64 鬼の少女と犬の老人、それと不在
「じゃ、死ぬなよ夜鳥」
「……今日のために様々な苦労をかけて、済まなかったの。感謝しておるよ先生」
「なに、それが教師の仕事だ。生徒が気にするもんじゃねぇ」
都市の北東端。第三大陸へと続く神代の橋の手前。集合地点である烈火がそこにやって来た頃に、リヒャルトと傘はそんなことを話していた。
教師と生徒。いつも見ているリヒャルトとは違った風情で、ちょっと新鮮だ。
眺めていると、リヒャルトがふいと気付く。顔を向け――悪口か、烈火は身構えたが、違った。頭を下げた。え。
「頼みます、討伐者の方。どうか生徒を守ってやってください」
「え、あっ……はい。わかりました」
前回も一回あったが、慣れんなぁ。イケメンなんだからこうした物腰のほうが正しいのだけど、もはや口汚く罵っている姿のほうが自然に思える烈火であった。
複雑そうな顔をした烈火を過ぎ、その横にも、リヒャルトはこうべを垂れる。
「ライファン殿も、お願いします」
「ほほ。まあ、この老骨になせることなぞ高が知れますがのぉ」
「っ」
隣に杖をもった垂れ犬耳の爺さんが朗らかに笑っていた。
いっ、いつの間にいやがった。烈火はびっくりして後ずさる。
油断ならない爺さんだな。というか爺さんはだいたい恐ろしいもんだというのが烈火の見解だ。身内に化け物がいた彼だからこその意見である。
烈火と爺さん――トト・ライファンが訪れたことで、鬼の少女はおっかなびっくりこちらに頭を下げた。おずおずと、言う。
「これから一月足らず、よろしく頼みんす」
「うむ」
「あー、うん、よろしく」
これより遠征へと旅立つ三名が集い揃った。
サヴォワール学園生にして今回の遠征の主役、夜鳥・傘。
討伐者にして護衛、玖来 烈火。
そして討伐者にして同行者、トト・ライファンである。
集まったのでとりもかく喋りだしてみたが、やや気まずくてどうにも硬い。そんな若者ふたりに、トトは泰然として言う。
「ほっほ、両人ともそう強張らんでよろしい。これから一ヶ月を共にするのですじゃ、はじめから気負ってももちませんぞ。なに、討伐者をやっていますれば見知らぬ輩と仕事で同行なぞ茶飯事。これも経験と思いなさい、若人ども」
「……心得た」
「そちらもじゃ、護衛殿。護衛が気を張っては依頼人まで緊張してしまいますでな」
「む。そう、だな――ですね。すみません」
傘だけでなくこっちにも言ってきた。まあ流石は老練にして熟練、烈火も学ぶ点は多かろう。言葉遣いも気をつけねば。
教える立場でありながら、烈火は学ぶ側でもあるようだ。気を引き締めなおそう。教えを請えるなら、それは喜ぶべきことだ。生き延びる術は必須で、知識は幾らあっても足りはしない。烈火は未だ、この異世界に四ヶ月しかいない赤子なのだ。
トトはけらけら笑う。
「じゃが、戦力としての期待はしておりますでの。わしももう歳ですじゃ、そういう意味では役立たずじゃよ」
「……。できる限りをやらせていただきます」
うむ、と満足そうにトトは頷き、視線を傘へ。そろそろ行くかね、といった風情だ。
傘は理解し、一度目を閉じた。これから都市という安全の籠から旅立ち、危険と死が隣り合わせの地へと踏み込む。それもつい最近顔を知ったばかりの者たちと。
魔物に襲われるかもしれない。下手なものを食べて腹を下すかもしれない。迷子になってひとりきりになるかもしれない。
裏切られるかもしれない。背中から刺されて身包みをはがされるかもしれない。外敵脅威にあっさり敗れてひとりきりになるかもしれない。
不安は沢山沢山あって、安心できる要素は少ない。彼女だってまだ死にたくはない。
それでも行くというのは、これが傘にとって必ず良い経験になるから。リスクを負ってでも、得られるリターンは素晴らしいものになると確信できるから。
魔物が跋扈し、敵対者の多いこんな世の中だ。引きこもっていても前には進めない。強くなければ生き残れない、なんて当たり前の道理。父のように、強くなりたいと娘は願うのだ。
だから――目を開く。
「先生、行って参りんす」
「おう、頑張ってこい」
傘はできるだけ力強く、自らの意志で橋へと踏み出した。
「まあ、と言うてもまずは安全長閑な橋渡りじゃがのぉ」
引き締めた諸々が滑ってずっこけそうになる。傘も拍子抜けの苦笑を隠せない。
一行は長い長い橋を行く。以前に烈火が渡った第一に繋がるそれと、見とれる様子は同じ。人々が騒ぎ賑わい繁盛している商店街みたいな雰囲気だ。橋の両側に店が並び、人々が行き交い、活気付いている。魔物が絶対にやってこないという安心感は、橋であろうとも隆盛を約束するのだろう。
それは第七大陸中心都市の延長のような風情で、確かに気を張っても仕方ない。意味がない。気疲れするだけ。
「とはいえ腑抜けてもいかんのぉ。どれ、少々話でもしますかの」
「話とな」
爺さん割と話したがり。いや、老人っていうのはなにかと口数が多いものか。
烈火はふたりの会話を黙して聞く。戦闘以外ででしゃばらないようにとリヒャルトには言われている。
「うむ。旅のこと、討伐者のこと。長いとは言えんが短くもない旅じゃ、色々と話せるじゃろ。まあ、座学で学んだようなことを聞くかもしれぬが、そこは老人の繰言と聞き流してくだされ」
「聞きたいでありんす」
「素直で熱心。そういう子は伸びる、先が楽しみですなぁ」
トトは孫を見るように眩しげに目を細めた。もとから細い目をより細めては糸のようだ。
ではなにを語ろうか、と顎に伸びる髭を撫でながら吟味する。
「では軽く、結界の外ではつきものな害意として、魔物についてでも」
「人を害する敵対者、でありんすな」
「そう、人を害す――人だけを害する敵。理由は判然とせんが、明確に人だけを狙い襲ってくる理知なき獣ですな」
魔物は人しか襲わない。ゆえに動物類は平然と自然の中で生息している。
烈火からすれば神どもの作為を感じざるを得ない設定である。まあ、こうでもしないと一般的な動物が全滅してしまう、魔物に虐殺淘汰されてしまう。それでは彩りに欠けるし狩猟が成り立たない。魔物は死ぬと灰になって食料にはならないし。
そのためこの異世界には、地球とほぼ同じような生物がいる。豚とか牛とか鶏とか、食していれば気付く。そんなとこまで気を遣うとか、気が利いてるというべきなのかなんなのか。馬とかも都市を走ってたし、犬猫も見かけた。ゾウとかキリンとかは流石に見てないが、どこぞの森の奥地とかにいるのかもしれない。
「まあ、魔物の生態や性質などは学園で話をお聞きくだされ。わしら討伐者にはそういった事情はどうでもよく、その脅威に目が行くでな。
時に嬢は魔物と遭遇、戦闘の経験はあるかの?」
「一応、というレベルでありんすが、ないこともありんせん。地下洞窟に潜ったでの。ただしあの時は、教師が控えておった安全な遭遇でありんした」
「なるほど、流石は名門。安全を優先しつつ経験を積ませてくれるか」
馬鹿にした風もなく、本心から感心げ。
傘は少しだけ不思議そうに問いを返す。
「ライファン殿は、学生の遠征によく付き合っていた聞いたでありんす。学生の事情に詳しいのではないのかや?」
「いえいえ、ここ数年は孫に任せておったで、最近の学園の方針は寡聞にして知らんのじゃよ」
「孫、ですか?」
ちょいと気になり烈火が口を挟んだ。言ってから話の腰を折ったのではと、少し不安が顔にでる。
トトは構わんよ、と言いたげに優しく笑って言う。年配の余裕か人柄か。
「うむ、孫じゃ。可愛らしい子でのぉ、その上有能じゃ。わしも十数年前から学園から遠征に声をかけてもらっておったが、そろそろ歳だと最近では孫に任せていたのじゃよ」
「今回は、どうして」
「半年ほど前に、孫がAランクに昇格してのぉ。もう遠征には参加できんと学園のほうには伝えたわけじゃ。しかし今回は特殊な事例で、リヒャルトから直接頭を下げられたのじゃ。それでも孫は無理で、ではとほとんど引退していたわしが出張ることになったのじゃよ」
「それは……申し訳ありんせん」
傘は自分の勝手のせいでこんな人にまで迷惑をかけたのだと知り、酷く罪悪感が湧き上がった。
それに怒った様子など欠片もなくトトは人のよさそうな風体のまま。
「謝ることではないのぉ。討伐者が自身で依頼を受けると判じた以上、依頼人はお金と最低限の礼儀だけ通せばいい。それよりも引退したこの老骨に仕事をこなせるのかと心配してはいかがかの」
「ライファン殿は魔法使いでありんしょ。魔法使いは歳を重ねたほうが恐ろしい」
トトの持つ身の丈ほどもある大きく無骨な杖。それにローブを纏っていては魔法使いであると喧伝しているようなもの。テンプレートな魔法使い像で、烈火ははじめて見た時なんだか感動してしまった。
この世界にはマナというエネルギーが空気中に存在し、それを呼吸することで人は魔力へと変換し魔法を行使する。
それと同じで、実は植物もまた呼吸と、また光合成に際してマナを吸収している。植物の場合は魔力に変換するわけではなく、自身の成長促進と強化に充てられる。故にこの異世界の植物は地球のそれより成長が早い。そして硬く、強く、しなやかになる。木造建築もまた同時に地球のものよりも堅固で丈夫である。
そうした性質を生かして、魔法使いは杖というものを開発した。魔力を吸収し、溜め込む器械。外部充電器のような形式で担い手へマナを供給する。特にマナ吸収量の多い樹木から杖を作り、握ることでマナを補給する。これにより魔力回復速度が著しく上昇する。
魔法使いの杖とはそういう代物だ。
「獣のくせに魔法に走った半端者じゃよ、そう買いかぶらんと」
獣人が魔法使いというのは珍しい。だがこの歳まで討伐者を続けられるような存在はさらに稀少だろう。逆に言えば珍しい獣人の魔法使いだからこそ、この歳まで討伐者でいられるのかもしれない。
烈火は割と重要なことを聞き忘れていたことに気付く。控えめにおずおずと、烈火はお伺い。
「トトの爺様は、魔法を使えば大型の魔物も倒せますか」
「む?」
「おれは、魔法が不得意でして。剣が刺さるのならだいたいの魔物を倒せるのですが、大型には意味をなさない場合が多いので」
カマキリ蛇とか、オークとか。思い出してもキッシュ頼りだったわ。護衛役とかいいつつ、汎用性ない駄目野郎だったわ。
トトは片目を広げ僅かばかりなにやら感じた様子。とはいえ口調は常のままで柔らかく。
「まあ時間さえあればなんとでもするがの。
じゃが討伐者なら大物殺しの手段と、対人対処の術はもつべきではないかの? それがおおよそ魔法と武器となるのじゃが」
「ぅ」
「確か護衛殿はコロシアムで活躍していたのじゃったか」
「……活躍というほどでは」
「謙遜せずともよい。じゃが対人戦と対魔戦は勝手が違うじゃろ。魔物との戦闘経験はどれほどかな」
「そこはランク通りです」
ふむふむ、とトトは幾度か頷いていた。なんだよ、思ったより使えそうにねぇってか。その通りだよ。対人戦主体で、対人戦強化ばっかしてたら魔物と戦うのちょっと不得意気味だよ。人目があるからインチキもできないし。
あれ、もしかしてこの依頼、烈火に不向きだった? いやいや、別に大型でないならなんとか魔物ていど倒せる、はずだ。一応、討伐者ランクがBになるように魔物百殺しもしたし、キッシュと旅してた時にはともに狩りしていた。大丈夫、だよな。不安になってきた。最近、魔物見てないぶんさらに加速して不安感が迫ってくる。
見るからに萎れていく烈火を見かねて、傘が微妙にフォローに入る。情けない奴でも、烈火は彼女にとって恩人だったから。
「や、しかし得意不得意は誰であれちっとはありんす。ぬしが父を倒してくれなんだら、そもそもこの遠征は頓挫しておった」
「あー、どうも」
依頼人、護衛対象に気を遣わせてどうするか。
烈火はなんとか不安を押し隠して、余裕の仮面を装着する。
「いや、大丈夫。少なくとも時間稼ぎなら得意だから、勝てそうにないなら傘はその間に逃げてくれ」
「それは……その、護衛としての指示でありんすか」
「まあ、そう。お前だけは絶対に守りぬかないといけないから」
じゃないと夜鳥とかリヒャルトにぶっ殺される。惨たらしくボコボコのスザズタのグチャグチャにされてしまう。マジで。
「では、了承した」
傘は素直に頷いた。リヒャルトに護衛の言うことに従うようにとでも注意されていたか。それとも生存に際して経験者の意見に反論しないほうがいいと判じたか。
ちらとトトの爺様を見遣って、特に文句はないらしいのでほっとする。なんだろう、中間管理職みたいな気分だ。下を気遣いつつ、上を恐れる辺りとか。
不意に馬蹄の音が響き渡る。馬車が来たようだ。烈火は反射的に隅に寄る。轢かれないように退く。中心都市でも馬車は多く行き交っていて、よくこうして避けていたので慣れた動作であった。
だが傘とトトは振り返るだけで動かない。それで正解、馬車は三人の前で止まった。
「あ、停車地点か」
雄雄しい四頭の馬に引かれた大きめの馬車であった。四輪の車体には屋根がついており椅子が設置され六人ほどは乗れそうだ。だが積荷がしてあって、荷馬車であることが窺える。ではなぜ座席がちょうど三つほど空いているのか。普通は限界まで荷を積むものではないのだろうか。
思案していると、馬車の御者が紐を離しておりてくる。烈火ら三人の容貌を確認して、営業スマイル。
「サヴォワール学園の遠征ご一行様ですね」
「うむ」
「ではどうぞ、お乗りください」
おや。馬車? 学園が用意してくれたのか? 意外だ。
馬車は結構高価だ。馬があまり多くないそうだ。なにせ魔物は動物を襲わないが、人は襲う。馬に乗ったり馬車であったりすると、余波でよく馬も殺されてしまうのだ。それでさらに馬が高価になり、悪循環するのだそうだ。よって結界の外へと馬車で赴く際には商業ギルド辺りの許可がいるとかいらないとか。
それでも神代の橋には駅馬車が存在し、それぞれの大陸と大陸まで人々を乗せる。途中途中で馬の交換もあるし、宿に止まって宿泊する。橋は長いから、必然長旅になる。
馬車なら徒歩より早い。通りで橋渡りの期間が一週間と短かったわけだ。本来なら第一大陸とに架かる橋よりこの第三大陸へ繋がる橋は神代の橋で一番長く大きい。徒歩なら十二日くらいだろう。それがほとんど倍の速度で踏破できる。金はかかるが。金はかかるが。
っておい、その金を護衛の費用に回せば楡との揉め事は起きなかったんじゃねぇのか。いやまあ、馬車の業者には顔が利くだけなのかもしれんが。橋を渡る駅馬車はそんなに高価じゃないだろうし、荷運びと並列してるようだし。
「む、どうしたのかや、烈火」
「いや、その、馬車に乗るのはじめてなだけだ」
言って、烈火は釈然としない思いを呑み込み馬車に乗り込んだ。