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金鎖の解師  作者: 畑中希月
第一章 森の先の世界
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五 文字と魔法図

 夕暮れ時に家に帰り着くと、二人は馬の背から、今日買ってきたものを下ろし、整理した。そのあとで、カヌトは居間にあった本と、大きな枯れ葉を束ねたものを、ミナキのもとに持ってきた。


「ミナキ、これはラーナンといってね、ニギやヒョウでは、この本を形作っている紙と同じ目的で使われるんだ。つまり、文字を書いて何かを伝えるという、ね。このラーナンに書いてあるものが、ニギの文字だ。この文字を学んでみないかい? そうすれば、言いたいことをラーナンに書いて伝えられる」


 それは、願ってもないことだった。目を輝かせて何度も頷いたあとで、ミナキは、はたと気づいた。文字を練習したり、言葉を伝えるためには、相当な数のラーナンを使うことになるだろう。そんなことをして、ラーナンはなくなってしまわないだろうか。ミナキが心配していると、カヌトは外に出ていって、大きな細長い葉を二、三枚取ってきた。


「これがラーナンの正体だよ。オウギヤシの葉だ。家の傍にあるから幾らでも使える」


 ミナキは一安心した。何も言っていないのに、考えていることがカヌトに伝わったような気がして、少し嬉しい。


 カヌトは机の引き出しから、針のように先の尖った金属の取りつけられた、細い木製の棒を取り出した。


「これは鉄筆。ラーナンに文字を書くことができるんだ」


 カヌトは机の上にラーナンを載せて、先ほど見た丸みのあるニギの文字を書いていく。鉄筆で傷をつけられた部分が黒褐色に変わり、見やすくなった。


 ミナキがちょこんと隣に座ると、カヌトは文字それぞれの読み方を教えてくれた。カヌトの教え方は丁寧だった。しかし、四十以上ある文字の形と読み方を結びつけて覚えることは難しく、ミナキは頭が混乱してしまった。これでは言いたいことどころか、言葉ひとつを書くことさえままならない。


「焦る必要はないよ。少しずつ覚えていこう」


 カヌトは笑って、そう言った。ミナキは夕餉を作る時間になるまで、カヌトに文字を習った。




 ミナキは覚えが早いほうではなかったが、一度記憶したことはめったに忘れない娘だった。カヌトが文字を教え始めた日から、ミナキは暇があれば、文字の一覧を熱心に眺め、ひとつずつ確実に覚えていった。


 やがて、文字の読み書きができるようになると、ミナキは言葉を書くようになった。初めのうちは、『今日わ料理お作ります』というような具合だったが、てにをはを正しく使えるようになるまで、そう時間はかからなかった。


 カヌトが嬉しかったのは、言葉を伝えられるようになるにつれ、ミナキの表情が豊かになっていったことだ。カヌトが上達を褒めると、はにかんだような笑顔を見せる。家族と故郷を失ったせいで、いつも硬い顔つきをしていたことを思えば、これは大きな変化だった。


 さらに、ミナキの上達は、カヌトに意外なものをもたらした。教える楽しさである。今まで学ぶ楽しさしか知らなかったカヌトにとって、それは新鮮な発見だった。


(師匠も、わたしを教えていた時、同じ気持ちになったんだろうか……)


 カヌトは遠い日に思いを馳せながら、ミナキのいれてくれたお茶をすすった。




 夕餉のあと、本を読んでいたカヌトが、うつらうつらし始めた。そろそろ夜は気温が下がるようになってきたので、ミナキはカヌトの寝間に薄い掛け布団を取りにいった。


 カヌトの寝間は、本やラーナンが積み上げられ、散乱している。カヌト曰く、「ちゃんと分類して置いてある」そうだ。ミナキが掃除するようになってから、居間はだいぶ片づいたのだけれど、カヌトの癖はなかなか直らないようだ。ミナキはため息をつきながら、掛け布団を運び、カヌトの背にかけた。


 ミナキは床に積んであるラーナンに、ふと目をやった。ニギ文字を覚えたミナキには、それが異国のものであることが分かる。


 一度、カヌトにニギ語で書かれたラーナンを読ませてもらったものの、使われている言葉が難しすぎて、ミナキにはちんぷんかんぷんだった。そういう、自分には分からないものを見るたびに、もっと知りたい、という焦がれるような気持ちが湧き起る。


 以前は、そんな気持ちは知りもしなかった。好奇心を抱くことはあっても、深く追求することはせずに日々を過ごしてきた。だから、魔法使いの世界の入り口である、森の深くに足を踏み入れることもなかったのだ。


 村を襲われ、全てを失ったあの日から、自分の人生は大きく変わってしまった。もし、あの時カヌトが現れなかったら――そう考えるだけで背筋が寒くなる。今でも、自分だけが助かってしまったことには罪悪感を覚えてしまう。だが、カヌトがしてくれたことを否定したくはなかった。


 ミナキはカヌトの向かいに座って、彼が目を覚ますまで、その寝顔を見つめていた。




 その日、カヌトは居間の机に材料を載せ、魔法具を作っていた。洗濯物を干し終えたミナキは、すかさずいつもの位置に置いてあるラーナンと鉄筆を取り、床を机代わりに言葉を書きつけた。床の上では、ちょっと書き辛いけれど、今ではだいぶ慣れてきた。ミナキはラーナンをカヌトに差し出す。


『魔法具を作っているところを見ていてもいいですか?』


「ああ、いいよ、もちろん」


 許しを得たので、ミナキは邪魔にならないよう、少し離れたところから、カヌトの手元を眺めた。


 カヌトは小さな丸い金属板に、先端が光を発する針を使い、異国の文字や模様を掘りつけてゆく。その作業が終わると、器用に材料をねじ回しで組み上げ、火屋(ほや)で覆った。できあがったのは、ミナキもすっかり見慣れた硝子灯だ。この硝子灯は魔法具の中でも人気があるらしく、カヌトはよく作っている。


 カヌトは大きく伸びをした。


「さて、これでひと段落だ――ああ、そういえば、あれを忘れていた。そろそろ持っていかなきゃな」


 カヌトは外に出ると、前にナサーンで預かった花瓶と、家の前に咲いている一輪の白い花を持って戻ってきた。そういえば、あの花瓶は、魔法具の材料と一緒に、倉に置いてあったのだった。


 カヌトは机の上に花瓶を置いて、梱包を解き、花を挿した。摘んだばかりの白い花は、見る見るうちに枯れて、半分ほどが茶色に変わり、くたっとなってしまった。


(さっきまで、あんなに元気だったのに……)


 その変化はあまりに急激で、ミナキの胸は刺されたように痛んだ。


「なるほど。確かに花が枯れる花瓶だな。一体どうして、こうなったのやら」


 花を取り出して呟くと、カヌトは何か唱えながら、花瓶に手をかざした。花瓶が薄く発光し始める。しばらくしてから、カヌトは目を上げ、花瓶をひと撫でした。


「これは、故障ではなく呪いだな。埋め込まれた魔法図は正確だが、配列が花を生かすものではなく、枯れさせるものになっている」


 カヌトは再び、口を動かしながら花瓶を撫でた。今度はささやかな光ではなく、強い光が花瓶の表面を覆う。異国の文字が書かれ、円で囲まれた四角い図形が宙に浮かんだ。それは、先ほどまでカヌトが描いていた図形とよく似ていた。


 カヌトの指先が光を帯びる。指で図形の中の字を幾つか消し、別の字に書き替える。ほどなくして図形は消え、あとには花瓶と枯れた花が残った。


 カヌトはミナキを見た。


「ミナキ、この花を花瓶に挿してごらん」


 ミナキはまだ不思議な光景に圧倒されていたものの、立ち上がって、言われた通りにした。すると、花は命を吹き返したかのように、真っ白に咲き誇った。


(わあ……)


 元気になった花の美しさは、ミナキの心まで明るく照らし出してくれるようだった。ミナキが驚いて花を見つめていると、カヌトはほほえんだ。


「それが、この花瓶の本来の姿さ。花を瑞々しく保つという、ね」


 急に疑問が湧いてきて、ミナキはラーナンを取りに戻り、質問を書き綴った。


『どうして、枯れた花が元気になったんですか? 魔法では、死んだものは元に戻せないんでしょう』


 家族が亡くなった時に、カヌトに言われたことが頭の中に蘇る。重苦しい気持ちにならなかったのは、どうしてもその疑問の答えを知りたかったからだ。


 質問を読んだカヌトは、不意を突かれたような顔をし、「ふーむ」と考え込む仕草をした。


「そうだな、何と説明すればいいか……まず、植物の死は、人や動物の死とは違うんだ。人や動物が死ぬのは、心臓が止まった時だ。……まあ、再び心臓が動き出すこともあるそうだがね。だが、植物は切られても、茎を水につけておけば、しばらくは枯れないし、接ぎ木すれば、そのまま生き続けることができる。野菜だってそうだろう? 収穫しても放っておけば、芽が伸びてきて、花が咲くことだってある。つまり、植物はそれだけ生命力が強いということだ」


 カヌトは花瓶に触れた。


「この花瓶は、植物のそういう特性を上手く利用しているのさ。もちろん、完全に枯れてしまった花は元には戻せないが、この花は枯れたばかりだった。しかも花や葉の色は、完全には変色していなかったからね。だから、まだ生きていたわけだ。この花瓶には、水や肥料のように、植物の生命力を刺激する魔法図――要は、魔法具がどういう風に動くかを決める図形だね――が埋め込まれているんだ。君の怪我を魔法で治した時、普通に怪我が治るよりもずっと早く、傷が塞がっただろう。つまりは、あれと同じようなことなんだ」


 ミナキは真剣に聴いていたのだけれど、また新たな疑問が次々と浮かび上がってくるのを止められなかった。


『花を枯らしてしまった、呪いって何ですか? 魔法使いは呪いをかけると、聞いたことがあるんですけど……。どうやって呪いを解いたんですか?』


「ミナキは知りたがり屋だなあ」


 カヌトは、先ほどよりも余裕を持ちながら、なぜか嬉しそうに笑った。


「呪いというのは、ちょっと大げさかな。言うなれば、悪い作用のことだよ。この花瓶にかけられていたような、ね。悪意を持って魔法図が書き替えられていたりすると、呪いをかけられた、といったりするよ。他にも、最初から明確に人を傷つける目的で作られた魔法具は、禁法具(きんぽうぐ)といって、見つけたらすぐに魔法学術協会に連絡して、引き取ってもらわなければならないんだ。魔法を使わない人が、魔法使いは呪いをかける、といったりするのは、そういったことが原因だろうね」


 カヌトは一息つくと、おもむろに立ち上がった。


「お茶を沸かしてくる」


 手伝うために、ミナキも腰を上げる。二人は(くりや)へ向かった。


「どうやって呪いを解いたかだけどね。呪いを解くことは解呪といって、その取っかりは、魔法図を読み解くことなんだ」


 厨に入ると、カヌトはひしゃくを手に取り、水瓶の水で土瓶の中をすすぎ、新たに水と茶葉を入れる。


「魔法図から、呪いの原因になっているものを見つけ出し、それを消してしまえば、解呪は成功だ」


 いつものように指先から薪に火を灯し、カヌトは五徳の上に土瓶を置く。二人は炉端に座り、お茶が沸くのを待った。その傍ら、カヌトが語を継いだ。


「だがね、それでは魔法具は、ただのがらくたになってしまう。だからさっきは、呪いを消したあとで、魔法図を、元はこうだったろうな、という状態に戻したんだ」


(そういうことだったんだ)


 疑問が解けた瞬間、ミナキの胸は興奮で熱く燃えた。


 魔法や魔法具は、ただ不思議なだけではなく、きちんとした筋道に沿って存在している。稲が種もみから芽を出して、水や大地の養分ですくすくと育っていくように。

 それなら、方法さえ学べば、文字を覚えられたのと一緒で、自分にも魔法が使えるのではないだろうか。


(ううん、使えなくてもいい。魔法のことをもっと知ることができるなら……)


 カヌトには、文字だけでなく、もっと多くのことを教えてもらいたい。そう考えるだけで、闇に包まれていた自分の未来に、一筋の光が射すような気がした。


 お湯の沸騰を告げる、しゅんしゅんという音が、ミナキの耳に届く。


「さあ、お茶が沸いたよ。ミナキも飲むかい?」


 ミナキは頷くと、茶碗を二人分取ってくるために身を起こした。

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