67 神子様は心配性
「『不在』の練習をします」
「おや、一週間ぶりくらいですかね。まあようやく陸地ですしね」
橋の上で干渉選択の失敗による透過が起こってしまうと洒落にならないからと控えていたのだ。
橋を超え、道を行き、烈火らは現在第三大陸最西端の町アノマロカリスに滞在していた。アノマロカリス……いや、突っ込むまい。名前が偶然一致しただけなんてよくあることだ。きっとそうだ。
ともあれ昨日の内に町に辿り着き、宿をとって一晩経って、朝早くに烈火は起床。こうして町の外れにやって来ていた。言ったように、鍛錬のために。
「それに木の上にのぼって枝の上に立ってやれば落下しても大丈夫だ」
「成る程」
「けど問題点がある。動けん」
「まあ枝の上で動き回ったら枝折れますよね、普通に」
「今んところ『不在』持続時間のベストは六十七秒だ。けどこれって完全に静止した状態での話なんだよな。できれば動いてる状態で無敵モードを維持したい」
「最近実戦で使ってないせいで実感しづらいですけど、それって大分チートですよね。物凄く今更ですが――なんで使わないんですか、宝の持ち腐れすぎません?」
『不在』じゃなくても『不知』でも『不形』でもいい。こんなに便利でチートなのに使わないでいるなんて勿体ないだろう。もしも使わずにいて死んでしまったら、馬鹿みたいじゃないか。
「んん、そりゃ色々理由はあるだろ。使いまくれば【武闘戦鬼】みたいに目立って噂になる。過信しちまうかもしれない。鍛錬にならなくなる。まだ使い慣れてないから自滅するかもしれない。とかとか」
「なんとなく言い訳っぽく聞こえますねぇ。今のところは生きていますし別にいいじゃないですか、使えば」
「…………」
「…………」
なんとなく睨み合いのような形になる。
七の目つきがどんどんと険しくなっていく。ずっと考えて、不安に思い、口にするのを憚っていた可能性を告げる。
「もしかして、ですが。まさかとは思いますけれど玖来さん? 【真人】の言葉に惑わされていたりしますか」
「む……」
「神様に力を恵んでもら屈辱なんてものを、玖来さんは共感したんですか?」
「それは……」
全くない、とは言えない。確かに上から目線で授けてやるとか嘲笑混じりで言われたらイラっとくる。僅かの同調がないとも言えない。
だがそんな理屈じゃ生きていけないというのも理解しているつもりだ。もらった力は最大限活用する。もらってしまった以上は自分のものだと言い張る。そうでもしないと、烈火はこんな過酷な世界で生きていけない。あっさり野垂れ死ぬだろう。
玖来 烈火は荒貝 一人ほどに強くも気高くもないのだから。
「あ、わかった、それです」
「は? なに、どれ?」
「その劣等感です。玖来さん、【真人】に負けたせいで彼の思想まで否定しづらくなってるんですよ。自分はあれより劣っている、だから優等の意見に反論するのは筋違い、みたいな」
「……そんなに卑屈か?」
「卑屈です」
きっぱり断言された。前向きとか能天気とか評価されてた気がするが気のせいだったのだろうか。
「いえ、人間複数の要素をもってこそですから。前向きな玖来さん、アホな玖来さん、卑屈な玖来さん。全部あわせて玖来さん」
「なんでそこに悪口挟むんだ、こら」
「親愛の証みたいなもんです。遮らないでください」
話を曲げようとしても無駄。七ちゃんは至極淡々と言う。淡白を心がけて言う。感情に左右されずに事実だけを述べているのだと。
「人間、影響して影響されてを繰り返すものですが、あの【真人】は人並み以上に強烈で、玖来さんを決定的に負かしたせいでさらに強く心に刻まれてしまったのでしょう。
ですが、あれは結局他人です。大声でそれっぽいこと叫んでるからって従う必要はありません。自分を見失わないでください。たった一度の敗北だって、生きていれば挽回できます」
「いや、おれそもそも落ち込んでないんだが……」
「いいえ、絶対心の奥底でまだ負けたことをウジウジ拘ってます。でないとこうも神様能力の使用を躊躇う理由がありません」
そうだろうか。ここで頷くことこそ人の意見に流されるということになるのではないか。
「人の意見でも七ちゃんの意見とあのボケ【真人】の意見、どっちを優先するんですか。まさか私を裏切るなんてありえませんよね、ねえ玖来さん?」
「おっ、おう。そりゃそうだ。おれとお前の仲だ、裏切るわけねぇだろ」
「では今後はもう少し積極的に力を使ってください。私、玖来さんが怪我する度に心が冷える思いなんですからね」
「……」
七は少し勘違いをしている。いや、確かに荒貝 一人の影響がないわけではないだろう。烈火は割と影響されやすい性質だし。
けれど今回はそれよりも単純に方針の違い。
烈火は切り札を切り時まで隠し、適した場面でのみ切る。悪く言えば出し惜しみをするタイプ。それに比すれば七はおそらく切り札だろうとバンバン使ってしまえと考えている。よく言えば思い切りがよく、悪く言えば考えなし。
烈火の方針も七の考え方も一長一短、どちらも間違いではない。
「玖来さん?」
だけどまあ――結局は心配してくれていた、ということなのか。
烈火としては使い時には迷わず使っているつもりだが、見てる側からしてはギリギリでしか使わないせいで肝が冷えるということか。もう少し、見ることしかできない自分を安心させて欲しいということ。
それは勿論、自分の目的のために烈火が死んでは困るからという利己的な心配もあるのだろう。だが、ちゃんと烈火を慮って、ただ死んで欲しくないと思う利他的な心配でもあると思う。
烈火はその単純な事実に気付けば、笑顔になるのを止められなかった。ずっとともにある少女だ、仲良くなったとは思っていた。軽口だって交わすし、馬鹿も言い合う。烈火が落ち込んでいれば慰めてくれるし、その逆があれば勿論励ますつもりだ。
けれど本音で、本気で心配を露にしてくれるほど腹を晒してくれるのは、なんだろう。少し進歩したような、一歩階段を上がったような、そんな感覚があった。
「七ちゃん」
「なんですか」
「ありがとう」
え、え、と困惑する七をわざと気にせず、烈火はさっさと顔を背けた。今日は動きながら『不在』がどれだけ維持できるか試してみよう。神様能力に慣れて実戦起用しないといけないからな。
鍛錬を終えた頃合に食堂を訪れれば、傘とトトがなにやら膝をつき合わせて会話していた。
烈火が手を挙げて赴けば、ちょうどよかったと席を勧められる。どうやら今日これからの予定について話していたらしい。参加する。
「今日も幾らか大陸側へ向かう、でよかったかのぉ」
「うむ、おそらく次の村までは三日はかかりんす。はじめての野宿でありんすな」
「野宿か」
キッシュを思い出すな。はじめて第一代陸で旅をした時にも、烈火はキッシュと野宿で……って、ああ。
烈火はカバンから一枚の紙をとりだす。
「そういえば地図を持っています。使いますか?」
「む? 地図ならわっちも持っておるが」
「ちょっと詳細な地図なんだよ」
ちょいと飲み物をよけてから、テーブルの上に広げて見せてやる。傘とトトが興味深く覗き込む。
「ほぉ、これはこれは、中々な一品じゃのぉ。これはどこで?」
「あー、おれに旅の基礎を教えてくれた人に譲ってもらいました。彼女も師匠から幾らか書き写させてもらったようですけど」
「ふむふむ、師弟での情報共有かや。成る程のぅ」
……しかし今更だが、爺さんと鬼娘でふたりとも爺言葉ってどういうこっちゃ。少しわかりづらいぞ。
「いえ、トト・ライファンは爺言葉でしょうが、夜鳥・傘のそれはくるわ言葉かと」
七ちゃんの解説が入った。なんか久しぶりな気がするな。で、くるわ言葉って?
「遊郭の遊女が使っていた言葉遣いです。出身を隠すための言葉だそうです」
(……なんで遊女の言葉をこんな少女が使ってんだ)
「いやぁ、雰囲気重視ですかね。鬼族の一部の部族ではくるわ言葉っぽいのが方言として成り立っているんですよ。ほら、可愛らしいじゃないですか」
(まあ、そこは否定しないけど)
方言女子もいいものだ。くるわ言葉は方言ではないだろうという突っ込みは不粋だ。
七の話してる間に、ふたりはおよそ地図を眺め終えたようだ。ふむとトトが指を指す。現在地だ。
「今わしらがおるのはここじゃな。で、地図通りならば次の村までの安全地帯は七つほどある。掲示板を見て真偽を確認してからじゃが、この安全地帯を使う方針でわしはよいと思うが、どうかの」
「わっちも、それでよい。安全策がとれるなら、それに越したことはないじゃろ」
流石キッシュの地図である。有能だ。ちょっとだけ誇らしい。
だったが、トトの爺さんの声は僅かに硬い。
「じゃが、本来ならば掲示板を見て、情報をできるだけ多く確保し、そうしてよい安全地帯を見きわめるものじゃ。このように良い地図があるほうが珍しいと思うのじゃぞ、嬢」
「うむ。掲示板の見方も教えてもらってよいかや」
「勿論ですじゃ。では護衛殿、わしらは掲示板のほうに行って参りますので」
「はい、おれはここで待っています。その後、出立で」
「そのように」
トトは人のよさそうな笑みを浮かべて、傘をつれて掲示板のほうへと行く。
笑顔だったけど、あれもしかし怒ってたのかな。順序を無視してしまったかもしれない。
うーむ、初心者に攻略本を渡すような一足飛びをしてしまったか。確かに自分で考えるのが学びで、答えだけ提供しては身につかない。
まあ、烈火は安全を約束するのが仕事だ。その範疇ということで納得してもらおう。教育を仕事としているトトの爺様には、また別の言い分があるのだろうけど。
そして村を出て、結界の外。町と村とを繋ぐ粗末な道だ。
今日も今日とて魔物から逃げたり狩ったり、護衛業は忙しい。烈火の戦っている姿を題材にトトは解説をしたり、時に魔法で援護したり、傘にも補助させてみたりと働いている。というか凄く助かる。魔法の援護は勿論、傘への説明とかはちょっと烈火にはできない。
傘のほうは烈火の動きに目を輝かせたり、トトの説明に真剣に聞き入ったりとこれまた忙しそう。
この三人のパーティは上手く回っていると言える。逆に言えば、それぞれあまり余裕がないとも言えるので、調子に乗ったりはできないが。
というか烈火はトトの爺様に割と小言を言われる。老人の繰言と切って捨てられないのは、長年の討伐者経験からくる凄みゆえか。調子になんて乗れない。たまにくれるアドバイスはためになるのだが。
「護衛殿は」
「はい?」
「護衛殿は剣術に秀で、隙を突くのがお上手ですな。目潰しや視線誘導もして、ミスも少ない。素晴らしいのぉ」
「あ、りがとうございます」
「じゃがどうも対人戦に偏っとるのぉ。まあコロシアムの闘士じゃったし当然じゃが。しかし魔物は人ほど脆くないぞ。要は、おぬしは一撃が軽すぎる。最低限で急所狙いというのは、人を殺すには充分じゃろうが、魔物には通じぬこともある。致命の点を穿つにも、全力を投じて油断せぬようにな」
「確かに、そうですね。気をつけます」
魔物は急所でも硬い可能性があるか。言われてみれば当然で、だが自分で気付けなかったのだから駄目駄目だ。
「それと、魔物の外見に惑わされてはいかんぞ。時に目の形をした耳をもつ魔物がおる。腕に似た長鼻を持つ魔物がおる。外見だけでは見抜けぬことは多いのじゃ」
「参考にします」
他にも。
「将と兵の違いを頭にいれておくといい」
とか言われたりもした。爺さんは話したがりだ。
「はい?」
「将は指示する者。兵は指示を受け取り動く者。両方の役割をこなそうとするとボロがでる、自分がどちらに向くか考え、パーティ内で誰を将役にするか話し合うのは重要じゃ。まあ小器用な輩もおらんではないがの」
「このパーティでは爺様が将ですよね」
「よいのか? こんな老骨に任せて。命が幾つあっても足らんぞ」
烈火の適性は完全に兵で、傘は学生。消去法でも爺様。と言うと露骨過ぎるので表現をどうにか変える。オブラートに包む。
「経験豊富で誰よりも視野が広いのは爺様でしょう。おれは唯一の前衛で突っ込んだほうがいいでしょうし」
「嬢はどうじゃ」
「わっちははじめからそうのように考えておりんしたが」
「かか、そうかそうか。己を知っとるのは優秀の証じゃよ、ふたりとも」
そうこうして結構ゆったりじっくりと、穏やかなノリで旅を続けているとあっという間に日は暮れる。
最寄の安全地帯に身を忍ばせ、トトは持っていた存〈在〉気配を〈遮〉る補助系魔法《遮在》の護符を使う。これで十時間ほどは魔物を目を欺ける。
さて野宿だ寝るぞとなった段で傘は少し渋る。当然だ。
「さっ、流石にはじめての野宿は恐ろしいのぅ。魔物どもの出現頻度はここ二日だけでもある程度わかってしまったし……」
「まあ安心しろ、今日くらいはおれが寝ないで見張っててやるから」
「ほっ、本当でありんすか?」
「嘘だ。眠い」
「こっ、この! 嘘をつくでないわ!」
「あっはっは」
顔を真っ赤にしてぽこぽこ烈火を叩く傘。子供っぽいこともするんだなぁ。そういえば傘ってお歳は幾つなんだろうか。鬼族だしもしかして烈火より年上なのか?
……聞かないでおこう。女性に年齢を問うなんてマナー違反甚だしいしな。決してこの場で最も年下は誰かを確定したくないからではない。シュレディンガー先生も言っていた。確定しなければ、どんな可能性も半々だって。誰が年下かなんて確認しないとわからないのだ。……違ったっけ?
「まあ寝るまで爺様がお話してくれるさ」
「む、わしか?」
「定番かと思いまして。おれでも構いませんけど」
ネタがあんまりないぞ。シュレディンガーとか中二小ネタはだしたくないし。
「普段なら子供扱いしないでおくんなんし、と言うところでありんすが……今日は確かに静寂には耐えられそうにありんせん。後生じゃから何か話してくりゃれ」
三人のゆるりとした旅はまだまだはじまったばかり。
――であるが、そろそろゆるりとはしていられなくなる。旅に不幸はつきもので、この大陸には鬼が待つのだから。