77 鬼とさようなら
「むぉ、烈火! 目が覚めたでありんすか!」
あれからしばし休んでから、腹も減ったと食堂へと移動。烈火は軽く食事を注文し、久々の飯だとがっついた。やっぱり第三大陸の飯は美味い。
していると、ドアの傍から歌声のように透き通った声が届く。傘だ。
烈火はひらひらと手を振り軽く答える。支障なしで生きてるぞと見せるように。
「おう、迷惑かけたな。そっちは討伐の帰りか?」
「うむ」
ぱたぱたと駆け寄ってきてはにこりと笑顔を見せてくれる。尻尾があったらぶんぶん振ってそうな上機嫌だ。なにこの鬼少女、可愛い。頭ナデナデしていいですかね。角の部分を重点的にこう、指先で弄繰り回したい。むしろ舐めたい。
とはいえ、綺麗な顔立ちの少女ににこにこ顔で見つめられると、さしもの烈火も照れる。純真な笑みに邪念を透かされた気がして罪悪感が湧く。顔を逸らすようにして話かける。
「しかしすまんかったな、お前の遠征に付き合えなくて」
「構わぬよ、代わりに彼らが手伝ってくれたでありんす。討伐者は場合によっては見知らぬ者と手を組み協力することも多いと、ライファン殿も言っておった。経験でありんす」
「はは、そう言ってもらえると助かるけどな、それとは別におれの勝手で予定を崩しちまった。謝罪しなきゃいかんだろ」
「む。では、その謝罪、受け入れた。もう気に病まんでよい」
「どうも」
素直なのは変わらないが、なんだかいつもよりも子供っぽく、それでいて大人びた雰囲気を併せ持っているように感じた。二日寝てる内に成長したのだろうか。男子三日会わざれば刮目して見よ、とは言うが、女子は二日で充分ということなのか。少し、嬉しくなる。
談笑していると、不意と横合いに気配が生ずる。すぐに声をかけられる。
「話は終わったかな」
「って、うわ。吸血鬼!」
「……そんなに驚かなくてもいいだろう? 僕のこと、忘れたのかい」
心外そうな顔をしているのは見覚えある男であった。「戦鬼衆」の吸血鬼で、最初に烈火に声をかけた男。苦労人。
「あぁ、いや。すまん。えっと、デーヴァだっけ?」
「その通りだよ、クライ・レッカ」
「えっと、もしかして傘の討伐のお仕事に付き合ってくれたのって……」
「僕だね。それと日替わりでキンナや頭目もだ。今日はキンナがアラガイとの喧嘩でいなかったがな」
「そうか、それは本当に助かった。ありがとう」
烈火は真摯に頭を下げた。自分の不始末を片付けてくれたのは、強い感謝と恩義を感じている。
デーヴァはよせと苦笑する。そんなに真っ直ぐな礼を頂く身分でもないと。
「なに、君といずれ戦うために、断れない材料を作っただけさ」
「それでも助かったことは事実だからな」
「おかしな奴だな、自分のことでもなく打算が混じった行為だというのに、そんなにありがたがるとは」
「え、変か?」
どうだろ、と傘にも目を向けるが、傘は答えてはくれなかった。嬉しそうにはしていたけれど。
うーん、おかしいのか。
助かったと思った以上、感謝は伝えるのが筋だろう。それが誰のためとかどうでもよく、助かったと思ったのは烈火自身なのだから。
「それで、明日はどうするんじゃ、護衛殿。動けるかの、場合によっては延期もやむなしじゃが」
「爺様っ」
デーヴァと同じく唐突に話に参加してきたのはトトの爺様。メッチャ自然に通常通りに話をもちかけてくるのだから、少し驚いた。
烈火としては普段通りとはいかない。ある意味で最も迷惑をかけたのは、この爺様なのだから。
「あの、その、迷惑を――」
「いらぬ。礼も謝罪も、の。ワシはただの討伐者じゃ。それよりも、どうするのじゃ。おぬしは動けるかのぉ」
「ええ、まあ」
手をぐっぱーと握り締めて開いてを繰り返し、感覚を把握する。鬼灯との戦いは神経削って魂疲弊したけれど、肉体的なダメージはあまりない。烈火は一撃しか彼の攻撃を直撃していないのだから。
そして、握り開いて確認したのはその一撃を受けた右手のほう。それがこの調子なら、
「大丈夫です。戦えます。「戦鬼衆」の治癒師は腕が立つな」
「まあ、うちで唯一、戦闘能力皆無で戦鬼として仲間になった男だからね」
誇らしげなのは、きっと気のせいじゃない。仲間同士で、よほど親密な関係らしい。ちょっと羨ましいね、そういうの。男として、拳で交えた友愛なんてのは憧れるもんだから。
爺様ももとから細い瞳を細めて、眩いものでも見るような顔をする。枯れても痩せても男ってのは変わらないのかもしれない。
「では予定通り、明日にはこの村を発つということで、よいかの嬢、護衛殿」
「うむ、烈火が今日の内に目覚めてくれて助かったぞ」
「どっちかって言えば寝てたってのが不甲斐なくて申し訳ないんだが……ともかく、おれも大丈夫です」
「では、そのように」
今日でこの村とも、「戦鬼衆」ともおさらば。そういうことになった。
「よっしゃー! つまり明日にゃ荒貝の野郎と戦えるわけだな、燃えてきたァ!」
その晩は、「戦鬼衆」の面子に食事に誘われた。烈火ら三名を加えて、テーブルには十一人の大所帯だ。荒貝 一人も誘ったらしいのだが、それを受ける男でもない。すげなく断られたらしい。
ともあれ大人数での酒飲み、飯食い、歓談――というかはっちゃけ。
で、最初に切り出した明日には出立という烈火の発言に、鬼灯は万歳ヤッホー。
「いやぁ、最近、荒貝との喧嘩を見るたんびに俺もやりてェ、俺もやりてェでもう疼いちまって燃えそうだったぜ」
「その疼きにかこつけてボコボコにされたんだが……」
「しかもアラガイに負けた後に容赦なく殴りかかってきたカシラがいるらしいぜ」
「「怖いわぁ」」
「あっはっはっはっは!」
笑って誤魔化す大将の図。
ついでに烈火はそこについて言葉を投げつけてみる。聞いておきたかったこと。
「そういや、荒貝 一人との戦績はどんな感じなんだ。「戦鬼衆」全員戦ったんだろ、あれに勝てた奴はいたのか?」
「…………」
沈黙が返って来る。重厚にして鎮痛な、お通夜ムードである。傘も苦笑で、トトは黙々と食事を続けている。
ひとりだけ大爆笑。戦えない腹いせとばかりに空気読まずに全部バラす。
「あはははは! 全滅だよ、全滅。情けねェ奴らだ!」
「喧嘩売ってんのか!」「負けてねぇーし!」「うるせぇ!」「次は勝つわよ!」「負けて悔いなし!」
「……一斉に喋るなよ、聞き取れねェ」
それよりなんかひとり変なこと言ってる人いない? 気のせい?
「あ、でもソーマ、喧嘩はちゃんと聞き取れたぞ。やるか?」
「うげっ。いやいや、今は飯だろ!」
「やーいやーい、やれやれ!」
「ぎゃははははははははは!」
ぎゃーぎゃー、なんかうるさい身内同士の言い合いになってきた。烈火が引き金だった分、ちょっとやめろとも言いづらい。というかここで目立ったらなんか矛先向けられそう。
ということで、静かにしてる組の「戦鬼衆」に話しかける。夜叉の人、確か
「黒塚、だったか。治してくれたのはあんたなんだよな、助かった」
「……礼はいらない。こちらもよい戦いを見せてもらった」
「いい戦い?」
ちょっと首を傾げていると、騒ぎに混じらないでいたデーヴァが補足してくれる。
「そいつは強い者同士の戦いを観戦するのが生き甲斐の男なのだよ。この「戦鬼衆」だって、最初はその男のためにできたようなものだ。鬼灯の単細胞を唆した張本人だからな」
「マジか」
黒塚が「戦鬼衆」の最初だったか。鬼灯は確かに仲間を募集とかしなさそうで、よくここまでメンバー揃ったなとは思ってたが。
黒塚はグラスを手に、酒を舐めるようにしながら、微かな笑みを浮かべる。それは、どこか自慢気な笑みだった。
「彼は、鬼灯は、本当に私好みの馬鹿だから、どうしてもその戦い様を見せて欲しくてな。出会ってすぐに同行を求めたよ」
「見る目が破綻してるぞ、お前。眼鏡の早期購入をお勧めする。それもドぎついのな」
「そう褒めるな。あれは確かに馬鹿だが、強さは折り紙つきだろう。私は戦う力がない。故に強さだけが基準だ、尊敬する。無論、あなたもだ、玖来殿」
この男もやはり「戦鬼衆」。たとえ戦わなくとも、その力がなくとも、彼は戦に狂った鬼なのだ。
冷静に狂うのやめて、そういう奴が一番怖い。烈火のなんとも言えない表情に、デーヴァが笑った。共感を覚えているのかもしれなかった。
烈火が黒塚やデーヴァなど、比較的冷静組とちびちび話していると、横から溌剌声が飛んでくる。はっちゃけ側の代表格、というか衆の長。
「あー、そうだ、玖来」
「なんだよ、喧嘩はしねぇぞ鬼灯」
「そりゃ残念。けどよ、またいつかやりあおうぜ」
「……あん?」
あんまりにも清清しく無邪気に笑うもんだから、烈火は一瞬意味を受け取り損ねる。
「今日でさよならなんだろ? だから今ここで約束しておきたくてな――次は負けねェぞ」
「いや別におれは勝ったわけじゃ……」
「勝ちだよ、勝ち。敗者が認めてんだから問答無用でおめェの勝ち! で、俺はいずれおめェにリベンジする、そんだけ! 決めたんだ!」
勝手に決めるな。
と、言いたいところではあるが、もうなんかこの鬼野郎には何を言っても無駄なのだろう。
別に烈火は勝ち誇ったりしないし、勝ったつもりもないが、まあここでいつまでも否定し続けてもなんにもならない。黙って受け止めて、あとで丁寧に放り捨てておこう。
鬼灯は満面の笑顔で言って。
「だからまた絶対会おうぜ」
「……あぁ、またいつかな」
烈火は苦笑で確と頷いた。
なんだか奇妙なふたりの約束だった。
そして月は過ぎ去り日がまた昇る。翌朝。
傘の立てた予定において、この村を出立する時間だ。村の裾に、烈火と傘とトトの三名が立っていた。他に人影はなし。
「ま、見送りはないわな」
あっても困るというか、戸惑うんだけど。
たぶん、「戦鬼衆」昨日の酒盛りが響いて全員寝こけてる。烈火ら三人は朝早いので早めに切り上げたが、彼らはだいぶ遅くまで飲んでいたっぽいし。
爺様は傘にお話。いつもの教育風景。なんか烈火からすると久しい。二日寝てたしな。
「さて、では行くとするかのぉ。嬢、やり残したことはないかの。装備や体調、他になにか問題は?」
「大丈夫でありんす。食料もちゃんと持った、道具の整備も欠かしておらん。体調もよし――バッチリじゃ」
「うむ、よろしい。護衛殿も、大丈夫ですな?」
「あ、はい。矢でも鉄砲でも」
「? まあ、よいなら行こうかの」
爺様には珍しいキョトン顔……あぁ、鉄砲がわからなかったのか。すみません。
てかこの世界に鉄砲はないのか。ふむ。
ともかく出立だ。村を離れて橋を目指す、帰還する。家に着くまでが遠足、油断はしないけれど。
と、その油断しない姿勢ゆえか、烈火はひとりに勘付いた。
「……あ」
「どうかしたかの、護衛殿」
「ちょっと……すみません。用事思い出しました。五分くらい待ってもらえますか」
「そりゃ構わんが」
「傘もすまん」
「心残りがあっては死が近づく、でありんす」
それは確か爺様の言葉ではなかったか。ちゃんと伝えられた言葉を覚えている。偉いな。成長するぞ、この少女は。
烈火は朗らかな気持ちになりつつも、背を向けると一気に顔つきが変わる。険しい目つきで先を見据える。ねめつける。
少し離れた木の裏。ギリギリ結界内の範囲において、その男はいた。
気配を断って、木を背に腕を組む――荒貝 一人だ。
「なんか、用かよ」
烈火は少々緊張の面持ちで口を開いた。既に右手は外套の中で小剣を握っている。腕輪がないから、懐からとるしかないのだ。
それに気づいているのか、いないのか、荒貝は不動の笑み。最初に出くわした頃からなんら変わらない、魔王のような凶相である。
「そう警戒するな、戦う気はない」
「は。おれに対する返済は終了しただろ? 次は殺すかもしれねぇんじゃなかったのか」
寝てる時にも襲ってこなかったらしいし、鬼灯との喧嘩に巻き込みたくないとかも聞いた。どういうわけだ。どうして烈火を殺しにこない。
荒貝にとってはなにも疑問はない。道理を説くような口調で滔々。
「おれはこう言ったはずだ。再会した時にその魂の真価を計る。場合によっては殺すし、もしかしたら協力を願うかもしれない。貴様の魂は素晴らしい。殺すなぞもってのほかだ。とはいえ、例えば協力を求めたとして――」
「却下だ、ボケ」
「であろうな」
肩を竦めて、実に困ったという風情を表現する。
人間らしい仕草だが、なんだろう、なんか似合わない気がする。烈火はだいぶ荒貝を人から外して考えていた。
ある意味で――鬼たる鬼灯よりも、なお化け物染みて見えるのは何故だろう。
「だが、鬼灯 正宗と戦っている際に、貴様は神の力をほとんど使わなかったな。そして、彼に対し、神の力を行使することに罵倒を浴びせていた。あれはおれの思想になんらかの共感を覚えたということではないのか」
「んなわけあるか。前者に関しては他事に集中力回してて神様スキルが使えなかっただけだ」
『刹那識』の最中には、一切の神様スキルが扱えない。それは一点集中ゆえの弊害だ。技の性質上仕方なくもあるし、当然でもある。だから、別にお前の理屈に則ったわけじゃない。勘違いするな。
「んで、後者は、あれは神に縋ったことに文句言ったんじゃねぇ。拳で戦い、それを誇る輩が、才能なんてもんを他から譲ってもらって喜んでんじゃねぇって言いたかったんだ。自分で作った技以外で、どうして誇りを持って戦えるってんだ」
まあ、鬼灯は拳に誇りを置いているわけではなかったのだが。烈火とは違い、戦いそのものに意味を見出すタイプだったのだが。
なので、本来烈火の文句は的外れでしかない。あの発言に、意味はもはや喪失している。
都合よくお前の理に組み込んで笑ってんじゃねぇよ。
烈火は――烈火だ。
「おれはお前が嫌いだ、荒貝 一人。お前の魂の強さには感服するが、それでその思想に屈服なんかしない。おれはおれの理屈で世界を回すんだよ――だからお前は、いずれこの手で絶対ブッ倒す」
「……ふふ」
堪えるように俯いて、肩を震わせて――結局笑う。大いに笑う。
「ははははははははははははははははははははははははははははは!
いいな、いいぞ玖来 烈火。やはり貴様の魂はどこまでも真っ直ぐでいて素晴らしい。輝いているぞ、眩しいな! どうかその輝きを、この曇った世界で広げてくれ! それがなにより雄弁たる啓蒙になろう!」
「勝手に言ってろ、おれはおれを変える気はねぇよ」
「それで充分。それでこそ貴様よ」
変に何者かに影響されてはいけない。誰かの意見に従ってもいけない。ただただ己の意思を貫いてくれ。それでこそ人間だ。
怒ってばかりの荒貝 一人にしては、珍しい態度で発言だと思った。まあ、烈火は少し前に少し話して一戦交えただけで、実は彼についてあまり知らないのだが。だからこそ、怪物的な印象を拭えないのだろう。
「ああ、そうだ、玖来 烈火。最後にひとつ――これは忠告だ」
「あ? お前が忠告だ? なんの罠だよ」
「どうとるも好きにするといい。しかしおれは、貴様があの愚か者などに敗北する未来など来てほしくはないのでな」
珍しく嫌悪感の先行した物言い。
その態度から察し、烈火は目を細めて吐き捨てる。
「……二番か」
「その通り。第二傀儡【人誑し】。あれには気をつけよ。腐った魂に醜い精神、あるだけで周囲を堕落させる。本音を隠さず告げるなら、あれをあの時に殺しておかなかったことを、おれは常に後悔している。不用意に触れて、貴様まで引き摺られぬように心しておくといい」
荒貝がそこまで言うほどのクズ野郎ということなのか。それでもなお殺さずに残した辺り、やはりこの男の信念は強固過ぎて際限なし。きっと、もはや自分で退けることもできないのだろう。
「まあ、忠告は痛み入るよ」
しかし馬鹿に、引きこもりに、バトルジャンキーと来て、次はクズ野郎かよ。他の二名の女性には俄然嫌な期待が増すな、おい。
全く、傀儡という奴は……なんて救えない。
「いやぁ、おれの常識者っぷりが一際輝くな!」
「玖来さん玖来さん、目くそ鼻くそを……なんでしたっけ?」
「笑ってんじゃねぇよ!」