55 心配性の君へ
「くーらい、さん!」
敗北して一晩経った翌日の朝、寝起きに響く元気な声で起こされた。
「……おう」
割と激しく叩き起こされ、烈火は微妙に不機嫌そう。人間、寝ているところを無理矢理起こされることほど不愉快なことはない。
だが、そういえば七の声は烈火にしか聞こえないのだから、これは目覚ましとしてはとても便利なのでは? アラームとかってうるさくて近所迷惑になることもあるし。
「玖来さん、玖来さん。いきなり思考が変な方向に向かってますよ。あと、こんなに可愛らしい七ちゃんを目覚まし時計と同列視するのはやめてください」
「あと五分……」
ばたん、とお決まりの台詞を漏らして烈火はベッドに帰還。ねっころがる。
やっぱり眠いもんは眠い。寝かせてくれぇ。光から逃れるように毛布に包まり、烈火は身を丸める。
「時間差でお約束を投げてくるとは、やりますね玖来さん。しかし、」
無情にも毛布を剥ぎ取り、七は言う。
「起きてもらいますよ。一回負けたからって不貞寝なんか許しませんよ」
「不貞寝じゃねーよ、普通にノーマルな通常睡眠だよ。だから邪魔すんな」
「えー? 負けたことを根に持ってまたグズグズ卑屈な台詞でも吐くんじゃないですか?」
「吐くか。おれは卑屈になったことなんざ生まれてこの方一度もねぇよ。親の腹ん中でもねぇよ」
「嘘ばっかり。玖来さんの鼻、伸びすぎて世界一周してますよ」
それ木偶人形とかけてんのか? 最終的に人間になる辺り上手い喩えで割と否定しづらいわ。
烈火は仕方なく起き上がり、実は心配そうな顔であった七に向き直る。烈火がまた落ち込んでいるんじゃないかと――七は不安だったのだ。
あの日、あの崖の上で、殺せたはずの者を逃がしてしまったと嘆く烈火の姿が、忘れられないから。
そこまで気付けば、烈火は強く言えない。ゆるゆると息を吐いてから、紫銀の髪を梳くように頭をなでてやる。さらさらしていて、触れているだけで心地良い。
「七ちゃんって、実は意外に心配性だよな」
「……べつに、そんなことはありません。私は、ただ、」
「ゲームの勝利のためには不可欠か?」
「そっ、そう、そうですよっ!」
顔を真っ赤にしながら、七は声だけ勇ましく俯いた。そのくせ、撫で付ける手が離れたり逃げたりしないように頭部は揺るぎないまま。意地らしい奴め、と烈火はさらに手つきを優しくしてやる。
そして、温和な声音を舌から奏でて送り込む。大丈夫だと、力強く。
「七ちゃんや、七ちゃん七ちゃん、おれの大事な第七神子様や」
「なんですか、そう何度も呼ばなくなって私は七で、あなたは玖来さんですよ」
「そんなに心配するな。おれは大丈夫だ、おれは一回負けた程度で落ち込むほど繊細じゃねぇしな」
無言のまま、七は話を聞き入る。
「だいたいコロシアムで負けるなんざ、そりゃ当たり前だろ。ダグのおっさんと意見を一致させんのも癪だが、あそこで負けるのは当然だ。
――それで、だからなんだ? おれは死んだのか? 取り返しのつかないなにかを失ったのか? そんなことはねぇだろ」
「そういう問題じゃなくてですね、もっとこう、精神的なお話ですよ。どれだけ絶対に負けることがわかっていても、負けた事実は悔しいでしょう? 落ち込んじゃったりもするでしょう?」
それが心配で、心の問題というのは根が深いからと、七は言う。撫でられながらの姿勢で。
猫みたいだな、と烈火は思った。
「ありがとう、心配は痛み入る。けど、心配されてばっかも男が保てないだろ? もうちょい信用しろよ。七ちゃんはおれの評価が高いんだか低いんだかわからん」
人の子なんて神子にとっては小さすぎて不安なのかもしれないけれど、それでも烈火は男なのだ。笑って信じてくれれば、それだけで空だって飛べるかもしれないのである。
ニッと悪戯っ子のように笑う烈火に、七は呆れたように肩を落とす。苦笑のような、ため息のような、複雑だけど確実に前向きな思いを乗せてつぶやく。
「男の面子は難しいですねぇ。それを立てる女の身にもなってほしいですよ」
「すまんが頼む。七ちゃんがおれを信じてくれんとがんばれないだろ?」
割と恥ずかしい台詞だったが、烈火は率直に言った。七ちゃんは、よくわからないところでわだかまるからな。できれば一発で解決しておきたかった。
七は俯いた姿勢のまま、声を震わせる。果たしてその表情は如何様に染まっているのか、烈火は随分と気になった。
「もうっ、ずるい言い方をしますね、玖来さんは。
仕方ありません、そうまで言われて断るのも女が廃ります。いいです、私は玖来さんを信じますよ。
……朝から騒いで、ごめんなさい」
「謝んなよ。たまに早起きしたって三文の得だ」
頭を下げる七に、烈火は苦笑しか出なかった。
しかしはて、二度寝にしても目が冴えたことだし、ここはひとつ話の流れを遮らず、そのまま進行しよう。今日は幸い、重大な話題が降って湧いて出てくる日なことだし。
少し名残惜しいが手を引っ込め、烈火はやや真面目に顔色を塗り替える。
「仕切りなおして、どれ、どうせ得した三文分、ちょいとお話してくれや」
「おや、玖来さんもしかして覚えてましたか」
「あぁ、こっちが本命だからな。それに比べりゃコロシアムの勝ち負けなんてどうでもいいだろ?」
そうだ、今日は烈火がこの異世界にやって来てからちょうど三ヶ月。つまり、
「そうです! 第三回になりました恒例のぉ、情報公開日でーす!」
わー、ぱちぱちー!
どこからともなくそんな歓声と拍手が沸きあがる。テレビのガヤみたいな感じだ。七ちゃんの力だろう。無駄に演出凝りやがって。
ああ、いや、七ちゃん自身があまりテンション上げられないから小道具小細工に頼っているのかもしれない。
そこについては、言及しないが。
「しかも今回は、ちょっと詳しく場所を表記しますよー」
「ほう、そりゃいいね。おれはどうせ不在だし、詳細になるだけ有利だな」
受け取った紙を広げ、書かれた内容に目を通す。
【魔道王】 第四大陸グリュン・南西部(変化なし)
【人誑し】 第二大陸オーランジュ・南部(変化なし)
【武闘戦鬼】 第五大陸ブラウ・北東部(変化なし)
【真人】 第二大陸オーランジュ・南西部(変化なし)
【運命の愛し子】 第二大陸オーランジュ・西部
【無情にして無垢】 第六大陸インディゴ・北西部(変化なし)
【不在】 不在
「あー、あいつも第二に流れ着いたのかー。大変だな、【人誑し】に荒貝 一人もいるじゃん」
「というか【運命の愛し子】は【真人】と既に遭遇しているじゃないですか」
「ここで確定だろ。一応【運命の愛し子】が移動してて、その移動した先で遭遇していた可能性も、まあ限りなく低いがありえたわけで」
「細かいですねぇ」
可能性はできるだけ考えとくべきだろうが。まあ、烈火の思考能力では色々とありえる想定だって思いつかずに抜け落ちることも多々あるけど。
「しかし第二に固まってんなー、いきたくねー」
「遭遇、しませんかねぇ」
「……荒貝 一人は積極的だろうし動くと思うが、他のふたりは消極的くせぇ。期待は薄いな」
【運命の愛し子】は実際、顔を合わせたし性情は把握してる。【人誑し】は、一切大陸移動がない点からの予測でしかないが。と言っても自発的な大陸移動なしは、烈火と荒貝 一人以外全員がそうであるといえばそうなのだが。
薄くても期待している点は、荒貝 一人のアクティブアグレッシブさ加減であるが、どうだろう。第二大陸は広いからな。それでも奴が真剣に探そうとすれば、見つけ出しそうだと思う辺り、烈火の複雑な心境が見て取れた。
烈火は、未だに荒貝 一人を恐れているのかもしれなかった。
首を振る。今は第七大陸に誰も踏み入っていない点を喜ぼう。これで烈火はコロシアムに専念できるというもの。金を稼ぎ、戦闘の経験を積める。金があれば紋章道具を購入できて戦力も上がるし、魔法鍛錬も続けているからやはりもっと強くなれる。
打って出るための準備は着々と進んでいる。ここで力を蓄えて、きっと傀儡六名討ち取ってやる。
「ふむ、となると、ああそうだな」
「なんですか、その独り言。私がいるのに独り言なんてやめてください」
「外からじゃわからんけどな。で、さっき言ったじゃん?」
「どれですか。結構長く話してると思いますけど……あ、もしかして私が好きだという話ですか?」
「過去を捏造すんな、そんな話はしてねぇだろうが」
「ちぇー」
愛らしくぶーたれても過去は変わりません。いや、変わらないよね? 神子だからって過去改変なんてできないよね?
神様相手は様々な想定をしておかないといけないぶん大変だぜ。だってなんでもできそうだし。
「コロシアムは金稼ぎが目的であって、本命は傀儡戦争なわけじゃん? だから、試合ではもうちょう遊びを取り入れるべきかも」
「は? 真剣勝負で遊ぶとか舐めてんですか?」
「いや、そういう意味じゃなくて、こう、戦い方の試行錯誤というか、鍛錬の一環として考えるというか……」
一度負けたことでそんな風に考えられるようになった。勝ちに執着しすぎても足を掬われるもんだからな。無敗記録なんてのは邪魔な重石でしかなかったのだ。
「たとえば魔法。おれまだ全然からっきしだけど、本命の時には戦闘の手札の一枚にはしたい。だから、実戦訓練として試合で起用してみるとか」
「あぁ、それはいいですね、実にいいです。なんなら神様スキルも使っちゃいますか?」
「それは……やめとく。あれはちょっとな。セコイ気がするし、がんばってる奴らに神パワーとか、悪いだろ?」
烈火にも良心とかはあるのである。たとえキッシュの時みたく先天魔法ですと誤魔化せるのだとしてもだ。命もかかってないし。
「ってもやっぱり本命は別だしな、ここで期限を決めておこう」
「コロシアムで戦う期限ですか?」
「そうそう。いつまでもここに留まるわけにもいかんからな。まあ絶対遵守しなきゃでもないし、気分で延ばしたり縮めたりもいいけど、先に決めておくことで行動の指針にする」
「ほうほう。で、その期限とは?」
「一ヶ月。次の発表くらいが目安だな」
四度目の発表の際に、他の傀儡の動きを見て考えよう。烈火はそう決めて、さてと部屋を辞した。
腹も減ったし朝食だ。
「そういや第二回みたいに場所以外の情報はないのか?」
「あれは二回に一回ということになりました、偶数回でのイベント的な」
「あっそう。ネタがないんだな」
「そうとも言いますねー」