63 出立前の目標設定
一週間は実にゆるやかに経過した。
まあそれは特になにをするでもなく過ごした烈火の主観であり、手続きに追われたリヒャルトと傘としては激動の一週間だったらしい。
時折、打ち合わせで顔をあわせる度に憔悴していて、大丈夫かと何度も問いかけたくらいだ。というか、そんなザマで旅とか大丈夫なのか?
それだけギリギリで、また遠征という行事自体が大変面倒なのだろう。そこら辺は外部の者、想像して労るくらいしかできない。
さておき、打ち合わせで決まったことは幾つかある。
まずは期間。およそのスケジュールが決まった。橋を一週間かけて渡り、また一週間ほど大陸内を散策。そこでの行動は自由で、傘に一任されている。ただしあまり橋から離れずすぐに安全地帯に帰れるようにと注意された。そして一週間で帰還し橋に戻る。そこで傘に渡された《遠伝》――〈遠〉くへ声を〈伝〉える紋章魔法――の刻まれたアイテムを使ってリヒャルトに連絡。そして再び橋を通って帰還。神代の橋が安全である点を鑑みれば、全日程四週間程度。その実際は二週間の冒険ということだ。油断はできないが、そう長いとも言えない。
次に行き先だ。学園の先生方が話し合って、結局、第三大陸にしたらしい。
第三大陸ってどんなところだっけ。随分と前に七ちゃんにもらった大陸メモを確認する。
「第三大陸ケルフ
亜人種の大陸、獣人や小人が住まう。精霊種や人間も少数住まう。
危険度、中」
だそうだ。うわ、危険度低じゃないのかよ。おれ低しか行ったことないチキンなんだけど。烈火の泣き言ジョークはリヒャルトにあっさり無視された。
そして大陸決定と同時に、もうひとりの討伐者は自動的に獣人の者にしようとなった。いや、実際リヒャルトの話によると、とある討伐者を雇うことを決めて、彼の種族が獣人だったからこそ、一番やりやすいであろう第三大陸へ行くことにしたとか。
そんな風にリヒャルトの信頼を受けて、烈火と傘の旅に同行する討伐者はトト・ライファン。髭をたくわえた犬獣人の爺さんだ。
一度、顔を合わせて自己紹介はした。少々話した。烈火の祖父とはまた違った風情の老人で、しかしその眼光の鋭さは似ていた。枯れ木のように老いているのに、眼光は死んでいない。温厚そうな話方に、しわくちゃの笑顔なんかは優しげで好々爺そのもの。だが、矛盾なくこの爺さんは戦士であるのだ。
ただし戦闘荒事に関してはあまり期待しないでほしいとのことだった。年老いても討伐者業を続けられている辺りなにかあるのだろうが、まあ基本は体力筋力衰えているわな。
そういうスケジュールや準備が着々と進んでいる間に、烈火はリーチャカに一応の別れを告げておいた。事情を話し、もしかしたら二度と会えないかもと。
だがリーチャカの反応は実に淡白そのもの。
「気をつけてナ。帰ったらちゃんとすぐに来るんだゾ」
いやいや、あの、心配とかはないの?
「アホなのカ。レッカの腕前は知っている。ナゼ心配するんダ」
コロシアムの時はあんなに謝ってくれたのに……。
「コロシアムより断然楽ダろう」
逆にため息つかれた。リーチャカ的には単に一ヶ月会えないだけの扱いらしい。いや、信頼と思っておこう。うん。そうしたら傷つかないし。
まあ確かに強さという面ではコロシアムほど脅威ではない。それに神代の橋の傍に足を伸ばす程度なのですぐ逃げ込める。
それでも命がけじゃんか。加減もなにもなく全力で殺意漲らせてくるじゃんか。強さってバロメーター以外のところでヤバイじゃん。対人じゃないじゃん。
いや、もしやリーチャカは結界外の魔物の脅威をあまり知らないのかもしれない。この都市で住まっていたら、確かに烈火も平和ボケしそうになる。ここに辿りつく前は、魔物に襲われまくって異世界ファンタジーだわぁとか実感していたはずなのに。
ならばやはり学園の遠征とはだいぶ有意義だろう。遠慮のない殺意、突きつけられる危機感というのをその身で味わうなんて経験は、平和な第七大陸では得がたい。まあ、地下洞窟とかあるけど、外の事情はやはり知れない。学ぶには、己の目で見るのがなにより手早くわかりやすい。
まあ学園はどうでもいいけど、リーチャカはどうでもよくない。正直優しくしてほしかった。不安を共感してほしかった。贅沢なのはわかっているけど。
「私がいるじゃないですか!」
と、それは帰宅後の七ちゃんの言。
リーチャカにツレなくされて肩を落とした烈火への慰めか。
ありがたいが、あまり信用ならない発言である。
「久しぶりの気がする台詞だな。しかし七ちゃんが不安を共有してくれるとは欠片も思えないんだが?」
「優しくはできますよ。ほら、玖来さん、私の腕の中に飛び込んできてもいいんですよ? 撫でてあげましょう」
「お母さん的優しさかよ。まあ……いいなら飛び込むが」
烈火は真顔で断言した。
たじろぐ。驚く。固まる。
「えっ」
「え、じゃねーよ。冗句でもそういうこと言うなら覚悟しとけや。いくぞー」
「ちょっ、まっ、待ってください。心の準備とか……!」
問答無用。
烈火は玖来流の技法全て用いて最速で間合いをつめ、両手を脇の下へと自然に滑り込ませる。そして寝技の如き狡猾さと密着度合いでがっしーんと抱きつく。顔をうずめる。離さない。
「ぎゃー! ぎゃー! うぎゃー!」
「おいこら、もうちょい色気ある声だせよ」
「くくく、くらっ! 玖来さんっ!? どこ触って、いやちょ、匂いかがないで……って、うぎゃー!」
「……怪鳥かよ。怪人かよ。怪獣かよ」
抱き心地は最高で柔らかくてふわふわしてて、鼻から甘ったるい香りが脳に直接訴えかけているが、叫び声が駄目だった。叫ぶマシュマロ的な、甘い怪獣的な。
じたばたと暴れまわるが、完全にロックした烈火の腕は外せない。こういう時は神様パワーは使えない模様。普通の女の子レベルで、それでは絶対烈火を剥がせはしないだろう。存分に堪能しよう。と思ったが、
「玖来さんっ! マジやめてください! そろそろ本気で怒りますよ!?」
「む」
いい加減に声音が真剣に染まってきたか、烈火は渋々と解放してやる。
七は自由となった自分を確かめるように我が身を抱きしめる。なんぞ悲劇に見舞われた少女のようで、紅潮して息遣いは荒い。それはそれでセクシーというか、うん、そそる。なんとも風船のように膨れ上がっていく嗜虐心、同時に針のように尖っていく罪悪感。天秤にかけて、どちらが残るかなどとは問うまでもない。
ふむ……と、烈火は一度考える素振りを見せて、そのままの姿勢でしばし間を置いて、それから鷹揚にかぶりを振る。
決断した――なかったことにしよう。
「で、話を進めるか」
「おいこら、私の精神的ダメージを無視して進めるつもりですか」
無論、文句を迸らせる被害者少女がすぐ目の前に。
烈火は肩を竦めた。
「お前が飛び込んで来いって言うからだろうが」
「そうですが、そうではなく待ってと言ったじゃないですか。こっちにも心の準備がいるんですよ!」
「……心の準備を済ませたらいいのか」
「えっ、そりゃ、まあ、いいです……けど。あっ、でも、ちょっと、ちょっとですよ? あんなにがっつりはまだ早いっていうか……心の準備の上に覚悟決めてからっていうか……」
あたふたしどろもどろに七ちゃんは言い繕うが、もはやその姿に抱きしめたくなる衝動が駆け巡るんだが。駄目かな。ちょっとだけ、ほんのちょこっとだけだから。
七の目線が冷気を帯びた。表情は氷、眼差しは氷柱。絶対零度に熱なく言う。
「わかりました話を進めましょう」
「はいはい」
努めて烈火は気にしない。進めると言ったら話を進める。
実際、あまり時間もない。今日は出立の日なのだから、朝食を済ませたらすぐに出かけなければならないのだ。
それに、それ以前にやらねばならないことがある。
「まさか出立日と重なるとはな」
「ですが、とても重要です。これから向かう第三大陸に……誰か傀儡がいるのかどうか」
そう、今日はもはや四ヶ月目。異世界やってきた四ヶ月目にして、四度目の発表日である。
というわけでさっそく。どれ。
【魔道王】 第四大陸グリュン・南西部(変化なし)
【人誑し】 第六大陸インディゴ・北東部
【武闘戦鬼】 第三大陸ケルフ・西部
【真人】 第三大陸ケルフ・北部
【運命の愛し子】 第二大陸オーランジュ・西部(変化なし)
【無情にして無垢】 第六大陸インディゴ・北西部(変化なし)
【不在】 不在
「……む、結構動くな」
「そうですか? 変化なしの数はほとんど半分ですが」
「前回、前前回と比べるとすげー動いてるだろ」
毎回ひとりずつくらいしか移動がなかったというのに、今回は三名だ。動き回ると予期できていた【真人】はいいとしても、【人誑し】に【武闘戦鬼】か。
「気になるのは【人誑し】だな。短時間で移動しすぎだ。これは……おれの知らん内に第七大陸を突っ切ったな」
それも、移動だけに専心して他事全てを投げ打ってなんとかできるような大移動だ。
大陸をひとつ越えて行くなんて、どれだけの意志力があってできることなんだ。これも、荒貝 一人の影響のひとつなのだろうか。
「…………。ちょうどいい。【真人】荒貝 一人、狙うか」
「え、マジですか」
「というか第三大陸だな」
「そりゃ今から行きますけど、それにしたってあの人狙っちゃいますか……」
七は酷く不安げだった。一度負けて、徹底的に敗北して、そんな烈火の姿、二度と見たくはなかった。
それは烈火もわかっている。だが、だからこそだ。だからこそ挑むことに意義があるのだ。
「それにあいつを放っておいたらさらに戦争が面倒と化す。ま、トラウマ解消も目指してがんばるさ」
「アクティブですね、積極的ですね」
「前向きな言葉を後ろ向きな口調で言うなよ、できない感じするじゃん」
「…………」
七ちゃん、微妙にセンチメンタルなんだから。時々拗ねてしまう姿は意地らしいのだけど、やれやれ。
烈火は話を変える。
「で、七ちゃん。偶数回だぞ、他にも発表することあるんじゃないのか?」
「え。あぁ、はい。そうでしたね」
言ってどうにか感情を盛り上げようと笑顔を浮かべ、七はもう一枚の紙を烈火に差し出す。
受け取り、開きながら問い。
「で、今回のテーマは?」
前回は帰りたいか否かのスタンスだった。では今回は?
「傀儡の性別です」
「は?」
「傀儡の性別です」
「…………」
烈火は定例の二回言うなも突っ込めずに物凄く引き攣った顔で、手元の紙を見遣る。
【魔道王】 少女
【人誑し】 青年
【武闘戦鬼】 青年
【真人】 青年
【運命の愛し子】 少年
【無情にして無垢】 少女
【不在】 少年
「これ前回も思ったけど、全っ然役にたたないよなぁ」
「なっ、なんですと!」
「いやだって、おれ性別知ってるし。前回のは知ってもどうしようもないことだったし」
「前回の件はご自分が知りたがったくせに……。まあ今回のは私の過失でバレてしまいましたので、そこを平等にするための措置ですので仕方ありませんよ」
「あー、そういう」
それなら納得できるが。
つっても他の傀儡勢がこれ知ってどうなるんだ。年齢層がなんとなし把握できたのはいいけど、探す際の目星にしては弱い。黒髪黒目という目立つポイントが既にある以上は捜索の足しにはならん。神子による判別法も用意されてるし、全く無意味だこの情報。
烈火のボロクソの意見に、七は乾いた笑いしかでなかった。確かにそりゃそうだ。けれど烈火だけが男女の区別をつけているという状況もアレだったし……って、ああ七のせいじゃん。
自分で気付いて、烈火にそこを突っ込まれたら厄介だと別に口を開く。喋っている時にはその内容に意識がいって、思案が削がれるものだ。
「ちなみにアイディアとかないですか。実は割とここで発表することって思いつかなくてですね」
「アイディア? あー、そうだな」
ちょこっと思案。
「あだ名とか」
「あだ名ですか?」
「そう、神様がおれたち傀儡にあだ名でもつけてくれよ。悪意こめたもんでも、直感的なもんでもいいからさ」
それで性格や能力について想像の翼を羽ばたかせるから。どんな鳥でも想像力より高く遠くへは行けないってな。
「なるほど。提案してみましょう」
「……これ採用されたらおれの意見ばっかで不公平じゃね」
前回は烈火の発案で、今回は烈火のための帳尻合わせで、それで次も?
「いえ、一応他の傀儡の方々にも意見は随時募集していますので。その中から母が妥当かつ面白いものを選びます。必ずしも玖来さんの意見が通るとも限りません」
「ふぅん。ちょっと自意識過剰だったか」
「あ……いえ、すみません。今のところ受け付けた案では玖来さんのあだ名が最有力だそうです」
こいつ常に神様と交信してるのか。マザコンか。
「どっちかと言えば母さんが子供離れできてないんですよ」
「……戦争で兄妹喧嘩を避けたのも神なのか?」
「それはほぼ全会一致だったかと。ではどう決めるとなって、いの一番に人を使おうと言い出したのは母さんですが」
「現行の神マジ邪神!」
最初に人を使おうと発想できる辺り怖いよ。凄く怖い。渋々とか、他になかったとか、そういうどうしようもなさがあったならまだしも、なんだよいの一番って。ノリノリじゃねぇか。
「まあ私もそれは面白そうだと賛成しましたけどね」
「七ちゃんマジ邪神!」
「知らないんですか玖来さん、最近は邪神だって可愛いければヒロインになれるんですよ」
「遂に邪神を否定しなくなったな!」
七ちゃんは烈火の指摘にきょとんとして、考えるように上を向いて――にこりと一切の邪気なく笑った。
笑顔で誤魔化されそうだ。というか誤魔化されてあげたくなる。く、これが魔性の笑みか。邪神パワーだな、小さき人間は必死で抗うしかない。おれは屈しないぞっ!
烈火は精々余裕ですの体と表情で、肩を竦めてみせる。
「というかお前がヒロインだとしたらヒーロー役はさぞ大変だろうよ」
「えっ」
「えっ」
なんだよ、変なこと言ったか。
言いましたよとばかりに七は当たり前の顔。
「私の人形は玖来さんに決まっているじゃないですか」
「あれ、なんか怖い。何故だろう、なんか怖い」
「ふふ」
七の微笑は、はたして邪神のそれか違うのか。烈火には判別できなかった。
どこの世界で、いつの時代も、どんな種族であっても神でさえ――男にとって、女は永遠の謎なのである。
それぞれの発表内容の案
【魔道王】 スキル名
【人誑し】 外見の美醜(女のみ)
【武闘戦鬼】 誰が強いか
【真人】 神についてどう考えているか
【運命の愛し子】 思いつかなかった
【無情にして無垢】 武術経験の有無
【不在】 あだ名
ちょっとそれは教えられるんじゃなくて自分で探りに行け。先に知ると戦況が変わるだろ。というのが一番と三番。
いやそれ個人的だし意味なくね? というのが二番と四番。
論外が五番。
まあそれくらいなら。というのが六番と七番。
面白さで七番優勝、みたいな。