80 チートを打ち消すチート
「最近、玖来さんが私に対して可愛いという感想を抱いていない件について」
「うーわー、すぅげぇどうでもいー」
「…………」
七は無言でフードを被った。烈火は身悶えた。
烈火はパーカー少女のフード姿が大好きだった。久々だったので効果絶大だ。七ちゃん可愛過ぎ!
「そう、それです。最近それが少ない気がします。増量を要求します。当社比二百パーセントで増量してください。もっと私を褒め称えなさい、人間よ」
「馬鹿お前、そういうのは自然とだな……あぁ、もうフード被りっぱなしにすればいいんじゃない?」
「それだと一発のインパクトが薄れますが」
フード紐を指先でいじりつつ、七は困ったなぁという顔をする。
そんなに烈火を弄びたいか、その紐みたいに。なんて神だ。いや、実に神っぽいけど。
「じゃあ服変えろ。イメチェンしろ」
「それは……いいですね。そうします」
ぱちりと指を鳴らす。すると魔法少女もかくやの変身シーンが――
「ありませんよ」
「ちぇ」
一瞬で服が変わっていた。お色気シーンとかもないとか、失望したぞ。
「ぶん殴りますよ玖来さん、もしくはタライです」
「ごめんなさい」
で、今回の黒パーカーはだぶだぶパーカー。ていうかマジ毎度パーカーなんだな、信念でもあるの?
「いえ、ある程度以上、似た服を着続けないと、イメージが難しくなっちゃうじゃないですか。あぁ、あの人ならあの服なんだろうなっていう印象を視聴者に与えるためには多種多様な服を着つつも基本を設定してそれを崩さずに――」
「…………うん!」
「聞いてませんね、まったく」
見蕩れてたんだよ。
で、だぶだぶの黒パーカー。
いつもよりパーカーが一回りか、もしかしたら二回りは大きいかもしれない。手は袖で隠れて見えないし、肩幅も合ってなくてだるんだるん。丈も長くていつもより足を隠している。幼さが一点特化に強化され、もはやなんか犯罪的。その袖の中に手ぇ突っ込んで小さな御手手を掴んで結んで薄ら笑い浮かべたい。見えないところで指先が絡むとか、なんかエロいわ。
「なにか卑猥な妄想してません?」
「阿呆、ピュアなことしか考えてねぇよ」
極論手を繋ぎたいなと思ってるだけだ。中学生並にピュアだろうが。
「手つきがやらしいです」
「ふふふ、玖来流の操作術をこの指先にまで染み付かせたおれの妙技を見たいか? 指先ひとつでダウンだぜ?」
「秘孔でも突くおつもりで? モヒカンですか、爆散ですか」
「いや、もはや人体の一部とは思えないほどうねうねと蠢いて奇妙な快感が芽生えるくらい艶やかな感じ」
「……具体性は乏しいながら恐ろしいことだけは理解できますね」
何故か背筋が震える七であった。
「ちょ……やっぱりこの話やめましょう。もっと真面目な話しましょう」
「まあ現実逃避ばっかしててもアレだわな。仕方ない。ついさっき来た情報について話し合うか」
はぁ、とふたりしてため息。あまりこの話はしたくなかった。口が重く、舌が鈍い。
何故かって、それは敵に狙われているという憂鬱に直視しなければならないから。
烈火はダルそうに、しかしいかにも真剣に、その事実を口にする。
「はじめての脱落者、か……」
「五ヶ月でやっと、ですね。それを手放しで喜べないのが困ったものです」
「そう、問題は【運命の愛し子】が【無情にして無垢】と遭遇、戦闘、敗北した点だな」
「ええ、これはつまるところ要するに、【無情にして無垢】がこの第七大陸にやって来ているということです」
「前の、つい三日前の発表では第六大陸になってたはずの奴が、このタイミングで第七大陸にいるってのは、意図を感じるな」
「第六にギリギリまで留まって、発表直後に橋を渡って第七に来たと?」
「おそらくな」
【運命の愛し子】の死亡は発表から三日後。そのラグは、おそらく【無情にして無垢】が橋を渡るために要した時間だろう。確か第六大陸に繋がる橋は一番短く五日で踏破できると聞いた。馬車を使えば三日で行ける。
「すると狙いはおれだろうな……。【無情にして無垢】にはおれの居場所もバレてんだろ?」
「はい、そういう能力ですから。ですが場所が割れてるからってどうして最初に玖来さんを狙うんですか」
「他にいない。前回の発表で第七にいたのはおれだけだ。特に【運命の愛し子】はいなかった。第七大陸に上陸したと知ったのは最新の発表でだ。それを狙ったとするのは厳しいだろ」
「……ではいつかの【人誑し】のように大陸移動のためでは? 別大陸に向かうために第七を経由しただけ、とか」
本音で思っているわけではないが、一応意見として述べてみる。
烈火も念のため程度に考慮はする。捨て置き考えずにおいて、あとあと後悔したくはない。考えうる限りは考え尽したい。
「んん。ありえなくもないが、どうだろ。だったら自分の位置を誤魔化すような細工をするか?」
「玖来さんと同じく警戒心が高いのかもしれません」
「じゃその可能性も持っておくとして、けど最悪を想定して準備しておかないといけないことには変わりない」
「まあ、そうですね」
七は肩を竦めた。結局、どんな想定が横に並ぼうとぶっちぎりで警戒すべきはそれで、故に相手の思惑はどうあれ警戒はしておかないといけない。
ため息ひとつ、烈火は零す。
「しっかし【運命の愛し子】について対策した思考が全部無駄になったな、おい」
「まあそれは素直に喜びましょう。【運命の愛し子】は【無情にして無垢】に殺害してもらいたい、という狙いは達成できたのですから」
「そうだな、前向きに考えるか。厄介な【運命の愛し子】は消えて、【無情にして無垢】がこっちを狙ってることも想定できた。これはだいぶ行幸だ。最悪の場合は知らん間に【無情にして無垢】にやられて、【運命の愛し子】も逃げ延びてたわけだし――あぁいや、おれがやられたらその後はどうでもいいか」
考える価値すらない。時間の無駄過ぎる。
だから考えるのはこれからどうするか。行動の指針だ。
「結局、外に出る時ゃ周囲に目を配っておくって方針に変わりはないな。相手が【運命の愛し子】であっても【無情にして無垢】であっても」
ただ違いを挙げるなら、烈火はこの第七大陸から逃げる必要はなくなったということ。運命の加護なき相手なら、こちらから見つけて討つことも可能だろう。向こうも顔を出して襲い掛からねばならないだろう。【運命の愛し子】を相手取る場合と違って、確実に戦闘には持ち込めるのだ。
「だから、後は戦って勝てばいい。【無情にして無垢】とおれがどっちが強いか、それが今回の明快な論点ってわけだ」
「【運命の愛し子】と戦うより百倍は簡単な話で、でもおそらく敵とするなら百倍は手強いでしょうね」
「ああ。無効能力は厄介で、そして接近戦を想定して選んだものだろう。ということは接近戦の心得あり、武道を嗜んでる可能性大だ」
「とはいえ私は玖来さんがただの剣比べになって負けるとはもはや思えませんが」
全幅の信頼の含まれた呆れ顔。
【武闘戦鬼】並の体術チートでもない限り、武で競って烈火を破るのは至難だろう。今までの戦いをずっと眺めていた七の感想である。
烈火もそこは卑下しない。客観的に言う。
「おれだってそうそう得意分野で負けるとは思わん。だが、相手は他にも武芸者がいるかもしれないとわかっていながら無効を選び、そこで勝負をしようと決めた人間だ、よほど自信ありと見ていい。その上で、一方的に使える魔法の存在も加味すりゃ、下手するかもしれん」
「むぅ。ただの自信過剰かもしれません。玖来さんレベルのヘンタイ技能を想定していないだけかもしれません」
「ヘンタイ言うな。でも、おれはこれでも武技だけで争って負けるだろう相手を四人は知ってるぞ」
「え、四人ですか? 多くないですか?」
常軌を逸した祖父殿はよく話にでていたが、他に三名は?
「コロシアムにいただろ、武に優れて順位を持った人間が。その二人だな」
三位「紅鎧」、十七位「斬魔の利剣」。
見た限り、このふたりにはたぶん勝てない。あと、見たことはないが十一位にも人間の剣士がいるらしいし、それにも敵わないのではと思う。
「はぁ、その三名ですか?」
「いや、十一位はいれてねぇよ。見たことないんだから」
「あれ? ではもうひとりの方は?」
少しだけ、烈火は言いよどむ。沈黙を少しだけ置いて、それからぼそりと言う。
「……母さん」
「は?」
「だから、母さん。玖来流師範、玖来 楓。ジジイの娘でおれの母さんだ」
「あぁ、お爺さんの話はたまに聞きましたが、母親も流派の人だったんですか」
「うちは父さん以外はみんな玖来流だよ。で、母さんもおれの師だ。ジジイがメインだったが、時々道場にやってきてはおれをボコボコにしていく嵐みたいな人だよ。勝ったことはねぇ」
「……怖いですね」
「普段は穏やかな人なんだがな、剣を執ると冷徹に成り代わる。ぶっちゃけ、剣を執ったらジジイより怖い。実の息子に殺気飛ばしてくるんだぜ? あの殺意の怜悧鋭利さは、ジジイよりも冷たく尖ってたよ」
「…………」
七ちゃん絶句。まさかまだ家族内にそんな恐ろしい人材を隠していたか。玖来家こぇー。流石にもういないよね?
本気でビビる七に、烈火は失言を悟ってごほんと咳払い。別に母親の恐怖を語りたくてこんな話をしているわけではない。そうではなく、
「七ちゃんが言うヘンタイ技能なおれでも、すぐに上を想定できるんだぜ? 【無情にして無垢】だってたぶんそこは想定してると思うぞ」
自分の想定可能な最強に勝利しうるだけの理由もなく、無効の力を選ぶとは思えない。なにせ無効とは言い換えれば自分からはなにもできない受身の能力に過ぎない。
魔法が上手くなるわけでもない。人を操れるわけでもない。武力が向上するわけでもない。運命を味方につけるわけでもない。己を完全に隠蔽できるわけでもない。
ただ、相手にフェアな勝負を強制できるだけ。【無情にして無垢】は人間のままなのだ。
チートを打ち消すチート能力。故に本人の実力が物を言う。
「まあ、だからこそ【武闘戦鬼】ほどは怖くねぇな。あそこまで確約した強さってわけでもないだろうし」
それに、もしかしたら七の言うように敵六名に自分より上の武道者が混じる低確率を割り切っただけの可能性も充分にある。
そもそも少女という年代の武芸者に負けるっていうのは、烈火もちょっと考えづらくて、それ以上に考えたくない。どんな天才だよ。
「では、結局どうしますか玖来さん」
「さっき言っただろ、外に出る時ゃ周囲に目を配っておくって」
「もし襲われたり発見したりした場合は、です」
「そりゃ……応戦、奇襲、それだけだ」
今回は傀儡との戦いに際して珍しく、烈火は前向きだった。
そこが、七にはちょっと疑問だった。
「どうして今回は、そんなに積極的なんですか?」
「あ? 積極的か、これ。会ったら倒すって言ってるだけだろ。最初の方針と同じだ」
「いえ、なんと言いますか、なんでしょう」
「なんだよ……まあ、確かに拠点に脅威がいるならできるだけ早めに排除しときたいみたいな、安心感を欲しての性急さは、あるかもしれんが」
うーん、と烈火は少しだけ思案。
それからやや自嘲気味に言った。
「あとは、そうだな……やれなかったことを、取り返すことにもなりそうだから、かな」
「やれなかったこと、ですか。なんですか、それ」
「人殺し」
「っ」
この中二野郎が、とは罵れなかった。それは烈火にとって、確かに超えねばならない一線である。
「やりたいわけじゃない、だがやらなきゃいかん。一度失態して、それはなんだかしっぺ返しの前に別の奴が殺して済んだが、それでも失敗は拭えない」
あの時、殺すことをしなかったのは失敗なのだ。そこは、このゲームの上では否とは言えない。
「荒貝 一人や鬼灯には勝てんからな、殺すだなんだの葛藤はなかったが――【運命の愛し子】、こいつはおそらく殺せるんだ」
だから殺しの経験のための糧になる。
我ながら非道で悪辣な話だが。
七は、フードを被って表情を隠す。口元だけが烈火には覗けて、なにやら動いているが――言葉は形作られない。
七は、なにも言えなかった。