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金鎖の解師  作者: 畑中希月
第二章 解師を目指す少年
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一 ニギとヒョウ

 うだるような暑さが続いた。太陽を直に浴びないですむだけ、屋内のほうがましだが、汗が流れ出てくるのは、家の中も外も同じだ。涼しくなる魔法はないのかな、と思いながら、ミナキは昼餉の準備のために、川の水を汲んでいた。


「えっと、あの」


 唐突にうしろから声をかけられ、ミナキは驚き、振り向いた。


 ちょっと距離を置いて、弟のトゥクルより少し年上くらいの少年が立っていた。肌の色は褐色で、多分、ミナキのように北部の出身ではないようだったけれど、その顔立ちはニギ人のものだった。大きな暗褐色の瞳が印象的で、半袖の上衣に膝丈の袴をはいており、小さな身体には不似合いな、大きな荷物を背負っている。遠くからきたのか、足には麻の靴を履いていた。ミナキと目を合わせたあとで、少年は辺りを見回した。


「ここ、カヌト師のお宅ですよね?」


(新弟子って、この子のことだ!)


 ミナキは頷くと、水桶をその場に置いて、カヌトを呼びにいった。

 ミナキがカヌトを連れて戻ってくると、少年は頭からつま先まで彼を見つめて、変な顔をした。


「あの、あなたがカヌト師?」


 少年がラシッド語でそう訊いたので、ミナキはびっくりした。そういえば、魔法学術協会の共通語は、ラシッド語だと聞いたことがある。まだ、文字と簡単な言葉くらいしかラシッド語を理解していないミナキは、思わず緊張した。


「いかにも、わたしがカヌトだ。ところで、ここではニギ語でしゃべってくれないか。彼女はまだ、ラシッド語を勉強中なものでね」


 カヌトが途中からニギ語で答えると、少年はぐっと唇を引き結んだ。しばしの間を置いてから、少年はニギ語で応じる。


「ずいぶん、ニギ語がお上手なんですね」


 少年はカヌトの服装を見て、彼がヒョウ人だと気づいたようだ。


「そりゃあ、ここはニギだからね。嫌でも上達するさ。君はニギ人だね? 訛りからして、王都の出か。――全くあの人は、どうしてこういう大事なことを、前もって言ってくれないのか――」


 カヌトは返答しながらも、額に手を当てて、後半を愚痴めいた呟きに変えた。「あの人」とは、おそらくカヌトの師匠のことだろう。新弟子がニギ人であることを、カヌトは知らされていなかったらしい。


「……まあ、仕方ない。そこじゃ暑いだろう。中に入りなさい」


 言われた通りに、少年はカヌトのあとに続く。高床式の家は初めてらしく、少年はカヌトに注意されて、階段の下で靴を脱ぎ、家の中に入った。ミナキは、先ほど川縁に置いてきた水桶を持ってから、階段を上る。渡り廊下を進み、(くりや)に入ると、水桶の中身を水瓶に移した。


 ミナキは居間に戻った。部屋に置いてある桶の中には、カヌトが魔法で作ってくれた氷が入っていて、部屋を少しだけ涼しくしてくれるものの、この熱気ですぐに解けてしまう。ミナキはカヌトの敷いた茣蓙の上に座った。


 カヌトは少年に席を勧めた。少年が荷を下ろし、茣蓙の上に腰かけると、カヌトは訊いた。


「それで、君、名前は?」


 少年はまだ名乗っていないことに気づいていなかったらしい。幼さの残る顔を赤くする。


「ロウです」


「それじゃ、ロウ。君の目標を聴かせてくれないか。今後の授業の参考にしたい」


解師(かいし)になることです」


 ロウは口ごもることもなく、まっすぐにカヌトを見据えて答えた。


「解師」とは、「魔法医」のような資格の一種で、解呪を極め、魔法学術協会や国の試験に合格した者に与えられるのだ、とミナキは聞いている。ちなみに「会師」という言葉もあって、協会に所属する魔法学術師のことを指すのだそうだ。


「なるほど、ね。解師か。どうして解師になりたいんだい?」


 カヌトが問うと、ロウはまたもや、はっきりと口にした。


「父が解師だったからです」


「そうか、お父上は魔法学術師なんだね。それで、君も、協会の魔法院に入ることになったのか」


「いえ、父は王都の魔法院出身です。……あの、ところで、あの人は?」


 ロウはミナキを見やった。カヌトは、しまった、という顔をする。どうやら、ミナキを紹介することを忘れていたらしい。カヌトは、魔法学のことなら何でも器用にこなす反面、どこか抜けたところがある。


「ああ、わたしも大切なことを忘れていた。彼女はミナキ。君の姉弟子だよ」


 ロウは少し眉をひそめる。


「姉弟子? 協会の魔法学術師は、一度に一人しか弟子を取らないんでしょう? どう見ても、高等課程を終了した歳には見えないし」


「彼女は魔法院出身じゃないんだ。だから、同時に二人弟子を取っても問題ないはずだよ」


 カヌトの説明に、ロウは目をみはった。ミナキは少し、むっとした。魔法院出身ではない弟子が、そんなに珍しいのだろうか。


「そういえば、気になってたんですけど、その首飾り、魔法具ですか?」


 カヌトが首から下げている金鎖を見つめて、ロウが尋ねた。カヌトは指先で金鎖に触れる。


「ああ、そうだよ。君、なかなかやるね。こいつの魔力に気づくなんて」


(あれ、魔法具なんだ……)


 毎日見ていたのに、全く気づかなかった……。ミナキは少し落ち込んだ。だが、言われてみれば、確かに金鎖はほのかな魔力を放っているような気がする。


 ロウが感心したようにうなる。


「そんなに細かい細工なのに、よく魔法図が組み込めますね」


「これはね、留め具についている飾りに、魔法図が刻み込まれているんだよ。ものすごく小さい魔法図がね。――さて、話はこのくらいにして、ロウ、そろそろ、君の寝間に案内しよう。狭い部屋だが、好きに使ってくれて構わないよ。ミナキ、すまないが、先に食事の支度を頼む。ロウを歓迎するためにも、今日はニギ料理がいいな」


 ミナキはカヌトに頷いて見せたあと、寝間を目指して短い廊下を歩いていく二人の姿を見送った。


(あの子、解師になりたいんだ)


 今年十三歳なら、ロウは自分よりふたつ年下のはずだ。自分より年下の少年が、明確な目標を持っている。そのことに、ミナキは鈍い衝撃を受けていた。

 一人前の魔法学術師になるためには、いずれどんな道に進みたいのか、そのためにどんな資格を取るべきなのか、決めておかねばならないのだ。


(わたしは、どんな魔法学術師になりたいんだろう。どんな風に生きていきたいんだろう……)


 カヌトに弟子入りしてから、忙しくて考えることもなくなっていた問いが、心に湧き起こった。その問いは焦れるような気持ちに変わり、ミナキのうちに広がっていった。




「ここが、今日から君の部屋だ」


 奥から二番目にある寝間の前で立ち止まると、カヌトはロウを振り返った。寝間は前もってミナキが掃除をし、寝具だけが積まれている。


 ロウは戸を開けて寝間を覗き込んでから、カヌトの了解を得て中に入った。重たそうな荷を壁際に置いたロウを見て、カヌトは十一年も前、自分が師に弟子入りした時のことを、かすかに思い出した。


(あの時は、長く過ごした魔法院を離れることになって、少し心細い思いをしたっけ)


 思い出を記憶の隅にしまうと、カヌトは本題を切り出すことにした。ロウの寝間に入り、声を潜める。


「実は、君に話しておきたいことがあってね」


 ロウは怪訝な顔をする。


「はい」


「ミナキのことなんだが――彼女は、さっきから一言もしゃべっていないだろう」


「ああ、そういえば……」


「彼女は声が出せないんだ。そういう病気でね。返事をしないからといって、責めないでやってくれ」


「どうして、しゃべれなくなったんですか」


 自分にも覚えのある、子どもらしい無遠慮さで、ロウは訊いてきた。カヌトは内心でため息をつく。


「ミナキには同じことを訊かないと約束してくれるなら、答えるよ」


「約束します」


 ロウの好奇に満ちた視線を感じながら、ミナキには決して聞こえぬよう、カヌトは声をいっそう潜めた。


「生まれ故郷の村が襲撃されてね、家族を殺された」


 ロウは一瞬、呆然とした表情をし、それから顔をしかめた。


「誰にやられたか、分かっているんですか」


「それ以上は訊きすぎだよ」


 カヌトがたしなめると、ロウは激しい光を宿した瞳を向けてきた。


「もしかしてヒョウ軍ですか。去年、聞きました。ヒョウ軍がニギの村々を略奪して、住民を連れ去った上に、クァラの街を攻めたって」


 それは、既にナサーンの街で、カヌトの耳に入っていた情報だった。祖国がミナキの故郷を滅ぼしたという事実を、再び眼前に突きつけられて、カヌトは暗澹あんたんたる気分になった。結局、クァラの街を攻めたヒョウ軍はニギ軍に撃退され、侵攻は失敗に終わったと聞いている。


「あなたはヒョウ人なんでしょう。それなのに、どうしてあの人は、あなたの弟子になったんですか。魔法院出身でないなら、自分で師匠を選べるのに、おかしいですよ」


 ロウの目は、憤りと、もはや隠しようもないほどのカヌトへの敵意に満ちていた。その怒りをカヌトは当然のことだと思った。


 ヒョウとニギは何度も干戈(かんか)を交えた歴史を持ち、お互いの間で敵意が強い。ナサーンのような国境に近い、ヒョウ人も多く出入りするような街や、様々な国の民が学ぶ魔法院では、それほどあからさまではないが、一般的には今のロウのような反応が自然なのだ。


 ヒョウ人が男女ともに好んで身に着ける腰布をはいていたせいで、カヌトは最初のうち、トビ村の村人から冷たい目で見られたものだ。それでも、自分がヒョウ人であることを放棄してしまうような気がして、ニギ人の男のように袴をはくことはしなかったが。


 今まで、ミナキとうまくやってこられたこと自体が、奇跡のようなものだったのだと、カヌトは思い知らされた。


 カヌトは、言葉を絞り出すように答えた。


「おかしいかどうかは、彼女が決めることだ。ミナキは筆談ならできるから、どうしてわたしの弟子になったのか、機会を見て、訊いてみるといい。……わたしは昼餉を作るのを手伝ってくる。用意ができたら呼ぶよ」


 部屋を出ながら、カヌトは振り返らずに言い置いた。


(去年の侵攻は失敗した。だからこそ、ヒョウが諦めるとは思えない……)


 六年前、ヒョウはニギに攻められ、都市アワントを占領された。その際の有能な武将の死や、国王の崩御、王位継承争いと、幾つもの不運が重なり、ヒョウ軍は統制を欠いていると聞く。事実、ヒョウはアワントを奪回しようと、何度も軍を送ったものの、全て失敗に終わっていた。その失地を回復していないのに、わずかな捕虜と略奪品を得ただけで、ヒョウがすごすごと引き下がるとは、どうしても思えなかった。


 カヌトの中で、疑念が暗雲のように膨れ上がっていく。この半年間、ミナキとの生活を築いていくことや、師として彼女を教えることにかまけていたせいか、考えてもみなかったことだ。あるいは、忌まわしい記憶から逃れるために、考えることを無意識に避けていたのかもしれない。


(ロウをあえてわたしの弟子に選んだ、師匠の思惑も気になるが――あの人の考えは謎だからな。今はそれよりも、ヒョウの動向が気になる……)


 廊下を歩きながら、カヌトはある昔馴染みの顔を思い浮かべていた。

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