72 落ちてしまえば、あとは這い上がるだけらしいよ
いつものように、いつもを演じて、烈火は食堂を訪れる。
本音を封じて、弱音を抑えて、泣き言を殺して。
一晩眠ってリセットはした。部屋で深呼吸は何度もした。ならば大丈夫で、いつも通りなんて簡単だ。
烈火は言い聞かせ、先に来ていた傘とトトのふたりに近寄っていく。
すぐに気がついて、傘が挨拶に笑みを――硬直。
「おはよ……う? れっ、烈火?」
「ん、おはよう傘。どうした」
「どうしたではなかろう! おっ、おぬし大丈夫かっ、なにがあった!?」
なにやら深刻そうに声を上げる傘。そういう姿は、あまり見たことがなかったのでちょっと驚いた。
なにがあった――烈火としては無論、心当たりがありまくったが、そこは言わない。腹の底に沈めたまま。自身の演技の下手に反省しつつ、微苦笑して誤魔化す。
「は? 別になんもねぇけど」
「嘘をおつきなんし、ぬしゃあよくはぐらかしなんす!」
「……いや、なんでもないって」
なぜそこまで必死に言い募るのか。烈火の顔はそんなに酷いのか。自覚はできなかった。
烈火は思わず顔を背けて、すると黙っていたトトの爺様が穏やかな声を発する。声を荒げる傘に落ち着くように言う。
「まあまあ嬢。少々落ち着いて」
「ライファン殿、しかしこれはどう見たって!」
「うむ、まあ本人がなんでもないと言っておる以上は聞きだすのも野暮じゃろ。しかしともかく傷の治療だけはさせてもらおうかの、それはわしらの危険にもなりうるでの」
理詰めは卑怯だ。否と言えない。烈火はちょっとだけ不満げにだが頷く。
「……はい、すみませんトトの爺様」
「謝るならば依頼人にの。護衛殿がダメージをおって守れなくなって一番困るのは嬢じゃろ」
トトは言い終えると、魔法の詠唱を開始。杖で触れて烈火に治癒種の魔法を流し込む。
烈火は老人の言葉を咀嚼して、納得する。傘に目線を戻す。
「そう、ですね。すまん傘」
「謝罪なぞいらぬ。わけを話してくりゃれ」
「……」
一も二もなくこれである。よほど烈火は酷い顔をしていたのだろう。少なくとも、傘の我慢できるレベルではなかったらしい。
意志の強そうな瞳が烈火を射抜く。なにか話さなければ延々とこうしていそうだ。それはそれで、美少女にずっと見つめられるということで役得ではあるけれど。
ため息。昨日の敗北のせいで、少し緩んでいるせいだろうか。口は勝手に話していた。極力ぼかして、だが。
「少し、派手に負けた」
「なに?」
「喧嘩だよ。まあ、向こうはそんな気もなくて、こっちばっかり空回りしてボコボコにされただけなんだけど」
「…………」
聞き入る傘は、どうにも訝しげ。返答も相槌もなく、ただ烈火の目を見つめる。その奥底のなにかを見通している。
そんな真っ直ぐな目で見るなよ、惨めになるだろ。烈火は目を逸らすわけにもいかず、さっさと話を終わらせにかかる。
「悪かったな、喧嘩なんて短絡的なことしちまって。昨日はちょっと気が立っててな。それを今日まで引き摺ってんだから、もう言い訳の余地もない」
「…………」
やはり返答はない。ただどんどんと眼差しに険しさが増していく。睨めっこが続く。心の底まで見抜いているような、魂の色形まで直視されているような、そんな錯覚が烈火に襲い掛かり――錯覚ではないと気付く。
少女は鬼だ、妖鬼だ。心を知る鬼だ。俗説だが、彼らは姿ではなく心を見ているという。ならば烈火の心の声までは聞こえぬだろうが、その感情くらいは、おそらく見抜く。
それを思い出してしまえば、咄嗟に目を逸らしてしまう。後ろめたさと、なにより惨めさに。
瞬間、爆発。
「そういうぬしは好かん!」
それだけ言うと、傘は席を立って走り去って行く。
怒らせてしまったらしい。嘘を見抜かれたのだろうか、態度が気に食わなかったのだろうか。わからない。だがあれは怒りの発露だろう。
烈火は目の前で怒気を飛ばされ、ちょっと混乱してしまう。呆けて棒立ち、見送ってしまう。
どうすればいいのだろうか。なぜ怒っているのだろうか。謝るべきか、なにを。ああ、もう、これだから女ってのはよくわからん。
佇む烈火に、トトはため息混じりに言う。
「のぉ、護衛殿」
「……なんでしょう」
「お前さんは間違っておらぬよ。間違っておらぬが、それだけじゃ」
なんだよ爺さん特有の若者への説教癖か? やめてくれよ。今はやめてくれ。暗殺失敗で気が沈んでるんだ、その上で傘に怒られてこちとら泣きそうなんだぞ。追い討ちかけないでくれよ。それとも、泣いてるところでも見たいのかよ。
と、切って捨てることはできなかった。今回悪いのは、完全に烈火である。説教くらい当然に頂いて文句など言えようはずもない。
「あの娘のことを考えてあげてはくれんかの。わしも出会って一週間ていどの浅い仲じゃが、嬢はとてもいい子じゃ。あまり悲嘆に暮れた姿は似合わんよ」
「それは、同意しますが」
「ではもう少し歩み寄ってはやれんかの。護衛殿は嬢に対する線引きが明確すぎるわい」
「それは……」
確かに線は引いているが。
烈火が傘ほどの美少女に対して、可愛い可愛いはしゃがないのも一応の線引きである。
「え、嘘」
嘘じゃないから黙ってようか、七ちゃん。ちょっとシリアスの話してるからね。
「あの子は護衛殿を慕っておるよ。だのにお前さんのほうからそれでは浮かばれんじゃろ」
「……そうですかね」
「嫌いな者のためにああも真剣になって声を荒げたりはせん」
まあ、男女の好きとは違うだろうが、それでも確かに慕われている。そこに嘘はないだろう。今までだってなにかと話しかけてくれたし、便宜を図ってもらった。そこは別に否定しない。人に好かれるのは、嫌われるよりもよっぽど嬉しいものだし。
だが、一応烈火としては護衛の仕事だ。仲良しこよしと緊張感に欠けてもいかんだろう。リヒャルトには釘を刺され、夜鳥・楡には脅されていたし。だからこその線引き。
言い換えれば、隔意だ。
「のぉ、護衛殿、おぬしも同年代、いろいろと複雑な心中は察せられるじゃろう」
「……年頃の女の子の気持ちなんて、さっぱりですよ。爺様はわかるので?」
「いや。そう言われれば全くわからんの。長生きしても、女性とは複雑怪奇で、それが歳幼いとなればもはや迷宮じゃよ」
爺様でそうなら、烈火がわかるはずがない。このザマはもうどうしようもなく仕方がない。
「じゃがの、それは向こうからしても同じかもしれんぞ?」
「え」
「おぬしばかりが向こうをわからぬと言うばかりでなく、嬢のわからぬという言葉を聞いてあげねばな」
「…………」
不明を言うばかりでなく、他者の不明を聞き入れてあげるべきだと。自分本位にばかり考えてないで、少しは思いやりをもてと、そういうことだろうか。
トトは人のよさそうににっこりしわくちゃに笑う。
「まあ、要するに――いいからとっとと追いかけんか、男じゃろ」
半分逃げるようにして、烈火は階段を駆け上がった。
その間にも「戦鬼衆」の面子を顔をあわせないように注意はしていたが、まあ階段まで来れば一階の奴らと鉢合わせはしないだろう。
……あぁまただ。傘に謝罪しに行こうというのに自分のことばかり。烈火は割と自分が身勝手な奴なのだと思い知らされて、少し気落ちしてしまう。
それでも到着してしまえば、泣き言なんて言っていられない。悪いのは烈火で、だから歩み寄るのも烈火がすべき。傘の部屋のドアの前でウダウダしているのはよろしくない。
深呼吸ひとつで、烈火はドアをノックする。控えめ過ぎたか、返答はない。もう一度ノックしようとすれば、ドアが開く。傘が顔をだす。
「…………」
「…………」
沈黙。互いに顔を合わせて黙りこくってしまう。
気まずくて、なにを言えばいいのかわからない。言葉は千千にわかれ、頭から霧散していく。遠のいていく。この場面に即した魔法の言葉は一体どこにあるのか。
そんなものはない。
烈火は顔を上げる。魔法の言葉がない以上、自分で紡いでいくしかないのだから。
「なあ、傘。おれの名前は玖来 烈火だ」
「……は?」
「歳は十八、ちょっと遠くて言ってもわからんようなところが出身で、討伐者だ。Bランク。コロシアムの闘士としても最近デビューしてAランク。ガキの頃からジジイに無理やり剣術を教わって、まあそれで食っていけてるんだから文句は言えねぇな」
「烈火? なにが……なんじゃ?」
困惑する傘。なにが言いたいのかわからない。現状に即した言葉とはどうしても思えない。
烈火はがりがりと頭を掻く。恥ずかしそうに、恥じているように。
「いや、爺様に言われた。おれは傘がわからんが、傘もおれをわからんだろうって。だから、なんだ、自己紹介っていうか、説明っていうか……なぁ?」
「……」
「ほら、もう一週間以上一緒にいるけど、そのくせあんまり互いに知らんこと多いだろ? そんな他人じゃそりゃ他人行儀にもなるって。でも、たぶん、他人行儀が嫌なんだろ?」
それくらいは、なんとなくわかった。烈火が一線引いた発言をする度に、整った顔色が微かな失意にくすんでしまうのだから。
真摯な態度なつもりであったが、同時に愚直で不様だったかもしれない。傘は、口元を隠すようにしてくすくすと笑い出す。
「まあ、立ち話もなんでありんす。部屋に入りんす」
「……あぁ」
言われるままに部屋に入れば、烈火らの使っている部屋とは違い少々手狭。一人部屋である。
荷物は隅にまとめてあって散らかっていない。傘の部屋、という感じはしない。一時的な宿なのだから当たり前だが、ちょっと残念だった。
ではなく、今は真面目。真面目にお話だ。今度こそ目を逸らさずに、謝罪だ。
「その、悪かったな、傘。どこに特に怒ったのかは、まだわからんのだが、ともかくたぶんおれの態度にイラついたんだろう。嘘が、嫌だったんだろ。そこは、謝るよ。ごめん」
「……いや、わっちも、全部話せと言うのは傲慢でありんした。ただ、のぅ」
椅子に腰掛け、傘は言葉に迷う。なんと言えば正しくこの胸に溢れる混沌たる感情を誤解なく伝えられるのか。
ああ言葉はなんと不便だろう。この思いを言葉に変換すると、どうしたってヘンテコで、本意とズレが生じるじゃないか。まさに適当であるという言葉は、きっとこの世に存在し得ない。
それでも、精一杯を伝える。言葉にして、口から発さねば、本当になにもわからず繋がれない。
「わっちは、ぬしに冷たくされると悲しくなるのじゃ。他人のように、余所余所しく扱われると、悲しくなるのじゃ」
「なんで、そんな……」
「のぅ、烈火」
「なんだよ、傘」
そこで些か唐突に、しかし彼女の思いのままに、傘は言った。笑顔だった。実に雅で華やか可憐な、笑顔だった。
「ありがとう」
「え」
強く心のこもった礼の言葉に、烈火は慌てる。意味がわからない。なんでそこでそんな言葉がでてくるんだ。傘の思いが、全く不明で己とのズレを感じてしまう。
「なっ、なんのありがとうだよ。なんか礼を言われるようなことしたっけ?」
「したでありんしょ。コロシアムで父に勝って、わっちを外へと連れ出してくれた」
「へ? そんな、今更。ていうかもう礼は言ってもらったと思うけど」
「一度だけでは気が済まん。わっちゃあ何度も、何度でもぬしに礼を言いたかった。ありがとうと、伝えたかった」
それが、今日やっと言えた。
「ぬしからすればなんてことのないことじゃったろうがな、わっちには本当に本当に有難いことでありんした」
父の許可がなければ遠征は許されない。
遠征に行った者と行っていない者とは決定的に差異があるという。経験を得た者とそうでない者、そこには天地ほどの違いがあって、本当に強くなりたいのなら遠征に参加すべきだ。先生はそう言っていた。事実だろう。
だったら、傘は迷いなく遠征に参加したいと思った。強くなりたいと思った。できれば早く、確実に。
「そういえば、傘。お前なんでそんなに遠征にこだわってたんだ。最悪遠征に参加なんかしなくても卒業くらいできただろ」
「わっちは、ずっとわっちのことを心配して守ってくれる父様に恩返ししたかった。父様と一緒に戦えるくらい強くなって、少しでも重荷を分かち合いたかった。
わっちはもう大丈夫。だから、父様はわっちばかりでなく、父様のことを考えて欲しいと、そう願っておった」
じゃがそんなこと、父様に言えるはずがなかろう。恥ずかしそうにはにかむ姿は、なんて意地らしくて微笑ましい。胸が疼くほどに魅力的だと、烈火は思った。
「遠征に参加したい。じゃが、父様はそれを認めてはくれんかった。父様にも言い分があろうが、わっちとしても譲れんことじゃ。必死に頼みこみ、リヒャルト先生にも無理を言って、それでも結局なんともならなくて……もう駄目かと絶望していた頃に、ぬしは現れてくれた。縋るようなわっちの願いに、おぬしはしっかりと確約してくれた。あの言葉が、どれだけわっちの救いになったか、ぬしは知らぬじゃろうなぁ」
そういえば、調子よく請け負ったな。あの時では勝てるかどうかも怪しかったというのに。
勝ったからこそ無責任野郎の謗りを受けずに済んだが、あれはちょっと軽率だったかもしれない。
「そして本当に父様を倒した。真っ向から。わっちとの約束を、果たしてくれた」
だというのに、傘は宝物を掻き抱くような仕草をする。手の平を手の平で包み込み、胸に押し当てる。
「わっちは、本当に助かったのじゃ。おぬしに、礼を言いたかったし、礼をしたかったのじゃ」
「……」
烈火が傘を知らないように、傘のことを烈火も知らない。
だからそう、そういうこと。傘の抱いた感謝の念の深さを、烈火は全然知らなかった。
そのためにすれ違いが生まれて、傘を悲しませた。
「じゃが、ぬしはわっちをどうでもよいと考えているでありんしょ。ただの仕事の依頼人で、それ以上でも以下でもないと」
「そんなことは……」
今は、ない。
だが今まではどうなのか。知らずに踏みにじっていたのではないか。そこを否定はできない。思い返しても、細かい記憶までは思い出せず、だがそうしてどうでもいいと忘れた部分で傘を悲しませたかもしれなくて。
烈火は、あぁ、うん。
「そんなことはない。そんなことねぇよ」
開き直る。
ここで今までは思ってなくて云々と愚痴愚痴言ってもはじまらない。傘をさらに悲しませるだけだ。だから、今からのことを前向きに話す。目と目を合わせて語らうのだ。このおれの心をよく見てくれと言うように。
いつものように都合悪くなって話を逸らした、とも言うが。
「おれが悪かった。もうちょい距離を縮めるとする。というわけでさ、ちょっとおれの愚痴、聞いてくれねぇか?」
「あ、うむ。わかった。聞く、聞きたいでありんす」
こくこくと小刻みに頷く。その姿は小動物みたいで、可愛らしいな。素直に、そう思う。
それから、烈火はゆるく笑って滔々とこれまでのことを話す。ぼかしながら、懺悔するように、言葉を並べた。
「おれはさ、さっきも言ったけど、十八歳で、ずっとずっと武術を教えられてきた。おれの人生の大半は鍛錬鍛錬だった」
「うむ」
「それはそれで、まあ誇りもあった。ずっとずっとやってきたことだからな、半分くらい無理やりでもさ、自分なりに誇りがあったんだ。強くなっていく自覚は楽しかったし、才能があるなんて言われて舞い上がった。他の奴に凄い凄い言われると、内心では天狗だよ」
それを隠すように当たり前だと言い張る自分カッケーとかもあった。中二が醒めていないことが内心ではわかっていて、格好つけて生きてきた。
「おいマジですか玖来さん、すっかり騙されました!」
お前に語ってないから。ちょっと耳塞いでてくれる?
「おれは結構、才能ある奴で、凄い奴で、カッコいいとか。恥ずかしいだろ?」
「多かれ少なかれ、人にはある自尊心でありんす。別に恥ずかしくはなかろう」
「まあ、それを隠してる時点で恥ずかしいことなんだよ」
恥ずかしくないなら隠さない。繕わない。逆接、それは恥ずかしいのだと内心では感じていたということ。
「まあ、そういう前提があってだな、本題はここからだ」
「うむ、なにがあったのじゃ」
「おれよりずっとすげぇ奴がいた」
「む」
傘はぴくりと全身を反応させて、顔色を曇らせる。その感情を見通す目は、一体どんなそれを見とったか。
烈火は目を伏せながら、言葉を続けた。
「おれが今まで重ねてきたもんを全部無価値にしちまうくらい、おれのがんばりが全部無駄だとわかっちまうくらい、そんだけすんげぇ奴がいた。そいつは天才で、おれの才能なんかぶっちぎりだ。努力なんてちゃちなもんでは埋められない差があって、これまでの年月もこれからの歳月も、幾ら時間があってもたぶん届かない。そういう領域の怪物だ」
「それは……辛いのぅ」
傘はまた物悲しそうに共感した。本当に烈火の辛さ苦しさを丸きり理解してくれたのか、それはわからない。わからないけれど、それでいいのだ。
完全に分かり合うことなんてどれだけ時間を重ねても無理だ。どれだけ親しくなっても不可能だ。しかしだからこそ分かり合おうとする。当たり前で綺麗事だが、今は耳心地よいその意見に納得しておく。
「それでおれは、もうどうしたらいいのかわかんなくなっちまった」
今まで積み重ねてきたものが崩されて、これから目指していく方向の頂を見せ付けられて、もうどうやって歩けばいいのかすらわからない。
その時の烈火は途方にくれた迷子のような、それでも強がっているような、そんな表情だった。
「まだ相手がおれと同じか、それ以上にこれまで長く多く頑張ってたんなら、なんとか無理にでも納得できた。けど、たぶんあいつはおれより頑張ってない」
なにせ神様から力を授かっただけの――荒貝 一人曰く、家畜野郎なのだから。
生前になにか武道を嗜んでいたのかもしれない。そこで研鑽を積んで、烈火よりも努力していたのかもしれない。
だがその頑張った分野を、神に頼んで才を恵んでもらうなんてプライドがないとしか言いようがない。
そして、そんなプライドのない野郎に、烈火は手も足も出ない。腹立たしいし、嘆かわしい。なにより死ぬほど悔しいのだ。
まあ、神様スキルに関しては、流石に傘には教えられない。後天魔法と言って誤魔化した。こういう誤魔化すために、後天魔法なんて概念をこの世界に広げたのかもしれないと思った。どっちでも構わないけれど。
「そうか。それは、確かにやりきれんの」
傘はそれだけ言って、その後に、顔を俯かせた。
なにか考えているような、それでいて困ったような表情だった。
「じゃが烈火、すまんがわっちはぬしに納得いくようになんぞ言い聞かせてはやれん」
「あ、いや、最初に言っただろ? 愚痴を聞いてほしいだけだって。それ以上は別にいいんだよ」
慌てて烈火は明るい声を作る。そこまでしてもらおうとは思っていない。流石にムシがよすぎるだろう。
いい。話しただけで結構すっきりした。烈火は烈火、あいつはあいつ。結局結論なんてそんなところ。別にそんな理屈で納得しないし心は癒されないが、それで無理やりに思考を放り投げることはできる。
それでいい。烈火は充分、傘にもたれかかった。そして、受け止めてくれた。それだけで、ずっとずっと身軽になれた。
だが、傘はそれでよしとはしない。助けてやれない不甲斐なさから、こんなことを言う。
「じゃから、烈火、ほれ」
「?」
傘は両手を広げる。伸ばした腕からは、着物の袖が垂れていて、なんだかはんなり美しい。そのポーズが似合っている気がした。
だが意図は読めない。なに、手掴むの? シャルウィダンス再来?
「そのぅ、なんじゃ、辛い時は胸に抱かれて泣くもんじゃろ。わっちの胸を貸しんす、どんと頼ってくれればよい」
「…………」
一瞬、七のほうを見てしまう。天井が邪魔して表情は伺えない。いつだったか似たようなこと言われて、物凄く嫌がられた記憶がある。女子ってのは言うだけ言って、行動に移すとやっぱヤダとか平然と言うからな。ちょっと慎重になってしまう。
いや、馬鹿。七じゃねぇんだ。意地悪七ちゃんじゃあない。傘だ。素直でいい子の傘だ。トトの爺様ですら褒めていた。嘘などつくか? 覚悟なくこんなことを言うか?
否だ。
それでも確認してしまうのは、烈火のみみっちいところ。
「いっ、いいのか、傘。おれ、結構ダメージ受けてる時にそんな優しくされたら泣いちゃうぞ。鼻水垂らして服汚すぞ」
「くふ、構わぬ構わぬ。ほれ」
うだうだ言っている内に、がばりと抱きしめられた。頭を胸元に誘われ、ふんわりと包み込まれた。烈火は一瞬驚愕に強張るが、その日向のような暖かかさと柔らかさに自然と脱力していく。
いい匂いがする。お香というか、なんというか。安心する。優しさが、肌と肌で伝えられるような、そんな気のせいがする。
辛さ苦しさを消し去ったりはしない。だが、それごと一緒に抱きとめられて、それも自分の一部なんだなって実感させてくれる。まとめて、抱きとめてくれている。
あぁ、このままずっといてぇ。もう現実に帰りたくなぁい。戦争どうでもいぃ。
「おいこら、玖来 烈火ァ!」
七ちゃんが屋根の上でブチ切れていた。なんで怒ってんだよ、こっちも辛かったんだこれくらいの役得勘弁しろ。
「だーめー! だーめー!」
(たく、ヤキモチ焼きさんめ。しゃーねぇなぁ)
烈火は泣く泣く抱きしめてくれる傘の背をタップ。礼を言う。
「ありがと、傘。元気でた。もう、大丈夫だ」
「もちっといなんせ、まだ早うござんす」
「あ、はい」
「くーらーいーさーんー!」
いやもうこれは仕方ないでしょ。傘のほうから離してくれないんだもの。こっちから無理に引き剥がすのは気がひけるし、ねぇ。
なので仕方ない。仕方ない。
烈火はそうして、もうしばらく安穏に浸かって瞑目した。