8.笠への道
七月二十一日(木)【四日日】
この日は時間に余裕があるから、少し遅めの4時半に起床した。天幕を開けて、湯を沸かす準備を始めた。すでに出発していく人たちも出始める時間帯だった。
朝食は、明日の予定だったものを変更して、調理の必要なラーメンにした。これも時間に余裕があったためである。ラーメンはいつもの棒ラーメンで、味にはいい加減飽きているのだが、シリアルを購入する以前の残りが一食分あったため、今回の旅で食べきるつもりで持ってきたのだ。案の定、食欲は触発されなかったが、とにかく食べた。最後のスープはいつもおいしく飲んでいる。食べ終わると、ハブラシを持って小屋へ出かけた。水場で歯みがきをして、外のテン泊者用トイレで大便をした。入山してからというもの、便意が起きない理由は、いつもの排便時刻と違うリズムの生活になっているためだと考えていたが、今日は遅めの起床により多少は普段通りの時刻に近いにもかかわらず、この日もあまり出なかった。ここのトイレもきれいだった。
さて天気である。朝食のラーメンを食べたとき、双六池の向こうに笠ヶ岳の姿が見えた。大便をすませて小屋に寄りテレビの天気予報を見てみると、この日の雨の予報は遠のいて、曇の予報となっていた。翌日は曇のち雨の予報だ。私はそれを見ても、もはや笠ヶ岳へ向かう決断を変えなかった。あわよくばこれから鏡平をピストンして鏡池の景色を見るのだし、雲の状況によって見えなかったとしても、それはそれで諦められるだろうと思った。いろいろと欲張って思い付いたオプションだが、いまやその欲は減退していた。
小屋から出るにあたって、受付室の奥に座っていたご主人に、昨日笠ヶ岳のピストンについて相談した者ですがと声をかけて、笠ヶ岳に向かうことにしました、ありがとうございましたと御礼を言った。ご主人は、それがいいと思いますよ、その方が楽しめますよと、にっこり笑ってくれた。私にはもう、迷いはなかった。
テントを収納している間、小屋やテン場から次々と登山者たちが出発していた。テン場では、所々から笠ヶ岳の名が聞こえていたから、ここから道を同じくする人たちが何人かいるのだと思った(よもやピストンを考えてはいまいだろうが)。
ザックは身体にズシリと乗った。けれども昨日より重くは感じなかった。その感覚が、長い稜線歩きのどこまで続いてくれるかと思った。
(テント場から笠ヶ岳を望む)
笠ヶ岳へのびる尾根だ。まずは北側をトラバースしていって、まもなくその尾根の南側へ乗り越した。今日最初のその登りが、早速、うっと思わせたが、がんばって尾根に上がると、谷に隔てられた槍ヶ岳がよく見えて、気持ちがよかった。
しかし、その谷を、ガスが早くも上がってくるのが見えた。南の新穂高の方からこちら側へ動いているのだ。目的の鏡平はと見ると、眼下に小さく光るものがあり、それが池の水面と思われた。水面がよく見えたから、その辺りはまだ展望がよいのだろう。だが雲はその池のすぐそばまで迫っていた。池が雲で隠されるのは、時間の問題だった。
それよりも、私はその高低差に圧倒された。250メートルという標高差は、数字で見れば大した感覚はないが、実際に視覚でとらえると相当な高度であった。下山ならばまだしも、下りて、しかもまた登り返すには、身体の状態がよければまだしも、あまりに酷な高低差だった。
(槍ヶ岳から穂高の展望。右下に鏡平が見える)
小池新道と分かれる弓折分岐までは、なお時間を要した。分岐に来たとき、真下にある池がほとんど雲に覆われているのを見た。これでは、下りても何も見えないはずだった。そういう現実が突きつけられたことで、もはや無理をして鏡平へ行く必要がなくなった。下りなくてもよいのだと考えてほっとした。代わりに、その分岐に置かれたベンチに腰かけて休憩しながら、谷の対岸にある槍ヶ岳を眺めた。わき上がってくるガスは、まだ目線の高さに至っていない。谷を埋める雲海の向こうに逆光の槍ヶ岳が浮かび上がり、良い眺望だった。弓折分岐では多くの人が休憩していた。隣に座った年配のご夫婦に聞くと、これから笠ヶ岳へ行くのだということだった。やはり同じルートで笠ヶ岳へ向かう人が多いようだった。
休憩を終えるときゅっと腹が痛くなったが、すぐにおさまった。少し歩くと弓折岳の三角点があるはずだった。三角点は登山道から外れていたが、山頂を指す標識があったので迷わずに行けた。登山道からはわずか2分程度の、こんもりとした場所だった。私は三角点のそばにザックを下ろして記念撮影をした。そこからも槍ヶ岳が美しく見えた。ポーズをとってタイマーで撮影してみたが、うまく構図が決まらず何枚か撮った。そのうち、すぐそこの登山道にさっきのご夫婦がやって来るのが見えたので、恥ずかしくなって撮影をやめた。
登山道に戻って、ご夫婦の先に立った。一度抜かされてもどうせ抜き返すのだから、わずらわしい追い抜きをしなくてすむように、彼らが追いつく前に登山道に復帰したのだ。
そうして山頂付近の緩勾配地帯を抜けると、南西方向の視界が開けた。目の前の長い「下り」坂の向こうに、目線より高い大ノマ岳が立ちはだかっていた。下りきった大ノマ乗越から再び登り返してのピークだ。標高差は200メートル、さっきの鏡平より標高差が少ないのは目で見ても分かったが、200というのも相当なものだった。いよいよ笠までの厳しいアップダウンが始まったと思った。こんなものをまだいくつも通過していくのだ。地形図で分かってはいたが、ピストンがいかに至難であるかをあらためて思い知らさせた。
長い下りだった。下り始めてすぐ、今度は本格的に腹が痛くなった。笠ヶ岳山荘はまだまだ遠いのだから困った。登山道は見通しのよい稜線上にあるし、標高からして高木はないので、用を足そうにも身を隠す場所はないだろうと思った。下りはなかなか急で、急斜面をジグザグに道が切られていた。道の谷側は多く草が茂っていたが、そこに入りこむには急すぎて危険だった。
乗越が近づくにつれて、向こうの登り坂を歩いている人や、乗越で休憩している人たちの姿が大きく見えてきた。腹が痛くて、だましだまし歩いた。
そうして大ノマ乗越まで下りきった。そこで、今から登ろうとしていた人に、先に行ってくれと道を譲られたのだが、どうにも腹が痛く、また乗越という地形上、左右の勾配に比較的余裕があるのを見て、腹が痛いから用を足してから行くのだと告げて遠慮した。そしてザックを下ろし、登山道脇の藪に分け入った。登山道から見ると子供の背丈ほどもある藪だった。ふだんならば絶対に入りたくない場所だが、そんなことは言っていられなかった。足元すらろくに見えない藪を5メートルほどかきわけて、そこで用を足した。
藪から出て陽光を浴びるとほっとした。藪の中は、暗闇よりも気分のよい場所ではなかった。ほどなく、弓折分岐で出会ったご夫婦が下りてきたので、藪から出てくるところを見られなくてよかったと思った。なに食わぬ顔で、こんなに登り返さないといけないからたいへんですね、などと話をした。
張っていた腹は落ち着いた。少し水を飲んで、出発した。ご夫婦は少し休憩してから行くとのことだった。
今日初めての本格的な登りだった。下ろされた分の標高を取り戻すため登った。200メートルの直登である。その途中で、私は極めて希少な高山植物を見つけた。クロユリである。自分でもよく見つけられたものだと思うほど、それは周囲の草の中でぽつんと咲いていた。休憩して辺りを見回したわけではない。一心に登っている最中に視界に映じただけだ。それなのに、たった二輪の小さな花に注意を引かれたのは、幸運か偶然か、あるいは奇跡だと思った。私は写真を撮ろうとザックを下ろした。しゃがんでよく見ると、うつむいた六角柱の幾何学的な黒い花弁の中央に、めしべとおしべが、これまた幾何学的な配置で並んでいた。どこからこれほど完璧な造形が生まれたのか、信じがたい美しさであった。やや褐色ぎみの黒という、他に類を見ない色彩がその奇跡を際立たせていた。眼下の谷はガスで埋まっていたが、上空は素晴らしい青空だった。登山道に顔をつけんばかりの位置から首をもたげているクロユリを見上げると、青さの中でクロユリが縁取られて、色彩がいっそう存在感をもって浮かび上がった。
この希少な奇跡を写真におさめたくて、いろいろと構図を試行錯誤して何枚かの写真を撮った。興奮はなかなか覚めなかった。撮影を終えてもなお去りがたく、しばらくクロユリのそばで座っていた。
やがてご夫婦が下から上がってくるのが見えた。この感動を教えてやろうと思い、彼らが上がってくるのを待った。クロユリが咲いてますよ!、と私は告げた。彼らはきっと熟練者なのだろう、クロユリにはさして珍しがらず、今回の旅では初めて見たねと落ち着いて話しながら、それでも、写真を撮っておこうと言ってぱちぱちやった。私がクロユリを見たのは初めてです、などと少し話をした。そこでまた私が先行して、登行を再開した。
長い登り坂だった。ただ、休憩を繰り返しながらも身体はよく動いてくれた。大ノマ岳のピークに至るまでに数人を抜き、ご夫婦も引き離していた。
大ノマ岳のピークは登山道から5メートルほど脇にあった。ほとんどの人が素通りするような所であったが、ピークに寄った。そこへ、縦走装備の若い男性がやってきた。双六のテン場で見かけた青年だった。ここはなんという山ですかと聞くので教えてやった。ほかにも北方が不案内だというので、そこから見える黒部五郎岳などを教えた。これから笠ヶ岳へ向かうというのでいろいろと話してみると、山形からやってきて、新穂高に車をデポし、焼岳と、涸沢から奥穂をやって常念、さらに大天井から槍、双六を経てきたのだという。なんということだと驚愕して舌を巻いた。焼岳の後と奥穂の後の行程は、それぞれ、縦走のアップダウンというよりほとんど下界に下山するレベルの高低差である。焼岳と奥穂は私もセットでやったのでともかくだが、そこから長駆、三千メートル峰の常念岳へ登るとは。しかし山形からわざわざやってくる以上、無理をしてでもまとめてやってしまいたい気持ちはよくわかった。規模の大小はあれ、私も同じだった。彼もよく日焼けしていて、謙虚な気持ちのいい青年だった。私など足元にも及ばないので、先に行ってもらった。
大ノマ岳からは、また、ゆるい下り坂が始まった。前方に、壁のように立ちはだかっている尾根があった。壁のように見えたのは、同じ稜線の延長である。大ノマ岳から落ち込んだ稜線は、再びかけ上がってその壁の右端につながっていた。その右端で、稜線が直角に曲がっているだけだ。そこを歩き詰めていった壁の左端がようやく抜戸岳で、つまりあの壁は乗り越えて終わりなのではなく、横断しなければならないのだ。笠ヶ岳はまだまだ先なのだった。大ノマ岳の登り返しを終えても、それはひとつのピークを越えただけにすぎなかった。このつらさこそ縦走なのだ。
下りの勾配は緩く、徐々に、それでいて確実に、高度を下げた。150メートル下っての、200メートルの登り返しである。緩勾配の長い下りはじわじわと疲労を蓄積させた。下降地点が近づくにつれて、次の登り返しが大きなインパクトで迫ってきた。尾根ではなくまさに壁であった。稜線を行くというイメージより、急峻な山を登るという感じであった。
下りきった秩父平にはたくさんの高山植物が咲いていた。私はそこでザックを下ろして休憩をとった。少し前に追い抜いた単独行の年配男性がゆっくりとやってきて、そばで腰を下ろした。私よりも大きなザックを担いでいたので、聞くと笠ヶ岳でテントだと言う。これで、強風の中でぽつんと夜を過ごす孤独は免れたなと思った。その人はこれまでも何度か抜きつ抜かれつしてきたが、挨拶以外の言葉を交わしたのはここが初めてだった。一服しだしたその人と、またも現れた登り坂はきつそうですねなどと話した。まったくだと、その人もつらそうな表情をして見せたが、じつに、縦走の後半で出現するものとしては、登山者の気持ちを一蹴して萎えさせるに充分な圧迫感だった。
秩父平から見上げるその稜線は、白かった。厳しさの一方で、垂直の白い岩壁と、その隙間が緑色の草花に彩られている様はとても美しかった。黒部五郎のカールから見上げた光景を思い出した。登山道はこの先どのようにあの岩壁の上へ至るのだろうと思うと好奇心がわいた。立ちはだかる岩壁が、挑戦的であるようにすら見えた。何人かの登山者が、急斜面のただ中にいて登っている姿がみえた。おれも行くぞと言い聞かせて、立ち上がった。
登った。今日は二度目の登り返しだ。さっきの大ノマ岳よりも急だった。息が切れて、何度も立ち止まった。なかなか尾根が近づかなかった。それでも下を見れば高度は少しずつ上がっていることが分かった。ガスが迫ってきて、尾根に林立している奇岩を包みだした。そのガスは私の周りにもやってきた。疲労で立ち止まっていた私は、なすすべもなくガスに包まれた。やわらかい気流とともに、冷たいガスが私の両腕を包んで流れた。ガスの濃淡とともに、頭上の岩峰が見え隠れしていた。
ガスの中を登って尾根に出たときは、さすがに疲れたと思った。ガスが流れていても、尾根らしい開放感が頭上にあった。しかし私はその余韻に浸ることなく、本能的に笠ヶ岳の姿を探していた。立っている位置から直角に南に折れ、抜戸岳でまた西へ直角に折れている稲妻形の尾根。その先は、やはりガスで覆われていた。それを見て、やはり今日は悪天候なのだと思った。これでは、山頂の展望はおろか、笠ヶ岳の姿を見ることさえできないだろう。それも致し方ないと思った。今までの眺望が良すぎたのだ。むしろ、ここまで天気がもってくれて水晶岳までの四座を明るく導いてくれたことに感謝すべきなのだろ思った。
今まで壁のように見えていた稜線に上がったが、そこで登りが終わるわけではない。そんなことは地形図で分かっていた。急なアップダウンは終わったが、ここから長い稜線歩きが始まるのだ。遠く笠ヶ岳はガスに覆われていても、抜戸岳へ至る長い稜線はガスの下にあって、先行する登山者の姿が点々と見えた。
まだなお登って小ピークに着くと、先行していた先ほどの青年がこちらに歩いてきたので、びっくりして、もう行ってきたんですかと問い質した。あまりに人間ばなれしたペースだから、あるいは自分が読図を誤ったかと思ったほどだ。もしそうならば、案外と笠ヶ岳は近いかもしれないという間違った期待とともに。しかし彼はまさかと笑って、さっきここで休憩したので忘れ物がないかと確かめに来ましたと言った。私も笑った。
また少し話をして、しばらく一緒に歩いた。笠ヶ岳の後の予定を聞くと、笠新道を経て今日中に下山するとのことだった。気持ちのよい青年と笠ヶ岳で同泊できれば心強いだろうという気持ちが少しあったが、新穂高に車があるのならば、それもありだろうなと思った。
話しながら歩いたが、きっと足手まといになるだろうと思い、どうぞ先にと言って、気を遣わせないようにわざとペースを落とした。少しずつ彼が離れていった。途中で小休止をとると、その間に距離がぐっと開いた。小ピークを過ぎた後は、尾根の西側のハイマツをまっすぐに切られるようにして登山道がつけられていたから、その緑色の空中回廊を先行してゆく彼の姿は、長い間よく見えていた。ガスは尾根の東側から上がってきて稜線上へ吹き上げられていたが、後方の北側はまだすっきりとしていて三俣蓮華岳が見えていた。きつかったが、しばらくは勾配がないことも手伝って、気持ちのいい縦走だった。
歩き続けて道が右へカーブするようになった頃、抜戸岳の山頂を示す標識が現れた。登山道は稜線の少し下を走っているから、登山道を直角にまっすぐ登れば稜線に上がれるのだ。
私はザックを登山道にデポして、斜面を直登した。浮き石だらけの斜面で、標識がなければここが道だとはおよそ思えなかった。ザックを下ろして軽くなったことで調子に乗って駆け上がったから、浮き石の上で何度かバランスを崩しかけてひやりとした。そんな多少の軽率はあったものの、浮き石の中を登っていくと、抜戸岳の山頂に着いた。あまり勾配の大きくない尾根の中での一点といった感じの、山頂というよりは最高地点という印象だった。それでも、ガレガレの岩に覆われた尾根は視界が良いから、その最高地点で風に吹かれるのはたいへん気持ちがよかった。そこで写真を撮って、休んだ。三角点の周りも石だらけだった。登山道のある斜面とは反対の東側からガスが吹き上がってきていて、尾根上では水蒸気を含んだガスの流れが心地よかった。
休憩を終えて、下りた。尾根上のガレ場を飛び石のように少し歩いてから、ザックをデポした登山口へ下りるのだが、下り口が分からなかった。ハイマツの中を川の流れのようにガレた岩の脈が走っているのだが、そういうものがいくつかあって、どれが自分の登ってきたものだかはっきりしなかった。とはいえ真下に下りればよいだけだから、私は適当に選んだ岩場を下った。途中で岩がなくなってハイマツに遮られたが、その頃にはデポしたザックが見えていたので、そこを目指して、ハイマツの隙間を下りた。