vii 【武闘戦鬼】
「さて――」
玖来 烈火がオパビニアの村から発ち、その日の内に――ふたりの傀儡はようやく向かい合っていた。
第三傀儡【武闘戦鬼】鬼灯 正宗。
第四傀儡【真人】荒貝 一人。
ちょうど三日ほど前に玖来 烈火と戦った場所にて、雄雄しく荒々しい男が相対する。
無論にその武を競い、矛を交えて、相争うために。
「ようやく、だなァ荒貝」
「…………」
互いに互いの実力の片鱗は垣間見ている。
鬼灯は烈火との戦いで晒し、荒貝は「戦鬼衆」のメンバーとの戦いを見られている。
よってある程度、強さと戦い方は知れている。なので本来なら、対策や作戦の立案などが済んでいると、そう考えてしかるべきなのだが。
「ひひ」
それを考える鬼はいない。鬼は鬼であるだけで強大で、無双であるから、小賢しいことはしない。考えない。思慮にない。ただ全力で拳を振るうのみだ。
ただただわくわくと心躍らせ、その強さに垂涎する。
「さあ、行くぜェ!」
「あぁ、行くぞ。貴様には言いたいことが山ほどあるからな――」
翻って、人であることに意義を見出し、人を賞賛する男はなにを考えるか。小細工はもとが弱い人間の足掻きたる象徴だから。
鬼は拳を握り、人は武器を手にとる。
そして――
「手始めに、人の強さを知るがいい!」
「見せてみろよ、しっかりとなァ!!」
開戦。
傀儡五名に、第三と第四の戦闘開始が告げられる。
爆撃のような拳が容赦なく飛んでくる。破壊力、速度ともに人外レベル。
無論、人の身で受ければ肉が爆ぜるだろう。回避だって並では不可能。必中にして必殺の反則的通常打撃だ。
荒貝は、
「ぐ……っ」
手に持つ刀で受け止める。
そして堪えず、そのまま吹っ飛ぶ。殴り飛ばされる。自ら。
インパクトは刀で防いだ。破壊力は上昇した耐久力で耐えた。抗わずに飛ぶことで威力は分散された。
それでなお、この威力――荒貝は遠投されたように青空に向かってぶっ飛ばされた。まるで漫画の一コマ、アニメのギャグシーン。実際してみれば、なんとも滑稽でいて馬鹿げている。拳の破壊力が、冗句に等しく高過ぎる。
逆に言えば、その莫大な破壊力を勢いに変換することで荒貝自身へのダメージは薄い。比較的。
弾丸の如く空を裂き吹き飛ぶ荒貝は、結界を超え、村の外に飛ばされ、二本の木を砕いてようやく停止。
「……凄まじい力だな、事前に補助系強化種の魔法を使っていなければどうなっていたことか」
荒貝は現在、自身の身を様々な魔法で固めている。
たとえば刀。それには補助系強化種魔法《金剛》が付与された魔刀となっている。
たとえばコート。それには対抗系防護種魔法《聖鎧》が付与され魔や害を遮っている。
たとえば自身。それには刀と同じく補助系強化種魔法《金剛》を付与しておいた。強度が〈金〉〈剛〉石にも等しく向上する魔法だ、刀は折れず身は砕けていない。
前者ふたつは紋章道具であり、常の装備であるが、最後の《金剛》は鬼灯と戦うにあたって最低限の自己強化である。
それでなおここまで吹っ飛ばされるのは予想外。全身が痛みを訴え、節々が軋んで悲鳴をあげている。
だがその程度では、荒貝 一人は止まらない。怯みもしない。立ち上がる。
「あぁ、しかし、するとやはり恐るべきは玖来 烈火か」
あの男は補助などなにもなしに、あの拳を全て見切って回避していた。荒貝にはできそうもない。刀で防ぐので精一杯。回避なんてもってのほかだ。
もしも荒貝が速度で渡り合うなら、もうひとつ補助系魔法でも付与して身体能力の向上をするしかない。いや、感覚器の向上も必要だろうか。となるともうふたつ魔法がいることになる。
だが、そうなると集中力が魔法に分散されてしまう。今でもみっつの魔法を同時に維持している状況。通常ならそれだけでも天晴れで、天才的な並行操作。この上で、さらに荒貝はふたつ並行して魔法を扱える。その自信と実績がある。
五連並列起動――もはや英雄を超えて、人類の限界突破の無茶苦茶な域と言える。ぶっ壊れ性能甚だしい。
それはいい。荒貝はそのことについて感慨はない。当然だと勘違いしている。よって、ただ今のところ空きがふたつあるということにだけ思考が走る。
残りの枠は二。これは攻めに回そうと思っていた。自己強化に割り振っては攻撃力に欠けてしまうと考える。防御や回避に割り振っても、根本的に解決しない。
爆発的な攻撃力に目を奪われがちだが、鬼灯の防御力はとんでもない。真っ当に剣で斬っても弾くとか、鋼かそれこそ金剛石だろう。で、ならば魔法を撃ってみて、それでちゃんとダメージは通るのだろうか。不明だ。
玖来 烈火はその防御力という課題に対し、鬼灯の性格を利用して素通りしてみせた。打ち破らずに勝利した。そこは機転が利く、なかなかのお手並みだと言える。だがそのためどの程度の破壊力があれば突破しダメージを与えられるのか、そこに関する情報は一切ない。もしかすると、荒貝の魔法ですら傷ひとつつかずに襲ってくるやもしれないのだ。
どうしたものか――
「あぁ、考えてもいられないか……」
なんて、苦笑混じりの一言のほんの二秒後。
「お、やっぱ生きてたぞ!」
「マジかよっ」
「じゃ、今日の酒は死亡組のおごりな!」
「タダ酒じゃー!」
それは「戦鬼衆」のメンバー。全員が全員、走り駆けて荒貝が立つそこにまで集う。
「しかしお頭はもう驚かねぇけど、まさかあの一撃くらって生きてる人間がいるとはな」
「でも魔法で強化してるし妥当と言えば妥当よ」
「それに引き換え我らがカシラは魔法なしと来たもんだ。人間怖いわ」
「人間……人間ってなんだっけ」
「突然変異の温床とか?」
「言いえて妙で笑えない……」
無論、衆の長も。
当然にそこにまで辿りつく。喚く他の面子を一切気にせず、荒貝に向けて笑いかける。
「よぉ、荒貝。ピンボールみたいにぶっ飛ぶもんだから、こっちで賭けとかしちまったよ」
「耐えようとしていれば、おれは死んでいた」
「だろうな。まさかおめェも玖来と同じく技量派だとは思わんかったぜ」
「あの男と並べられると恥ずかしくなってくるな。所詮、おれなど高が知れている」
「おいおい謙遜かよ、嫌味ったらしいな。それでも十二分に一流だろ、もっと笑えよ」
こうやって、なんて言って鬼灯はガハハと笑う。鬼は戦う限り笑い続ける。
だが、人は笑わぬ。なにを調子に乗っていると、逆に怒って食って掛かる。
「貴様の拳、確かに強烈。痺れたぞ。豪腕極まる鬼の膂力だろう。
だがな鬼灯、鬼灯 正宗――それは貴様の力ではなかろうが。誰ぞに恵んでもらった外部出力で、なにを誇らしげに笑っている。ぶち殺すぞ蒙昧!」
「はあ?」
「人という可能性を極めたわけでもなく、上位者たる神に力を恵んでもらって、一体それでなんになる。なにが楽しい、なにを笑う! 己の不様を知れ!!」
「……あー」
なんとなく言いたいことを理解して、鬼灯は後頭部を雑に掻く。どうしようかと対処に困っている風にも見える。この手の人間に、遭遇するのははじめてだった。
けれど結局彼は頭を回さない。素直に当然と思っていることを話す。
「それのなにが悪いんだ?」
「……なんだと」
「人から恵んでもらった力で笑ってなにが悪いってんだ? なァ荒貝、俺にはそこんところがわからんぞ。小難しいことばっかぐちぐちのたまいやがって、頭が混乱するだろ」
「時間をかけ己で築きあげたわけでもない。努力を重ねて作り上げたわけでもない。そんな即席の力に意味があるというつもりか」
「あるね、大有りだよ、馬鹿じゃねぇの? 力はあればあったで楽しくて仕方ねぇだろーが」
生前、負けて負けて負けて――殴る喜びを味わえなかった男は。
殴るのも殴られるのも大好きな異常者は。
荒貝 一人の思想を、心底理解できていない。
「どこから来たもんでも、今は俺のもんだ。殴る力があって、殴られる体があって、他になんか考える必要あんのか。戦うだけじゃねぇか。それで話は終わりだろうが」
「……そうか、理解した。おれとは決定的に思考が異なるのだな」
完璧に、一切合財、嘘偽りなく――鬼灯 正宗には荒貝の思想が通じていない。
今まで出会った三名の傀儡には、どこかなにか感じ入るような手応えは少なからず存在した。
玖来 烈火でも。
南雲 戒でも。
三崎 誠一でも。
意味を理解し否定された。それならまだ話しようはあった。相互理解を深めて、解説と話し合いを経て、それで結論が変わるかもしれない可能性は見出せた。
しかしこの男は違う。鬼灯 正宗は決定的に違う。
こいつは理解も否定も共感も、それ以前の段階で根こそぎ存在していないのだ。幾ら言葉を尽くしても、これでは無意味。理解できるように噛み砕いても、時間をかけて説き続けても、異世界の言語でも話しているかのように丸きりまるで通じない。
純粋で、真っ直ぐで、馬鹿で、だから彼にはなにも響かない。
その種の人間はいる。どんな理屈も聞かず、どんな思想も効かない。本能だけの獣のような人間。
なので荒貝はそこで慌てふためいたりはしない。それに、それならそれで。
「言葉で説いても無意味なら、いいだろう――拳で教育してやろう。神の力なぞ、人の力には及ぶべくもないと、この身を賭して教えてやろう!」
「そりゃいい! そういうのはいいぜ、楽しくなってきた! かかってこいよ人間代表! 真っ向からねじ伏せてやるよ!!」
詠唱魔法:想念派――《爆炸》。
疾走開始の鬼灯に、出鼻を挫くべく〈炸〉裂する〈爆〉撃。
「ひひ!」
直撃してなお足は止まらぬ。拳は振り上がる。荒貝狙ってズドン。
《爆炸》直後に横っ飛びしていた荒貝にはあたらない。あの爆撃は目晦ましも兼ねていた。それと、確認である。
「やはり単独程度の魔法では効かんか」
あれは魔力障壁だ。特に鬼灯から強い魔力は検知できないが――魔力障壁は強固である。そういう力だろうか。頑丈な身体に、魔法の耐性まで備えるとは。鬼灯の神子は中々侮れない。
だが魔力障壁ならそれでいい。なにか別の、たとえば魔法を一切無効にするなんて理不尽でなければ――突破できる。破壊できる。力尽くで。
荒貝は即座に指を回す。舞踏魔法:印相派に取り掛かる。同時、口もまた魔法を。
「“〈天〉より高く、地より深い。我が卑しき腕の届かぬ遠く深くに燃える〈火〉よ」
「陽気に唄ってんなよ、合唱団かおめェ!」
空振り直後に振り返り様の腕薙ぎ。詠唱をはじめる荒貝に平手が迫る。その平手は容易く岩を砕く。
荒貝は刀で迎撃。守りに入らず反撃する。
がきん、とまるで金属同士の衝突音。
「ぐ」
そして弾かれたのは刀。荒貝は握る刃を吹っ飛ばされて丸腰になる。だが手放さなければ腕がやられていた。仕方がない。
だが次はどうする。鬼灯は容赦なく連打。殴りかかって、打つ打つ打つ。
コートの魔法《聖鎧》が発動。全身を覆う聖なる鎧が拳を受け止め、一撃で粉砕される。だが二秒は稼いだ。続く魔法が発動される。
刀を手放したお陰で――枠がひとつ空いた。
そして荒貝は〈跳〉ね消えた。
「なっ」
予備動作一切なしに、真上に弾かれたように跳び上がった。
なんじゃそりゃ。魔法である。踏めば〈跳〉ね飛ぶ〈印〉を描く補助系機動種魔法《跳印》。稼いだ二秒で、空いた一枠で、急場で発動した靴に仕込んだ紋章だ。
そして――無論詠唱は続いている。印相は回転を続ける。
「其は輝き、其は滾る。迸るほどに踊る熱、湧き上がるほどに笑う光。天地の狭間を爪弾く凱旋へ至れ”」
「あ、やっべ」
「――《火天》!」
文字通り――〈天〉より降り注ぐ劫〈火〉。
鬼灯を狙い二連直列の《火天》がぶちかまされた。
対して鬼灯は――
「それがおめェの渾身か――いいぜ、受けて立つ! 俺の渾身受けてみろォ!」
逃げず下がらず立ち向かう。火炎の津波に怯まず恐れず真っ向勝負。
ただただ全身全霊込めて、注いで――
「ウラァァァァァァァァァァァァァァアアアアアアアア!!」
ぶん殴る!
いつもは拡散せぬよう整えいてた拳圧を解いて、火勢に抗い吹き飛ばそうとする。魔力障壁を纏った拳で魔炎を食い千切ろうとする。
いや、嘘だ。鬼灯はなんも考えていない。それが有効な手ではあっても、思考の結果に出た判断ではありえない。
言うなれば獣の嗅覚か。鬼の才気か。これが生き残るに最善と、本能的に感じて勝手に身体が動いていた。それだけだ。
――結果。
「あっちぃ……」
鬼灯は燃えて焼かれて、それでも生きていた。殴りかかった右手は真っ黒焦げでもはや感覚もないが、まあ繋がってるし大丈夫だろう。
まだ戦える。ならば万全不足なし。
「二連直立で、なお立つか」
荒貝は静かに降り立つ。一帯が焦土と化した、その大地に。
Aランクの魔物すら屠る一撃だったのだが、健在か。変な笑いがこみ上げてきそうだった。
なんてタフか。なんて化け物か。なんておぞましいか――神の力とは。
「だが負けん。負けんぞ。神の力なぞに、人は決して屈しない!」
「ひひ、その意気だぜ。おう、来いよ。まだ終わってねェぞ。俺の心臓はドクドク生きてるぞ、殺してみろ、殺してみろよぉぉぉぉおおおお!!」
そして、戦鬼と魔人は殴り合う。ぶつかり合う。殺し合う。
鬼灯は二連の《火天》で大きくダメージを負い、動きを鈍らせそれでも笑って拳を握る。
荒貝は魔法を捨て去ってでも残る枠で自己を強化し、刀を拾って斬りかかる。
もはや魔法を完成させることを、鬼灯も許さなかった。二度目のあれを受けては大きな痛手とわかって、間断なく攻めた。それに対応するには、全てのリソースを強化と防護に回すしかない。
五つ分の魔法――《金剛》を刀に。《聖鎧》をコートに。《守紋》を護符に。《金剛》と《大剛》を複合させて連協魔法《金剛不壊》とし自己に。
膨大な魔力をその四つに注ぎ込み、荒貝は鬼灯の神の才気に挑みかかっていた。もはや両者ともにこの世どの種族よりも強大に膨れ上がり、人を離れて逸脱している。
その超越の様は、もはや人間とは言えない。彼らはともに人間失格である。
故に彼は鬼であり、彼は魔人なのだ。人に失格し、人外たるを合格した。恐るべき超越者。その争いは単独にしてサシの喧嘩だというのに、まるで戦争だ。個人と個人の大戦争。百人力にして一騎当千、個にして万夫不当。連隊、旅団、師団の数量を凌駕する圧倒的な質量がここにはある。
故に戦争は熾烈で、激烈で、燃えているように熱烈だった。
焦土はひび割れ、焦げた樹木は砕け散る。拳の余波で空間は乱れ、空振る刀に世界は震撼する。
そしてその威を一身に受ける人間失格どもは、
「ひっ……ひひひ」
「ふ……ふははっ」
はははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!
と、けたたましく笑う。叩きつけるように笑う。笑う笑う笑う。
爆砕の拳を腹に受けて笑う。
斬割の刀を肩に受けて笑う。
鬼と魔人は既に満身創痍。骨は砕け、肉は削げて、苦痛と寒気が総身を巡っている。
それでも笑う。拳は握ったままで、柄は吸い付いている。解かない、離さない、終わらない。
――なにせ貴様が笑っていやがるから!!
その笑顔が気に食わない。笑った顔が腹立たしい。笑声が耳障りで仕方がない。
黙れ、笑うな、死んでくれ。
互いに許せぬその表情を引き剥がさんと吼え猛る。顔面ひき潰してやると破壊の意思を握ってぶつけてやる。
ぶつける。ぶつける。ぶつかり合う。
殴打は暴風のように轟々と吹き荒れ、斬打は豪雨のように斬斬と降り注ぐ。
その光景はもはや災害同士の大喧嘩。嵐と雨の真っ向勝負。本来ならば互いに砕かれることもなき災害たちは、しかし人の身を得たがために血を流す。
頑強な鬼も魔人も、だが強烈な魔人と鬼の齎す暴力には揺らぐ。長時間も戦っていれば必然グラつき崩れて――死に向かう。
構わない。その前にその笑い顔を引き攣らせてやるよ。
一歩も退かず、恐れも怯みも欠片もなし。躊躇迷いを喪失し、鬼と魔人は前進あるのみ。不愉快向けて一直線に持ちうる全力を振り絞る。
終わりなく永劫続くかに思われた死闘は、だがやはり有限だ。あっけない終幕がふいとあっさり訪れる。
戦鬼の拳が魔人の頬に突き刺さった。
魔人の刃が鬼の額に叩きつけられた。
刹那ふたりは息が触れ合うほどに顔を近づかせ――やはり笑みに染まる顔色に激怒した。
そして吹っ飛ぶ。
両者弾かれたように後ろに殴り飛ばされ、斬り飛ばされる。
もはや樹木は残らず絶えた。壁になるものなんてひとつもなし。そのため鬼と魔人はどこまでもぶっ飛び、吹っ飛び、地に沈むまで長い時間を要した。
そして――立ち上がらない。
ふたりは視界一杯に同じ天を仰いで、動かぬ己が肉体に同じ憤慨をしながらも、その顔に対照的な表情を浮かべた。
「ひひ……」
「…………」
鬼は笑うことをやめなかった。
魔人は笑みを閉ざして魔法を唱えた。
やがて鬼の仲間たちが笑顔に集い、魔人は独力で己を癒してどこかへ去った。