覆面の来訪
恐竜が進化した姿が雀だと、だいぶ昔に聞きました
ピヨピヨ、グギャー。空のはるか彼方を飛ぶ小鳥が、その数千倍もあるだろう巨大な翼の生えた爬虫類のような怪物を骨も残さないんじゃないかという勢いで食事している。ピヨピヨかわいい声を上げながら、真っ赤で強そうなドラゴンが吐き出す炎を丸呑みしながら肉を貪り喰らっている。大量に群れているわけでもないし、さほど強そうにも見えないしそれどころかかわいいあの小鳥は、何がどうなってあんな化け物になっているんだろうか。
「…………いやいや待て待て、なんだここは。俺は…あぁそうだ、確かついさっきまで港で銃弾から逃げまくって。えーっと、それから…」
ゆっくりとあの出来事を思い出す。最後はなんか、救急車?なんのことだ。うーん、記憶が混乱しているようだ。
手元には銀色に輝くスーツケースが残っている。中身を確認してみると、ペットボトル以外はどれも「灰霧音夢」と書かれている。彼女は確か自分のものにはしっかり名前を付けるんだったな。まめなもんだと思いながら、スーツケースを閉じ、上体を起こしてその場に立ち上がる。
地面はどうやら砂利のようで、先ほどまで仰向けになってしまっていたせいで背中が砂利だらけになっている。何度かたたいて砂利を落としつつ、周囲を見回してみる。
まず目の前にあるのは、右から左へ流れていくとんでもなく幅の広い川。流れは緩やかで、川の底まで透き通っている。ここまで綺麗なものはなかなかお目にかかれないだろうなと思うが、なぜここに自分がいるのかが考えても考えても思い浮かばない。
川のずっと向こうを見てみることにした。するとそこにあったのはーー
「…………でっかい、塔?」
雲の上まで続いているのは建築物だった。遠目ではわからないが全部石でできているようで、一歩間違えたらぽっきりと折れてしまうんじゃないかというほど高く、見るものを圧倒させるほど力強い見た目であった。おそらく、さっき見たドラゴン如きが当たっても折れることはないだろう。
「…………そうだ、ドラゴンだよドラゴン。なんなんだあれ、てかまだ喰われてるし。うっわ飛び散った血まで喰い尽くしてるよあの鳥」
ギャーギャーと泣き喚くドラゴンと、構わず食事を続行する小鳥。この距離で見えるということは結構近いと思うのだが、多分次は川の上流のほうを逃げるように飛んでいる青いドラゴンのほうへ行くと思うので、大丈夫だろうと別のことを考えることにする。
「ドラゴンって確か相当強い神話の生物だったよな…今はあの鳥が最強ってことにしておいて、まずはーー」
川と反対の方向にあるのはとても汚いゴミ捨て場のようなところだ。こんなに綺麗な川の近くに大量の生ごみや使わなくなったものを捨ててしまう人間はなんと愚かなのか、なんてことを口から出しそうになるが、自分もそのうちの一人なので自重しておく。汚さなければ生きていけないんだからむやみやたらに炎上するようなことは言わないのだ。
実際、ゴミはどうでもいいのだ。せいぜいあるとしたら折れた木製のスプーンとか、血まみれの剣とか、なんかの生物の骨とか、緑色の耳とか…全部見なかったことにして、それよりも気になるものが一人あった。
「おーい」
「……」
「こんなところで寝てたら悪臭で死ぬと思うぞ」
「…………」
「…あー、死んでないよね。お嬢さーん、イキテマスカー…ちょ、まじで大丈夫?」
目の前にいるのは白色の髪をしたコスプレ少女。おそらく猫耳を意識しているであろうそのカチューシャはとても精巧にできており、たまにぴくぴく動くという現代の技術の結晶のようなものを着け、服はなんともボロボロな茶色い袖なしのワンピースのようなものを着ている。ジャンルとしては「猫耳美少女」なんだとおもうが、これまさか奴隷もモチーフにしているのか?
おいおい、日本でそんなことしたら普通に心配されるんだぞ。とくにここ付近でコスプレができるような祭りがやっているならなおさらだ。
さっき見た神話生物のことを一切考えずにいくとこういう心配性な人間で終わってしまうのだが、正直それで終わればどれだけよかったか。困ったことにここは夢じゃなければとんでもない現実だ。目が覚めたら音夢あたりが「どっきり大成功」とか言ってくれたらいいんだが、多分違う。
風呂に入れてしっかりものを食べさせてやりたくなるほど小汚く痩せた猫耳少女は、死んだ魚のようなハイライトのない青色の瞳でこちらを見る。ようやく反応を示してくれたが、なんだか鈍く感じる。
「あな、た、は」
「俺?俺は汪美創一。たまたま偶然ここを通りがかった」
「…そ、う」
「なんだよ、どんだけ元気ないんだ。大丈夫か?親は?」
「お、や?なに、そ、れ」
「…………OH」
開いた口が塞がらない。親の概念自体を知らない子供なんて初めて見たよ。
さぁどうしよう、声をかけたはいいものの気まずさで一切喋れなさそうだ。というかやっぱここ日本じゃないな?こんなゴミ捨て場だけで無法地帯を語れる場所なんてそうそうないぞ。
どうしようか考えていると、少女はか細い腕を伸ばして、俺の顔を指さす。
「そ、れ。なん、で、か、お…かくし、てる」
「あ、忘れてた。実は人から逃げてて…あぁ、もうつけてる必要はないか?」
覆面を忘れていた。そうだそうだ、さっきから視界がいつもよりすっきりしていて気づかなかったよ。というか、普通に覆面をしていないときの視界のように感じるんだけど。
とりあえず外そう。そう思って首あたりまで覆っている黒い布を下から持ち上げ
「…………ン?」
「…どう、し、たの?はず、せない?」
下から、上へ、布を上げようとするも、全く俺の頭から外れる気配がない。
おかしい、初代と違って被りやすいこの覆面が、外れない?性能はスキー学習で調査済みだ。温かい素材でできているし、口の穴がないことを配慮したゆったりとした空間が確保されている素晴らしいこの帽子が、外れない?
「…………おかしいな、これは呪いの装備じゃなかったはずなんだけど」
「の、ろい…わた、し、と…お、なじ」
「…え、呪いにかかってるの?」
「そ、う、ふじみ、の、のろい?って、いってた。みんな、おび、え、て、ちかよ、らないよ?」
なぜそこでにっこりできるんだ少女よ。やめろその笑顔を。泣いてしまうだろう。
くっ、俺が女騎士なら殺せではなく助けてと言っているところだ。今でも普通に言いたいけど。
それに『不死身の呪い』とは?もしやこの少女何も食べなくても死なないのか。だとしたらこの痩せ具合は…あーまてよ、死なないからと言って食事が必要ないってわけでもないかもしれないな。
ってそうじゃない。なんで順応しようとしているんだ。
詳しい話を聞きたいところだがここがどこかわからない以上乗っかったら宗教勧誘に…いやさすがにないか。こんな辛そうな思いをしている子がそんな気力があるわけでもないだろう。
「どう、して…あなた、は、にげないの?か、んだけど、にん、げんでしょ?じゅうじんと、にんげんは、なかがわるいって」
「…うーん、実は俺田舎者だから獣人とか人間とかわかんないんだよ。だから呪いにも怯えることはないし、獣人と仲が悪いわけでもない…まてまてまて、今はそんな話をしている場合じゃないだろう」
あぶねぇ、危うくこの少女を放置して会話に没頭するところだった。
見る限りいろんなところに打撲によってできたあざや何かできられたらしき切り傷が多数みられる。
この傷で、ゴミ箱。イコール病気だ。非常に俺の心に悪いのでこの少女にはマジでやめていただきたい。目の前の女の子が血反吐はいて病気で死んだりしたらトラウマだからな。血反吐は吐かないかもだけど。
「ほら、一回川のほうまで行こう。体が汚れすぎ」
「…いみ、ない」
「うぉおッ!?き、急に抵抗しだすなぁ、なんでそんな石の様に……体洗うだけだってば」
「…………」
「あーもう悪かったって、確かに女性の身体を勝手に洗おうとするのは無遠慮だったわ。幼女だからってやっていいことと悪いことがあるもんな。うん。あーでも水は飲んどけ、な?」
なぜかその場を動こうとしない少女。俺が引っ張り上げようとするととんでもない抵抗力でその場に留まっているってことは相当俺のことに警戒心を持っているな?
洗えないのなら仕方がないので、とりあえず渡したペットボトル。さっさと飲んで落ち着いてくれないかな、なんて思っていたがそんな気配は微塵もない。俺の反応に少々困惑気味なだけでペットボトルを手に取ってくれたのに、ずっとぐるぐると回して遊んでいる。
…あれ?全然開けれてねぇ。もしやペットボトルの開け方がわからない?おいおい、まじで?
「ほら、これが飲み口。こぼさないように気を付けて飲めよ」
「…………お、い、しい」
「おーそうかそうか。あんまり一気に飲むと体調悪くするからゆっくり飲めー…って、なにその絶望した顔」
「ど、どくが、はいって、いるかも」
「んなことするわけないって!俺を何だと思ってるのさ。まぁたしかに会ったばかりですし?でも限度があるわ、さすがに初対面の相手に毒盛るやつは暗殺者くらいだから」
「じゃあ、あな、たは、あんさつ、しゃ?」
「違うってば!あーなんかむしゃくしゃしてきたな。一回飲めば安心してくれるか。ほれ貸してみ」
とんでもない誤解が生まれたのでそれを解くために俺はペットボトルを受け取る。奪い取ってはいないし多分印象は悪くなっていないはずだ。
いざ、飲料水をいただきます!としようとしたところで、俺はあることに気づく。
「…………俺、水飲めないじゃん。覆面取れないから」
「…………クスッ」
「わらわないでくれぇぇ、あぁなんたるミス。そうだよ、なぜか今の俺は覆面が取れないんだった」
「で、も、だいじょうぶ。それ、は、どくがはいって、ない。そんなどじな、あん、さつしゃ、は、いない」
「なんか悔しいな」
まさかのこんな少女にドジと言われるとは…まぁ確かにたまにやらかす時もあるし言い逃れはできないんだけれども。
水を飲むことを再開した少女は、先ほどと違って少し明るい表情だった。
半分ほど水を飲んだあたりで満足し、俺にペットボトルを返してくる。目には多少の輝きがあり、先ほどと違って俺に少し好印象を与えることに成功したようだ。
「さて、警戒心は解いてもらえたかな。ちょうどそこに川あるし洗ってきなよ、俺は後ろ向いてるから」
「…………うごけ、ない」
「まじか。じゃあ川まで運ん…運べん」
「そ、う。この、ごみすて、ばから、はなれ、ら、れない」
少女を背負おうとしたところで、なんと途中で少女がつっかえてしまった。謎の壁が少女を阻んでいるような感じで、ぶつかっても痛くはなさそうに見えるが運び出すことは不可能に思える。
さっきからドラゴンだの血まみれの剣だの猫耳少女だのいろいろ驚いてきたが、今度はいったい何なんだ?魔法とでも言うつもりか?
「これは、ま、ほうの、ちから」
「…………なるほど?」
強がることしかできなかった俺は弱いだろうか。いや、弱くない!だって仕方ないだろこんなの。
なんだかここ、とてつもなく地球ではない感が漂ってきたな。同じ星にこんな技術があったらそれこそ今までの科学が覆されてしまう。
いったいここは何なんだ。そう考える間もなく、少女が座ったまま後ろを向いて俺に首を見せてきた。
首の後ろにあるのは、交通標識の駐車禁止のようなデザインをした紫色のマークだった。
「どれいもん、だよ。にんげん、に、つけられ、た」
「これを、人間が?しかも奴隷?」
「そ、う。あなた、を、おこっているわけじゃ、ない、よ?」
「………」
奴隷。歴史でしか聞いたことのないような言葉だ。
いろんな歴史で奴隷は存在している。どこの国でも奴隷制度を導入していたところは多く、民に深く根付いていて歴史にまで出てきた代物だ。どんなものくらいかは容易に想像がつく。
しかし奴隷はゴミ捨て場に捨てていいものなのだろうか。というか、ここがゴミ捨て場ならもしかして人がここにやってくるんじゃないか?
奴隷紋はこんな簡単なデザインなのかなんて思ってしまうが、それよりもこの扱いはどうなのだろう。完全に人でも労働力でもないゴミのような扱いを少女は受けている。悪人だったら放置か襲うかだろうけど、一般人はさすがに放置できんだろう。
奴隷紋というものを近くでみるために少し寄って、触ってみる。
少しだけ凹凸があり、焼き付けられたような感じはしないが何か強力な接着剤でくっつけたんじゃないかってくらい動かない。このままシールみたいに剥がれてくれればいいものを。全く、どこの人間もこういういらんこと考える奴は存在するなぁ。偉大な発明だとしても、完全に悪用でしかない。
心の中で文句を語っていると、突然奴隷紋に変化が生じた。
急に奴隷紋が浮き始め、まさにシールの様に剥がれだしたのだ。
そしてびっくりしてそのままとってしまった。
「あ」
「…どうしたの?」
「……いや、奴隷紋が剥がれちゃって」
「…………???」
「ほら、奴隷紋」
「…………!!ほ、本当だ。あ、あれ?しっかり喋れる…それに」
少女はその場にゆっくりと立ち上がり、恐る恐るといった感じでゴミ捨て場から一歩踏み出していく。すると先ほどまであった謎の抵抗力が無くなって、なんと俺の立っているところまで来ることができていた。
先ほど、魔法の力と言っていたが、これは奴隷紋も魔法の力ってことでいいんだろうか。
少女の瞳に徐々に雫がたまっていく。
「おぉ!壁がなくなってるっぽい!」
「……アイノ、もう、奴隷じゃない?」
少女は一言一言を噛み締めるように、必死に泣くのを我慢して言葉を紡いだ。いきなりのことで整理のつかない思考を、俺を補助にして理解しようとしているんだろう。
ここで意地悪なことをいう奴はとんでもなくうざいやつもしくは呆れるほど空気を読めないやつしかいないだろう。俺は見えない笑顔で少女に向かった。
「あぁそうさ、奴隷がどんなものか詳しくは知らないが見る限りいいものではないんだろう?でもそんな立場とはおさらばだ。今日から君はアイノとして生きていくことができるよ」
「あ、あぁ、あぁぁあ」
俺がカッコつけて少女ーーアイノに大きな声で宣言すると、なんと彼女は大泣きしてしまった。
奴隷紋が剥がれると同時に、さっきまで不明瞭でとぎれとぎれだった声がしっかりとしたものになり、やはり透明の壁がなくなっている。
奴隷紋は行動や声まで制限をかけてくる厄介なものなんだと理解したと同時に、少女がつらい立場から解放されたことをうれしく思った。
人助け…ではないしただの偶然だが、子供があんなにつらそうな死んだような顔から、生きているという実感を味わっている顔になった瞬間を見るのは正直とても達成感がある。もらい泣きしないように必死に頭の中でカッコつけてるっていうのは内緒。
アイノが少しずつ落ち着いてきた頃に声をかける。
「もう大丈夫か?ここにはアイノを邪魔する人間は一人もいないから、いくらでも泣いていいぞ」
「ううん、大丈夫。アイノはもう泣かないよ。ありがとう…えーっと、オーミ?」
「なぜ苗字呼び?あとオ・ウ・ミ…あーわからなさそうだな。というか日本人じゃないよなぁ、失念してた。もう一度名乗ろう、俺の名はソーイチ・オーミだ。ソーイチが名前だから気軽に呼んでくれ」
「ソーイチ…本当にありがとう!」
「まぁそこまで感謝しなくてもいいよ」
「アイノ、お礼できるもの持ってないから…えーっと、どうしよう」
お、ちょうどいい。俺の今の現状を見るとアイノの存在は必須だ。なんせ、ここがどこかもわからないし、呪いが何なのかもわからないし、奴隷すら知らないし、まず猫耳がある理由もドラゴンもあの鳥も理解不能だ。そして普通に飯が食いたい。
……あ、俺今飯食えなくないか?おいおいおいおいおいおい、待ってくれよ。腹が減ったら戦はできないんだぞ!
とりあえず食事関係は諦めようと脳内会議(俺一人)で決定した。
「アイノにはいろんなことを教えてほしいんだ。ほら、俺田舎者って言ったろ?ここがどこかもわからないまま来ちゃったからさ、いろいろ教えてくれ。それで十分お礼になる」
「そんなことでいいの?……わかった!なんでも教える!」
少女は笑顔で了承してくれる。あんなに絶望しきっていたのに、ここまで元気になっていると先ほどのことが嘘のようだ。子持ちの親でもないのに涙が出そう。
アイノは張り切ってくれたようで、大量の情報を俺に教えてくれた。非常にありがたいし、ここまでのことをその年齢でよく話せるなと感心した。あの塔のこととか、獣人って何なのかとか、魔法ってなんなのかとか、本当に様々な情報を知ることができたので感謝してもしきれないかもしれない。
しかし、アイノからの話は少々聞きたくないこともあった。それは、主にここがどこかについてだ。
まず一番最初にアイノが教えてくれたこと。それはこの王国についての話だった。
「ここは人間の作った国ファーデリンド王国。ほかの国よりとっても強くて、アイノたちや自分の仲間たちまで奴隷にしちゃう、怖い国」
聞いたこともない横文字王国は、国家が主になって奴隷売買を行う国の一つなんだそう。奴隷制度は人間以外の国では導入禁止の禁忌みたいなもので、奴隷にされたことのある王も別の国に入るとかなんとか……それはいいんだよ。よくないけど今はいい、問題はここが全く聞いたことのない王国であることだ。日本には確かに天皇という君主が存在するが、ここは王政。完全にここは日本ではないことが判明した。魔法があったりドラゴンが飛んでいたりする時点でもうすでに可能性は低かったのだが、その少しの可能性に賭けたかったよ……
いや、もう吹っ切れたわ。前々から覚悟していましたとも。えぇ、そうです。というか何なら最初から怪しいなって思っていたとも!夢であればいいものを、現実が出しゃばってきたせいで俺はとんでもないところに来てしまったらしい。
残念ながらここは、異世界らしい。