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金鎖の解師  作者: 畑中希月
第一章 森の先の世界
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三 魔法使いの家

 森の中は、わずかに月光が射し込むだけで、入り口に足を踏み入れたミナキたちは、ほとんど闇に溶け込んでいた。カヌトは異国語を唱えると、掌に光球を出現させた。松明を灯した時よりも遥かに明るく、辺りが照らし出される。ミナキが魔法の力に驚いていると、カヌトは何でもないような顔で振り返り、「さあ、いこうか」と声をかけてきた。


 今日初めて口をきいた人についていくのは、正直抵抗があった。だが、カヌトには助けてもらったし、どう考えても悪い人だとは思えなかった。それに、母も言っていた。あの人はいい人よ、と。


 ミナキは最初はおずおずと、途中からは覚悟を決めて、カヌトについて森の中を歩いていった。一人だったら心細くて、途中で座り込んでしまっていたかもしれない。


 カヌトは星を見上げ、方角を確認しながら進んでいく。光球のおかげで、ミナキは木の根につまずくこともなく、歩き続けることができた。


 森を出ると、ナーヤ川が見え、その脇に延びる街道を挟んだところに、トビ村の家々と同じ、高床式の家が建っていた。右隣には(うまや)が建っており、カヌトは中を覗き込むと、何か声をかけ、戻ってきた。


「あとで、馬に餌をやらないとな。まず、わたしたちが腹ごしらえをするとしよう」


 カヌトは家の階段の下で草履を脱ぐと、階を上っていった。自分の村の習慣と同じだったので、ミナキはほっとして草履を脱ぐ。


 カヌトの家はミナキの見慣れた茅葺きの切妻屋根で、裕福な農家のように木造だった。階段を上がると、屋根のない渡り廊下の手前に小さな建物があり、奥に母屋らしき大きな建物がある。ミナキはカヌトのあとに続いて母屋の戸口に立った。


 暗い家の中が、光球によって明るくなる。カヌトは床から透明な楕円形の筒を取ると、何事か呟いた。光球が消えた代わりに、カヌトの指先に小さな火が灯る。カヌトはその火を筒の中に移した。見る間に炎は大きくなり、光に照らされていた時と同じくらいに、辺りを明るく照らす。これも魔法の力なのだろうか。


 カヌトは筒を床に置いた。


「ここが我が家だ。歓迎するよ、ミナキ。……ちょっと散らかってるがね」


 ミナキは家の中を見回した。入り口から少し離れたところに机が一前ある。木の床の上には、表面に模様が描かれた分厚い板のようなものが、幾つも積み上げられ、散乱していた。細長い大きな枯れ葉を束ねたようなものもたくさんあり、そこには何か細かい模様が彫ってある。カヌトはそれらをどけながら、部屋の隅に丸めて置いてあった茣蓙を、木の床の上に敷いた。


(ちょっとどころじゃない気がするんだけど)


 ミナキは少し呆れながら、カヌトに勧められるまま、茣蓙の上に座った。


「さて、料理を作らなきゃな。(くりや)にいってくるよ」


 カヌトが渡り廊下に出る。トビ村の家々と同じなら、手前にあった小さな建物が厨のはずだ。何か手伝えることはないかと思い、ミナキは立ち上がり、彼についていくことにした。それに、本音を言えば、一人でいるのが心細かったのだ。カヌトはこちらをちょっと振り返ると、「ついておいで」と言ってくれた。


 二人は渡り廊下を歩き、厨に入った。カヌトは床に仕切られている囲炉裏の薪に、指先から火を点けると、釜を五徳の上に置く。今度は別の五徳に鍋をかけ、刻んだ玉ねぎとにんにくと生姜に香辛料をまぶし、多めの油で炒めてから、水と魚醤を入れた。


 それは、ミナキの知らない料理だった。カヌトは忙しく立ち働いているというのに、どう手伝ってよいものやら分からず、ミナキは途方に暮れた。親しい間柄というわけでもないのに、今日のミナキときたら、彼に世話になってばかりだ。


「ミナキ、そこにあるお椀を四つ、取ってくれないかい? それから、お盆を二枚」


 カヌトが棚を指差したので、ミナキはようやく少しは役に立てると、張り切って椀と盆を取り、カヌトに手渡した。


 しばらくたつと、鍋からいい匂いが流れてきた。空腹が限界に達していて、ミナキは早く食べたくてたまらなかったけれど、カヌトは鍋の中の水気がなくなるまで待った。よい頃合いになると、カヌトは湯気の立ち上る窯から椀に米をよそい、もうひとつの碗に鍋の中のおかずを入れて、匙と一緒に盆に載せてミナキに手渡してくれた。


 居間に戻った二人は、茣蓙の上に座った。


「ルヒという料理だ。ご飯にかけてごらん。口に合うといいんだが」


 がつがつ食べないように気をつけながら、ミナキはできたてのご飯にそっとルヒをかけてから、口に入れた。ルヒはミナキが普段から食べていたガランに食べ方が似ており、油っぽいが辛味が抑えられていて、おいしかった。


 同じくお腹が空いていたはずのカヌトも、食事を取り始め、二人はしばしの間黙々と食べることに専念した。  


食べ終えると、ミナキは、ごちそうさまでした、という代わりに、鼻の前で両の掌を交差させ、カヌトに向けて目上の人への深いお辞儀をした。本当はお礼が言いたかった。しかし、声を出そうにも出せないミナキにとっては、これが精一杯だった。


 カヌトはほほえんだ。


「気にすることはないんだよ。今日のことは、わたしがしたくてしたことだからね。さて、片づけを手伝ってもらおうかな。そしたら、眠ろう。部屋に案内するよ」


 食事の後片づけが終わると、ミナキは寝間に通された。人一人が横になれるくらいの小さな部屋で、掃除をあまりしていないのか、少し埃っぽかった。ともあれ、家をなくしたミナキにはありがたい。


「じゃあ、おやすみ。わたしは馬に餌をやってくるよ」


 そう言って、カヌトは去っていった。


 薄い敷布団の上に横たわり、掛け布団をかけると、どっと疲れが出た。今日のことを思い返すと、忘れていた涙が、また溢れてくる。


 家族も友達も村も声も失って、自分はこれからどうなるのだろう。そう考えるだけで、ぽっかりと口を開けた暗い穴の中に落ちてしまったような気分になった。


 もう、稲穂の揺れるあの場所には戻れないのだ。


 ミナキはそのまま泣き続け、気づかぬうちに深い眠りに落ちていた。




 鳥のさえずりでミナキは目を覚ました。一瞬、自分がどこにいるのか分からず、見慣れぬ天井を見上げているうちに、昨日のことを思い出す。


 そうだ、父さんも母さんもトゥクルも、村の皆も、もういないのだ。


 それは、虚ろな実感だった。涸れてしまったのか、涙は一粒も流れてこなかった。


(そういえば……)


 もうひとつの苦い記憶が迫り上がってきて、ミナキは声を出そうとした。やはり、息が漏れるだけで、声が全く出てこない。気が滅入りそうになりながらも、ミナキは起き上がった。ここが他人の家である以上、ずっと寝てばかりもいられない。布団を畳み、髪を手指で整え、服の皺を伸ばすと、ミナキは寝間を出た。


 居間にいくと、カヌトが床に積んであるものを開いて眺めていた。それは積み上がっている時は板に似ていたが、カヌトがめくるたびに柔らかそうにしなり、一枚一枚が驚くほど薄かった。


(あれは何なのかしら)


 ミナキが不思議に思っていると、ようやく気づいたのか、カヌトがくるりとこちらを向いた。


「やあ、おはよう。うん? この本が気になるのかい? これは北の国で書かれた書物だよ」


 カヌトは「本」と呼んだものを、掲げて見せた。表面に書かれた角張った模様を、ミナキがしげしげと見つめていると、カヌトが訊いてきた。


「ミナキ、文字は読めるかい?」


 ミナキは首を横に振った。「文字」というものがあることは知っている。だが、それを扱えるのは、大きな村にある僧院で学んだような人だけだった。


 カヌトは残念そうに言った。


「そうか。これが読めたり書けたりすれば、色々と便利で、話せなくても意思の疎通ができるんだが……。さて、ちょうどいい時間だね。そろそろ食事を作ろうか」


 今日は料理を手伝いたくて、ミナキが率先して厨に向かうと、カヌトは笑って野菜を切らせてくれた。朝餉は炊き立てのご飯と、香辛料で味つけした野菜の汁物で、ミナキはありがたくいただいた。


 食事中、ふと、カヌトが口を開いた。


「今日はナサーンという街にいって、君を医師に診せようと思っている。友人に、腕のいいのがいてね。ついでに買い物にもいくつもりだから、何が欲しいか考えておいてくれ」


 ミナキは驚いてカヌトを見つめた。昨日口をきいたばかりの人に、そこまで世話になるわけにはいかない。


 ミナキの表情に何を思ったのか、カヌトは問いかけた。


「ミナキ、君、身を寄せられそうな親戚や知り合いに心当たりは?」


 ミナキはまた、首を横に振った。隣村に親戚はいる。けれど、皆、生活に手一杯で、声を失ったミナキの面倒など見る余裕はないだろう。何より、周りの村がヒョウ軍に襲われていない保証はどこにもない。もし向かった先が、トビ村のように廃墟になっていたら……。


 ミナキは怖かった。知っている人たちが、酷い目に遭ったと見聞きするのは、もうたくさんだった。

 カヌトは、「そうか」とひとつ頷いて、言葉を継いだ。


「それなら、何年かたって君が独り立ちするまで、うちにいるといい。それくらいの余裕はあるし、手伝ってもらいたいことは山ほどある。わたしは簡単な料理は作れるが、その他の家事は、見ての通り、苦手でね。君の手が借りられるなら、ありがたい。わたしはヒョウ人だから、君とは色々習慣が違うところもあると思うが……」


 思いがけない言葉に、ミナキは唖然とした。そんな風に言ってもらえるなんて、思ってもみなかったのだ。急に胸の奥が熱くなり、涙がじんわりと滲んだ。もう涸れたと思っていたのに、どうして涙が出てくるのか、自分でもよく分からない。


 カヌトはびっくりしたらしく、慌てたように訊いてきた。


「嫌なのかい?」


 ミナキは、ぶんぶんとかぶりを振った。断ってしまったら、どこにもいくあてがないし、何より、カヌトが差し伸べてくれた手を、振り払ってしまうことになる。


 昨日まで、ミナキの思い描く未来は単純だった。一家に一人しかいない娘として、数年後には婿を迎えて、やがて子を産んで、農民として生きてゆく。その前に外の世界を見てみたいとは思っていた。しかし、こんな形で望みが叶っても少しも嬉しくはない。


 全てがひっくり返ってしまった今では、これからどう生きていけばよいのか分からない。それでも、住むところと当面の仕事は見つかった。


 ミナキは空虚だった心が、少しだけ満たされたような気がした。

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