環境だ。最後の夜に、素晴らしい景色を見せてもらえたことに感謝した。

 周囲のテント客の声が耳についたが、やがて静かになった。風がなく穏やかな夜だった。

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