73 馬鹿
烈火は傘の部屋から出ると、階段を下り、食堂へと赴いた。傘だけトトの爺様の座るテーブルに送って、ひとりでとあるテーブルに向かって行く。
真っ直ぐ、ずんずん、迷いなく。
足音をわざと鳴らして自分が近づくことをテーブルの面子に伝える。遠慮無く寄っていく。到着した頃には食事中の者たちにちらちらと目を向けられたり、無視して食事に没頭されたりしたが、こちらも気にしない。
烈火は深呼吸しつつゆっくりと両手を挙げて――急降下。ばんとテーブルを叩く。注目を集める。無視を殺す。
「――よぉ、【武闘戦鬼】」
そして、食卓の中心の男に向けて、そんなことを言った。軍帽をとって、にっかり笑顔を見せ付けて。
瞬間、屋根の上から爆発的な叫び声が降ってきた。
「なにやってんですか、あんたぁぁぁぁああ!」
耳がきーんってする。やめて。
聞きゃしない。
「え? は? ついにトチ狂いましたか、玖来さん。なに、なにやってんですか本当に! 避けて通るって話じゃなかったんですか? なに自分から顔出して情報出して喧嘩売るみたいな感じになんってんですか。わけわかんない、七わけわかんない! 誰か教えて助けてー! この馬鹿に天罰あたえてぇー!」
うるせぇ、おれはやっぱり馬鹿なんだよ。仕方ないだろ、そうやって生きてきたんだ。これからもおれはおれで生きるしかない。あぁ、あと七、お前もうおりてこいよ。
そんな烈火の発言に、言われたテーブルの八名――「戦鬼衆」の面子は呆気にとられる。食事の手を止めぽかんとする。いきなり、なんだと。
気にせず、烈火は唇の端を吊り上げたまま続ける。できるだけ不敵に、なるだけ強気に。
「おれの名は玖来 烈火。お前と同郷だよ地球人、ちょっくら喧嘩してくれねぇか」
「買った」
なにがなんだかわからない。【武闘戦鬼】はあまり頭の回転が早くなく、平たく言って馬鹿なので、烈火が同じ傀儡であることもその時点ではまだ合点していない。
だが、喧嘩しようと言われれば、全部思考はいらない。ただただイエス、イエスに決まっている。
「喧嘩しようぜ、玖来 烈火――ん? くらい、れっか……黒い髪……目……」
ぽくぽくちーん。
「ああ、お前が傀儡って奴か! 同郷、そうか! あぁ、ああ地球人な!」
「今更気付いたのかよ……」
流石に烈火もそれには呆れる。もしかして頭がよろしくない人なのだろうか。だと助かるんだけれども。
していると、他の面子がにわかにざわめきだす。騒ぎ出す。歓迎ムードで。
「なんだなんだ? 喧嘩か? いいねいいね、おれにもやらせろよ」
「こんないきのいい挑戦者は久しいな」
「そういう無鉄砲な男は好きよ、あたしもやりたいわぁ」
「俺も俺も!」
「おめェらは黙ってろ! 指名は俺だ」
【武闘戦鬼】は実に楽しそうな笑みを浮かべて仲間たちを制する。というか単純に自分が戦いたいから他はすっこんでろといった感じだ。
それに乗じて、実に不服そうな顔の吸血鬼が烈火に非難の視線を向ける。
「君、戦いたくないんじゃなかったの?」
昨日お誘いをくれたデーヴァだ。なんとなし少々拗ねたような口調である。
肩を竦めてあっさり切り返す。
「気が変わった」
「あっそう。これだから気分屋は面倒だ」
烈火に言っているようでいて、その実、別人に向けて言っているような気がした。
たぶん言われたであろう男は、笑顔でそんなわかりづらい悪口に反応しない。気がつかない。
「確か、あー傀儡戦争だったっけ? それをしに来たのか?」
「いや、違う」
即答。そこは違うと明言しておきたかった。
すると【武闘戦鬼】は目を見張る。検討外れに的外れの肩透かしに首を傾げる。
「……違うのか? じゃあ、んん? なんだ、なにしに来たんだよ。喧嘩はするんだよな?」
「喧嘩はする。だが殺し合いはしたくない。駄目か?」
「いや、いいぜ。それが望むところだ。嬉しいねぇ」
よかった馬鹿で。
烈火はひとつ安心した。こうして向かい合って、こっちの発言無視のゲームだから殺しますとなっていたら死んでいた。
喧嘩好き馬鹿の人殺しはあまりしない。噂通りで助かった。それはバトルジャンキーゆえに、死んだら戦えない理論のもと生きているからだと思った。だから誰も死なずに殴り合いだけ続けていたい。それが理想。ヴァルハラのように殺し合っては癒えていく環境が理想なのだろう。そういう人種。
ならば、こうして正面から殺さないで喧嘩しようと言えば承諾すると思った。ホントよかった予想通りの阿呆で。
「おれとお前で一対一、傀儡戦争無関係で殺しはなし。そういうシチュエーションで、戦いたい」
「いいぞ!」
「待ちなさい」
そこで遂に【武闘戦鬼】の神子、ケルフが口を挟んだ。流石に意味がわからない。
ケルフは頭痛に苛まされたように額を押さえつつも言葉を選ぶ。
「第七傀儡、それはどういう意味ですか。あなたは今までもふたりの傀儡と戦っていました。そして両者が生存している。全員にその話を持ちかけているのですか?」
(いや、はじめてだ)
念話だけど、届いてる? ここで見えないケルフに喋りかけて、【武闘戦鬼】以外に変な目で見られたくないんだけど。
「届いています」
あ、届いてる? わかった、どうも、続ける。
(今回は、ちょっと状況が特殊でね。おれはおれにケジメをつけたい。【武闘戦鬼】に挑むのが、おれの中でひとつの決着をつけてくれる、と思う)
「……そうですか」
「三姉ぇ、玖来さんについて考えても無駄ですよ、この人ほんとわけわかんないですから」
ぷんすかしながら七が烈火の傍に控えていた。いつのまに下りてきていた。
するとまぁとケルフが凄い喜ぶ。突っ込んでくる。
「リラじゃない、まあまあ可愛いわねぇ」
「わっぷ、三姉ぇの嫌味な山が私を襲うー」
なんか姉妹で抱き合ってるが、スルーして。
烈火は【武闘戦鬼】に向かい合う。
「お前はどうだ、なんか疑問はあるか」
「ねぇ! さっさと喧嘩しようぜ!」
我慢できねえ、今すぐやろうぜとばかりに叫ぶ【武闘戦鬼】。だが、代わって問いを投げる者がひとりいた。
「もしかしてあなたが、私たちを探しているという方ですか?」
不意に口を開いたのは、今までずっと黙っていた夜叉の男だった。
その一言で「戦鬼衆」内であ、そうなの? みたいな空気が流れる。烈火側からはよくわからん。勝手に内々で進行する。
「あぁ、そういやそんな噂があったなぁ」
「……ここに来たのも噂を辿ってのはずですが、お忘れですか」
「忘れてた。で? お前か? 俺を探してるって奴は?」
「は? なんの話だ?」
怪訝な顔で問い返せば、【武闘戦鬼】と夜叉のほうもまた不思議そうな顔をする。なにか食い違いがある。すれ違ってる。
わからないなりに、【武闘戦鬼】は事情を話す。
「ここらへんに俺を探してる強い黒髪黒目の野郎がいるって、噂で聞いたぞ。だから来たんだぜ」
「……いや、おれじゃないが」
では誰だ。決まってる。この大陸に存在する黒髪黒目の男なんてあと一人、一人きりの確定だ。荒貝 一人。あの大馬鹿野郎の荒貝 一人だ。
おい、おいおいおい。ということは、あれか、まさか、そうなのか?
全部――全部あいつのせいじゃねぇか! この状況はことごとくあいつの差し金じゃねぇか!
あのボケが変な噂流さなければ「戦鬼衆」はここらに現れず、烈火と遭遇もせず、平和にスルーで終わったんじゃねぇか!
なんだよそれ、マジかよ! 全部全部なにもかもあらゆる全てあいつが悪いんじゃん! ほんとマジでロクなことしねぇなぁ、もう! 畜生めが、次会ったら絶対ぶん殴ってやるぞ荒貝 一人!
くそぅ。だったら烈火が【武闘戦鬼】に暗殺敢行したのは大失敗じゃないか。なんの意味もない行為だったじゃないか。あのまま静観してるだけで荒貝 一人が【武闘戦鬼】とかち合い竜虎相搏つとなっていたのだ。烈火の無関係のところで【武闘戦鬼】と【真人】が勝手にぶつかりあっていたのだ。そして相搏って相討ちと相成ったら最高だったのだ。アーイエー。
なんだよもぅ、あーもう。あー、うわぁ。やべぇ、帰りてぇ。マジ全速力で帰りてぇ。猛然と帰りてぇ。朝日が昇るくらい帰りてぇ、マジでぇ。
勝手に舞い上がってビビって恐れて、おれ馬鹿みたいじゃん!
頭を悩ませ心で絶叫する烈火だが、対して【武闘戦鬼】はあっけらかん。それならそれでいいかと単純だ。
「まあいいか! つまり喧嘩相手がひとり増えたってことだしな!」
「いーなー、お頭ばっかりいい感じの喧嘩相手がいてさぁ」
「絶対いつか勝つからな頭領。そんで俺が頭領になって喧嘩は独り占めだ!」
「お気楽」
「なんか悪口言った?」
「おめェらうるせぇって。一応、俺が頭なんだから黙れっつったら黙れよ。話が進まなくて喧嘩できねぇだろうが」
「じゃあ譲ってくれよお頭ぁ」
「絶対嫌だ。こいつは俺の獲物だ」
ところどころで身内同士で仲良くするのやめて。烈火的には敵地で震えてる気分なんだから、それで無視されるような形はいたたまれないって。友人と友人の友人が駄弁ってるのを同じ席で眺めてるくらいに辛いよ。
そんな烈火の心細さに気付いたのか――いや断じてありえないな。マイペースなだけだ――【武闘戦鬼】はこちらを向く。
「で、なんだっけ。今すぐ喧嘩?」
「違う。ちょっと待て。こっちにも仲間がいる。そいつらに話してから、外行こう。けど、あんまり目立ちたくない」
「そーか、じゃあ村の外れで待ってるわ。早く来いよ?」
「わかった」
【武闘戦鬼】は立ち上がり、飯を放置しさっさとドアに向かう。早く戦いたくて仕方ないのだ。それにならって「戦鬼衆」の七名も、また食事途中でも席を立つ。ずらずらと強者連中を引き連れて歩く様は、まさに鬼を引き連れる餓鬼大将のよう。
その去り様に、烈火は安堵してしまう。だいぶ強がって【武闘戦鬼】たちに話を吹っかけたのだが、本心ではびくびく震えていたのだ。
その油断に等しい一息を、見計らったように、鬼はあぁと最後に振り返る。
「そうだ。名乗り遅れたな――俺の名前は鬼灯 正宗ってんだ。よろしく頼むぜ、同郷」
その笑みは、血に塗れた戦狂いのそれであった。
「っていうことで、すみません」
「わしに謝ってどうするんじゃ、護衛殿」
「いやだって爺様の視点でいくと――」
傘と喧嘩して、仲直りに部屋に行って、帰って来たと思ったらなんか無視して先日から絡みたくないと言っていたはずの連中にアタックした烈火である。
で、これから喧嘩してきます。今日はたぶん仕事に同行できません、だ。
烈火ならキレる。舐めてんじゃねぇってなる。だから先んじて謝ったのに、爺様は特に怒った様子もない。まあため息混じりであったけれど。呆れかえって怒りも湧かないという風情なのかもしれない。
隣に座る傘も――烈火と違い一緒におりてすぐにトトの待つ席に向かっていた――別に責めない。構わないと言う。
「まあ、わっちの遠征じゃ、わっちが許す。ならばよかろう?」
「その通りじゃな」
傘の寛大さに、また救われる。
いや、これは、傘ならそう言うだろうとつけ込んだ形なのかもしれない。烈火は、どうしようもなく卑怯なところがあるから。
もうなんだよ、異世界の人はやっぱりいい人揃いか。ちょっと地球にもその優しさをわけてくれませんかね。烈火がすげぇ嫌な奴みたいに思えて惨めだよ。
「すまん、傘。お前の貴重な遠征の時間を割いて――」
「代わりにその喧嘩とやら、わっちも見に行くぞ!」
「え」
「なんじゃ、駄目か」
「…………」
当然駄目だ。烈火は本気で戦う。己の武も魔法も、そして神様スキルも全て費やし挑むつもりだ。それでも勝てまいが、全力を尽くすことに意義がある。
その戦いを見せるということは、烈火のスキルを露呈することになる。誰にも隠し、ひた隠しにしてきた神様スキルを、傘とはいえ見せるのは気が引ける。
のだが。
「駄目でありんすか……?」
「……え、あ、ええと」
今日は傘に世話になった。引け目もある。それになによりも、抱きしめてくれた暖かさは未だにこの身に残っている。ここで否定の言葉はだせようはずがない。観念したように、烈火は一息吐いて首肯の他なし。
「わかった。でも、そこで見る出来事は、ちょっと変なことかもしれない。驚くかもしれない。それ、他言しないでほしいんだ」
「烈火の切り札、かや」
「まあ、そんなとこ」
濁した。事実を言ったら頭おかしいと思われるだろうし。傘に変な目で見られると自殺したくなりそう……。
傘は疑うこともなく素直にこくんと頷く。なんかちょっとわくわくした感じなのは、隠し技が見れることが嬉しいのだろうか。
「わかった。誰にも言わぬよ」
「では、わしは行かぬほうがよいでしょうな」
「爺様?」
「わしは宿で待っておるよ。ふたりでお行き」
そこら辺は年上の気遣いか。爺様も奥の手を隠したい心理は理解できるのかもしれない。討伐者だしな。いや、単純に興味がないだけか。若者のイザコザなんて、幼稚にしか見えないのだろう。
烈火も、そういう風に達観したいもんだ。
あぁ、やれやれ。烈火は達観なんかできない。酷く憂鬱だ。
なにせこれから――負け戦に赴くのだから。