78 帰還
そして三人は大陸を逆戻り。第七大陸目指して歩き出す。
行きはよいよい帰りは怖い――なんて歌とは正反対に、その帰路は大分楽に事が進んだ。さくさく順調、問題なし。
それは傘が一週間の経験を糧に成長したから。烈火の懸念が消失して専心できたから。
村々を渡り、夜を越えて、野宿も慣れてきて傘も普通に寝ていた。魔物の対処もおよそ烈火が瞬殺で、そうでなくても傘が冷静に後方から魔法を撃つ。たまになにかミスがあってもトトがカバーする。三人のチームは上手く機能していた。
そうして出立の頃の想定からすると随分あっさり、拍子抜けするほど簡単に、神代の橋に辿りつく。
流石にここまで来れば命の危機も失せて一安心。《遠伝》で報告だけして、後はまた一週間の馬車に揺られる生活。爺様のお役立ち話に耳を傾ける日々。
ガタゴトガタゴト馬車は予定通りに進んで、なんのアクシデントもなく――旅立ってかれこれ四週間、遂に
「帰って、きたでありんす」
「帰ってきたな」
「帰ってきたのぉ」
広がる見慣れた中心都市の光景に、三人はなんだかちょっと感慨深く目を細めた。
とはいえ、傘はむぅと唸る。
「もっと感無量と心震えるかとも思ったが、存外なんてことはないのぅ」
橋に到着した時のほうがよほど感激したものだ。
まあ橋にて安全生活を一週間過ごしてからの帰還だから、仕方ないのだが。クッション期間が長かったのだ、感動せよと言われても困る。
それは当人たちの本音だが、待ち人からすればようやく顔を合わせられてやっと人心地つくというもの。
「夜鳥!」
「む、先生!」
傘に心配げな声をかけたのはリヒャルトであった。出迎えのために、そこで待っていたのだ。
また、もうひとりも。
「傘……」
「父様までっ」
「無事でなによりだ」
その言葉だけで、傘はもうはち切れてしまった。
我慢できずに父の腕に飛び込み、泣いてしまった。
気丈に振舞っていたし、強く笑っていた。それでも内心に募った不安は消えていなかっただろうし、恐怖や不満、嫌なことも多かっただろう。
それをぶつけることをせずに四週間を過ごしただけでも凄いことだ。
だから、全部終わった後に、甘えられる相手にぶつかっていったのも至極当然。それは烈火やトトにはできない、きっと夜鳥・楡にしかできないことなのだ。
親子の抱擁を、色々なことを思い出しそうになりながら、烈火はぼうと眺めていた。
自分も、もしも元の世界に帰ることができたら、ああやって泣きじゃくるのだろうか。それはちょっと、男として格好つかないなぁ。
感傷に浸っていると、リヒャルトから声がかかる。
「おう、クライ。お前も、よく帰った、よく守ってくれた。感謝する」
「……なんだよ先生、おれを名前で呼ぶなんて、見ない間に改宗でもしたのか?」
「感謝してんのは本当だ、茶化すな阿呆」
「ちぇ」
素直に受け取るのが気恥ずかしいだけだったりするが、それは口にしない。
いつになく柔らかい風情のリヒャルトに、いい感じの親子――烈火はなんだが居心地が悪い。
「あー、おれはもう行くぞ。金は後でリヒャルト、お前んとこに顔だせばいいか?」
「あぁ。いつでも来い、魔法についても、ちょっとは教えてやるよ」
「そいつは豪気だな、助かるぜ先生」
それだけ言って、後はトトには会釈だけ忘れず。
「お世話になりました、爺様。またいずれ会うことがあれば、会いましょう」
「ほほ、こちらも助かりましたぞクライ殿。困ったことがあれば、いつでも顔をだしなさい。わしにできることなら手伝うぞ。無論、依頼があればこちらから顔を出しますがな」
トトの爺様には泊まる宿の場所を伝えておいた。なにかの際に、頼りたかったのである。縁を切るには勿体無い爺様だったから。無論、逆に烈火の宿も伝えたので、なにかあれば手伝う心積もりもある。
仕事で同行しただけの間柄だったが、一ヶ月もともにあれば情も湧く。少しドライな情だけど、男同士はそんなもの。歳なんて関係なく。
さて、挨拶も済んだし行くかと足を踏み出せば、最後に少女が引き止めるように言う。
「もう行くのか、烈火」
「ん、親父さんはいいのか。おれなんか構わず続けていいぞ」
「また後でじゃ。今はおぬしじゃよ」
真っ直ぐ言う傘に、烈火は苦笑。なんか睨むような眼光が別から飛んできてる気がするが、努めて無視。ちょっとの間くらい娘離れしろ親父。
「烈火、感謝しておる。何度も伝えたが、何度でも伝えたい――ありがとう」
「ああ、おう。何度でも受け止めてやるよ。どういたしましてってな。けどな傘、別に今生の別れじゃねぇし、会おうと思えばいつでも会えるんだ。そんな湿っぽい感じにするなよ」
傘が学園の寮に住まっているのは知っている。烈火の宿も伝えてある。同じ都市内だ、意図せずとも顔をあわせることもあろう。
だから、そう悲しそうな顔をするなよ。
「わかっておるが、どうもな。この一ヶ月は、楽しかったでありんす。知らなかったことを知って、友を得て、戦いを経験して――沢山沢山学んだ」
「そうだな。そう思う」
「じゃから、どうしてもじゃ。最後は名残惜しい」
「あぁ」
烈火は静かに答えた。特に言葉を挟まなかったのは、傘が話す場面だと控えていたから。この旅の主役は彼女で、ならば最後まで烈火は引き立て役だ。
そして主役というのは、いつだって陳腐な言葉で――王道に終えるものだ。
「絶対、また会おうぞ。絶対、絶対じゃぞ?」
「ああ、絶対だ。指きりするか?」
「それは子供っぽいでありんす」
最後に浮かべた笑顔は、いつまでも烈火の記憶に残り続けた。それだけ魅力的で、可愛らしいと思ったから。
さて、第七大陸中心都市に帰ってきたなら、まずは最初に向かうべき場所があった。
サバサバしたような別れ方をしたが、あれで見栄っ張りで寂しがり屋な少女。いの一番に向かってやらなきゃ拗ねる可能性がある。
というわけで、目指すはとある少女のお家。どうせ馬車で揺られていただけで、だるくあっても特に疲れは残っていない。帰った即日動くことに支障はない。
で、もはやなんだか懐かしい道順を思い出しながら歩いて、迷うこともなく到着。
さっそくノック。日程は伝えてあったし、帰還のタイミングもわかるだろう。そう慌てないでドアが開く――と思いきや、先にドア越しに声。
「……レッカ、か?」
「おう。リーチャカ・リューチャカ、約束通り帰ってすぐ来たぞー」
どことなくゆっくりと慎重に、ドアは開かれた。そして、そこには白髪褐色肌の地霊種少女リーチャカがいた。
あぁ、純白のゴスロリ服が懐かしい。愛らしく整った顔立ちが何度でも烈火を魅了する。やはり美少女、可愛い。再会できて、烈火は心底嬉しくなった。
しかしリーチャカは、なんだか喜びよりも安堵が大きかった。あれ、そんなに不安がらせることがあったっけ。
不思議そうな烈火に、リーチャカは苦笑した。
「アー、いや、その……実は数十分前に、レッカと間違えて別の客人にドアを開けてしまってナ」
すごく、恥ずかしい思いをしたのだと、リーチャカは顔を俯かせた。
なんてこった畜生。ってことは、リーチャカが一番再会に喜んで笑顔で出迎えてくれるという垂涎物のシーンをどことも知れぬ誰かが目撃しやがったってことか! 烈火が、烈火だけがこの網膜に刻み込めたはずの最高の瞬間が!
うおー! すごい悔しいな、この野郎! なんならそいつ探し出して眼球抉っておれのと付け替えたいんだけど、どうだろうか!?
「どうだろうかって……そんなことしても意味はありませんとしか」
(冷静に返すなや!)
「いえ、クソほどどうでもいいことなので」
醒めた七ちゃんでありました。
憤懣やるかたない烈火であったが、リーチャカの「無事でよかった」の一言とはにかみ顔でなんとか落ち着きを取り戻していた。単純な脳構造である。
いつものように部屋に案内され、紅茶に似た茶を出され、一口頂き、うんおいしい。
「帰ってきたって感じがするな」
「そうカ」
「ん? どうしたリーチャカ・リューチャカ、もっと再会を喜んでいいんだぞ」
先ほどの夜鳥親子のことが思い浮かばれて、烈火は少し悪戯っぽく言う。
リーチャカは落ち着いた手つきでカップをとり、淡々と告げる。
「嬉しいのは嬉しいゾ。いい茶葉もだしタ。だが別に子供みたいにはしゃいだりはしなイ」
「……ふーん?」
「なっ、なんダ、その顔は」
ちらと烈火はリーチャカの腰元を見遣る。エロの意味ではなく、そこに下げられた物を見つめる。
「なんかゴスロリに似合わない小剣が腰元に見えるんだけどな」
「っ!?」
リーチャカは手のカップを取りこぼしそうになった。なんとか両手で支えて事なきを得たが、烈火の発言からは逃げられない。
ぶっちゃけ腰のそれ、烈火の使っている小剣と同じものだ。
この旅を終えたらまた要ると思って、一本をリーチャカに渡して造っておいてくれと頼んでいた。なので小剣があるのはいい。だが何故リーチャカが所持しているのか。しかも、
「それ、おれが渡しておいた奴だよな。新品じゃなく」
「――っ」
前に通り魔に襲われた経験を踏まえた護身用というかブラフ用です、という言い訳は封鎖した。
さあほら、どうするリーチャカ。なんて言い訳するんだ、ええ?
烈火はにやにやしながら返答を待つ。酷い男であった。
「わっ――悪いカっ! 友達が貸してくれタものに無事でいてほしいと願掛けして、悪いのカっ!」
もはや半ギレの上に涙目だった。
イジメすぎたか。烈火は素直に即座に謝罪。変わり身の早い男なのだ。
「あ、いえ、悪くないです」
「ぅぅ」
「ごめんごめん、ちょっと嬉しかったもんで、ついな」
「ついじゃない。本当に、心配していタんだゾ?」
「わかってるよ、ありがとう。たぶんリーチャカ・リューチャカが祈ってくれたから、おれはちゃんと帰ってこれたよ」
鬼との喧嘩では、本当にスレスレのギリギリで生き残った。きっとその生存理由のひとつは、こうして遠くでも烈火のことを思ってくれる人がいたから。
だからリーチャカは、烈火の命の恩人だ。
烈火がニッと笑ってそんなことを言うもんだから、リーチャカは拗ねてばかりもいられないじゃなかい。視線を逸らしてムスッとしたまま、けれど会話をはじめる。
「話」
「え?」
「旅の話、聞かせテくれ」
「……あぁ」
旅のはじめは特に問題なくて。
けれど「戦鬼衆」とかいうヤバそうな噂が届いて。
順調に村々を進んでいって、最後の村で例の「戦鬼衆」に鉢合わせて。
その頭目とちょっとした因縁で喧嘩することになって。
その時に――
「そうか、腕輪を」
「派手に砕かれちまったよ。一応残骸持ってきたけど」
ほとんど粉々だ。ズタ袋から取り出し見せるが、これを修理は無理がある。
リーチャカも渋面で取り出された欠片をひとつずつ摘んでみるが、やはりどうしようもない。無言で首を振る。
それはわかっていた。だから、次言う言葉も決めていた。
「リーチャカ・リューチャカ、本格的に依頼する。この腕輪を再現して、造ってくれないか」
「あぁ、請け負っタ」