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異世界で得たもの。ダイスケの決意。



「……きもちいいですか? ロークさん」


 ゴツゴツしたじいさんの腕に、白く細いエルフの手がのっている。

 じいさんの腕をとり、やさしく揉んでいるニケア。


 ロークはむかし傭兵をしていたらしく、その際にできた古傷が痛むらしい。


 ――クッ……腕が。なんて、リアルでそんな台詞を吐いて、ときどき顔をしかめるから……。オレはなんか……。う、うらやましくなんかないんだからね!


「……ありがとうございますニケ様。もう、だいじょうぶですだ」


「もういいんですか? また痛んだら、えんりょなくいってくださいね」


 さいきんよく、この光景をみる。食後のおだやかな時間。

 異世界に来てはじめて持つことのできた、オレの大好きな時間。


「さっきは……あの、みなさんありがとう」


 ぺこりと頭をさげるニケア。子ネコのことだろう。その何度目かの礼に、オレをふくめた全員がやさしい目で答える。当の『アスニャン』は、いなくなったアステマの椅子の上で、きもちよさそうに丸まっている。……なんだろう、このハートウォーミングな空間。ずっとつづけばいいのに。


 そんなとき――ギイィ。と、音をたてて、オレ達のいる食堂のドアがひらかれた。


 アステマだ。半身だけを部屋にいれ、掌をじぶんのカオの前でかざして厨二ポーズをとっている。


「ククッ……『ニケニャン』よ。聞くのだ。我は慈悲深い。おまえにもういちどチャンスをやろう……おまえに後悔させてやるといったが、あれは我が本意にあらず……か、かんちがいしないでよね、よく話あえば……」


 ――フーッ!!


 力いっぱい威嚇する子ネコ。


「(ビクッ)!? そうか、聞くネコ耳をもたぬか……。せ、せいぜい。後悔せぬといいがな……」


 バタン。と、ドアが閉められた。アステマ退場。



「「「「…………………………………………」」」」



 この場にいた全員が顔を見合わせる。静寂に支配される空間。


 ――たっぷり間があって、沈黙を破ったのは老婆のブーケ。

 ……うん、気をとりなおしていこう。食後の団らんをとりもどそう。


「えっと、……ニケ様は、ほんとうにお優しい。私達のようなものにも、いつもこのように接してくださって」


 ……知ってる。ニケアは誰に対してもやさしいのだろう。使用人にたいしても分け隔てない態度で接している。あとからきたくせに態度のおおきいアステマとは大違いだ。


「そんな、ニケはただ……。あ、食器を片づけますね」


「そのようなことは私が……」


 ちゃんとした家族というものがいたとすれば、家族みんなで過ごす時間というものは、本来こんな感じなんだろうか。そのようなものを持たずに育ったオレにとっては、テレビドラマの中でしかみたことのないものだ。カップ麺とコンビニの空き容器に囲まれた、忌むべき過去が頭をかすめる。オレはその記憶を振り払うように頭を振った。


「……いいさ、異世界で家族をもてたのだから」


 オレはそう独りごちた。


 すると、


 ――ギイィ。と、再度ドアがひらかれる。


 また、半身だけを部屋に入れてアステマ……。


「……すこし考えたのだが、おまえの判断はもっともだ。飢えた獣よ。……エサが欲しいのであろう。我としたことが、うかつであった……忌むべきニケのやつは、おまえにすこしずつエサを分けるという……。おまえがそのエサに目がくらんでもしかたがない。我は恨まぬ。生きるために、だれしもがおなじ選択をするであろうよ……ククッ。しかし、よく聞け飢えた獣。我の食事は、毎食みなの3人分ときまっておる」


「決まってねえよ! だいたいおまえ、食い過ぎだから!」


 そんなオレのツッコみを、スルーするアステマ。


「驚くな。いまなら……な、なんと! そこから1人分をおまえにくれてやろう……ククッ。どうだ? 太っ腹であろう。だからエルフなんぞ捨て、我の仲魔になれ」


 それを聞いたアスニャンの耳がピンと立った。瞳がおおきく見開かれ、じっ――とアステマをみている。さっきのように威嚇をしない。まさか効いている? 子ネコの心に届いている……のか? 餌か、やはり餌なのか?


 そのようすをみて、にんまりとするアステマ。悪魔の笑みをうかべた。勝利を確信したのだろう。アスニャンにその手を伸ばす……抱きかかえようとする。


 お、いけるのか?


 ――カプッ。


「ッあ!――い、いったあ!」


 おもいっきり手を噛まれたアステマ。ひとさし指を押さえて逃げ出した。バタン! と、つよくドアが閉められた。



「「「「…………………………………………」」」」



「あの……ダイスケさん」


「……いまは、なにもいうなニケア」


 気持ちを切り替えよう。おだやかな時間をとりもどそう。

 ……ニケア。そうニケアの存在だ。


 オレの嫁ニケア。透明感のあるといった表現がそのまま当てはまる、うつくしい存在。やわらかなブロンド髪からのぞくのは、ながく先のほそい耳。彼女はエルフだ。そう、まぎれもなく『異世界』の存在だ。


 この異世界について、思うところがある。異世界が、現実からの逃げだという見方もあるが、オレにはそうは思えない。


 誰もが等しく、己が活きる場所をみつけることは容易ではない『ここではない何処か』『きっと何処かにあるはず』と願う心が人にはある。誰しもが活きる場所は、きっとあるのだろうと思う。あって欲しいと願う。しかし、それが何処か? なんて、誰にも解らないのではないか? その何処か? が『異世界』であってもよいのではないだろうか。そう『異世界』というものは象徴的なものであって、そのものではない。


 オレは想う。『異世界』は、逃げなどではなく、祈りなのだ。希望を願う人の祈りそのものなのだ。そう、その敬虔な祈りにも似た願いこそ『異世界』なのだ。


 幸いにしてオレは異世界に来られた。だが、普通はまず来られないだろう。だとすれば、物語をつうじて、せめて心で異世界を旅をすることは……悪いことなのだろうか?


 すくなくともオレには元の世界の十数年よりも、こちら異世界にきてからの数ヶ月にも満たない時間の方が充実している。ここがオレの活きる場所なのだと確信している。迷いなどない。これからどんな運命がオレ達をまちかまえていようとも……。


 ――ギイィ。と、音をたてて三度みたびドアがひらかれる。

 ごくわずかな隙間からアステマが覗く。またかよ!


「くそっ………。アステマ、おまえいいかげんにしろ! オレがいま、まとめてんだから! もの想いにふけってんだよ! 異世界に来てからのいままでを、いいかんじに総括してんだよ! そんで、これからの決戦に向けて決意を示すとこなんだよ! そういう場面なんだよ!」


「そんなの、しらないし……。ニケニャン、いえ、いまはアスニャンだったね……。よく聞いて。これで最期だからね。あたしの食事の半分を餌としてあげる。人間の3人分のはんぶんだからね。きっと、食べきれないとおもうよ……おねがい。これで仲魔に……ね? もういいでしょ? だから抱っこさせて。なでなでさせて……ね? いいでしょ?」


 もはや涙目のアステマ……。

 子ネコ相手に譲歩に譲歩を重ねている。そんなに、もふもふしたいのかアステマ……。悪魔さえも虜にするもふもふ……おそろしいぜ。


 その様子をみて、椅子から降りてゆっくりと、トコトコとアステマの足下に向かう子ネコ。


「!? やっと……うう……。あたし、うれしい」泣きながら笑顔をうかべ、人差し指で、己の涙をぬぐうアステマ。その人差し指には小さな包帯が巻かれている……。


 アスニャンはアステマの足下へ進むと、その黒革ブーツの先に、ちいさなお尻をのせた。


 ぶるっ、と身体をふるわせて――


 ――シャー。


「うえ?」青ざめるアステマ。


 ――サッ、サッサッ。


 後ろ脚で砂をかけるしぐさ。アステマのブーツが液体で濡れた。


 そのままトコトコと元の椅子の位置にもどる。


「くあ! ふっざけんなよ! クソネコ!!」


 ――フーッ!!


 牙をむくちいさな獣。


「うあ!? ゴメン。って……、バカバカバカ! アスニャンのバカ! もうしらない!」


 子ネコ相手に、マジギレをすると。バタンとドアを閉めて、アステマは三度(みたび)去った。

 アスニャンはつまらなそうにあくびをして、それを見送る。


 ……えっと、なんだったっけ。


 オレはこの異世界で得た、たいせつな存在をまもるため、これから闘技場に居座る黒ドラゴンとの対決を間近に控え……。控え……。


 ……いいやもう。なんか心が折れた。いろいろと……どうでもいいや。真面目な話はやめにしていつものように、ニケアの胸をさすろう。エルフ耳を、はむはむしよう。


「なーニケア。いつもの部屋で、いっしょにミードでも飲もうか?」


 オレの言葉に、愛するエルフは頬を赤らめて、だまって首を縦にふった。


 これでいい。これが、これこそが『異世界』ですよ。

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