三 ロウの手料理
朝の光が、窓から射し込んでいる。
今日はミナキが朝餉を作る当番だ。朝の気怠さを振り払い、ミナキが厨に向かうと、既にカヌトがいた。ミナキに気づくと、カヌトは振り向く。
「やあ、おはよう。今朝は、わたしが料理を作るよ。いつも二人に作ってもらって、悪いからね」
確かに、ロウがきてからというもの、カヌトが厨に立つことは、ほぼなくなった。ロウは料理の腕はまだまだで、作れるものも少ない。それでも、料理当番は、ミナキと彼が交代で務めている。
(先生、何を作ってくれるのかな)
久し振りにカヌトの手料理が食べられると分かり、ミナキは嬉しくなった。
それから間もなく、起きてきたロウが二人の姿を捜して厨に現れたので、カヌトは同じことを伝えた。ミナキとロウは、炉端で料理ができあがるのを待つことにした。
カヌトは細かく刻んだ生姜とニンニクと玉葱を鍋で炒め、水を加え、干した鯰で出汁を取った。豆粉を入れたあとで、香辛料と魚醤を入れて煮る。
カヌトは水で戻した米麺を熱湯でさっと茹で、ざるに載せて水洗いしてから、みっつの大きな椀に入れた。それから、煮立てた汁物を、上からなみなみとかける。最後にウルィー(果物)の茎の芯と玉葱を切ったものを上に載せて、料理は完成した。
「できたよ」
それは、ロウがくる前に作ってもらったことがある、ヒョウのミルヒグという料理だった。ニギにも米麺の料理があることも手伝って、鯰の風味と香辛料が旨味となっているミルヒグは、ミナキの好みだった。
「さあ、これを居間に運んで」
湯気を立てる椀を載せた盆を、カヌトから手渡されたロウは黙り込んでいた。しばらくして、彼は口を開く。
「……これ、ヒョウの料理でしょう?」
「そうだよ。久し振りに食べたくなってね。麺料理はニギにもあるだろう?」
「あるけど……俺、これは食べません。ヒョウの料理は口に入れたくないから。魔法院でもそうしていたんです」
きっぱりとロウは宣言した。
あまりのことに、ミナキは凍りついたように動けなかった。
カヌトは少しの間絶句し、やがて、静かに言った。
「それは構わないが、家にある食材には限りがあるし、街までは遠いから、今すぐ買ってくるわけにもいかない――だから、今日の君の朝餉はなしだ」
「構いません。もとからそのつもりですから。これ、居間に置いておけばいいですか?」
カヌトが頷くと、ロウは盆を両手に、厨を出ていった。
いつもより閑散とした居間で、ミナキはカヌトと二人切りで食事を取った。ミナキはロウの分のミルヒグも平らげた。カヌトの作ったミルヒグはとてもおいしかったものの、ミナキは、さっきから腹立ちが治まらなかった。
ニギ人がヒョウを快く思わない気持ちは分かる。だが、カヌトがせっかく作ってくれた料理を食べないのは、いくら何でも失礼だし、酷いと思った。特に、明らかにいつもより言葉数が少なくなっているカヌトを見ると、心が痛んだ。弟子にこんな仕打ちをされても、カヌトはこれから、ロウのために授業をしなければならないのだ。
鍋と食器を洗い終えたあとで、ミナキは居間でラーナンに文章を書きつけ、鉄筆を持ったまま、ずかずかとロウの寝間に向かった。
殴りつけるような勢いで、ミナキは寝間の戸を叩く。ほどなく、ロウが迷惑そうな顔で戸を開けた。
「何ですか? そんなに叩かなくても、聞こえてますよ」
ぼやくロウの前に、ミナキはラーナンを突き出す。
『どうして先生の料理を食べなかったの? 先生の気持ちになって考えたことある? あなたのしたことは、とんでもなく失礼なことなのよ!』
文章を読み終えたロウは一瞬間を置いて、かっとした表情になった。
「理由ならさっき言っただろ! 俺はヒョウの料理なんて食べたくないんだよ! 特にヒョウ人の作ったヒョウ料理なんて、まっぴらごめんだ!」
口調もいつもと違い、完全に喧嘩腰になっている。
「お前こそ何だよ! ニギ人の癖に、ヒョウ料理なんて食いやがって。大体、変なんだよ! ヒョウ人に酷い目に遭わされたのに、ヒョウ人の弟子に進んでなるなんて! 俺には考えられないね!」
ロウはミナキの身に何が起きたのか知っている。おそらく、カヌトが教えたのだろう。
(こんな奴に知られたくなかった……)
だが、カヌトのことだ。きっと何か理由があって話したのだろう。くじけそうになりながらも、ミナキはぐっとロウのことを睨みつけた。話すことができれば、何倍にもして言い返せるのだけれど、今の自分にはそれができない。ミナキは歯がゆくてならなかった。
それでも、言われっぱなしになるのは癪だった。ミナキは床に座り込んで、右手に持っていた鉄筆をラーナンに走らせた。
『あなたこそ変よ! 一食抜いても、魔法院にいた時から、ヒョウ料理は食べないなんて! どうしてそんなにヒョウが嫌いなのよ!』
再びラーナンを突きつけられたロウもまた、ミナキのことを睨み返した。
「変なもんか! 俺の両親は、二人ともニギの魔法学術師だった。父親は軍属の解師で、母親は軍の魔法医だったよ。……それが六年前のヒョウとの戦に駆り出されて、二人とも殺された。二人とも、誰を傷つけたわけでもない。誰かを殺したわけでもないのに……」
ミナキが呆気に取られていると、ロウは語を継いだ。
「だから、俺は死ぬほどヒョウが嫌いだ。……それでも、俺が変だって言うのかよ」
ミナキは返す言葉がなかった。理由も分からないのに殺されたのは、ミナキの家族も同じだった。ミナキはずっと考え続けてきた。多くの人たちは連れ去られたのに、なぜ、家族が殺されねばならなかったのかを。
父の傍らには鋤が落ちていた。だから、父が殺されたのは、ヒョウの兵士に抵抗したためだったのかもしれない。それで父は殺され、その光景を目の当たりにした母と弟も、生きて連れていかれることを拒み、逆上した兵士に殺されてしまったのかもしれない。
ロウもきっと、同じような問いを何度も重ねてきたのだろう。そう思うと、反論する気が萎えた。
「その戦を仕かけてきたのは、ニギだ」
突然、背後から低めた声がした。ミナキが振り返ると、そこにはカヌトが立っていた。
「ヒョウ人にもたくさんの死者が出て、たくさんの人が労働力として連れ去られ、ヒョウ人のものだった街は奪われた。――ヒョウを憎むのは自由だが、それだけは、忘れないでくれ」
カヌトの瞳には、怒りとも悲しみともつかない光が揺れていた。その時のカヌトの表情は、深く長くミナキの心に残った。
カヌトは唇を結ぶと、廊下を去っていった。
「くそっ! 何なんだよ、あいつ! 何なんだよ!」
寝間の戸口で、悔しまぎれにわめくロウの声が、どこか遠くから聞こえてくるように、ミナキには感じられた。
それから、ロウは何も言わずに家を出、昼餉の時間になっても戻らなかった。カヌトは何も言わなかったものの、気にしているのは明らかで、ロウのための授業が始まっても、しばらくは彼の帰りを待っていた。
赤い西日が家を照らし、日が完全に沈みそうになった頃、ようやくロウが帰ってきた。ロウはカヌトと口をきこうとしなかったし、カヌトも彼に話しかけようとはしなかった。けれど、ミナキは何となくほっとした。二食抜いて、よほどお腹が空いていたのだろう。ロウはミナキの作ったガランを、瞬く間に平らげた。
寝間に戻ったミナキは、膝を抱えながら、今日あったことを思い返した。
両親を殺されたロウの怒り、ヒョウ人として、口を挟まずにはいられなかったカヌトの思い――そのどちらの気持ちも、ミナキには分かるような気がした。これは、ヒョウ人に家族を殺され、ヒョウ人に助けられた自分だからこそ、理解できることだった。
(わたしじゃ、二人の橋渡しになることはできないのかな……)
ふと、そんな思いが浮かんだ。思い上がりかもしれない。しかし、今、二人の仲を取り持てるのは、この家に自分しかいなかった。
ミナキは会話用のラーナンを手に取ると、カヌトから好きに使っていいと言われている鉄筆を握った。
敷布団の上に横たわりながら、ロウは今朝のことを思い返し、寝返りを打っていた。今日は日がな一日、家を離れ、森の中や野原をふらふらして過ごした。にもかかわらず、カヌトに言われたことは、なかなか消えていってくれなかった。
魔法院では、ヒョウ料理を残すことと、ヒョウが嫌いだと公言することで、ヒョウ人の生徒からは、ずいぶん嫌われたものだ。それでも、ロウは平気だった。
自分は正しいのだと、ずっと思ってきた。親戚たちは、両親のことを、勝ち戦で命を落とした英雄だと言って慰めてくれたし、ロウもその言葉を信じていた。信じなければ、自分を襲った理不尽に、とても耐えられなかった。
だから、カヌトにニギの正義を否定された時は、腹が立ったし、混乱もした。あの戦はニギの領土を広げ、民を豊かにするためのもので、実際そうなったのだと、ロウは今まで親戚たちから教えられてきたのだ。
昨年、ニギにヒョウが攻め込んできたと聞いた際、ロウは本気で怒ったものだ。その被害者であるミナキから、カヌトのことで責められ、ロウは訳が分からなかった。
そもそも、カヌトたちヒョウ人からすれば、自分たちニギ人のほうこそ侵略者だったのだ。
そう認めてしまえば、両親を否定することになる。だから、ロウは一日中、喉が詰まったかのような不愉快さを抱え、カヌトを避けて過ごすことになった。
夕餉の時はやり過ごしたけれど、正直、明日から、どうやってカヌトと接していけばよいのか分からない。
そんなことを考えていると、寝間の戸を控えめに叩く音がした。戸は施錠していないし、開けるのも面倒だったので、ロウは「はーい」と、返事だけをした。すると、戸が開く音がして、ミナキが朝とは違って遠慮がちに、戸口からこちらを覗き込んでいる。ロウは驚いて飛び起きる。
「うわっ! 何だよ?」
ミナキは寝間に入ると、ラーナンを差し出してきた。ラーナンの青い香りが束の間漂う。また自分を責める言葉が書かれていないことを祈りながら、ロウはラーナンに刻まれた文章を読んだ。
そこには、ミナキがカヌトに助けられ、ここに住まわせてもらったことや、カヌトが見せてくれた魔法具の不思議な力に魅せられ、カヌトに弟子入りしたことなどが書かれていた。
(ずいぶん、面倒見がいいんだな、あの人)
ミナキの文章を読む前と呼んだあとでは、まるきりカヌトの印象が変わっていることに、ロウは気づいた。少なくとも、彼はロウが見聞きしてきたヒョウ人とは、だいぶ違うようだ。ロウの中で、今まで感じていたうしろめたい気持ちが、はっきりとした形を取り始めた。
寝間の隅に佇むミナキに顔を向けて、ロウはラーナンを返した。
「……お前があの人の弟子になった理由、分かった気がする」
ミナキは顔をしかめ、座り込むと、ラーナンに新しい言葉を書き足す。
『ちょっと、何よ! 年上の姉弟子を、お前呼ばわりするなんて!』
「お前で充分だよ。第一、姉弟子ったって、去年、弟子入りしたばっかりなんだろ?」
ミナキは悔しそうな顔をしたあとで、ぷいっとうしろを向き、寝間を去っていった。
また、ごろんと横になると、ロウは次の朝の料理当番だったことを、ぼんやりと思い起こした。
翌朝、ミナキが身支度をして居間へいくと、机の前でカヌトが書物を読んでいた。しばらくたってから、ロウが現れ、小さな声で挨拶をすると、厨へ向かった。
囲炉裏でロウが火を使い始め、窓から料理の匂いが漂ってくるにつれ、ミナキは、はっとした。思わず厨の中に入ると、ロウは昨日カヌトが行った、ミルヒグを作る手順で料理を作っていた。ただ、鯰の干物は切らしていたので、魚は別のものを使っている。
カヌトも匂いで気づいたのだろう。厨にやってきて、唖然とした顔でミルヒグを作るロウのことを見つめた。
ほどなくして、危なっかしい手つきで作っていたミルヒグを、ロウは完成させた。
大きな椀によそったミルヒグを、ロウは盆に載せてミナキとカヌトに渡し、自身の分を持って居間に戻った。ロウはミルヒグを食べるのだろうか。席に着いたミナキは、どきどきしながら彼の手元を注視した。
ロウは椀を手に取り、箸を使って麺を食べ始めた。やがて、しばらく食べ続けていた手を止め、ぽつりと呟く。
「やっぱり、ニギの麺料理のほうがうまい」
カヌトが噴き出した。
「それは、君の料理の腕が未熟だからだろう。麺なんて、溶けかけてるじゃないか」
そう言って、カヌトは珍しく、大きな声で笑い出した。ミナキもおかしくなって、声が出ないながらも笑い、ロウだけが首を傾げながらも、箸を動かしていた。
その日を境に、ロウはどんな料理も、文句を言わずに食べるようになった。




