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金鎖の解師  作者: 畑中希月
第一章 森の先の世界
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七 授業の始まり

 それから、ミナキはカヌトに連れられて外に出た。川のほとりで立ち止まると、カヌトはしゃがみ込んだ。


「よく見ていてごらん」


 ミナキに呼びかけると、カヌトは川面に手をかざす。


「水よ、天を衝け」


 カヌトが唱え終えると同時に、川面は盛り上がり、勢いよく空に向けほとばしった。飛沫が川縁にいるミナキにまで降り注ぐ。


「これが、水を操る魔法だ。さっき口にしたのは呪文といって、魔法を発動させる鍵のようなものだ。呪文を唱えた場合は、あれくらいの効果が期待できる」


(どうして、呪いをかけるわけじゃないのに、呪文っていうのかしら)


 ミナキの癖で、たちどころに疑問が湧いてきた。しかし、今はラーナンが手元にないので、あとで訊こうと思い定める。


 カヌトはもう一度、川面に手をかざした。


 少しの間を置いて、川面の一部が空中に持ち上がった。今度は先ほどのような勢いはなく、高さもその半分程度だった。


「これが、頭の中だけで呪文を唱えて、同じ魔法を使った場合だ。まずはこれを目標にして、練習してみようか。さ、手を水面にかざして」


 こんなにも効果が違うものなのか。不安になりながらも、ミナキは言われるままに、しゃがみ込んでカヌトの動作を真似る。


 カヌトが空を見上げた。


「そのまま、川の水が空まで昇っていく様子を想像して、頭の中で呪文を唱えてごらん。わたしの言ったものと同じでもいいし、好きな言葉で構わない。一般に、想像を掻き立てるようなものがいいとされているけどね」


 ミナキは目を閉じて、川の水が一直線に飛び上がっていく様子を思い描いた。その上で、強く念じる。


(水よ、天を衝け)


 ミナキは目を開けた。川面は、しん、と静まり返り、ただ流れ続けている。

 ミナキが落胆していると、カヌトはほほえんだ。


「最初から上手くいくはずがないさ。繰り返し、何度も挑戦して」


 ミナキは幾度も挑んだ。にもかかわらず、結果は全て同じで、水飛沫すら上げることができなかった。そのうち、昼餉を用意する時間になり、ミナキは訓練をやめ、しおしおと家に戻った。


 昼餉を食べると、落ち込んだ気持ちも、だいぶ元に戻ってきたので、ミナキはラーナンに先刻抱いた疑問を書きつけて、カヌトに見せた。


『呪いをかけるわけでもないのに、どうして魔法を使う時の言葉を、呪文というんですか?』


 質問を読んだカヌトは、それきた、という顔をした。もう答えを考えていたらしく、食後のお茶を飲みながら、口を開く。


「それはね、魔法というものの先祖のひとつが、(まじな)い――呪術だからだよ。(まじな)いは知っているね?」


 ミナキは頷いた。村の女の子の間で、好きな男の子を振り向かせる(まじな)いがはやったことがあったからだ。もっとも、好きな人などいなかったミナキは、その流行についていけなかったのだけれど。あんなことが魔法と関係があったとは知らなかった。


 カヌトは続ける。


「呪術は、神や精霊の力を借りて、望みを叶える方法だ。反対に、魔法は自然の法則を利用して、望む状態を作り出す。一見、異なるようだが、魔法というのはね、呪術の研究をしていた、西のラシッド王国のローカーンという人が編み出したものなんだ。だから、呪術を使う時に唱える呪文を応用して、魔法を発動させる鍵として、使い始めたというわけさ。分ったかい?」


『はい、ありがとうございます、先生』


 ミナキがそう書くと、カヌトは頭を掻いた。


「先生か……そんな呼ばれ方をされる日がくるとは、思ってもみなかったなあ」


 その後、二人はまた川辺に出た。カヌトはつきっきりで教えてくれたものの、ミナキは一度も魔法を成功させられなかった。




 ミナキに魔法を教え始めてから二日目、カヌトは実技の授業は早めに切り上げ、魔法図をはじめとした他の科目を教えることにした。このままでは、ミナキはどんどん落ち込み、やる気がそがれてしまうだろう。実技は、魔法学の一部にすぎないのだから、あまり囚われるべきではなかった。


 カヌトは魔法図に使われるラシッド語の文字や数字、それに図形をラーナンに書き出し、これが火、これが水、といったように、それらが何を表しているのかを教えていった。ミナキは熱心に表を眺め、文字を習得した時のような粘り強さで、ひとつずつ覚えていった。


 カヌトがミナキの非凡さに気づいたのは、魔法を教え始めて十日ほどたった頃だ。ミナキが、まだ教えていない火を起こす魔法図を描き上げ、カヌトに見せてきたのだ。


「これはどうしたんだい? どこかにこの図が描いてあったのかい?」


 驚いてカヌトが尋ねると、ミナキは戸惑ったように鉄筆を走らせた。


『先生が教えてくださったことを自分で考えて、魔法図にしてみたんですけど……わたし、間違ったことをしましたか?』


「間違っているなんてとんでもない。これは初歩の魔法図だが、一人でこれを描き上げたなら、すごいことだよ」


 カヌトは思わず興奮して、そう評した。

 ミナキには才能がある。魔法図の要素を理解して、構成するという能力が。


 弟子の才能を見出したことを喜ぶカヌトの心に、ふっと冷たいものが忍び込んだ。

 幼いうちから魔法の才能を発揮し、神童と呼ばれていた頃の記憶が、苦い思いとともに蘇る。


(ミナキには、同じ道を歩ませてはならない)


 ミナキを弟子にした時に、強く感じたことを再び心に念じると、カヌトはミナキに訊いた。


「ミナキ、水を操る魔法図を描けるかい? 風の力は使わないで、水を少し盛り上げるとか、そういったものでいいんだ」


『はい、やってみます。少し待ってくださいね』


 ミナキは魔法図を構成する文字の一覧表を見ながら、図形を描き、文字を配置していった。やがて魔法図ができあがると、カヌトは満足して頷く。


「うん、美しい。……ミナキ、この魔法図を覚えてごらん。頭の中で思い描けるくらいにね」


 しばらくの間、ミナキは魔法図と睨めっこをしていたが、やがて、『覚えました』と返事をした。やはり、ただ単に文字を覚えるよりも、魔法図を覚えるほうが、ミナキには向いているようだ。


 カヌトは自分の思いつきを確かめるために、ミナキに言った。


「じゃあ、また川に出ようか」




 ミナキはカヌトについて川辺に立った。途端に、ミナキの中で、先ほどカヌトに褒められて嬉しかった気持ちがしぼんでいく。ミナキはまだ一度も水を操ることに成功していないのだ。


 カヌトがミナキに呼びかける。


「さ、ミナキ、水が盛り上がる様子を思い浮かべて。そして、頭の中で呪文を唱えるんじゃなく、さっき覚えた魔法図を頭に描きながら、魔法を使おうとしてごらん」


ミナキは頷いた。自信はない。だが、カヌトが言うことなら、何か効果があるかもしれないと思ったのだ。


 地面にしゃがみ込み、川面に手をかざす。目を閉じて、水面が盛り上がっていく様を想像してから、自分で描いた魔法図を思い描く。ミナキの頭の中で、魔法図が回転し、光を発した。


(あ……)


 目を見開くと、魚が跳ねる時のように川面が盛り上がり、小さな飛沫を上げた。それは、ほんの一瞬のできごとだったけれど、生まれて初めてミナキの魔法が成功した、記念すべき瞬間だった。


「おめでとう。これで君も、魔法学術師の卵だ。魔法学を修めた人のことを、魔法使いではなく魔法学術師と、我々の世界では言うんだよ」


 うしろを振り仰ぐと、カヌトが嬉しそうに微笑していた。

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