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金鎖の解師  作者: 畑中希月
第二章 解師を目指す少年

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六 ヒョウの情勢

 弟子たちがそれぞれの寝間で夢を見ている頃、カヌトはカゥとともに、居間に敷いた茣蓙の上に座っていた。灯りはミナキが最初に作った硝子灯で、カヌトの作る実用的な意匠とは違い、少女の好みそうな可愛らしい形をしている。


 日中の天気で乾かなかった洗濯物と一緒に、天井から吊り下げられたメムを見上げ、カヌトは口元を綻ばせた。


「今日はありがとう。二人とも喜んでいたよ」


「いいや、俺こそ勉強になったよ。教える側が教わる側に勉強させてもらうっていうのは、真理だな」


 カゥはサナタック(蒸留したヤシ酒)を口に運んだ。ミナキと暮らすようになってから、カヌトは酒を飲まなくなっていたが、久し振りにカゥと酒を酌み交わしたくなったので、酒壺を開けたのだった。


「カヌト、お前、すっかり教師が板についてきたじゃねえか。昔から、俺やシーリャに勉強、教えてくれてたもんな。俺なんか、あれで落第せずにすんだようなもんだぜ。師匠に弟子入りしたあとも、試験前には世話になったよな」


 カゥは懐かしい話をした。サナタックを口に含みながら、カヌトは微笑する。


「取り得が勉強くらいしかなかったからね。役に立ててよかったよ」


「おいおい、顔もいいくせに、何言ってるんだよ。数少ない女生徒のほとんどが、お前に熱を上げてたろ」


「そうだったかなあ。まあ、シーリャは確実に違ったようだけどね」


「あいつは、女として男を見てないからな。口説きようがなくてつまらん」


 カゥがシーリャのことを憎からず思っていると知っているカヌトは、ほほえんだ。彼らが今でも、以前と変わりなく自分と接してくれることが、嬉しかった。


「それにしても、お前がニギ人を二人も弟子にして、上手くやってるとはなあ。お前がニギに住むことになった時は、どうなることかと思ったもんだが、時の流れってのは、悪いことばかりじゃねえな。ミナキを見た時は深く考えずに言っちまったが、本当にニギ人の嫁さんをもらえそうだな」


 感慨深げに話すカゥに対し、カヌトは苦笑する。


「相手が何と思うやら、だな。――ところで、カゥ、例の話だが……」


 カヌトは昔話をするためにカゥを呼んだのではない。探って欲しい情報があったからこそ、彼に宛てて書状を書き、ニギ支部の共通の知人に託したのだ。

 カゥはひとつ頷くと、声を低めた。


「王都までいってみたが、今のところ、ヒョウは戦の準備はしていないようだ」


 カヌトは少しほっとして、目で話の続きを促した。


「ただな、王も民も、やはり占領されたアワントを取り返したいと思っているようでな。アワントを直接奪い返すか、それとも他の都市なり属国なりを奪取して、それを交渉材料に間接的に奪い返すか、そのどちらかを考えているんだろうよ」


「だが、都市攻略は、去年失敗した」


「そうだ。それで士気が下がっちまって、民の意見は割れてる。何が何でもニギに一泡吹かせてやろうとする主戦派と、今ある領土を死守しようとする防戦派とにな」


「どちらにせよ、ヒョウとニギの仲は最悪だ。ニギの女人と結婚するのは夢のまた夢だな」


 カヌトが軽く皮肉ると、カゥはため息まじりに言った。


「なあ、カヌト。俺は、あちこち旅をしていて思うようになったんだが、生まれついた国同士の関係っていうのは、人と人との関係に致命的な影響を与えるほど、絶対的なものじゃないぜ。そりゃ、戦や上の方針なんかの時代の流れで、大きな影響を受けることもあるけどな。それでも、個人として出会えば、人は国なんか関係なく、友達にもなれば、惚れもする。お前も、あの子たちを弟子にしてから、そう考えることも増えたんじゃないか?」


 カヌトは目を伏せた。


「カゥ、わたしは時代の流れに呑み込まれて、致命的なことをしてしまった人間なんだよ。そして、わたしの罪は、ニギ人には到底許せないものだ。……あの子たちも、おそらく、わたしのことは許せないだろう」


「決めつけるなよ」


 カゥは怒ったように、サナタックをぐいっとあおった。


「俺やシーリャはニギ人じゃないが、お前のことを許せないなんて思っちゃいねえよ。もう少し、人を信じてみちゃどうだ」


 カヌトはカゥの杯にサナタックを注ぎながら、力なく笑う。


「わたしは人の情というものに、もう、どうしようもなく疲れてしまったよ。叶うものなら、ここでひっそり暮らしていたかった」


 それでも、あの時、ミナキを放り出すことは、自分にはどうしてもできなかった。


「じゃあ、どうして二人も弟子を取ることになったんだよ? 昼間、あとで説明するって言ったよな」


 カゥに催促され、カヌトはミナキを助けたことや、彼女を弟子にした経緯を語った。


「なるほどな。それであの()は話すことができなくなっちまったってわけか。気の毒にな……。まあ、お前が引き取る気になったのも、何となく分かるよ。それじゃ、ロウのほうは?」


 ロウを弟子にするよう、師に命じられたことや、彼がヒョウとの戦で両親を失ったことをカヌトが話すと、カゥは首をひねった。


「妙だな」


「だろう?」


「お前とミナキが出会ったことは偶然だろう。けど、ロウまでそんな具合に両親を亡くしていたとなると、これはもう、作為だな」


 カゥの言葉に、カヌトは頷く。


「問題は、どうして師匠が、わざわざロウの師に、わたしを指名したかなんだよ。周りは大反対しただろうにね」


「確かに気になるな。カヌト、俺、ここを出たら、ちょっとニギ支部に寄ってみるわ。支部長から、何か聞き出せるかもしれん」


「そうしてくれると助かる。わたしじゃ、まだあちらには顔を出しづらくてね」


 頼りがいのある親友にそう言うと、カヌトは杯に残っていたサナタックを飲み干した。




 それから、カゥは七日ほどカヌトの家に留まり、ミナキとロウに魔法薬学を教えてくれた。カゥの授業は一日目のように実践的なもので、薬草と毒草の見分け方や毒草を利用した薬の作り方など、勉強になることばかりだった。薬草を探す場所も、野原から森の中まで、かなりの範囲に及んだ。


 その間に、晴れ間を利用して日干しや日陰での乾燥を繰り返し、ミナキが取ってきたメムは、立派なお茶になった。カゥが出立する直前に、ミナキはメムのお茶をいれて皆に振る舞うことにした。メムのお茶は、えも言われぬいい匂いがして心が安らいだ。


「いい香りだなあ。お前さんがメムを見つけてくれたおかげだ。ありがとうな、ミナキ」


 カゥの言葉が、ミナキにはとても嬉しかった。


 階段を下りたカゥは、馬の背に鞍を置き、荷を積んだ。ミナキはカヌトとロウとともに、カゥを見送った。カゥは馬に乗る前に振り返り、ミナキとロウを呼ぶと、囁いた。


「お前さんたちの師匠を、よろしく頼む」


「え? 何ですか、一体。普通、師匠が頼まれる側でしょ」


ロウが訝しげに訊いたが、カゥはちょっと笑っただけだった。


「じゃあな」


 カゥが馬に乗り、アシ山脈のほうに向かっていったあとも、カゥの台詞はミナキの心に奇妙な余韻を残した。


 ミナキがその言葉を思い出すのは、何か月も先のことになる。

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