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第四話



 山肌を這うように敷かれたコンクリートの道路。その上を、佐藤を乗せた黒いバンは走っていた。

 山間部。都会の灰色とは反対に、一面緑色の蜜柑畑が山肌に張り付くようにして広がっている。

 セメントの敷かれた、車一台分の幅しかない狭い道は、グネグネと曲がりながら山頂へと登っていく。

 右には二メートルほどの石垣がそびえ、左手には段々畑が広がっていた。視界を埋め尽くす蜜柑の葉の縁が、まばゆい日の光を跳ね返している。

 緩やかに登っていく道路沿いには、ぽつぽつと民家が立っていた。

 そのうちの一軒に佐藤は車を入れる。

 二階建て和風建築の一軒家。その前に広がる砂利の敷かれた庭に駐車する。

 少しして家の裏から、こげ茶色のエプロンを身に付けた女性が回り込んできた。

 四十代後半に見える小柄の女性は、小走りで佐藤のバンの傍までやってくる。

「おかえりなさい」

 ドアを開けた佐藤に、その女性は声をかけた。

「どうも」佐藤は軽く会釈を返す。もういいと何度も伝えてはいるものの、彼女が佐藤を出迎えるのは毎度のことだ。

「ただいま!」

 佐藤の隣に姿を見せたレイコは、対照的に明るい声で応じる。

「一週間ぶりね。二人とも元気だったかしら」

「おかげさまで」佐藤はいつもの仏頂面で答え、懐から封筒を取り出した。

「奥さん、いつも押しかけてすいません。これ、日ごろのせめてものお礼です」

 そう言って、微笑む女性に封筒を差し出す。中には紙幣が数枚入っていた。

 対して、奥さんと呼ばれた女性はそれを受け取らず、ゆっくりと首を横に振る。

「これはいただけません。佐藤君も、うちの家族です」

 いやしかし、食い下がる佐藤に、隣に立つレイコが口を出す。

「そうよ。縁をお金で断つなんて、奥さん達に失礼よ。家族に甘えるのは半分義務みたいなものよ。ねー?」

「ねー」奥さんは目を細め、レイコと同じ角度で頭を傾けた。

 

 居間に通された佐藤を、五十ほどの男性が出迎えた。穏やかな雰囲気の彼は、袖のない灰色のセーターを身に付けている。

 男性が座る前には新聞が広げられている。頭には白いものが多く見られた。

「おかえりなさい」

 男性は四角いメガネをかけ直しながら、佐藤たちに声をかける。

 奥さんと同じように、男性にもレイコの姿は見えている。というか、レイコが彼らにも自分の姿が見えるようにしているのだという。

「どうも」佐藤は、先ほどと同じような問いに同じように答えた。

「笠原さんただいま! ゆうたもただいま!」

 レイコも男性に挨拶を返したあと、その後ろにも声をかけた。

 すると、小さな男の子が初老の男性――笠原の後ろから出てくる。おずおずとした様子で口を開いた「……おかえり」

 うん、ただいま! 戸惑い気味の男の子に対し、嬉しそうな笑顔でレイコは頷く。

「ゆうたは今日もかわいいねー」

 はしゃぐレイコとは対照的に、ゆうたは戸惑いがちに、笠原の背にひしとしがみついている。

 そんな様子にも目を輝かせるレイコは、口角が上がりっぱなしである。今にも飛びつきそうな気迫さえ漂っている。

 しかし、彼女はその場から、一歩たりともゆうたへと近づこうとはしない。

 それは、万が一レイコが触れて、レイコが幽霊だという事が、ゆうたにばれるのを防ぐため。そして、家族以外の人間(に見えるものも含む)が近づいて、ゆうたを怖がらせるのを防ぐためだ。

 ひとまず全員が、木製の丸テーブルに着く。笠原、奥さん、ゆうた、佐藤、レイコの順で座る。この並びもいつもの通りだ。「いつも」と言えるくらいには、佐藤と彼らの過ごした時間は短くない。

 と、新聞を畳んだ笠原が、口を開いた。

「ああそうだ、紅茶でも入れよう。池田さん家の息子さんが、海外へ行った時のお土産なんだよ。一昨日もらったんだ」

 そう言って席を立つ。

 俺が、と立ち上がりかけた佐藤を、笠原は「大丈夫」と手で制し台所に向かう。

 電気ケトルに水を満たし、かちりとスイッチを入れた。

 笠原家は、笠原と奥さん、息子のゆうたの三人家族だ。

 三人は県北部の山間部、ミカン畑に囲まれた一軒家で、去年から暮らしている。

 佐藤と笠原家との付き合いも同様に一年ほどである。彼らが引っ越してきて間もない頃、山で行方不明になったゆうたを通りがかった佐藤が見つけたことで知り合った。

 以来、食事をご馳走になったり、寝床と提供してくれたりと、何かと世話を焼いてくれている。佐藤は借りを作るようで不本意だが、笠原一家は佐藤を家族同然に扱っていた。

 レイコも笠原家の雰囲気が気に入ったのか、知り合ってすぐ、彼らの迷惑も顧みずに姿を現し、自らの素性を明かした。

 後にも先にも、レイコが佐藤以外に姿を見せたのはこの時だけである。

 幸い、笠原と奥さんはレイコを受け入れ、ゆうたに対しては「親戚のお姉さん」で通している。

 笠原家は、優しい人ばかりだ。

 佐藤には理解できない考え方だが、笠原も奥さんも、人の笑顔を見ることが自分たちの幸せだと言う。たった一度、迷子探しを手伝っただけの人間にそこまですることも無いだろうと思うのだが、それを言っても二人は意見を曲げなかった。

 佐藤君はうちの家族だから、いつでも来ていいんだよ。それに、ゆうたの為にも来てやってくれないか。笠原がいつも佐藤に言う言葉だ。

 佐藤も断り切れずに、一週間に一、二回は来るようにしている。それはゆうたの為というのもあるし、レイコが行こう行こうとうるさいのもある。

 佐藤は、笠原や奥さんが何の仕事についているかを知らないし、尋ねていもいなかった。

 湯が沸くのを待つ間、再び席に戻った笠原が、佐藤に尋ねた。

「一週間ぶりだね、調子はどうかな」

「相変わらず、ボチボチやってます。昨日も一人乗せてきたところで……」

 言いかけた佐藤を、やや興奮気味のレイコが遮った。

「そうよ、昨日の客なんだけど、なかなか面倒だったわよ」

「へえ、それはどんな?」

 奥さんが興味深そうに聞いてきた。隣ではゆうたが図鑑を開いている。ゆうたは興味津々に、真っ黒な中に白い粒が飛び散ったような写真に見入っていた。最近は宇宙にはまっているという。

 それがね、レイコはママ友の世間話のような体で話し始めた。



「そうなの、なんだか話がボヤっとしてて分かりにくいけれど、要は未来の旦那さんとその人のお父さんが揉めてしまったという事なのね」

 そう言って奥さんはレイコに確かめ、淹れたてのアールグレイを口に含んだ。白磁のティーカップはレイコも含め全員分が用意されている。

「家出なんてなかなか聞かないから、相当のことだったんだろう」

 奥さんの言葉を笠原が継ぐ。

 図鑑を脇に置いたゆうたは桃のように頬を膨らませ、スプーンで掬った紅茶をふーふーと冷ましている。だが、息が強すぎて紅茶がカップへとリリースしていく。ゆうたはめげずに掬っては吹き飛ばし、掬っては吹き飛ばしを繰り返す。……どうやら冷めたそばから飲むのではなく、全部を均等に冷ます方針でいくらしい。

 佐藤も湯気が立ち上るそれを恐る恐る口に付ける。

 渋みと苦味、それに入浴剤のような香りが鼻に広がる。なんだこれ、ほんとに紅茶か、なんて言えるわけがない。

 佐藤の様子を気に留めず、レイコが口を開いた。

「私も実際に聞いたわけじゃないから何とも言えないけどね。でも佐藤は全部聞いていたでしょ。あんたから詳しく説明しなさいよ」

 なんで俺が、と面倒臭がる佐藤に、レイコは言葉を重ねる。

「そういうのいいからさっさと言いなさいよ。ごねてる時間が無駄なのよ」

 半ばあきらめ、佐藤はしぶしぶ口を開いた。

「俺も、実は良く分からないんですよ。話が何かぼんやりしてるというか」

 佐藤は乗客の話にじっくり耳を傾けるほど優しくはない。そのため、内容を事細かに覚えているわけではなかった。レイコの刺すようなまなざしを受けながら、憶測も交えて口にする。

「落ち着きもなかったようだし、気が動転していたんでしょう。家出なんてそうそうするもんでも無いし」

 はあ、レイコがため息を吐く。あんたぼーっとしすぎ。

「確かに、話を聞く限りでは抽象的に感じるね。それで、そのお客さんは結局どうされたの?」ティーカップをことりと置いて、笠原が口をはさんだ。

 それから、泣き出した女性に対し、レイコの言葉で説得し、何とか帰宅はしてもらえた。

 佐藤が説明すると、すかさずレイコが口をはさむ。

「佐藤が私に助けを求めるなんて珍しーと思ったんだけど、話を聞いてなんかがっかりしたわ」

 なぜか、欧米風に両手を肩の高さへ持ってくるあのポーズもする。

「面倒だっただけですよ。あんたにがっかりされる筋合いはない」

「へー、そんなこと言うんだ。じゃあ今後一切助けてあげないわよ。ねーゆうた?」

「うん」

 振られたゆうたはなぜか自信満々に頷く。おい、さっきまで怖がっていたんじゃないのか。ゆうたは無心にもくもくと口を動かしている。クッキーを丸々頬張っていたから、飲み込むのに時間がかかっているのだ。

「俺は手を貸してくれと言ったんだ。助けてとは頼んでいないし頼むつもりもない」

「ほーんとにそんなこと言っていーのかしら? ねえ、それほーんとに言っちゃう? 言い切っちゃう?」

「面倒くさい」

「はい出た。何なのその、自分は仕方なく面倒な奴に付き合ってますーって態度は。格好つけてるの? ねえ格好つけてるつもりなのそれ?」

 佐藤は腕を組み、だんまりを決め込む。

 と、やり取りを見ていた笠原夫妻がくすくすと笑い出した。

「本当に息が合っているわよね、二人とも」

「「は?」」

 その答えに、またも吹き出す笠原夫婦。

 振り向くタイミングまで揃っていたことに、二人は気づいていない。


 二時間ほど話した後、佐藤達は笠原家を出発することになった。

「本当に泊まっていかないの?」

 玄関を出た所で、佐藤達は残念がる奥さんに、佐藤は首を振る。

「さすがに、そこまでして貰うわけには」ただでさえ、色々と助けてくれているのに、その上泊まらせてもらうなど図々しいことこの上ない。

「そうよ。奥さんが言うからいいじゃない」

 レイコがあっけらかんとして言う。あんたもそっち側か。

「あんたはアレだから良いかもしれないけどな。俺が泊めてもらうとなると色々迷惑かかるんですよ」

 幽霊には関係ないかもしれないが、人間の生活における負担は相当なものである。

 が、そんなことを全く気にせず、レイコが言い返す。

「いいじゃない、家族なんだし」

「そうは言っても……」

 奥さんの隣に立つ笠原が、二人のやり取りに微笑みながらも口を開いた。

「佐藤君、迷惑ならいくらでもかけてくれていいんだよ。私たちはそれを迷惑だなどと、決して思わないから。無理に引き留める気はないから、また今度にでも、泊まりにおいで」

 その隣ではレイコがかがんで、ゆうたに話しかけている。

「ゆうた、佐藤のおじさんが何でも欲しいもの買ってくれるって」

「おい、俺はそんな面倒な……」

 言いかけて留まる。流石に人様の家の子に面倒臭いと言うのは気が引ける。

 レイコは佐藤の内心を読み取ったようにほくそ笑んだ。すっと立ち上がり、宣言した。

「さあゆうた。何でも買ってくれるわよ。何が欲しい?」

 佐藤は観念した。どうせ子供の欲しがるものだ。営業の合間に調達すればよい。ちびっ子に目が無いおせっかい幽霊が余計なことを吹き込んでいなければの話だが。

 ゆうたは、ううぅ、と考え込む。数秒を費やしたのち、口を開いた。

「ぶらっくほーる」

 ゆうたは最近、宇宙にはまっているという。


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