5.三俣山荘
およそ20分ほど山頂で過ごしただろうか。そろそろ下山を考えないといけないと思いながらも、あまりの展望を前に動けずにいたところ、桃井さんが下りるというので、私も意を決した。座っていたところの南側から、稜線ルートによる下山路が伸びていたが、私はさっきの肩まで下りて、カールを下るルートで下山することにしていた。桃井さんもしきりと稜線ルートを気にして、厳しそうだねと言っていた。もしかしたらそちらのルートも視野に入れていたのかもしれないが、彼女も同じく肩に荷物をデポしていたから、迷ったうえで、カールルートで下山することにしていたのだろう。
下山する前に、山頂から、目指す黒部五郎小舎の方向を見た。カール地形の向こうに、ぽつんとではあるが、山小屋の赤い屋根がはっきりと見えた。あまりにもカールのスケールが大きすぎて、精緻な箱庭を見ているような錯覚をおぼえそうだった。コースタイムではその小屋まで1時間40分とのことだったが、1時間くらいで行けるんじゃないかと、桃井さんと話し合った。山頂から見下した限りでは、地図上にも「迷」マークが示されているとおり、カールに下りきった辺りの道が分かりにくそうであった。こうして上から見れば、小屋まで一直線に道をたどることができるが、いくつもの沢筋が道のように見えるところがあって、広いカールの中に下りた時に、その場で正確にルートを見つけなくてはならないのだと、意識を新たにした。
山頂から肩まで、桃井さんに続いて下りた。肩に着くと、太郎平で抜いた例の団体が上がってきたところだった。がんばってくださいと言葉をかけて、ザックを背負った。桃井さんはここで休憩をしていくとのことだったので、私は先に行くことにした。それにしても、私が何度も休憩しては抜かれて、また抜いてと繰り返してきたわけだったが、彼女は休憩をとっていなかったに違いない。ザックの重量は分からないが、すごいものだと思った。
肩から、尾根を少し北に行ったところに、カールの下り口があった。そこから黒部五郎岳を振り返って見ると、北ノ俣岳からずっと見せられていた表情とは全く違った姿であることに驚いた。黒部五郎岳の東側、つまりカールによってえぐられた面は、ほとんど垂直な壁だった。カールの外周に沿う形で、垂直の壁が内側に弧を描くようにして佇立していた。山頂からカールを見下ろしたときに相当な高度感をおぼえたが、実際にその高度感が、垂直の岩壁によって形成されたものであることを見たのであった。そんな垂直の壁の中のわずかな傾斜地に、まだ雪が残っていた。真っ白な雪渓があるから、余計に黒部五郎岳が黒々と見えて、雄々しさを感じずにはいられなかった。
カールの底部までの下山路は、急傾斜の岩壁に、ジグザグに刻まれるように設けられていた。私はストックでバランスをとりながら、慎重に下りた。急斜面にはコバイケイソウなどの高山植物がひしめいていた。足元と、それら花々とを見ながら、200メートルほどの高低差を一気に下っていった。
(カールへ下りる急傾斜の斜面から見る黒部五郎岳)
底部に着いた時にはほっとした。この急降下は事前にあまりマークしていなかったが、危険度からすれば、今日一番の場所だったと思った。そしてこの先が、事前にマークしていた、道迷の注意エリアである。目の前には、雪渓から流れ出した水が、美しい自然の庭園を造りだしていたが、造形美のすばらしさゆえに、道のように見える水路の跡が何本も自然に形づくられているわけで、そんな中を特定の方向に向かって横切っていくのは困難だろうと思った。
けれども、登山路を示すマーキングがそこらにあったから、これを見落とさない限りは大丈夫だった。私はそれに従って、徐々に歩いていった。カール底部の中ほどに来て、黒部五郎岳を正面に見る位置から直上を見上げてみて、たいへんに圧倒された。屏風のように垂直の壁が私をぐるりと囲み、私の視界を奪っていた。まるでそのまま私の方へ倒れ込んでくるかのような威圧感であった。上部の雪渓とその下部にはこの山の由来となった無数の岩石があって、自然の力強さと雄々しさ、そして美しさとを、同時に感じたのだった。
(カール底部から見上げる黒部五郎岳)
カール底部の「庭園」歩きは、じつに気持ちがよかった。ただ、沢に気をとられて歩いているとマーキングがなくなっていて、どきりとすることが何度かあった。沢筋は道のように見えるから注意しなければならない。あとで地図を見返すと、五郎沢方面に入り込まないこと、と注意書きがあった。これがまさにこの時私が置かれていた状況であった。雪渓から流れ出た水は、その自然の摂理によって五郎沢方面へ流れ下っていくが、私の進路は、その幾筋もの沢を、わずかな角度の違いをもって横切っていかなくてはならないのだった。沢に沿って歩きたいのが本能であるが、それに反して少しずつ(むしろ一気に直角に横断する方がいかに楽だろうか)沢から離れていかなくてはならいという点が、このエリアの道迷いのポイントなのだろう。
庭園の途中で休憩をとった。沢に手を入れて顔を洗ったら、たいへんに冷たくて気持ちがよかった。この時、若い男性が軽装で何の装備も持たずに手ぶらで歩いてくるので驚いた。挨拶を交わしたとき、注意してあげようかと思ったが、あまりにもさわやかに挨拶されたので言い出せず、さっさと行ってしまった。少し心配だった。
どこから振り返ってみても、黒部五郎岳の屏風は見事な黒い姿をこちら側へ見せていた。男性が向かっていったように、きっとこちら側からのアプローチも、相当に気持ちがいいだろうと思った。
沢筋をすべて横切ってしまうと、あとは一本道だった。それに、全般的にゆるい下りであるし楽だった。やがて植生も深くなってきて、背丈ほどの樹林の中を多少の水流と前後しながら歩くようなルートとなった。ずいぶんと長いこと歩いてくたびれたが、アップダウンがほとんどないこともあって、疲労がマヒしたような感覚になって、ただ機械的に足を出すような状態で歩いていった。キンポウゲやフウロなど、たくさんの花が咲いていた。
やがて、低い樹林帯を突然抜けて、開放的な空間に出た。目の前に黒部五郎小舎があった。11時45分。薬師峠のテン場から、コースタイムを30分程度しか縮めていないが、コースタイムは休憩時間を含まないので、今日の頻繁な休止と山頂での大休止を考慮すると、実質的に1時間程度は早く歩いてこれたかと思った。山頂からここまでは、桃井さんとの見立てどおり、本当に1時間強で来ることができた。ああ着いたな、やれやれと思った。本当に苦しい縦走だった。途中でのエスケープが不可能だから、歩ききるしかないという悲壮感があったが、ともかくもこれで、最悪はここに留まることができるのだという安心感でほっとした。けれども私はすでに、さらなるもくろみである三俣山荘へ進出することをすでに決めていた。
だから私は、小屋へ着くまでの間、小屋の向こう側に見えている急な登り坂に目がいって、仕方がなかった。黒部五郎岳の山頂からこの辺りを眺めた時も、その登り返しの高低差が大きなインパクトで見えていた。黒部五郎の山頂直下の急登と比肩する急登に見えていたのだ。ましてや今は長い下山を経てきて、登りで使う筋肉が冷えてしまっているだろうから、苦労するだろうと思った。それにしても、当初の計画では、この日に薬師をピストンしてからこの小屋まで歩くことを予定していたわけで、それこそ無茶なことだと思ってぞっとした。むろん、自分でもそれが分かっていたからこそ、昨日のうちに薬師を登ってしまいたかったわけである。
(黒部五郎小舎)
小屋の周りは平坦な草原だったから、とても開放的で、のどかであった。小屋の係りの人が外で大工仕事をしていた。昼食どきであるせいか、シチューと思しき、いい匂いがした。非常に食欲をそそられた。けれども食べ物は要らなかった。とにかく喉がからからだった。水ばかり飲んでいたから、もっと身体にぐっとくるような甘いもの、冷たいジュースがほしかった。
小屋の入口の外に、木をえぐって作られた水槽があり、そこにジュースが満たされて水が流し込まれていた。もう一つ、金属製の水槽にはビール類が冷やされていた。私はジュースの水槽の中からネクターを選んで、受付に持って行った。金を払い、スタンプもあったので押させてもらった。インクがすかすかでほとんど写らなかったのが残念だった。
私は、小屋の入口近くのベンチに腰掛けてネクターを飲んだ。とにかくうまいの一言だった。はじめの一口でむさぼるように飲んだ。それから行動食をいくらか口に入れた。こちらは相変わらず不味くて、むりやり押し込んだ。そのベンチからは、さっき抜けてきた浅い樹林の丘陵と、その向こうに黒部五郎の頭だけが見えた。手前が広い平坦な草原であるから、暑いけど、牧歌的で気持ちがよかった。体調が復活したことが何より嬉しかった。
ぼんやりとそちらの景色を見ながら、残り少なくなったネクターを飲んでいると、向こう側から、さっきの軽装の男性と桃井さんが連れ立って歩いてくるのが見えた。ネクターを飲み終わった頃に桃井さんが小屋に着いて、お疲れ様でしたと声をかけた。小屋の従業員の人に案内してもらったと言ったから、ああ、あの軽装は散歩だったのかと思い当たった。あの時間だと山頂までは行けないから、カールの底部を散策してきたのだろう。片道1時間もかかるが、きっと気持ちのいいものであったに違いない、羨ましいものだと思った。
桃井さんが、記念バッチを買わなきゃ、ここまで来て忘れたらたいへん、などと言って小屋へ向かった。私も同行して、飲み終わった空き缶を引き取ってもらった。そして外にある木製の水槽へ注がれている水のところへ行って、大工仕事をしていた係りの人に、これを汲んでもいいですかと尋ねた。どうぞと言ってくれて、カラになったボトルを満たさせてもらった。そこを離れた時に、小屋の中から大工へ向かってお昼ですよと声がかけられた。してみると、あのいい匂いのシチューは賄い食だったのかと羨ましい気がした。とてものどかな風景、登山者は私と桃井さんだけ。日中の比較的ひまな時間帯の山小屋で交わされる日常会話。なんだかとても幸せな気分だった。ここでテントをするのも、きっと素晴らしいに違いないと思った。
私はザックを背負った。依然重いが、まだ体力があった。桃井さんに、これから三俣へ向かいますと挨拶をした。彼女も、休憩してから向かうとのことだった。黒部五郎小舎は標高2,340メートルだから、黒部五郎岳からじつに500メートルも下ってきたことになる。ここからまた300ほど登り返すのだ。いったい今日はどれだけのアップダウンになるのだろうかと思った。この日のアップダウンの厳しさは計画時点から想定済だったが、実際に数値で考えると、累計1,000メートルは登り下りしていることになるのだから、いかにつらいものであるかを改めて知った。
急登はいきなり始まった。樹林の中に刻まれた登山道で、岩場と土とが入り交じった道だった。最初は思わず、うっ、としたが、少しして身体が登る態勢になってくると、足が上がるようになってきた。私はぐいぐい登った。ここへきて、ようやくまともに身体が動くことを実感した。それでもつらいことには変わりないのだが、休み休み、どんどん登っていった。樹林帯の直登は間もなく抜けて、視界の広い尾根に出た。右手には笠ヶ岳がよく見えた。尾根伝いに正面に立ちはだかっている山が三俣蓮華岳であった。
三俣蓮華岳手前の分岐点に到着したのは、小屋を出発してから1時間後のことだった。コースタイムは1時間40分だから、終盤でのこのペースは、じつに驚異的なものだと我ながら思った。この分岐点からは、三俣蓮華岳へ直登するルートと、ピークの北側を巻いて一直線に三俣山荘に向かうルートに分岐する。私は後者の計画だった。その道へ入る前に、少し休憩をした。
巻き道ルートはとても気持ちがよかった。等高線にほぼ沿って一直線につけられた道だから、身体的にも楽なはずだと思った。周囲はいくらかの白い岩石と雪渓を除いて、緑色の草原一色だった。そのグリーン地に、おびただしい高山植物が咲いていた。白いコバイケイソウ、コツマトリソウ、青いミヤマオダマキ、黄色のキンバイなどだ。そんな中をまっすぐに歩いていくのだった。
途中、三俣蓮華の雪渓から流れるいくつかの水流を横切るなどして順調にトラバースしていったが、そろそろくたびれた頃に、登り返しがきた。なんとなく身体が下に流れているような感覚の道だったから、いずれどこかで登り返しが来るのではないかという予感がかすかにあったのだが、現実に出現した登り返しは、思っていたよりも長くて、石がごろついた道だった。三俣山荘はもう目前のはずである。そのことを身体がいち早く期待して、休息を欲しているところへの登り返しだ。黒部五郎小舎直後の急登を、身体を強制的に目覚めさせてハイペースで登った後に、平坦なトラバースを経てきたのだから、再び容易には覚醒してくれなかった。ここはもう精神力の領域だった。あえぎあえぎ、登った。
登り切ると、目の前に鷲羽岳が大きく現れた。かっこよくて、見事とか言えない姿だった。その手前、眼下に、目指す三俣山荘があった。あとはあそこまで下るだけだと思った。そうして下り始めたすぐの所に雪渓があって、そこをトラバースするようになっていた。霧の状況を想定してか、赤いベンガラが撒かれていた。通過距離は50メートルほどでしかなかったし、危険を感じるような勾配でもなかった。私は、鷲羽岳を眼前に見ている興奮と、山荘が目の前であるという気の緩みをもって雪渓に足を踏み出した。キックステップでザクザク下りてやろうと思い、踵を雪に蹴り込んで重心を乗せたら、蹴り込みが甘かったのか、すべって転んだ。我ながら苦笑いをして立ち上がり、それから先は慎重に歩幅を縮めて歩いた。
雪渓を抜けると、ハイマツ帯の中を小川が流れていた。川(靴を入れても、ぺちゃぺちゃと水を踏む程度の浅いもの)の両側のハイマツ帯の中に、いくつか砂地の空き地が設けられていて、そこがテント場だった。すでにいくつかのテントが張られていた。小川沿いのテント場を抜けていって、ハイマツのトンネルを通り抜けたところが三俣山荘であった。蒼い空に、白い鷲羽岳が大きく聳えていた。遠く目を東に転じると、大天井岳から槍ヶ岳に至る表銀座の縦走路が見えたが、槍の穂先はあいにく雲に隠れていて見えなかった。
二階建ての山荘の一階の窓から、子供が身を乗り出していた。もう一人、別の子供の声も聞こえて、事前にネットで調べた時に、家族経営といった文句があったことを思い出した。テントの受付をして、スタンプを押させてもらった。水場の説明を受けると、通過してきたテン場にも蛇口があるとのことだったが、気が付かなかったので、山荘の入口にある蛇口で水を満たさせてもらった。
それからテント場に戻って設営地点を物色した。前夜は傾斜があって眠れなかったから、平坦な場所を選びたかった。そうして雪渓側の方へ戻っていくと、誰も張っていない一角があり、しめたと思ってハイマツの間を抜けたら、おびただしいごみが散乱していた。前客の残したものであるに違いなかったが、なんてやつらだと思った。こういう輩が山を汚し、登山を冒涜しているのだ。山荘を守っている家族に申し訳ないと思わないのかと思った。
幻滅してなお雪渓の方向に歩いていくと、今度はこじんまりとした無人の一角が見つかったので、そこに張ることにした。小川をはさんだ向こう側に、中年男性が一人くつろいでいたが、この距離なら気にならないと思った。ところで今朝、薬師峠を出発する際に言葉を交わしたKさんも、ここを目指すとのことだったから、着いていないだろうかと探してみたが、分からなかった。テントに潜り込んでいたら分からないだろうし、逆にこの後に彼が到着するようなら、テントに潜り込んだ私を見つけることは困難だろうと思った。
テントを張り終えると、よく晴れているので、小川の下、少し水量の多い沢へ下りて、そこで昨日と同じくインナーシャツと、さらに靴下と手拭いを洗濯した。テントはハイマツに囲まれていたから、洗濯物を干す場所には事欠かなかった。分厚い靴下だけは乾くかどうか心配だったが、かなり暑くて陽射しが強いので、大丈夫だろうと思った。他にも、湿っているわけではなかったが、シュラフも干しておいた。テン場のあちこちで天日干しが行われていた。今日はもう行動が終わって生活に移るのだという平和感が、気分よかった。
コーヒーを沸かして飲んだ。眼前に鷲羽岳の雄姿を見ながらのブレイクタイムである。鷲が羽を広げたような姿と形容される山容であるが、そんな形容はあまり意味を持たなかった。ただただ単純に美しかった。それを表現するのに鷲の形容をもってするのならばそれも良いし、要するに形容の方法は何でもよいのである。天を衝く絶頂と、そこへ続く、すうっとのびた尾根。明日はあそこへ登るのだ。今はただ、静かにこの山を眺めて美しさに浸るだけだ。このような贅沢はちょっと味わえるものではなかった。たいへんに幸福だった。
コーヒーを飲み終えると、陽射しを避けてテントの中で寝ころび、手帳に日記を記したり、明日のアタックザックを整理してルートの再設定をするなどした。当初の計画では黒部五郎小舎がテン泊地の予定であったから、朝のうちに三俣山荘まで進出してテントを設営し、鷲羽と水晶をピストンする予定であったが、すでにこの日のうちに三俣山荘まで進出できたので、明日はまずピストンから始まって、そのあとに双六小屋まで進出しようと思った。
そのうちに、小川をはさんだ向かいに、もう一人テントを張り始めたようだった。まもなく先客の男性と話を始めて、その会話が聞くとはなしにテントの中に聞こえてきた。その人も三俣山荘を目指すと言っていたけど無理だったのかもしれない、とかいう話が聞こえたので、まさかと思ってテントから頭をのぞかせてみると、はたしてKさんであった。ここのテン場はテントの設営地点が散在しているから、出会いにくい環境にあるのだが、奇遇にもお互いこんな近くにテントを張って、この広い山域でまた出会うことになろうとは。そして、異なるルートではあったが、お互いに今日はつらく長い行程を経てここまでたどり着いたのである。他人のようには思えなかった。
会話に聞き耳を立てていたようで気が悪いので、しばらくしてから外へ出て、干していた洗濯物をたたむなどしてKさんの方へ視線を向けてみた。彼方で彼もこちらに気づいた。そこで初めて、やあと声をかけた。小川のところまで歩み寄って、再会を喜ぶとともに、今日のルートを称え合った。私は、雲ノ平を経由してきた彼の方がアップダウンはきつかっただろうと思ったから、素直に彼の行動を称賛した。案の定、太郎平から薬師沢まで相当下ろされて、そこからの登り返しがきつかったとのことだった。明日の行程を話すと、彼は鷲羽と水晶には行ったことがあって、ピストンはすぐだよと教えてくれた。そして鷲羽へ登る際には、鷲羽池まで下りてみるといいと言われた。今回の計画日数は私と同じであり、本当に、ぴたりと好天に恵まれたものだと話し合った。彼は、明日は黒部五郎をピストンしてここでもう一泊し、翌日に笠ヶ岳山荘だということだった。それならば笠ヶ岳でもう一度会えるなと思った。
17時を過ぎてから夕食を作った。今度は湯沸かし効率を上げるために、少し多めに湯を沸かしておき、その間にカップで1食分のアルファ米を量り取って皿に移しておいた。湯が沸くと、空いたカップにフリーズドライのスープの素を入れて湯を注ぎ、残った湯の中へ、皿に移しておいた米を入れた。これで、ご飯ができる間にスープを飲むことができるわけだ。スープはオクラやモロヘイヤなど、私の好きな野菜の入ったものだった。これがとてもうまかった。あと簡単な副食物としてソーセージを食べた。そのうちにご飯ができたので、雑炊具材としてフリーズドライの牛とじ丼を投入して水を足し、少し煮沸させた。今回の行程で最もアップダウンのあるこの日に、フリーズドライの中で一番高カロリーのものを食べることは、予定していたことだった。
外では、Kさんが、今度は私の上部にいる先客と話をしているのが聞こえていた。気さくに会話する人だなあと羨ましかった。今度は私が三俣にいることを知っているから、自分は雲ノ平、こちらの方は黒部五郎から、などと話しているのが聞こえた。そうして互いを敬する気持ちこそ、登山者としての姿ではないかなどと、食べながらぼんやりと思った。
食べ終わると、トイレのため山荘へ行った。桃井さんもここへ着いているはずだと思ったが、姿を見かけなかった。相変わらず大天井岳がきれいに見えた。そこでテレビを映していたので天気予報を見ると、明後日から先の天候が崩れる見通しとのことであった。私は長いことをそれに見入った。明後日は双六小屋から笠ヶ岳を目指すのであるが、この予報だと、その次の下山日が雨になるであろう。下山日は、あわよくば鏡平からの眺望を得たいとひそかに思っていたから、雨ならばその野望は、かなわなくなる。また、荒天の中、標高の高い笠ヶ岳でテントをすることも気になった。
私はテントに戻ってしばらく地図をにらんだ。明日は双六まで行く、これはもう確実で、それ以下ではないし、それ以上もない。すでにその計画に基づく予定時刻を、計画表と地図に上書きした。問題はその次の四日目なのだ。荒天の笠ヶ岳、鏡平からの眺望…そうして地図をにらんでいる間に、ひとつのことを思いついた。私は自分で思いついていながら、まさかと思った。はたしてそんなことができるのだろうかと。そしてその前提で地図をじっと眺めた。だがその思考は、外でKさんが誰かと夕日について話す声で中断された。
アーベントロートは私が望んでいた景色のひとつである。今日は快晴だから、もしかしたら鷲羽でそれを拝めるかもしれない、そう期待して外に出てみた。太陽が隠れてしまっているから、ひんやりとしていた。鷲羽岳が、ゆっくりと薄い紫色に染まっていった。その姿を写真に収めたが、期待していたような赤いアーベンにはならなかった。周りを囲む山々との位置関係から、美しいアーベンをもたらす角度の夕陽は、鷲羽岳には射さないのではないかと思うような日没だった。季節が変わって太陽の角度が違えば別かもしれないが、私はすんなりと諦めた。Kさんが残念がっているのが聞こえた。昨日は疲れて眠ってしまっていたが、星を撮りたいとも話していた。それを耳にして、なるほど星かと思った。それは考えてもいなかった。昨夜こわごわと用を足したときに、見上げてみればよかったと思った。
19時だった。暗くなるので寝ようと思った。その前に歯みがきをしに山荘へ行った。歯みがきをしていると、Kさんがやってきた。鏡を見て、焼けてるなあと彼がつぶやいたが、果たして私もだいぶ顔が日焼けしていた。そこでもう一度、今後の行程の話になった。笠ヶ岳のことを聞くと、前回鷲羽に行った時は大雨だったから、明日黒部五郎をピストンした後、明後日は鷲羽へ行って双六へ行くことを考えている、笠ヶ岳は新穂高からピストンできるから、今回は諦めてもよいと思っているとのことであった。そこで私は、考えていたルートについて話してみた。明日は鷲羽と水晶をピストンして双六に行くが、翌日、双六から笠ヶ岳を「ピストン」することを考え始めていると。
それを聞いてAさんはびっくりして、驚きのあまり、そんな発想、普通はないですねと笑った。でも、もしもそれができるならば、最終日は鏡平で逆さ槍を見て、わさび平でトマトを食べて下りられると、突飛ではあったができなくはないその考えに賛同してくれた。逆さ槍とトマトは、それこそ私が考えていた笠ヶ岳ピストンプランの主眼であったから、その点にすぐさま気づいてくれたのはさすがだと思った。加えて、笠ヶ岳山荘は水が少なかったのではという点と笠新道がきついと思われる懸念点について、私が言う前に指摘してくれた。もしもそうしたら、明後日の夜、笠ヶ岳をピストンした後に双六小屋で再会できるだろうと思った。一緒にもう一度天気予報を見たが、いつ頃から天候が崩れるのか、それ次第だと思った。Kさんとはここで別れて、先にテントに戻った。前夜の睡眠不足と疲労のため、すぐに眠ってしまった。
なぜか、やたらと眩しくて目が覚めた。時計を見ると21時だった。おそろしく寒かった。私はそこで、Kさんが言っていた星空のことを思い出して、小便ついでに星を見てやろうと思い、外に出た。外は満月であった。眩しさはこのせいだと分かった。鷲羽岳が満月に照らされているのが、夜目にもはっきりと見ることができた。雲ひとつない空に、星が無数に輝いていた。風がけっこうあって、静止していられないほどの寒さだった。小用を終えると、凍えきって足早にテントに戻った。素早くシュラフに足を突っ込んで、上半身だけをテントから出して、カメラを上空に向けて星空を撮影してみた。いくつか撮影モードを変えて撮ってみたが、なかなか思うようには写らなかった。まあそれは初めからあまり期待していなかったので、特に後悔はなかった。もう一度空を見上げて、満点の星空というものをしばらく目に焼き付けた。その映像はいつか記憶から消えてしまうだろうけど、ここで見た星空に感動したことは忘れないのではないかと思った。
平坦であるし静かなのでよく寝付けたが、夜半、風の轟音で何度か目が覚めた。時折、ばらばらと雨がテントを叩く音も聞こえた。それだけでなく、たいへんに寒かった。シュラフの中でダウンを着たが、また寒くて目が覚めた。日中の熱が放射されていくにつれて、気温もどんどん低下していくのだった。最終的には、冬のようにシュラフを頭までかぶって、レインウェアをひっかけて丸くなって眠った。