表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
北アルプス奥地 縦走紀行~2016年8月~  作者: たかの りつと
3/10

3.薬師岳

 私は手早くテントを張った。薬師岳には、ピストン用に持ってきた、アタックザックで向かうことにしていた。ザックには、雨具、行動食、水、貴重品、地図、カメラなどを詰めた。あとはストックを持って、ほかはテント内にデポして軽荷になった。密室で熱せられる食糧が少し心配だったが、食材はフリーズドライが中心で、他にいたむものといえば、せいぜい行動食だろうから、そのまま放置した。それから、ここまでハイクアップで汗をかく想定で半袖でいたが、これから日射がきつくなるので、長袖のシャツに着替えた。この服はメリノウール素材で、汗が乾きやすく、炎天下でも暑すぎないことを前年の表銀座で実証済だった。

 出発前に、テン場から少し離れたトイレに寄った。そこは、コル状のテン場から、さらに北側へ、藪を分けて切られた道の先にあった。藪の入口が少し陰気で、そこから下り坂だし、どこからか水が流れていた道だったから、あまり行きたくない一角だった。

 水場も同じ場所にあって、たいへん豊富な水量だった。水圧もすごく、ホースのいくつかの穴から脈動して水が吹き出していた。少し触れてみると、たいへんに冷たい水だったので、太郎平で汲んだ水を全部、入れ直した。400ミリリットルのボトルは一瞬でいっぱいになった。飲んでみると、胃にしみわたる冷たさ!夢中でごくごく飲んで、減った分をまた補充した。水量があまりに豊富で、あたりが水びたしになっているほどだった。

 トイレは、足踏みポンプがこわれていて、バケツの水を使って流さねばならなかったが、バイオトイレで、くさくないし、きれいだった。北アルプスでいちばんきれいなトイレを目指してますと貼り紙がされていたが、本当にそれくらいきれいだったと思う。

 休憩と準備を終えたので、出発だ。真っ青な空のもと、気持ちがはやっている。折立からコースタイム5時間の登りを、2時間近く早めることができた。次は薬師岳まで、往復のコースタイムは同じ5時間である。高山域で酸素が薄くなるし、疲労もあって、今度は厳しい行程になるだろう。だが競技をしているわけではないから、急がずとも、コースタイム通りに歩けられれば、問題はないのだ。

 テン場はコルにあるので、薬師岳への道は登り坂から始まった。樹林の中で、道というか岩場で、その下に水が流れていた。軽装になったにもかかわらず、その登り始めで早くも疲労を感じた。これまでのよく整備された木道とは、うってかわっての、急な岩伝いの沢道である。ストックの使い方に注意しながら、ひとつひとつ岩石を踏み登っていった。ごろごろとした不安定な岩石を乗り越えていくわけだし、これまでとは明らかに、足を高く上げることになったことが、疲労を加速させた。また、両側を深い樹林帯に挟まれて沢音の高い中を、独りで登っていくのはこわかった。

 長く感じた急な沢は、実際のところ、20分ほどで登りきった。恐怖心が、登るペースにも少なからず影響していただろうから、怖くて急いだのかもしれない。

 視界が開けて、台地上の広場が現れた。薬師平だ。そこで、今回の旅で初めて、ハクサンイチゲを見た。木道が一部設置されていて、その他にも高山植物がたくさん咲いていた。特に南側の視界がよく、おそらくは黒部五郎岳だと思うが、円周の反対側の山々が見えた。おそらくと言ったのは、その頃から雲が出始めたせいで、山の一部が隠されて、山容が定かではなかったためだ。

 薬師平を通過すると、再び登り坂が始まった。今度は沢ではなくちゃんとした道だった。そして、道など問題でないほど、薬師岳の東南稜の堂々とした美しい姿が正面に出現した。そして登山道の周囲には、ハクサンイチゲやミヤマダイコンソウが、ところ狭しと一面の群落をなしているのだった。周囲の緑色の草原に、白と黄色の花々が咲き乱れ、遠く頭上には緑と白のコントラストの美しい稜線、そして頭上は真っ青な空。空の色は、ある高度を過ぎると青色ではなくなり、群青色と言うべきか、濃い蒼色を見せるのだ。そう、登山家たちは皆、この蒼さに魅かれて山を目指すのではないかと私は思う。あまりに美しすぎる景観だった。


挿絵(By みてみん)


 私はそんな美しい景観の中を、一歩一歩、確かめるように登った。標高はすでに2,500メートルを超え、また、朝からのハードな行動に苦しめられている。もはや高い木などなく、くっきりと稜線が見えているが、美しさの反面、まだまだはるかに遠いことを実感するのは苦しかった。

 ようやく主稜線に上がったが、そこから先、まだ200メートル以上の標高差を克服しなければならなかった。ただ、主稜線に上がったことで、左の富山側の光景を目にすることができたのは気分を一新させた。そこは雲海だった。約300メートル下方に、雲海が広がっていたのだ。その下に富山市があるはずだった。だから今日、富山市の天候は、予報通り曇りなのだと思って、はっとした。雲上の天候は必ずしも下界と同じではない。そのことを、私は快晴の空の下で、いかに幸運に恵まれたことかと感じ、ただ感謝でいっぱいだった。

 薬師岳までの道すがら、他に見かける登山者は、かなり少なかった。テン場を出発した直後は、下ってくる人を何人か見かけたものの、薬師平を過ぎてからは、めっきり減っていたのだ。それもそのはずで、この時間帯にすれ違った下山者は、余裕をもって薬師峠でテントを張るか太郎平小屋で宿営ができるわけであるが、いま私が挑んでいる行程だと、コースタイム上の行動時間は、山の常識である16時を回ってしまう。こんな時間から薬師岳を目指すのは無茶なのかもしれなかった。

 左手の富山市側に雲海を見ると同時に、頭上に薬師岳山荘が見えた。まずはあそこまで、と思い、ザレた斜面をあえぎあえぎ登った。山荘は立派だった。警備の人だろうか、ヘルメットをかぶった人が小屋前でロープを整理していて、その人と挨拶を交わしたこと、それだけで元気になった。そんなにも精神的につらい登りだったのだと思う。


挿絵(By みてみん)

(薬師岳山荘。薬師岳の本峰は左奥のピークだ)


挿絵(By みてみん)

(左手に雲海を見ながら登る)


 だが本当に苦しいのはこの先だった。緑色がまったくない、ザレた白いピークが、青一色の空の手前で、壁のように目の前に立ちはだかっていた。それはピークでなく東南稜との分岐点なのだが、急すぎてその先が見えないから、まるでピークのように見えたのだった。折立の登山道から、そして薬師平から望んでいた、白い頂上部に近づいているのだった。

 私はほんの少しだけ休憩すると、そのザレた斜面に踏み出した。見た目以上にザレていて、ザレた砂地に足を吸われてしまう箇所もあった。そんなところでは、そのまま足場が流れてバランスを崩してしまうこともあって、重心が定まらないのがたいへんな疲労だった。そうかと思うと大きめの石もあり、足の置場次第でその次のステップが変わってしまうという心理が、余計に疲労になった。ストックで身体を支えながら登った。急だから、道はジグザグにつけられていた。

 そうして格段にペースが落ちているのに、それでも、たった5歩、歩くだけで、息がぜいぜいした。薬師岳山荘は標高2,700メートルだから、そこを越えた今、酸素が相当薄いばずだった。なおかつ初日であるし、今朝下界から登ってきたばかりだから、身体が高山に適応していないのだ。数歩歩いては動けなくなって、ストックにもたれかかっては激しく呼吸をした。本当につらかった。2,926メートルの山頂まで、あと200メートルも、ここを登らなくてはならない。上に何人か登山者が登っていたが、いっこうに距離が縮まらなかった。

 そうしてもがいている間に、左手の雲海から、ガスが徐々に上がってきつつあった。山頂はほとんど目前にせまっているのだから、どうせなら晴れた山頂を踏みたいと思った。最初は展望など諦めていたのだが、山上でこれほどの天候に恵まれて、最後までこのまま好天が続いてほしいと欲が出たのだ。なのに一向に進めない。がんばって足を上げるのだが呼吸がついてこない。しかも時々、ザレた路面に足を吸われるのだ。

 それでも着実に高度は上がってきていた。薬師岳山荘がかなり下方に見えた。すると、一人の登山者がこの斜面に取りつこうとしているのが見えた。上方にいる二人の登山者に追いつけないどころか、自分が追いつかれるのではないかと思うほど、この時の登高は遅々としていた。

 急斜面の終端にたどり着いたのは、薬師岳山荘を出てからおよそ30分後のことだった。ちょうどそこで、前方の登山者に追いついた。自分よりやや年上と思われる、夫婦の登山者だった。そこが東南稜との分岐だった。人一人がうずくまれる程度の岩屋と、ケルンがあった。地図では避難小屋とあったが、要は岩屋だった。ここが愛知大学の山岳部の運命を分けた場所なのだと思うと、感慨があった。地形図で見ても、誤って東南稜に迷いこみそうな地形であることがすぐに分かった。そしてこれから薬師岳をピストンした帰りに万一霧にまかれたら、このケルンなどの目印を右に行くのだと言い聞かせた。そうして私は、ケルンのあたりに座りこんだ。

 そこから、薬師岳の山頂が見えた。ここからはもう高低差はあまりない。ガスもまだ大丈夫そうだ。そう思うと、ほっとして早く歩き出したかったが、身体が言うことをきかなかった。非常に喉が渇いた。薬師峠で給水した水はまだ残っていたが、すぐにバテそうな気がして、必要以上には飲まなかった。

 腰を上げた時、同じく休憩していた夫婦が、前後して出発した。私はそのあとに続いた。多少岩のある尾根だったが、アップダウンがあまりないから、特に苦もなく山頂に到着した。小高いその部分だけ、大きな石がごろごろと積み重なっていた。

 私は浮石の上を注意して歩きながら、真っ先に薬師岳の山頂標識に手を触れた。左手の雲はもう目前に迫っていたが、かろうじて、青空のもとで登頂を果たしたのだった!

 標識のあたりで先の夫婦が写真を撮り出した。彼らが記念撮影を終えるまで、なかなかいいアングルが狙えなかったが、とりあえず山頂の写真を撮った。本当にいい天気でよかったですね、と話しかけると、少し会話が続いた。彼らの写真を撮ってあげて、また私も撮ってもらった。


挿絵(By みてみん)

(薬師岳山頂)


 ひと通り写真を撮ると、標識から少し離れて腰を下ろした。南には鷲羽岳が見えるはずだったが、雲で、どれがどれなのか分からなかった。北の立山も見えていたが、雲で一部が隠れていた。剱岳はまったく見えなかった。唯一、大きな谷を隔てて東の正面にある赤牛岳の展望がよかった。本当に赤い山だった。

 標識の北側に、石でしっかり土台が築かれた祠があった。行動食を口に押し込みながら景色を楽しんだあと、その祠をよく見てみようと思った。その頃には後方から来た登山者も到着していて、記念撮影をしていたから、浮石の中から少ない足場を選んで歩くのに、さらに注意を要した。

 祠は木枠のガラス戸で閉ざされていた。ガラス越しに覗いてみたが、暗くてよく分からなかった。きっと薬師如来の祠であるに違いないから、おそらく仏像が納められているのだろうと思った。祠の外部には小さな鐘が吊り下げられていて、下にいくつかの木片が置いてあったので、それを使って軽く鐘を鳴らした。もう少し勢いよくやりたかったが、他の人に遠慮した。先客を含めて数人が山頂を楽しんでいたのだった。

 さてそろそろ下りようかと思ったとき、三角点を見ていないことに気づいた。よく気づいたものだと思う。ここにきて三角点を見逃したとあっては、まぬけも甚だしい。

 私は鐘の位置から祠の北側へ回ってみたが、何もなかった。標識の周りを見ても、ない。よくよく探してみると、祠の土台の東側に寄った位置にあった。私が腰を下ろして赤牛岳を見ていた場所の真後ろだ。土台が目立って、気がつかなかったのだろう。

 私は三角点を写真におさめ、また、ちょうどその頃に、標識や祠の周囲に人がいなくなったので、再び、山頂の風景や自らもフレームに入れた写真などを、ゆっくりと撮った。そうしていよいよ下山にかかった。

 下山は早かった。まずは、かつて大遭難が起きた東南稜との分岐点に確実に到達し、そこから右方向の尾根へ、ザレた急斜面をジグザグに下ることになった。ザレた斜面は、まともに身体を保持しようとするとたいへんだが、多少流れるのに身を任せてしまえば、自重が適度に拡散されて都合がよい。山頂で先着していた方々はすでに下山にかかっていたが、私はその急斜面で全員を追い越してしまった。あんなに遠かった苦しい登り。山荘から山頂まで45分を要したが、同じ距離をわずか20分で下山してしまった。

 薬師岳山荘に到着したのは15時だった。とにかく疲労を感じていたので、下りてくる間、ジュースを買おうと楽しみにしてきた。中に入ると、3名ほどの中年の女性客が宿泊の受付をしていて窓口がふさがっていた。しばらくその後ろで待っていると、話が長くなりそうだと感じた山小屋の人が、気を利かせて話を中断し、私の注文を聞いてくれた。そこでリンゴジュースを購入し、山小屋のベンチで空けて飲んだ。ペットボトルのジュースだったので普通はそれほど冷えないものだが、いただいたジュースはたいへんに冷えていて、とにかく美味しかった。私は夢中になって飲んだ。身体が糖分を欲していた。

 そうして休憩している間に、追い越してきた人たちが下山してきた。彼らも、私が座っている長ベンチに腰を下ろしたので、そこで自然と会話が生じた。皆、口々に、登りはつらかったが下りは早かったと笑って言っていた。

 すでに15時だし、薬師峠のテン場を出発して以来、見覚えのある人がいなかったから、この後どうされるんですかと何人かに聞いてみた。すると皆さんは、ここの薬師岳山荘に宿泊するとのことだった。ここにはテン場がないため、テント泊を目的としている私にとっては宿泊対象地にならなかったのだが、位置的に、まことに好都合な場所である。相当疲労している今、ここで、今日の行程を終えられたらどんなに楽だろうか。

 私が彼らの行程について質問したためか、そのうちのどなたかが、私に対しても同じ質問を尋ねてきた。私は、薬師峠にテントを張っているので、そこまで戻るのだと答えた。するとその方は続けて、そのあとはどうするの、と聞いてこられた。私は、黒部五郎と鷲羽・水晶に行き、可能ならばさらに笠も行きたいと思っているのだと話すと、皆さんたいへんに驚かれた。さすがに薬師岳に来るだけあって、このエリアの経験者が多く、鷲羽には行ったことがあるよとか、いろいろと話がはずんだ。中でも、あの急なザレ場でなかなか追いつけなかったご夫婦の、奥さんの方が興味を示してくれて、予定行程について細かく知りたがった。

 5日間もの日数をかけて長大な縦走をするということは、誰にとっても魅力的なものであるに違いない。そんな魅力的な計画を話すことは、ともすると自慢話のように受け止められかねない。山の場数ではきっと彼らの方が大先輩であるから、自慢げに受け止められないよう、控えめに話した。登山者にとって、計画や山歴を誇らしげに話されるのは、不愉快なものだ。仮にその奥さんが良しとしても、他の方もいるわけだし、登山のマナーとして、自分の山行を語るには一定の謙虚さが必要だと思う。だいいち今回の計画は、今朝出発したばかりで、まだ1日分も消化していないのだ。

 さて、ジュースを飲み終えて会話も落ち着くと、私はここで宿泊する皆さんに挨拶をして、立ち上がった。飲み終えたペットボトルは山荘の受付で引き取ってくれた。その際に、山荘の記念スタンプを押させてもらった。とても良いスタンプだった。

 山荘から先は孤独な下山となった。まだ明るいが、通常はもはや行動を終えるべき時間帯だし、ひとけのないエリアは、クマもこわかった。山荘から下って主稜線が南に折れるあたりで振り返って、薬師岳を最後に仰いだ。心配していた雲の上昇はもう落ち着いたようで、すっきりとした青空の下に、白い、優美な山容が鎮座していた。今日はこれが見納めとなるはずだった。私は最後に写真を撮って、これで本当にテン場を目指した。

 薬師平を抜けて、沢に来た。岩場の沢の下りである。濡れているし神経を使った。視界の悪い沢はこわかったが、足場に集中して下っている間に(疲労のあまり、ともすれば集中力は途切れがちであったが)、沢は終わって、テン場にたどり着いた。

 先ほど休憩した薬師岳山荘からテン場までは40分。16時に到着した。往復5時間のところを3時間半でピストンしたのだ。ただこの時は、そんな時間のことなどまったく気にならなかった。今日の行動を終えることができて、あとはもう休めるのだという気持ちで、とにかくいっぱいだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ