61 リベンジ
「申請された試合の件ですが、夜鳥・楡様から了承をもらいましたので今日より一週間後の予定に組み込みます。つきましては、その試合を大会場のほうで行いたく思いますが、なにか不都合がありますでしょうか」
翌日訪れれば、受付さんはごくごく自然とそんな申し出をしてきた。
烈火はちょっと吃驚しちゃって聞き返す。
「えっ、大会場ですか?」
「はい、お願いできますでしょうか」
「……はあ、構いませんけど」
「ではそのように登録しておりますので、一週間後にどうかお願いいたします」
よくわからない烈火としては、はぁ、と気のない返事しか言えなかった。
「まあ、お前の快進撃は凄かったからな、今の内に顔出しさせとこうって考えだろ」
どうしてこうなった、烈火は詳しそうな小さなおっさんに訊いてみた。
ダグは特に驚くこともなく、ああそうかと説明してくれる。
「顔出し?」
「闘士になってほとんど一週間でAランク、その後の戦績はまあそこそこだが、だからこそ今が売り出し時だからな」
成り上がりは凄まじく話題になる。だがAランクに上がればまあそれなりでしかなくて、話題は今だけに終わるだろう。いずれ普通のAランク闘士と遜色ない注目度になるだろう。今の戦績では、そう言われても仕方ない。
だけど、このタイミングでならまだ集客の余地がある。それに相手は元三十二位の夜鳥・楡。さらにはリベンジ戦と来たら、それはもう燃えるシチュエーションだろう。宣伝効果も抜群だ。
烈火は思わずなんとも言えない表情になる。その表情を隠すように軍帽のツバを下げる。
「ほんとに、客寄せパンダだな……」
「最初に言っただろうが。俺は嘘なんざつかないって」
「それは信じがたいけど」
ともあれまあ、これでリーチャカとの約束は果たせたことになる。それだけはよかった。あとで伝えに行こう。
うん、着々とコロシアムで戦う理由が消化されていくな。今回もしも夜鳥・楡に勝利することができたのなら、それで別大陸に旅立とう。そう決心した。
そのためにはさて、今日もバトルだ経験値、寄越せー!
そして一戦端折って――いい線いったけど先天魔法とかいう謎パワーにやられた――六日後。
遂にというか、あっという間に夜鳥・楡との再戦の日である。
轟く歓声が、ここまで届く。
そこはコロシアム大会場の選手控え室である。参加者用の通用口を進んだ先に、狭く小さくある小部屋だ。
烈火はひとり、そこでぼんやりと天井を眺めていた。遠雷のような歓声がたまに耳朶を震わせ、熱気や興奮をこんな部屋にまで波及させてくる。
そういった熱のせいだろうか、烈火はいつも以上に緊張していた。心ざわめき、落ち着かない。大舞台だ、そこで大見得きってこその男であろうが、やはりどこか烈火は小心者である。なにより彼は裏方の人間だったから。七がいつだか冗談交じりで言ったが、烈火の性質は暗殺者に近い。表舞台の晴れ舞台なんて、目立つのなんて苦手だ。
今日のために傘には色々と話を聞いた。対策としてリヒャルトにひとつの下位魔法を教えてもらった。リーチャカには激励とともに新しい小剣を手渡された。
いつもの鍛錬も、できるだけ続けた。
それだけが、烈火を奮い立たせている。今のこの逃げ出したくなるような臆病さを踏みつけていられる。どんな舞台でも、皆の助力があって立っていられるという事実で目立つことを肯定していられる。
「自信は、持ってると思ってた。やればできるって、まあ考えてた」
「正しいでしょう、今までもそうでした。これからも、そうですよ」
独り言のようなささやきに、七が静かに応えた。
己を信じるのが自信ならば、他人を信じるのは信頼だろう。
「私はあなたを信じています。信頼ですね。大丈夫、今度は勝てますよ」
「…………」
「あなたはだいたい自信過剰なくせに、たまに思い出したように不安がるんですから……そういう弱みを見せるところなんかは人間らしいですけれど、私はあなたの迷わない姿が大好きです」
「……わり、気ぃ使わせたな」
「いえいえ。こういう時でもないと、玖来さんは私を頼ってくれませんから。頼ってくれるのは、嬉しいです」
えへへと、七は笑う。ちょっと恥ずかしそうにはにかんで、あぁ可愛いなぁ。シミジミ思う。何度思っても足りないくらいに、また何度でもそれを烈火は思うのだろう。
――と、別の声が烈火の脳内に直接届く。
『クライ様、そろそろ時間になりましたので移動をお願いします』
係りの人からの《伝達》だ。
烈火は立ち上がり、どうにか不敵な表情を顔に乗せ、軽口ひとつかましておく。
「さて行くか。あっさり楽勝拾ってやるぜ」
「次なる戦いは! ああ、皆々様に知っておられる方はおりますか?」
音声拡大魔法により、男の声は闘技場内の隅々にまで轟く。
「今よりたった三週間前のこと、そんな最近のとある日に、ある男は彗星のごとく突如コロシアムに訪れた。そして今日、その男はこの大舞台にて立ち上がる。
天へと駆け上がるようなその奇跡の躍進! 噂によればかつてこの都市を震撼させた通り魔を討ったのも彼だという! 三週間でCランクからAランク上位にまで駆け上がった戦士――彼こそがAランク闘士クライ・レッカだ!」
大歓声。
コロシアムのあっちこっちで観客たちが吼え叫ぶ。ノドよ嗄れろと言わんばかりに全力で。日頃の鬱憤や退屈がこの娯楽の場にて爆発している。誰もが熱に浮かされ血沸き肉踊る戦いという見世物を心から楽しもうとしている。
だが、そんな熱狂するコロシアムの客席にも、楽しむよりも不安げな少女の姿も霞んでしまいそうにだが確実にいた。
「レッカ……」
褐色肌の少女は、ただひとりの少年の無事を祈る。
売り言葉に買い言葉で少年を駆り立ててしまった。危険や困難さも考えずに無茶な要望を伝えてしまった。今思えば、なんて浅はかだっただろう。
そんな無茶振りに見事応えて、こうして今日今よりこんな衆目環視の中で戦いをはじめようとしている。世界最大と言っていい演壇の上にて主役を張ろうとしている。
自分のためにこんなにも頑張ってくれたのだろうか。自意識過剰にそう考えると胸が熱くなる。同時に、申し訳なくて胸が痛くなる。
お礼と謝罪を送りたい――けれど今は、それよりもなによりも、無事に生還してほしいと強く思う。
コロシアムで人死にはご法度だ。だが、熱が入ればルールの遵守に構っていられなくなることも多い。この大会場での戦いでも、幾度か事故で死者がでたなんて話はよく耳にしたものだ。
あぁ、そんなことは稀だわかっている。けれども些細な可能性に感じるこの痛みは一体なんなのか。
「対するは! 忘れた方はおりますまい? もしもいたなら思い出せ! かつてこの舞台において輝いた、あの男のことを!
新たな波に一度は退いたその身は、けれども再びここに立ち上がった!
コロシアムランキング元三十二位――そしてかつて「猿狸虎蛇の雷獣」と恐れられたAランク闘士、夜鳥・楡!」
ふたりの男が紹介とともに現れて、もはや怒号のように熱烈な声が溢れかえっている。
あぁ、もうはじまってしまう。少女は止めることのできないその開幕に、ただ静かに祈るのだった。
歓声がうるさい。多人数の叫びは爆発に等しい音量となって耳を抉る。対策に耳栓を用意していたので問題はないが。
烈火はその音波攻撃にすら思える声の渦の中心にて立つ。そこは舞台の上、演壇の上、円形の中。
戦舞台は平野のごとくなにもない。ただ戦うためだけだからなにもない。あるするならそそり立つ客席という絶壁か。なんともこの場とその場を切り離す境界めいて、こちらからではどう頑張っても客席という雲の上には辿り着けないのではないかという錯覚に陥る。
その感覚上壮大な、しかし事実上些細な隔たりは結構重要だ。
コロシアムの闘士というのは、一側面から見れば見世物小屋の珍獣で、退屈を潰すためだけの刺激的な香辛料みたいなものだろう。つまり客からすれば他人事というか、一線引いた向こう側。だからこそ彼らは騒いでいられる。他人事だからこそただ血の飛沫を喜び、鉄の火花に興奮して、命の煌きに笑えるのだ。
別に悪いことではないのだが、きっと悪気もないのだが、烈火としてはなんともピエロの気分である。
少なくとも――この大会場では、もうあまり戦いたくないな。
(まぁ、おれはそもそもが傀儡で、舞台の上の道化師なんかはお似合いっちゃお似合いだけど)
内心に浮かべた皮肉に、唯一聞き取る七は苦笑。
なにか言おうとして――やめる。現れた。駄弁っていられなくなるほどの強敵が、現れた。
それは鬼神の如き形相をした男。額に角を生やし、和装で赤銅の肌を覆う姿は鮮烈で威圧的だ。
今先ほどに拡大された声が告げた鬼族の男――夜鳥・楡である。
「……娘から話は聞いた」
夜鳥は絶大な歓声にも負けぬよう、耳栓すらも貫く凄みを乗せて、烈火に言う。半ば、怒ったように。
「オレに勝てば約束通り、お前を護衛として遠征を認めてやろう――オレに勝つことができればだがな」
「別に、本来ならそれはどうでもいいんだけどな」
している耳栓は緩めなので声は聞こえる――聞こえないと詠唱も聞こえなくてヤバイのだ。なので普通に会話に応じる。そういえば今回の件において、楡の意見は聞いてなかった。
「ほう?」
「だけどまあ、頑張ってる可愛い女の子の懇願だ、断るなんて男が廃るだろ?」
「貴様……女誑しか?」
「え……あ、いやいや! 違う、違います、全然違うって!」
慌てて必死で弁解するが、そのみっともなさは逆に雄弁に肯定しているようにも見える。
楡の、表情が冷えた。鯉口を切った。
「そうか、わかった。死ね」
「やめろ、とりあえずやめろ、とにかくやめろ。お前の考えてることと十二割は勘違いだから、思い違いのすれ違いの殺し合いなんて悲しみしか生まないぞ、うん」
慌てて烈火は言い訳言い繕う。そして否定の直後にすかさず話をさっさと進展させる。否定を否定されないように、次へと推し進める。
「でも親父さんよ、娘が必死なんだ、その意を汲んでやってもいいだろ別に」
「戦うことも半端な娘に危機を送るのが親たる役目と?」
「……まあ、あんたの言い分もわかるけどな」
傘に聞いた。楡は妻を守れずに魔物に殺されてしまったという。そのせいで、娘の傘だけは絶対に死なせぬようにと庇護を強めたらしい。コロシアムで戦い続けるのも研鑽して娘を守れるほどに強くなるため。そして名を売って不要な害が襲わぬようにするため。
「けどだからって籠の中に閉じ込めてちゃつまんねぇだろ?」
「なに?」
「おれの尊敬する人が言ってたぜ、自由ってのは全てが上手く行くって意味じゃない、だけどそれでも籠の中じゃ絶対に見ることもすることもできなかったことと出会えた。だから後悔なんてしないってな」
魔物と戦い続ける宿命にある討伐者の身で、旅を続けて数多の不幸を見てきたはずなのに、その少女の言葉はどこまでも真っ直ぐで。
「まあリスクとリターンだな。外に出すのはリスクがでかいけど、リターンもある」
「リスクは確実で、リターンは不確実だがな」
「そりゃな。でもまた、籠の中にいるだけでどれだけ幸福になれるのかって言われるとそこも不確実だろ?」
というか選択の先なんて全て不確実だろう。だがリスクを負わなければならないタイミングは確実に来る。じゃあいつどう選択するかが重要で、その選択基準は本人にしかわからない。
「――お前の娘は選んだぞ。あの目は確信していた、それが最善だってな。そういう奴の選択を邪魔するってのは、おれは嫌だね」
「はん。わかっておるわ。オレのやっているのは単なる我が侭さ。いつまでも籠にいて欲しいと願うのは飼い殺しでしかない。理解してなお、やはり行かせたくはないんだよ」
「難儀な父ちゃんだ。無理矢理、奪ってやるよ」
「娘は渡さんさ」
「そういう意味じゃねーけどな!」
さてそろそろ問答も無用だろう。
充分に互いの意見はぶつけて、戦意もともに練りあがった。同時に、この大舞台での戦いということを忘れて、小さな家族の揉め事に成り下がった。
烈火にとっては他人様の家事情、本来なら口を挟むのも野暮だ。
――けれどもまあ、これも勝つためだから。
「さあこれよりクライ・レッカ対夜鳥・楡の戦いをはじめたい――両者ともに覚悟がいいか!」
無言で手を挙げる。それが了承の合図なのだと係りに言われた。
二本の伸びた腕を見て――さあさあ、いよいよ。
「それでは! 試合開始!!」
烈火は直後に駆け出した。前と同じだ。今までと同じだ。遠距離は魔法を撃たれて勝ち目なし。それはコロシアムで戦ってきて得た経験則。
だが近づいても鬼の膂力は人を容易く殺す。それに雷撃の刀があっては剣で競うのすら不利だ。
それでも近づく。それは離れて戦えば零の勝ち目が、接近戦なら僅かにはあるという比較の問題だ。零と比すればどんな小数だって莫大だ。
「っ」
迷いなき決断に、楡は少々驚く。前回電撃の刀で即殺してやったのだ、それに警戒すると思っていた。極力近づかずに勝つ算段を考えてきたのではと思慮していた。
それがまさかの愚直突貫。笑ってしまう。
「愚かな、以前と変わらぬ結末を望むか」
「誰がっ」
楡の抜刀。そして斬刃の乱舞。斬る斬る斬る。
しかも触れれば通電する雷撃の太刀だ。受けても防いでもアウト。要は避けるしかなく、烈火はその通り勇んで突っ込んだ割に恐々と回避動作に追い遣られる。握る刃は用をなさずに動かない。
「は。近寄って、それで逃げるだけか。距離をとったのとなにが違う」
「全然違うだろうが。反撃恐れて刃が鈍ってんぞ」
烈火は笑って右手に輝く剣を見せる。だが、これを不用意に投げつけても弾かれて終わり。刀に触れて感電して敗北。烈火は慎重に反撃の機会を探り、楡はそれを恐れている。
「それに千度お前が斬撃を刻もうと、一度たりともおれにはあたらないぞ。勝手にひとりで徒労を重ねてろ」
思い出す。思い出す。ジジイの言葉を思い出す。修行時代を思い出す。
――ジジイは言った。一太刀浴びれば負けると思え。
ジジイは言っていた。修行の合い間、理屈で戦いを教え込まれた時に、ジジイは言っていた。
受け流すでも捌くでも躱すでもいい、とにかく直撃は受けるな。それがダメージになると思うなら、全て受けてはいけない。
何故なら人間の身体は脆い。玖来流の技は儚い。
脚でも傷つければ動作は鈍る、次の攻撃を叩き込まれて死ぬ。
腹でも傷つければ鉛を抱えて戦うようなもの、判断所作が遅れて死ぬ。
腕でも傷つければその時点で片手が枷、あらゆる動作の邪魔をして死ぬ。
玖来流の技の真髄は精密動作にある。微かな傷がそれを阻害し、微細な痛みがそれを歪める。だから全て攻撃を受けてはならない。
故に回避動作は徹底的に教育された。骨の髄まで玖来流、攻めを捨て見切りに集中すればどんな太刀とてかわしてやる。
嵐のような鬼の斬撃を、烈火は避ける。避け倒す。玖来流の逃げ足舐めんな。
「ちっ」
ちょこちょこ動き回って回避しあたらない。焦れて大振り隙丸出し、とでもなればいいが、そうも易しい相手ではない。
楡は堅実に隙のない刃を続ける。斬撃を緩めることもせずに舌を回す。詠えや詠え、魔法の歌。
「“――〈降〉れや〈雷〉、奔れや雷獣”」
傘に聞いていた烈火は即座に理解。魔法だ。それに夜鳥は先行完結。頭が魔法のキーワード。これは確か攻撃系自然種魔法《降雷》。楡の成しうる最強の魔法である。
それさえわかれば、烈火のなすべきことも予定通り。なんらの迷いもなく。
「“未知なる空にはなにが座す”」
お前が斬り込みながら詠うなら、おれは回避しながら指を舞おう。
“無掌・〈剣指・火霊指の天・槍指・獣牙指の天〉・〈鎚指〉・剣指の表・弓指の表・火霊指・刺指の表・魔杖指の表・刺指の天・剣指の地――”。
「っ」
一瞬、楡の表情が歪む。なにせ烈火がはじめて見せた魔法の動作。明らかに完成した印相の動きだ。
これは舞踏魔法:印相派が来る。楡は確信した。
それでもその驚愕を押さえ込んで詠唱に集中したのは流石だろう。剣尖の僅かもブレなくなお引き絞った鋭さを保ったのは素晴らしい。
「“嘶く鳥か、叫ぶ獣か。はたまた蠢く魑魅魍魎か――”」
“弓指・弓指の天・水霊指の裏・火霊指・獣牙指・地霊指の地・槍指の天・弓指・水霊指・火霊指・刺指の表・魔杖指の表――”。
集中を掻き乱さんと銀閃は縦に斜めに横に飛ぶ。かわす身は柳のように軽やかでいて流れるよう。気にせず左手は別の生き物の如くに指を回す。
――“《魔杖指の天・獣牙指・刺指の天》・祈掌”。
鬩ぎ合いの中で、先に魔法を完成させたのは烈火。魔法を宿した左手を懐に忍ばせ、小剣を握る。発揮した魔法を小剣に宿す。
そしてその小剣を放る。適当な方向に。できるだけ離れた位置に、投げ捨てる。
「っ――《降雷》!」
突如、小剣を捨てる謎の行動にまた驚いて、だがやはり呑みこむ。ここで魔法を完成させる。長き詠唱を満了する。
瞬間――轟音引き連れ〈雷〉の雨が〈降〉り注ぐ。
如何なる恐るべき天災であるか、無数多数の雷が戦舞台に目掛けて天より襲う。それはさながら天に座す軍勢が雷撃の矢を射続けているよう。
そんな圧倒的な暴力の最中にあれば、人間なんて生き残れるはずがない。一撃の雷電に触れるだけで感電する。
そのはずが――雷が不自然に曲がる。集まる。逸れていく。まるで烈火を避けていくように。
「っ!?」
集束、結集、引き寄せる――その先にあるのは、小剣。烈火が投げ捨てた、魔法宿した小剣である。
そう小剣に宿した魔法とは、いかな破壊も〈雷〉であれば全てを集めて〈避〉ける対抗系封印種魔法《避雷》であったのだ。
傘に勧められ、リヒャルトに一週間で叩き込まれた、最近になって修得した魔法である。
それでも雷連打の轟音は消し去ることなどできず、耳栓してなお耳を塞いで過ぎ去るのを待つしかできないが。そこは楡も同じだ。この爆音内で平然の顔をできる生物なぞおるまい。
やがて雷鳴は遠のき、雨はやむ。
その頃に、気付けばふたりの立ち位置は少々間合いを離していた。《降雷》の段階で楡が下がっていたか。
「“〈爆〉ぜて〈炸〉裂して沈め――”」
即座に楡は再び魔法の詠唱にとりかかる。ただし得意の雷系統ではない攻撃系のものを。なにせ《避雷》がいつまで継続しているかわからない。次の魔法も逸らされては魔力の無駄で、戦機の無駄だ。確実に行く。
烈火は走り出す。間合いを詰める。その魔法は発動させんと斬りかかる。
「ふ」
だがそこでまた斬撃が結界のように接近を拒む。刀を振るい、刀尖を見せつけ寄るなと告げる。未だその斬打は見切れない。鬼の腕力による速度に技量も一流ですり抜け討つなどできやしない。
「“うちのめされ、地に眠り、火花の可憐に心奪う――”」
詠わせねぇぞ、そこで止めてやる。左手を懐に突っ込む。小剣を三本同時に取り出し、その動作の延長で投擲する。
一投回避。二擲は刀で弾く。だが。
「っ」
重い。弾く刃が想定以上の重量だった。
リーチャカに造ってもらった特注だ。実用性度度外視の一発芸。一度驚かせるだけのつまらぬ小細工。だが、少女の腕は確かである。これまでの小剣となんらの外見的差異もなく、極限まで質量底上げの騙まし討ち。
故に、弾いてしまい、その重さに楡は呻く。
「“ならば炸薬の香りに酔うて叫べ――《爆炸》”」
「っ」
それでも詠唱だけは止まらない。絶対に食い縛って諦めない。一度唱えた歌は完遂する――それが一流魔法使いの矜持だ。
烈火の腹に、〈爆〉撃が〈炸〉裂する。斬撃を回避した直後ゆえの、絶対避けえぬ絶妙な今。直撃する。
「がは……っ」
担い手は一流、魔法は中位、詠唱も充分。障壁越えて威は届く。
はじめて烈火にダメージが行く。それだけで一挙に動きが鈍化する。苦痛は四肢を遅らせ、衝撃は動作を歪ませる。
一太刀浴びれば負けると思え――ジジイは確かにそう言ったのだから。
「斬!」
「……くっ」
変わらぬ斬舞が烈火へ迫る。紙一重でかわしていた斬り斬り舞いが、鈍った身へと殺到する。
烈火は――避けた。
「ぬ」
避けた。避けた。避けた。
一太刀浴びれば負けると思え――ジジイは確かにそう言った。だが同じ口で苦痛に慣れておけとも言っていた。
痛みに慣れ、苦痛に親しみ、死に馴れろ。
あらゆる状況、状態、精神でも玖来流の精密動作をこなせるようになれ。五分後に死ぬなら五分間は己を完全に掌握しろ。骨が砕けたなら砕けたことを踏まえて動け。痛くても疲れても苦しくても、敵は待ってくれない。つけ込んでくる。
半死半生であっても常の己であれ、満身創痍であっても十全に動け、走馬灯を御せ――それが玖来流。
「“〈爆〉ぜて〈炸〉裂して沈め――”」
ならば何度でも撃ち抜こう。打ちひしがれるまで、跪くまで、撃って撃って打ちのめそう。
流石にそれは負けてしまう――だから烈火はここで、楡への切り札を切る。ここまで張り詰めればこそ、その本領を発揮するであろう切り札を。
“無掌・〈弓指・弓指の地〉・鎚指の天・〈弓指の地・弓指〉・刺指の表・小鎌指の裏――”
「“うちのめされ、地に眠り、火花の可憐に心奪う――”」
――“《水霊指の表・風霊指の天・弓指・弓指の地》・祈掌”!
既に布石は打ってある。既に挑発の台詞は考えてある。勝負ってのは、はじまる前に積み立てたもんで決まるんだよ。
烈火の結んだ魔法は《伝達》。攻撃ではない。ただ直接、楡の脳裏に意志〈達〉しを〈伝〉えるだけの補助系魔法。いつも七と念話してる魔法。ただし、伝える声は爆発のように大声で、かつ動揺避けえぬ切り札!
『――お父さん! 僕に娘さんをくださぁぁぁぁぁぁぁぁい!!!』
「っ!?」
これには父さん吃驚仰天。そしてうるさくてかなわない。恐るべき禁忌のワードに心を乱され、直接脳へと大声浴びせられて掻き回される。それは外から襲う歓声爆音や雷鳴轟音よりも、酷く抉るように響いた。
よって、今まで必死に驚倒を抑えていた楡でも、ここで遂に驚き隙を晒す。詠唱が途切れ、剣技に乱れがでる。
無論、烈火は容赦なし。その最大のチャンスに斬りかかる。
「終われぇ!」
そして今の今まで引き絞って射出を待ち続けた右の刃が閃いて――
「終わるかっ」
楡は刀を手放し、迫る小剣を腕で防ぐ。皮膚を裂き、肉を裂き、止まる。刃筋をズラされたか。
踏み込まれた近距離に即座に応じるのは一流ゆえだ。この間合いにおいては無用の長物となる得物を手放す決断力も素晴らしい。だが、
「ここまで近づいて刀遣いが敵うかよ」
「っ」
楡は距離を離そうと動き、だが烈火がそれを許さない。ここまで近づいた以上、もはや組み付き終わらせる。最適間合いに踏み入った以上、負けられない。
鬼の膂力は恐ろしい。素手の格闘も最低限は心得ている。だが、それでも烈火の技術が先を行く。上を行く。勝ちに行く。
拳打は見切られ、不意をうって退いても追われる。しながら斬撃は裂いて斬っての繰り返し。致命や四肢への損傷だけは避けて捌いてなんとか継戦するが――
「ジリ貧、時間の問題だな――」
楡はため息のように呟くと、唐突に動きを止める。罠を見越して烈火も停止。
だが、罠などなにもなく――諸手を挙げた。それはコロシアムにおいて係りへの、観衆への合図である。すなわち、
「降参だ」
劇的ではない。面白おかしく終わらない。ただ戦力の低下を実感し、楡はあっさり敗北を宣言した。
これにて烈火対楡の対決は、烈火の勝利に終わるのだった。
「勝つためにやった。彼女しか(挑発材料が)いなかった。今は反省している」
「へぇー?」
「他意はねぇーからな!? 他意はねぇーからな!?」
ちなみに現在、烈火の使える魔法
攻撃系自然種魔法《灯火》、《瞬火》、《造水》
補助系《明々》、《伝達》
対抗系《避雷》
所持する紋章魔法道具《接着》の軍帽