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『ニケアのおいしい水』

「!? あ、ダイスケさん」


 いちばん聞きたかった声。ニケアだ。


 みると耳がたれている。そうとうに目が真っ赤だった。オレのために、ずっと泣いていてくれたのか……。


「ダイスケ……おかえりなさい」


 覆い被さるように、間近にアステマの顔があらわれる。

 艶めかしく感じるその唇に、視線がいってしまう。


 オレを抱きかかえてくれているのは、こいつのようだ。


 みるとアステマも目が真っ赤。こいつは地だ。水滴がオレの頬におちるけど気にしない。なにそれ花粉症かな? …………………………………………ありがとな。


「ふたりとも……ただいま」オレはそういい、身を起こそうとするも力が入らなかった……と、いうよりも手足の感覚がまるでない。


「しばらく休んでダイスケ。まだうごけないよ。身体へのダメージが酷かったから」


「……ごめんなさい。ほんとうに、ごめなさい」


 平謝りするニケア。……いや、もともとの原因はアステマだし、君が謝ることじゃない気がする。


「いいんだニケア……もとにもどったんだね、……こっちに、きて」


 不自然に距離をとっているエルフに声をかける。その髪に、耳にふれたい。抱きしめたいという衝動。……でも、腕がまったく動かなかった。


「……ニケ。あたしの旦那様に、お水もってきて。はやく」


 そんなオレの想いをさえぎるようにアステマ『だったら、お前がもってこいよ』と、オレが口に出すまえに――


「えい」手を掲げるニケア。


「じゃなくてさ、魔法で氷だすんじゃなくて……空気よんでねニケ。あたしと、ダイスケだけにして」


「…………わかりました」


 チラとオレのほうを振り向いて、屋敷の中にもどるニケア。

 なんだろう、この遠慮している感じ……。


 そうか、ここはまだ屋敷の屋上。空は青白いドームに覆われ、ぼんやりとした光につつまれている。と、いうことは、いまだ『ドラゴン追い祭』中ということか。


「ダイスケ……あたしの旦那様。もっかい、したげるね」


「!?」


 頬に紅い髪がかかり、唇から感じたのは粘性をともなった感触。アステマの吐息といっしょにおくりこまれた舌がオレの口腔内に絡んだ。アステマの溢れんばかりの感情とともに、熱いなにかが冷えて固まったようなオレの身体に流れ込む感覚。……とっても心地よい。その心地よさに身体を委ねていると徐々に手足の感覚がもどってきた。


 どういう仕組みかは解らないが。アステマのおかげで生き返ったようだ。



 ☆



「ぷはー、うまい。水がこんなにもうまいとは……ありがとうニケア」


「……ダイスケさん。まだ飲みますか?」


「うん。もらおうかな。やっぱりニケアの水はおいしいね!」


 ニケアがだしてくれた氷のうかぶ水は冷え冷えで最高。濁りなく甘さすら感じさせるその味は、どこの名水かと。もう『ニケアのおいしい水』として、売り出したいレベルだ。


「いえ、そんな……」


 両腕で水瓶を抱えているニケア。はにかむエルフは、やっぱりすこし離れたところにいる。


「ねーねーダイスケ! あたしも褒めて! あたしなんかさ、いちばん大切な魔力をダイスケにあげたんだからね!」


 ぐいぐいくるアステマ。ずっとオレにベタっとくっついている。生き返ったばかりなのに、声うるさい。


「あん? 魔力?」


「そう、魔力だよ。悪魔はねー。伴侶にだけ、魔力をあげることができるんだよ」


「そうなのか……それでぐいぐいと選択を迫ってきたのか」


 ……っうか、どういう能力だよ。死後の世界に来て選択を迫れるとか……。もう、悪魔というか死神寄りの能力な気がするけど……アステマのことだから、いまさら驚かないけどな。


「ダイスケ死んじゃったから……。生き返らせる為には、あたしのお婿さんになって魔力を移すしか、方法がなかった。でも、よかった、ダイスケがあたしを選んでくれて」


「あれ、選ぶっていうか、脅迫じゃ……」


 みるとニケアは俯いている。


「ニケも納得してくれたんだよ。ダイスケを生き返らせるには、あたしと結婚するしかないって。あたしの魔力をぜんぶダイスケにあげるしかないって。でも、ダイスケが生き返るっていうことは、イコールあたしの旦那様。あたしを選ばなかったらそのまま死んじゃうからって。ねー? ニケ」


「(……コクリ)」うなずくニケア。


「あ、これってこれって、もしかして? あたしダイスケを寝取っちゃった? だとしたら、ニケはNTR(ネトラレ)だね! キャハハ」


「……NTR(ネトラレ)


 その単語を聞いたニケアの耳がピンと張った。

 煽るなって! また闇落ちしたらどうするんだよ!


「あれ、ニケ? キレてんの?」


「は? なんですか? キレてないですし」


 いっしゅん。片眼だけがうっすらと碧く光をはなった気がした。碧い残光がのこる。――フーッ。と深呼吸をして、息を整えるニケア。ガマンしたようだ。


 いや……寝取られてないし! つうか、寝てないから!


「…………いいんです。だって、それでもダイスケさんに会いたいから。側にいたいから……あのまま死んじゃうなんて、もう、会えないなんて、ぜったいに嫌だから。これで、いいんです……」


「ニケア……」


「だから使用人として、近くにいることを許してあげたんだよ。偉いでしょあたし。でも使用人だから、あまりダイスケに近づかないでね。ちゃんとケーヤク書にかいてあるんだからね。ケーヤクを破ると……」


「わかっています……。ありがとうございます。……アステマさん」


 アステマのやつ。オレの愛するニケアに対して、なんてこと言うんだ……。生き返らせてくれたことには感謝するが、これはやり過ぎだ。なにがケーヤクだ。くっだらない。


「でも、ほんとうによかった……こうしてお喋りできるだけでも、ニケは幸せですから。ごめんなさいダイスケさん。ニケは愚かでした。怒りに我を忘れて、怒りに支配されてしまった……そして、大切なダイスケさんを失ってしまった。そのときになってはじめて解るなんて……ほんとうに愚か」


「だいじょうぶだよ。気にしないでニケア。こうしてやさしい君にもどってくれた。誰しも心に闇をもっている。ちょっとしたきっかけで、つい堕ちてしまうことも……さいきんじゃ珍しいことじゃない」


「ありがとうございます。こんな駄目なニケに……やさしい言葉をかけてくれて」


 そんなことをいいながら、ポタポタと涙をおとしている。もう、なんて健気なんだろうニケア。オレは彼女に手を伸ばす。抱きしめて、キスをしよ――



「!?――うっ、ギャアアアアアアアアアアアアアア!!」


 ――ぱた。


 オレの身体に電撃じみた激痛がはしった。絶叫をあげて、その場でたおれる。


「はい、ダイスケ。それ、アウトー」


 薄れゆく意識。とおくに、そんな声が聞こえた。

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