2.北アルプスの稜線へ
七月十八日(月・海の日)【一日日】
五時過ぎにまた目が覚めた。カーテンの隙間から、外が明くなっているのを感じた。少しでも眠っておきたくて目を閉じたが、光を見てしまうと、もう眠れなかった。
やがて高岡あたりを過ぎると、最初の降車が始まるアナウンスが流れたので、眠ろうとすることは諦めた。富山市内に入り、市内各所の降車場を経ていくうちに、少しずつ乗客が降りていった。私の降りる富山駅が終点だ。すぐ後列の人は、少し手前で降りた。試しに座席バーを全開にして思い切り倒してみると、ちょうどよい角度になった。その位置まで倒せていたら、きっと、もっと眠れたに違いない。
定刻である5時52分より少しだけ早く、バスは富山駅に到着した。降りた人の中には登山ザックを背負っている人が数名いた。
富山駅は、前年の九月、立山から下山した際にバスを乗り換えた場所だ。だから、それなりに勝手は分かっていた。次の折立行バスの出発場は二番乗場だ。そこへ着くとすでにザックがひとつデポしてあった。折立行バスは予約こそしてあったが指定席ではない。立ち席になっては困るから、私もすぐに、その隣にザックをデポした。
乗換には30分の余裕があった。昨年までの時刻表だと8分しか余裕がなかったのだが、富山到着が遅延するリスクを考えると、この時間的な余裕の増加は有難かった。その分、登山開始時刻は遅れるわけだが、バスに間に合わなかった場合、予備の交通手段であるアルペンルートを経由すると2時間も遅れてしまうので、この時刻表改正は、総合的に見てプラスだったわけだ。
その時間を利用してゆっくりと大便をし、持参してきたおにぎりと、ここで調達した栄養ドリンクとで朝食を済ませた。「富山駅の名水」という水飲み場があったので、給水は折立で行なう予定だったが、手持ちの水筒の分だけここで給水をした(これが本日の行程においてたいへんな助けとなる)。
乗場に帰ってくると、20名近くの行列となっていた。高速バスで見かけた人も何人かいた。やはり折立行は人気なのだ、予約ができてよかった、そう思った。だが、間もなくやってきた折立行バスに乗り込んだのは、わずか5名ほどであった。ほとんどの人が、次の室堂行直通バスを待っていたのだとその時初めて分かった。折立に向かう場合、基本的に縦走主体の厳しい行程になる。そんな折立を目指す人は少なかったのだ。
バスは、運転手と乗務員の二名での運行だった。乗車時に予約番号を伝えて金を払った。運転手がベテランで、乗務員は入社間もない若者だった。
昨年は逆に室堂から直通バスで富山に帰ってきたので、その時の大型バスのイメージが強かったが、折立行はわずかに30名ほどしか乗車できないと思われる、路線バスと同規模のバスだった。乗客が少ないし、そもそもトランクがあるのかどうか分からなかったが、ザックは車内に持っていくようにということだった。客が少ないから、荷物と合わせて4席分(2列分)を使って座ったが、車内は狭く、満席時だとどうなっていたことかと想像すると、心寒かった(前年、甲斐駒・仙丈の登山時、伊那から北沢峠行のバスに乗車したが、それが今回と同じような大きさのバスだった。一時間弱、重ザックを膝に乗せて抱えたままの固定姿勢はつらかった。さらに帰路では周囲の体臭も気になって、なかなか過酷であった)。
バスが動き出すと天候が気になった。富山市中の早朝は、うっすらとした薄曇りだった。これから山間部へ入っていくにつれてどう変化していくか、不安だった。やがて一時間ほどで、あるぺん村というドライブインで休憩となった。ここは、前年の立山登山の際にも休憩地となった施設だったから、よく知っていた。そこから望む立山方面は薄い雲がかかっていたが、前年の往路の時は、もっとどんよりした黒い雲で、たしかこの地点ですでに降水していたはずだったから、それに比べれば天気はましだと思った。なお、その天気の印象は、あくまで下界におけるものだ。雲の高度が高ければ、山上において、前年は快晴だったが今回は雨という、逆転現象もあり得るわけである。
そこからまたしばらくの間は、見覚えのある景色の中を走っていったが、常願寺川が渓谷に近くなる頃、有峰口の分岐から道を分かれた。その先、冬季は閉鎖される有峰林道だ。バスは狭路を進んでいった。トンネルがいくつもあり、道の拡張工事が随所で行われていた。本当に、登山者にとって有難い道だと思いながら景色を見ていた。山間部に入っても雲は増えず、むしろ陽が強まって空が青くなっていった。バスの窓を開けていると、気持ちがよかった。夜行バスでほとんど眠れていないことは、まったく忘れた。
やがて、真っ青な有峰湖がちらっと視界に映った。美しい湖だった。車で折立に来る人はきっとここで足を停めるだろう、そう思ったとき、バスがおもむろに脇のスペースに向かって速度を落とした。壮年の運転手が若い乗務員に何やら言ったが、乗務員は要領を得ないようだった。そこで停車すると、運転手がみずから立ち上がって、今日は時間に余裕があるからここで少し停車しますと告げた。そこは路傍の展望台だった。
運転手のはからいに感謝した。すっきりと晴れた空と真っ青な湖水に、周囲の山の緑がよく映えていた。日本のダム湖百選という標識があった。眼下にダム湖があって、ただ単純に美しかった。10分程度だったと思うが、そろそろ行きましょうかと運転手が言うまで、少ない乗客たちはしばしこの美しい景観を楽しんだ。そういえば、この路線の終点・折立は、登山口以外に何もない場所だ。乗客全員が登山者、しかも立山ではなく折立から入山するという、上級者ばかりの路線だ。ベテランの運転手は、登山者のことをよく理解してくれているのだと感じた。
(有峰湖)
有峰湖を過ぎてすぐに、立派なビジターセンターを通過した。もうすぐ折立だと思ったが、まだしばらく、険しい道を走った。そうして、富山駅から約2時間後、折立に到着した。ここまで運んでくれた運転手に感謝した。
折立は、山あいにぽかんと空けられた、といった雰囲気の小盆地だった。道はせまかったが、設けられた駐車場にはいっぱい車が駐まっていた。広い芝生のキャンプ場があり、テントが一張ぽつんと張られていた。トイレと炊事場らしき建物があった。
広い空間はそこだけだった。すぐ脇に登山口の標識があり、そちらへ行くと樹林帯の中に管理棟があった。ここで給水する予定だったので、管理棟横の水場で、2リットルの水を汲んだ。ただ、そこには、生水を飲まないように、との注意書きがあった。生水とはこの水場の水を指しているのか分からないが、地図には水マークがある。不安になって、そこで準備をしていた人に、ここの水は飲めるんですかと聞いてみたが、ろくに目も合わさずに、そっけなく、分からないと言われてしまったので、私もそれ以上聞く気がなくなった。
結局のところ、ここ以外に水場はないから、汲まざるをえなかった。幸いに、最初に口をつける分、400ミリリットルの水筒には、富山駅で汲んだ「名水」がある。ここから1,000メートルも標高を上げるハイクアップとなるが、はじめのうちは安心して飲める。実に、少しでも汲んでおいてよかったと思った。
三々五々、下山してくる人々がいた。彼らはほぼ複数人の登山パーティーだった。下山に歓声をあげて、まず自販機に向かっていた。ここには温泉がないから、喉を潤して下山を喜ぶのだ。私も何日か後には同じ気持ちで下山することになるだろう、そんなことを思った。
時刻は八時半だった。トイレと給水を終え、無人の管理棟の掲示板に変わった情報がないことを確かめると、靴ひもを固くし、ストックを取り出してザックを背負った。管理棟には、登山届は、ここではなく、登り切ったところの太郎平小屋で提出するようにと貼紙がされていた。このことも調査済であった。
ここから先、太郎平小屋まで、コースタイム5時間もの登りである。前日までの雨のためか、路面はぬかるんでいて、また樹林帯であるために湿気がこもり、暑く、歩きにくかった。すぐに汗が出始めた。長丁場の登りであるし、その後の長い行程もあるから、最初のうちは堅実に休憩をとっていこうと考えた。10分後に最初の休憩をして、次は20分後、それ以降は30分間隔で、といった具合で休憩を取っていくのだ。
登り始めのうちは元気があるから、しっかり時計を見て、その間隔通りに休憩を取っていった。休憩時に飲む水は、いつも使う粉末アクエリアスを使わずに、水のまま飲んだ。そうすると逆に喉が渇くことは分かっていたが、なぜそうしたのか、はっきり覚えていない。アクエリアスの甘ったるい口当たりと口中の不快さを長丁場で引きずりたくないという理由だったかと思う。粉末を加える手間の面倒さもあっただろう。
引き続き下山してくる人が多かった。今日は三連休の最終日だから、初日に折立から入山して三日あれば、薬師岳には容易に登れるし、黒部五郎や雲ノ平も範疇に入ってくるわけだ。彼らにとってみれば、滑りやすい長い下りだ。道を譲ったり譲られたりしながら、登っていった。もちろん、同じく登りの人もいるから、追い越したりもした。
いつもそうであるが、登っている間は足元を見ている。次はどこに足を置こうかということだ。それ以外は何も考えていないはずだが、時々、くだらない仕事のことを思い出したりする。考えないようにしようと思いつけば、強制的に考えることをやめることもできるが、気が付くと、また思い返してしまっていることがある。ただ、それはあくまで一時的なものだ。やはり、概ね足元のことを考えている。次の行程にいくつか条件がついている場合は、それに応じてどう行動しようかと選択肢を悩んだりすることがあるが、今はまず太郎平小屋に達することが目標だから、それ以外に考えることはない。
あとは、音楽だ。なぜその曲を思い出すのか分からないが、知らないうちに必ず何かしらの曲が頭に浮かんできて、その日はずっとその曲が頭の中で流れている。この日は何が流れていただろうか…今はもう記憶にない。
そうして登っていると、一時間の登りなどあっという間である。ネットで事前に見ていたアラレちゃんの看板が現れた。へたくそな絵で、薬師岳を大切にしましょうといったたぐいの看板だったかと思う。内容はともかく、この印象的な看板はひとつのタイム標識だった。これが出てくれば、1870の三角点はもうすぐ、というのが事前の調査であった。依然、樹林帯の下で暑い。だが、まだまだ初めのうちだし元気だ。
もうすぐ、という曖昧な表現には客観性がない。アラレちゃんの看板の位置は地図上に示されていないし、急登エリアでは高度計もあまりあてにならないから、地図で客観的に推測することはできない。だからただ主観的な期待だけで、あと5~10分程度で1870の三角点だろうと思った。それがなかなか着かなかったのが少々つらかった。それも、視界のない樹林帯での登りは、実際よりも距離を長く感じてしまうのではないだろうか。それでもまだ元気だから、ちらほらと見え始めた高山植物に目をやりながら、登った。
そうして20分ほど歩くと視界が開けた。いや単に、そこだけ頭上の樹木がなかっただけだ。目の前をガスが流れていた。こぶ状の地形に三角点があり、いくつかあるベンチで数人が休憩をしていた。こぶの部分だけ樹木が除かれているようだったが、周囲の植物はいつの間にか背丈の高いものがなくなっていた。森林限界が近いことを思わせる三角点だった。
私もそこで5分ほど休憩をとった。折立から1時間半だ。コースタイムでは2時間となっているから早い。登りでタイムを縮められることは想定済であったが、登山計画上はコースタイム通りで組んでいる。
タイムを縮めることができた場合の計画も別にあって、実を言えばそちらの方が本当の計画であると言えなくもない。ただ、体調やアクシデントで思うように歩けない可能性もあるから、早く歩く想定で計画を組むことは避けている。特に初日は京都からの交通事情による遅れもリスク要因だったから、堅実な計画をしていたのだ。
そのひそかなもくろみとは、一日目に薬師岳をピストンしてしまうというものだ。正式な計画上は、この日は稜線まで上がることを目的としていて、薬師峠のテント場に至ることが目標ゴールである。薬師岳には、次の日にピストンする計画だった。しかし、もし薬師岳のピストンを一日目にできれば、最もハードだと考えていた翌二日目の行程がたいへん楽なものとなるのだ。ただこの時点では、そのもくろみを単に念頭に置いているに過ぎない。この日のうちに薬師岳を目指すかどうかは、テント場に着いた時点で判断する予定だった。
休憩中、誰かが、珍しい野鳥がいると言って写真を撮り出した。私はちょうど、昼食用として持ってきた2つのおにぎりのうち1つを食べていた。その方向を見てみたが、よく分からなかった。
1870を過ぎると、ニッコウキスゲが見え始めた。ニッコウキスゲは、いつか見てみたいと願っていた花だったから、私は歓喜した。近畿では伊吹山がその群生地として名高いが、これまで目にする機会に恵まれなかった。
ニッコウキスゲはあちこちで見ることができた。登っていくにつれて低木も次第にその数を減らし、草原が目立つようになると、ニッコウキスゲもいよいよ多くなった。標高の高い位置に咲いているものほど、その姿は美しかった。また同時に、ガスもなくなっていった。雲を抜けたのだ。上空は青空だった!薬師岳につながる山々の姿も左手に見えるようになった。
登山道はよく整備されていた。道の両端に細い丸太が置かれていて登山道の境界が示され、道には石畳や木道が敷かれていた。低木がなくなって日光が降り注ぐようになっていったが、風が心地よく、半袖のまま登っていった。そのうちに右側の低木がいよいよ薄くなって、眼下に有峰湖を望むことができた。
薬師岳の山頂は、雲に遮られていて、当初、登山道からその姿を望むことはできなかった。まったく晴れ上がった今でも、わずかの雲に遮られて見えないのはなんとも残念だった。代わりに、登山道周辺の高山植物に目をやりながら歩いた。青いものがほとんどであるタテヤマリンドウの、白色のものを見た。極めて貴重なものだと思ったから、たいへん嬉しかった。その他、これまで見たことのある花々がいくつも咲いていた。そうして間もなく、右手にニッコウキスゲの群落を見た。下方に広がる草の斜面にニッコウキスゲがたくさん咲いていて、そのはるか下に、青々とした有峰湖の湖面が見えたのであった。雲が、私の位置よりわずかに下にあって、そこはまさに天上の花園と呼ぶべき場所だった。私はそこへ座って、しばらく休んだ。
そこからほとんど時をおかずして、左手の視界を遮っていた雲が流れ去った。そこで私は初めて薬師岳の姿を目にしたのだった。
私は、今回の計画立案にあたって、折立方面から見る薬師岳の写真を事前に確認していなかった。だから私は、その姿を見ただけでそれが薬師岳だと判断できるはずがなかった。それなのに、私はその山を見て、薬師岳だと心の中で叫んだ。そう思わずにはいられない美しさだった。これを置いて、ほかのどの山が薬師岳だと言うのだろうか。視界に映る山の中でひときわ高く、その上部が薄く灰白色となって、すそ野の緑と上空の青とが見事に調和しながら、その美しさを際立たせている。“薬師”というからには信仰の山であるはずだ。それほどの山が、この山でなくて何だろうか…。
(約2時間以上の登りを経て、ついに薬師岳が見えた)
私は薬師岳が見えてからというもの、何枚も写真を撮った。登るに従って、見える山の角度が次第に変化していくのも楽しかった。池塘も現れて、池に映る薬師岳であるとか、何かと薬師岳と自分、とか、様々に題材を変えながら撮影した。すでに2時間以上登っていて疲労も出始めていたが、雨に降られることも覚悟していたことを思うと、とにかく興奮を抑えられなかった。
登り始めてから2時間半、ようやく前方に稜線が見えてきた。この稜線は、遠く北東の立山から南西方向に伸びてきて、ちょうど薬師岳あたりから円を描くような軌道をとっている。時計に例えて薬師をその円周上の11時とするならば、黒部五郎岳が7時、三俣蓮華岳が5時、鷲羽岳が4時、水晶岳が3時の位置にあるといったところか。円の内部は黒部川で深くえぐられていて、川の出口である11時から2時の間は稜線がつながっていない。折立は、その円外の北西方向から南東方向へ向かう登山口であり、いま目にしている稜線は、その時計で例えると、9時から11時のあたりに位置していた。視線の先には稜線上の低くなった場所があり、そこが10時付近の太郎平である。そこへ向けて、緑色の斜面の中を白い登山道がずうっと伸びているのであった。
はるか遠くに太郎平小屋の屋根が見えたことは嬉しかったが、疲労を感じ始めていた私は、同時に、まだこんなに登るのかと思った。だいたいにおいて、初めの3時間を過ぎるとつらくなってくるものだ。その直前の時間帯にあって長い登り坂を目にしたことは少々気が滅入るものだった。だが、それが脱力的な負の感情に変化するには、目にした登山道は美しすぎた。滅入りそうな気持ちは笑って吹き飛ばした。
“帰ってきた―――”
そう、私はそう思った。頭上の2,200メートルの稜線を見て。今年もまたアルプスの稜線に帰ってきたのだ。私の世界はここなのだ。ここへ来るために、様々な悩みを乗り越え、トレーニングをし、登ってきたのだ。
私は少し休憩すると、また歩きだした。チングルマや、ニッコウキスゲ、オトギリソウなどの花々が周囲に咲いていた。青色のタテヤマリンドウも見つけた。そのように、精神的には本当に気持ちのいいハイクアップだったが、事実として疲労がだんだん重くなってきてもいた。苦心した軽量化によって負担は軽減されてはいるものの、18kg強のザックを背負っての標高差1,000メートルの登りは、確実に体力を奪っていた。もはや周囲に陽射しを遮るものは何もなかったし、石畳の区間では、照り返しによって上からも下からも熱線を浴びながらの登りであった。次第に足が止まることが多くなり、何度も息をつきながら登った。それでもまだ元気な証拠に、渇きは感じなかった。富山駅で汲んだ水筒の水はまだ残っていた。
太郎平小屋に到着したのはそれから間もなくだった。本当に長い登山道だったが、5時間のコースタイムを3時間強で登り切った。
稜線に着くや否や、私はそこからの絶景に息をのんだ。なんと、南側に名山がずらりと並んでいるではないか!右から黒部五郎、三俣蓮華、鷲羽、水晶の山々である。明日から明後日にかけて登ろうとする山々が、雲ノ平を隔ててわずか10キロメートルほど先で、ほぼ横一直線(実際は円周状に位置しているのだが)に、どどんと並んでいるのだ。これまで、点々と位置する名山を一望したことはあっても、これほどに間近で圧倒的なインパクトをもって山々の勢ぞろいを見たことはなかった。
(太郎平から南方を望む。これから、あの山々すべてを踏破するのだ)
そして左側、北東方向には、いよいよ姿の大きくなった薬師岳が、大きな姿で鎮座していた。ここから見える薬師岳はその東南稜を主として見ているのだったが、東南稜もまた灰白色、いや、陽射しの方角の影響か、むしろ白っぽく見えて、いよいよその美しさを際立たせていた。
私は夢中になって写真を撮った。あらゆる方角に名山があるから、スケールが大きすぎて一枚の写真には納まりようもなかった。だから動画も撮影した。とにかくこの臨場感を何かの形で残しておきたいと思った。
(正面に見る、薬師岳)
ひととおり興奮が冷めると、私は太郎平のベンチに腰を下ろして昼食をとった。残っていた最後のおにぎりだ。そしてそれを食べている間に、とうとう水筒の水がなくなった。小屋で給水できないかと見回してみると、ちょうど北側に給水蛇口があったので、そこから給水させていただいた。有料だった。タンクのせいか、生温かい水だった。水を大切にと書かれていた。
北アルプスの名山に囲まれた贅沢な昼食を終えると、出発の準備をした。そろそろ正午になろうかという時刻であり、陽射しもきつく、暑かった。
私は立ち上がって、もう一度、ひと通りの写真を撮ってから、ザックを背負った。そして、今日のテント場はここの太郎平小屋が管理していたから、その情報を得ようと小屋の窓口に声をかけた。窓口は若い女性が担当していた。山行前にも事前に電話で登山道の様子などを聞いたが、この人と話したのだろうか。私がその人にテントを告げると、現地で受付すると笑顔で答えてくれた。去ろうとしてふと気が付くと、登山届受付の文字が目に入った。忘れていたが、折立で提出できなかった登山届をここで提出するのだった。私はその女性に、折りたたんで持参してきた登山届を渡した。
すると、これでようやく縦走に移れるのだと思った。私は今や北アルプスの稜線上に立っていて、登山届も提出したのだ。いよいよ縦走だ。私は、この眺めのいい太郎平をあとにして、北東の薬師峠へ歩き始めた。
太郎平からしばらくは平坦な木道が続いた。その両側にはたくさんの高山植物が咲きほこっていた。木道はところどころにすれ違いスペースが設けられていて、快適な散策ができるように配慮されていた。私はそれらの花々に目を楽しませながらテン場を目指した。
木道はすぐに終わって、ぐっと50メートルほどの下り坂が現れた。その下り端で、その落ちくぼんだ場所の様子がよく見えた。そこが薬師峠のキャンプ場だった。すでに五つほどのテントが張られているのが眼下に見えた。私はそこへ向かって下りていった。
テント場は、わずかな傾斜地であった。明らかに直射日光にさらされて暑いキャンプ地だったため日陰を探したが、わずかな日陰ポイントはすでに占有されていた。私は日陰を諦めて、なるべく平坦な場所を探した。そしてほぼ中央部にテントを設営した。
それが12時半を回った頃である。当初の計画では15時前の到着予定であるから、2時間近く早い。私がひそかにもくろんでいた薬師岳ピストンの決断指標は、まさにその「2時間早く到着した場合」であった。だから私は迷わず、この日のうちに薬師岳を目指すことを決めた。薬師岳ピストンのコースタイムは5時間だ。きっと私のタイムはそれより早いから、今から向かえば、陽のあるうちに戻ってくることができるはずだ。
テント場の受付は、昼過ぎに太郎平小屋から係員が出向くとのことだったが、出発時点ではまだ管理小屋は無人だったため、帰ってきてからテントの受付をしようと思った。