52 魔法使い――たい烈火
(おれに足りないものってなんだと思う?)
宿屋の食堂、朝食の席。烈火はちょっぴり焦げたベーコンを口に放り込みながら、そんなことをテレパった。
受信した七は少しだけ不満そう。返事に棘が見え隠れ。
「さあ、色々あると思いますけど? どれかひとつに絞って提示するのも難しいでしょう」
(わかりやすいと思うけどな。ふ、ぁ……)
七の不満は烈火の眠そうな態度にあった。欠伸すんな。
ここ三日は連続してコロシアムでの戦い三昧だったので、今日はお休みしようとちょっと睡眠を多くとった。そのため未だに眠気眼で、念に力強さがイマイチ欠けている。要は気が抜けて、腑抜けている。
それが気に障る。自分と話す時はきちっとして欲しい。適当にしないで欲しい。ちゃんと私のことを見て。
烈火の弁はまるで逆で、親しんで仲良しだからこそこんな寝ぼけた面も晒せる。家族に痴態を見せても構わないのと同じだ。
互いに互いの意見は把握しており、ある程度の共感も交わしている。なので文句は言葉にしない。七だって本気で不機嫌になっているわけではない。ただちょっと構って欲しいだけ。最近はコロシアム編で七が蚊帳の外に置かれてばかりだったから。
(あー、そこは……すまんな)
「たっぷり反省してください」
へいへいと烈火は自分の頬を張った。切り替えよう。目を覚まそう。よし。
テレパシーにできるだけ思いをこめて、いつも通りを心がける。
(で、足りない物、わかった?)
「えっと……?」
あからさまに目が泳ぐ。お前のほうから目を逸らしてどうする。ちゃんと見てるぞ?
いや、まあ。わからんなら仕方ないけど。烈火はコップの水をすする。口が塞がっていても念話は滞りない。
(火霊種の女と戦った時とか思ったんだけど――)
「あぁ、あのセクハラの」
(ぶっ……違うって。断固違うって。絶体絶命違うって)
水吐き出しそうになった。そんな手垢のついたつまらんリアクションなどしてたまるかと堪えたが。
七はくすくす笑う。その反応だけで面白いですよと。
「でも言いたいことはわかりましたよ」
(おう。魔法だ魔法。やっぱ魔法怖いよな。Aランクの人も使ってきたし)
穴を作るだの、瞬間で盾を形成するだの。手練の剣士のくせに平然と併用しやがって、物凄く厄介だったわ。
逆に考えれば、烈火は魔法なしでそれに勝利したということ。そして、魔法の力を得ることができばより強くなれるということ。
(異世界やって来て三ヶ月近く、魔法を修得しようと学びだして一ヶ月足らず。おれもそろそろ魔法を使ってみようと思う。結構勉強したし、魔力の循環とかも把握したし、印相も覚えた。できるはずだ)
理屈の上では。
だが烈火にある魔法なんてないと思う脱中二精神が邪魔をする。魔法とは心、魂の術理である。故に感情や思いが密接に関係し、影響する。たとえば、その存在にすら否定的ではまず発現すらしないだろう。実際、烈火はこれまで試してみて、魔法の発動に成功したことはない。
目の前で他人がやってのけたからと言って、それで自分もできるのではとは思えない。テレビの向こうで宙返りパフォーマンスをしている体操選手を見ても、即座に自分もやれるとは思えないだろう。それと同じだ。相応の訓練と時間が必要だと、普通は思う。烈火はできるけど。
その鍛錬はした、時間はかけた。今日こそやってみせるのだ。
(というわけで今日はこれまでの勉強の成果を発揮する)
で、屋上。いつもの鍛錬している平面の屋根である。
烈火はそこでひとりぽつんと立ち尽くし、目を閉じてなにやらぶつぶつ呟いていた。
「受け入れろ……受け入れろ……おれは中二……おれは中二……」
「え、中二なんですか、玖来さん」
「ちげぇよ! ――はっ!」
「駄目駄目ですねぇ」
「くっ!」
なにをやっているのだろうか。少なくとも外から観察する限り遊んでいるように見える。ふざけているように思える。
否、烈火としては真剣そのもの。真面目極まりない全力での魔法行使の準備である。
烈火は己の心と戦っていた。夢とロマンを武器に、羞恥心や理性という恐るべき強大なる心の天使どもを叩き伏せる。常ならば烈火は理性側の味方であり、これは一種の裏切りのようなもの。若干勢いに欠ける。どうしたって今までの立場から突然に翻ることはできない。そのためもともと優勢だった理性はこちらの夢とロマンを容易く御して、足蹴にし、心の奥へと放り込む。
烈火はやはり己の中二を受け入れがたいのだった。
まあ、無意識レベルというか、客観的視点を採用するなら、夢とロマンが体外ではなく心の奥に投げられている辺り、中二病は完治していないのだが。ただ内面に伏せてあり、それを表に出していないだけ。隠れた性癖みたいなもので、認めていないが玖来 烈火、未だに中二びょ――
「じゃねーよ!」
なんか思考が意味不明な偏向を遂げている気がする。どうしてこうなった。
違う、おれは中二病ではない。ないのだ。既に卒業し、コーヒーが呑めないことも受け入れた。別にココアでいいじゃんと平然と言えるだけの余裕があるのだ。それはそれで子供っぽいだろという突っ込みはやめろください。
煮え返らない烈火に、七は真実を突きつける。
「え、玖来さん。ぶっちゃけますけど、外から見ればあなたも充分に中二病患者ですからね?」
「聞こえなーい。なに言ってるか聞こえなーい!」
そりゃ耳塞いで叫べば声も届かん。それは聞きたくないと言うのだ。七はため息を吐き出した。
こんな調子では魔法なんていつまで経っても使えるようにならない。中二病のくせにそれを認めないなんて、玖来 烈火クソほど面倒くさい奴である。
七は一度、天を仰いだ。遠く青い空を見上げ、そこに母の姿を幻視した。あぁ母よ、私に力を。
拳を握り締める。眦を決する。七は力強い言霊を真っ直ぐに投げ飛ばす。
「玖来さん、ここはもうファンタジー世界です。ゲームでもなく本当に魔法があっておかしくない世界なんです。あなたもそれは認めたはずでしょう?
であれば魔法を使うなんて、全く全然恥ずかしいことじゃないですよ。中二でもないです、というかそんな概念はこの世界にはないでしょう。子供からお年寄りまで魔法使ってますしね。カッコいい名前を武器につけたり、技にして叫んだり、日常茶飯事です。日常風景です。
ならば玖来さん、あなたは魔法を使ってもいいんです。郷に入れば郷に従えでしょう。中二はこの世におらず、魔法使いは中二ではありません」
一気に早口でまくし立てた。怒涛のように烈火の頭に言葉を叩きつけた。
烈火は、神の啓示を受けた預言者のような衝撃を受けた。衝撃的な事実に気付かされた。まさにその気付きは神託的。神子の言葉だけに。
「そうだ、そうだよ。別に中二じゃなくたって、脱中二したって、魔法は使えるんだ。何故なら魔法と中二病に因果関係など一切存在しないのだから!」
「……そうですね! はい。間違いないですよ!」
今更それに気付いたのか、遅すぎだろうが。今までなにをトンチンカンな苦悩を抱えていたのだこの大馬鹿野郎は――という本音をまるっと隠し、七はとてもいい笑顔であった。
何故なら玖来 烈火は真剣なのだから。心底本気でこんな馬鹿なことを言っている。否定してはいけない。良い方向へと進んでいるのだから、余計に文句など言わず、突き進んでもらおう。そう、褒めて伸ばすのだ。豚もおだてりゃ木に登るのだ。
「なんか言った?」
「いえ、なにも」
「そうか……」
烈火は訝しげではあったものの、現在のやるべきことのほうが重要。捨て置いて集中した。
横に置いた本「初級魔法のススメ」――借り物の本なので外套を敷いた上に置いてある――を手にとる。最後の確認をする。
今回使ってみる魔法は《明々》。明かりを灯す下位魔法だ。書曰く、およそ一番簡単で、扱いも易しいとのことだった。
「詠唱が簡略化して“明かり灯せ”だから、印相にするとええと……刺指、剣指、獣牙指の……天か。で、弓指の裏、火霊指の裏。最後に鎚指の表……であってるかな」
「無掌と祈掌を忘れてますよ」
「あっ、そうか。頭に無掌、終わりに祈掌、だったよな?」
「あと魔法名も必要です」
「それは覚えてるけどさ」
《火霊指の表・刺指の天・火霊指の表・刺指の天》だ。ちゃんと覚えてる。
あと詠唱にはキーワードが必須で、それは魔法名の漢字を分割したもののこと。《明々》で言えば〈明〉の字を詠唱に組み込む必要があり、印相で言えば〈刺指、剣指、獣牙指の天〉の部分だ。
確認を終え、また書を外套の上に戻す。よしやってみよう。
「こほぉー」
目を閉じ、謎の気迫を込めた深呼吸をひとつ。
そして身体中に駆け抜ける魔力の流れを感じる。外気のマナから溜め込んだ魔力がこの身には蓄積されているのだと自覚する。これは神様スキル使用の際の感覚を思い出せば理解できる。
自身に魔力という名のエネルギーが在ると知り、次にそれを外へと放出せんと気を集中する。放出の際に出口を作らねばならない。それをなすのが魔法の媒介たる発動形式九派である。
ここにその内のひとつ、舞踏魔法:印相派を示す。
指をゆっくり動かして、自分に言い聞かせるように印相名を囁いて、その手に魔法を生み出さん。
「“無掌・〈刺指・剣指・獣牙指の天〉”」
指の動き、手先の形。寸分違わずリズムよく。そこは玖来流の身体操作技巧が役に立つ。印相の型は少しズレても失敗となるが、烈火にその心配はない。委細もズレずに型通り。印相派の難易度の高い点を易々こなす。彼の指が成す印相は、かの「先剣」ですらも熟練と見誤るほどの精確さなのである。
「“弓指の裏・火霊指の裏・鎚指の表・《火霊指の表・刺指の天・火霊指の表・刺指の天》・祈掌”」
すると全身が僅かに脱力する。体内にある何かが抜け出た心地を味わう。魔力の喪失、消費だ。
魔力放出は成功。では魔法構築は?
恐る恐る烈火は閉じた瞳を開眼すると――
「おっ、おお! おお! できた、できたぞ魔法!」
烈火の手の平の先には、小さな発光する球体が浮かんでいた。《明々》の魔法である。
何度も何度も使っていた神様能力が練習になっていた。図書館に通い、文字密集の書を読んだ。イメージトレーニングで一時間も潰して魔法の発動可能を己に言い聞かせた。
その成果が今ここに、まさしくバッチリ輝いている!
ばんざーい!
と、烈火は大歓喜状態であるが、横の七はやれやれと言った風情。
なにせ本来ならその程度の魔法、この世界の住人であれば子供でもできるレベルであって、なに時間かけてんのと言いたいところである。烈火だって「はじめての魔法」を読了した段階でやろうと思えばできたはず。魔力量は充分で、印相は違えないし、発動の感触は神様スキルで身体が覚えている。単に魔法なんかできるわけないという否定的な思いが枷になっていただけなのだ。
だが、無論、褒めて伸ばす方針の七は満面の笑み。ここでテンションを下げるようなことを言っても仕方ない。わざとらしいくらい我が事のように大袈裟な喜びを作り出す。
「やりましたね、玖来さん!」
「あぁ、やったぜ七ちゃん!」
いぇいーいとハイタッチ。ふたりは喜びを分かち合った。
しばらく踊りだしそうなるんるん気分であったが、時間がそれを冷ます。五分くらいである程度の落ち着きを取り戻し、烈火はさらなる進歩へと手を伸ばす。
もう一度、書を手に取り、次のページをめくる。そう、別の魔法もやってみるのだ。
「よし、この調子で続けて本にある下位魔法をできるだけやってみるぞぉ!」
「おー!」
そして一時間後、魔力枯渇で膝をつく烈火の姿がそこに。
割とがっくりとしてた。
「いっ、五つしか修得できなかった……」
「初級魔法のススメ」に記載されている魔法は覚えやすく扱いやすい、言ってしまえば子供向けの魔法だけである。この世界の住人で烈火と同じ年かさの者なら一通り使えても珍しくはない。無論、書を読む機会に恵まれない者も多い。魔法を修得する意志がない者もいる。才なき者だって、少なくない。
だがそれでも、烈火は同年代以下であるという劣等感に苛まされざるをえなかった。
否。彼の劣等感の対象は、実際のところこの世界の住人に対してではなかった。この異世界で生きた時間で言えば、烈火は三ヶ月足らずの赤子に等しい。十数年生きた者と比較するのもおこがましい。ここでこれだけ魔法を使えたことを喜ぶべきだ。
素直に喜べない理由はひとつ――ひとり。
「荒貝 一人怖い……」
そう、かの傀儡、この異世界にやって来てはじめて烈火を真っ向打ち破った男である。
「あいつおれより短い期間で上位魔法使えるようになってんだろ? 化け物じゃん……」
なんか難しくて無茶な技法を駆使して、あんな平然の顔で、しかも連発って……。
「なんだよ、あいつ! マジなんだよ!」
「……そこは私もなにも言えませんねぇ」
神子の視点で言ってもあれは常軌を逸している。マジもんのチートだ。しかも天然の。
「ですが玖来さん、外ばかりに目を向けても仕方ありません。あれはああいう存在なのだと諦め、自身の向上をまずは喜びましょう」
「むぅ。それはそうだけども」
魔法と言うものに向き合えば向き合うほど、荒貝 一人の恐ろしさがわかってしまうのだ。
というか天然であれなら養殖にあたる【魔道王】ってさらにヤバイ可能性があるのでは……?
玖来 烈火は考えるのをやめた。
「手札を確認しようか」
「はい」
七もなにも言わなかった。未来に訪れる最悪の敵が幾人いようと、現状では無害なのだから。たぶん、きっと。
「で、使えた魔法は攻撃系自然種魔法《灯火》、《瞬火》、《造水》。補助系《明々》、《伝達》か」
キッシュに言われた《気断》、《察知》、《浄水》もしくは《清浄》はまだ無理だった。というか書に載っていなかった。残念。
しかし攻撃系といいつつ破壊力のあるものがひとつもない。ただ自然種だから分類上、攻撃系にあるだけという位置付け。烈火の名に反した火力不足は解消されず、だ。対抗系魔法も覚えられなかったから防護種もない。あれ、戦闘で使えそうな魔法がないぞ。
あとなにより、
「やっぱ治癒種の魔法はムズいんだな。困った。最悪《復元》だけは覚えたかったのに」
「まあ、そこらへんは私がやりますよ。《復元》でお咎めなしはもはや暗黙の了解、いくら使っても構わないでしょう」
神子のくせにだいぶセコイことを言う。烈火は助かっているのでなにも言わないが。
「ただし武器には使ってあげませんので、そのつもりで」
「あぁ、あれ武器も直せるんだ」
「よほど熟達した魔法使いであることが前提ですけどね」
「神子様ならお手の物ってか。お手玉とどっちが上手いんだ?」
「剣玉ですかね」
トンチンカンな会話をしつつ、烈火はメモに自分が使える魔法を書き記しておく。こういうところでマメな男である。
これまでも色々とメモはとってある。たとえば魔法については、その分類を覚えるために記載した。「はじめての魔法」にあったのを、覚えてメモしておいたのだ。
魔法の分類
攻撃系魔法
攻撃系斬撃種魔法
攻撃系狙撃種魔法
攻撃系自然種魔法
補助系魔法
補助系強化種魔法
補助系治癒種魔法
補助系機動種魔法
対抗系魔法
対抗系防護種魔法
対抗系封印種魔法
対抗系干渉種魔法
まあ覚える必要はないだろうが、念のためだ。
しかし魔法は覚えることが多いな。発動形式九流派の次は発動した魔法の分類が十二種類とか。いやまあ、魔法という名の学問だしな、仕方ないのか。数学を覚える時、方程式がわんさか出てくるようなものだ。
さてメモを書き終えた。見返して、眉を顰める。
「んん、戦闘で使えそうな魔法はねぇなぁ」
「以前《瞬火》を上手く使っていたじゃないですか。それと同じで応用ですよ、応用」
「ていうかおれ、戦闘中に魔法使えるかな」
集中力の問題で。
敵と剣を交える行為に傾倒していて、なお魔力の巡りを把握して魔力を練り上げ、印相を結ぶ。
どうだろうか、神様スキルでもそれはまだできないのに。
「本当にできませんか?」
「ん?」
「それ、最近試したことありますか? 神様能力が、戦っている最中に使えないって」
「いや……ないけど」
「玖来さんは毎日毎日、玖来流の鍛錬と魔法に関する練習、それに神様能力も反復していたじゃないですか。成長していたっておかしくないと思いますよ?」
神様能力の使用にも慣れてはきた。しばらく危険視していた『不在』のスキルも、最近ではだいぶ継続時間が延びた。今ならなにも動かない状態なら一分近く沈まずに立っていられる。実戦で使うならその半分以下と見積もっておくべきだが、それでも三十秒間あらゆる攻撃が通じない。最初と比べれば随分と進歩している。ならば、『不形』や『不知』もまた訓練しているのだから、なんらかの進展があってもおかしくないのではないか。
とはいえ、
「相手がいない。コロシアムで試すわけにはいかないしな」
「ま、いずれ魔物と戦う機会があったらやってみてください。私は玖来さんならできると思いますから」
「ありがとよ」
玖来流の武術、神様能力、そして魔法。烈火の手札は、現在のところこのみっつであった。まだまだ魔法は心もとないが、神様能力だって最初はそうだったのだ。いずれきっと、頼りになる手になってくれる。烈火が今のまま、変わらず地道の鍛錬を忘れないでいれば。
ファンタジーへの異世界トリップで五十話以上かけてようやく初歩の魔法を扱えるようになる主人公……。