この世界では、月に食べ物をお供えします。
新築の家で庭に飾られた陶器像のヴィーナスの物語。月明かりの下、男達に布を被される。
白い陶器製のヴィーナスである私は、日曜日に開かれていた骨董市で、かわいらしい七歳くらいの女の子を連れた優しそうな、若いご夫妻に渡されました。
お父さんが、新聞紙にくるまれた私を大事に抱きかかえて、一戸建ての新築の家まで連れて行ってくれました。
庭の花壇に私を設置してくれました。美しい花々さんが先輩の私に気を使ってます。
〈ヴィーナスさま〉
〈さまは、よしてね。みんなでこのご家庭と、お家を守ろう〉
〈はい〉
色取り取り、原産地が世界中の植物に囲まれれば、良い香りが私の全身を覆ってくれます。
再び天に舞い戻れるかのような気分でした。私は飾られたご家庭に事故がないように見守り、幸福をお祈りし続けるのが役目です。
娘さんは、両親のお手伝いで、毎日花壇に水やりをし、楽しそうに家のすぐ近くの“小学校”と呼ばれる場所に通う日々。お父さんは背広を着て、”会社”へ出かけては、疲れた顔をしながら帰宅する毎日でした。
一方、お母さんは、昼間は“パート”と呼ばれる職場に行きながら、家事をこなしているようです。ご家族三人が、何日も家を留守にするのは、旅行の数日間でした。
その間は前の家では、とても寂しかったのですが、今回は、庭の植物さんとおしゃべりをして過ごせました。
無事、事故がなく旅行から戻れるよう、お祈りし続けました。そして、幸福感に包まれながら、帰宅したご家族の笑顔見れば、ほっと安堵します。
娘さんが“中学校”と呼ばれる場所に通うようにになって暫くたったある日のことです。
しょっちゅう家に遊びに来ている同級生の女の子が、私の前にたち、唇の端を上げています。いたずらっぽく声を漏らしました。
「胸が見えて、エッチな像」
お姉さんが上半身だけ裸なのは、生まれつきなんだよ。私に命を吹き込んだ方に謝まろうね、と注意をしてあげたいのです。
しかし、体を動かせず、言葉を発することができない私に、心の内を伝える方法はありません――。
娘さんも性的なことを、気にする年頃だったのです。お父さんが庭から私を外し、水洗いし、そして、じめじめした物置の奥にしまわれました。こんな扱いも慣れっこですが、お父さんが、物置で劣情を抱き、生温かい鼻息をかけ、こっそり私の胸を触ったんです。
このエロオヤジ! 頭に血が上り、叫んでやりたかったです。怒りを通り越して、呆れ果てたのは、よく覚えています。
物置では寂しい数年を過ごしましたが、家族のご多幸をお祈りし続けます。たまに庭から聞こえる声に耳澄ませます。幸せに過ごしているようです。
ある日のことです。月明かりの下、作業服姿の数人がかりの男性が私を運び出したのです。悪そうな人たちには、見えないです。
肺はないのですが、深呼吸をしたつもりで、冷静になります。湿気の少ない秋の空気みたいです。もし、泥棒なら、記憶に留める必要があるからです。
庭に、時計が飾られていないのです。月の満ち欠けから今の時期を判断します。月は満月、秋の花のコスモスさんや、キンモクセイさんが心配そうに、花弁を私に巡らせようと必死です。コスモスさんが叫びました。
〈ヴィーナスさん、夜の8時くらい。私が咲いているから季節は秋。お月さまを見ながら、月が綺麗な時期って、娘さんが、さっき庭で、食べ物をお気ながら、言ってました〉
〈食べ物泥棒かしら? ありがとう、お花さん、ご家族は?〉
〈みなさん、ご自宅で一緒にいます〉
特殊な能力を使って、家庭内の様子を除きます。ご家族が楽しそうに一緒に、話している光景が脳裏に浮かびます。ドアと全ての窓に私がロックをかけました。
〈あれ?〉
全身を新品の布で覆われて視界が真っ暗になります。能力を使いきり、深い眠りについてしまいました。
目が覚めました。物置から運び出された私は、久々の新鮮な空気に触れながら、眩いばかりの多くの灯りに照らされていました。ご家族三人がいます。居住まいを正して、強張った笑顔です。存じ上げないどなたか、と楽しげに話しているので、安心しました。
「本番です。スタート! 拍手!」
万雷の拍手が響きます。数百人の居並ぶ人々が、私を見入っています。これだけ大勢の人をお守りするのは、私に与えられた能力の限界を超えており、怯えてしまいました。
初老の紳士たちが、私の肌をルーペでまじまじと見ています。とても丁重に、持ち上げて足の裏まで確認します
遠巻きに見ている男性がいました。昔のヨーロッパのお金持ちみたいな、やけに派手な色の服でおしゃれしています。短い園芸用のスコップみたなのを手に持ち、ご自身の口元に近づけます。男性が人々に大声を張り上げました。
「鑑定の結果は、三千万円ですっ!」
皆さんのどよめきが起こりました。同時にあまたの人々の多種多様な感情が、体の中に流れ込んでしまって、それぞれの方の、お心まで分かりません。負より、正の感情が勝っています
「――秋のスペシャル、終わります」
男性の声を後にしながら、台車に乗せられた私は別の部屋に移動です。お父さんが震える手で、私を木箱に入れようとした時、きっと睨んでやりました。
帰宅する途中は、車輪がついた乗り物です。事故が起きないよう、巻き込まれないよう、お祈りをしていました。
現在は、リビングにあるガラスケースの中で、私は飾ってもらっています。庭に居た時よりも、毎日、ご家族皆さんの様子を深く観察でき、事故の予防がしやすくなりました。
私のことを”エッチな象”と話していた女の子も態度が一変しました。遊びに来れば、尊敬するようなまなざしで、なんの変哲もないはずの、私を見上げてくれます。
お茶目なこの子にも、事故が起きないようにお祈りをしています。
お父さんも、私をとても大事と考えながら、息がかからないようにマスクをして、白い手袋をはめ数日に一回は、丁重に布で拭いてくれます。
娘さんがお父さんの背後から、声をかけました。
「テレビ局の運送屋さんが取りにきた日、中秋の名月だったよね」
人間にとって食べ物がないのは、大変なことの一つです。私は農耕の豊作を願う、秋のヴィーナスとして生命を吹き込まれました。
秋は実りの季節です。世界各地で、秋にまつわる伝承には、満月が関係していることも多々あります。
多くの時代、多くの地域でご家庭を巡ったので、多少は存じております。
窓辺で花瓶に飾れたポトスさんは、外にでる機会に恵まれません。私が過去に世界中で見てきた光景を離せば、緑色の葉を嬉しそうに動かします。
しかし、ポトスさんに、隠していることもあります。昔、お世話になったある、ご家庭でのことです。私は個人の力でどうしようもない、凄惨な光景を目の当たりにしたのです。
私たち、人間を見守る飾り物や、観葉植物が願いは、ただ一つ。人間が幸せに暮らすことです。
少なくとも、このご家庭やご近所さまは、衣食住にらず、平和な地域でお暮らしのようです。
もう、過去のお父さんの行為は、水に流しました。ポトスさんが最近の話し相手です。
今日も満月です。リビングの分厚いカーテンが開かれ、ご家族三人で満月を見上げています。柔らかな秋の風が、ポトスさんを撫でています。
羨ましいな。私は密閉されたガラスケースから、外に出られないのです。
「お月見団うどん、一つ飾って上げる」
娘さんが、ガラスケースに、球形の食べ物を手で差してくれます。ここでは、食べ物をお供えする習慣があるようです。ありがとう。お父さんとお母さんは、像が汚れたら大変とか、騒がしいですが、微笑ましいかな。
こんなご家庭の一員のような扱いは、初めで照れます。とても幸せです。(完)
お読みくださり、ありがとうございます。