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七と烈火の異世界神楽  作者: ウサ吉
第二幕 時計仕掛けの運命
47/100

42 疑心を呼び込む暗鬼の賭け









 あの後、リーチャカがほとんど泣きそうな顔で警邏兵を連れてきて、通り魔は御用となった。

 ついで烈火もお話聞かせて頂戴と連れて行かれたが、微妙に残っていた人や、リーチャカの証言ですぐ帰してもらった。

 あと懸賞金もらった。正確に言えば討伐ギルドへ宛てた都市兵――中心都市の警察的立ち位置の兵士――の判入り書類だ。これをギルドで渡せば通り魔捕縛の懸賞金をギルドからもらえる。懸賞金をかけるのは討伐ギルドであって、都市兵ではないらしい。なににせよ儲けた儲けた。

 とはいえ、今日はもう疲れた。事情聴取とかで時間も結構とられて、日も落ちそう。直帰することした――いや、送り届けることだけはしないと。


「クライ・レッカ、今日はありがとう。本当に、助かっタ」


 今日襲われた少女リーチャカと、今はふたりで帰路につく。

 流石に、殺されそうになるというショッキングな経験をしてしまったばかりだ、不安だろうし心細かろう。些細かもしれないが、烈火が送ることを申し出て、現在こうして歩いている。

 のだが。


「……礼はいらん」


 ちょっと苛立ちが言葉に混ざってしまう。

 半分以上、烈火のせいでリーチャカが襲われたようなもの。烈火の知り合いだから、そんな理由でエサにされて恐怖を味わう。どちらかと言えばこちらから謝罪をしたいくらいだ。


「だが、命ダ。救ってもらっタ」

「たまたまだよ」


 だがそれを語るわけにもいかず、どうにも要領を得ない返しばかりしてしまう。傀儡戦争、神子喧嘩を喋るとこれ以上巻き込むことになる。言いたくても言えないのだ。

 だが、これではリーチャカの視点からすれば、命の恩人がはぐらかして礼を受け取らないように映るだろう。しかも不機嫌そうで、口調も棘がちらほらしている。

 話さず、礼も受け取りたくない。これでは拒絶のようだ。


「…………」


 リーチャカは、それを感じたのか口を噤む。口はへの字で結ばれて、不満そうだ。

 ああ――苛立ちを無関係の少女に向けるなんて、烈火は駄目な奴だ。機嫌が悪いから、不貞腐れているから、それで誰かに横暴をする権利を得たような態度は頂けない。それも恩を売った相手で、文句も言えない相手にだ。

 情けない。不甲斐ない。すごく、格好悪い。

 怒っているのもムカついているのも、全部全部【運命の愛し子】と第五神子だけだろう。リーチャカは関係ない。どころか自分のせいで怖い目にあわせ、死ぬかもしれない目にあわせた。なに八つ当たりみたいな馬鹿をしている。

 一度、烈火は額を叩く。拳で、軽く。

 切り替えよう。反省。こんなザマでは相手の思う壺だ。しっかりしろ、玖来 烈火は変わらず燃えているはずだろうが。燻ぶってちゃあ、なにもできやしないのだから。

 それから烈火はおずおずと話し掛ける。少し気まずい沈黙であったのを、自ら破る。


「……なぁ、リーチャカ・リューチャカ」

「なんダ」

「別に、おれはフルネームで呼ばなくていいぞ」

「む」


 いきなり話が変な方向性に至った。リーチャカはよくわからないと首を傾げる。そりゃそうだ。

 烈火は説明のように言葉を継ぎ足す。ちょっとおどけた風に、できるだけいつも通りを心がける。


「ああ、いや、求婚の意味じゃなく、まして地霊種ドワーフの文化を蔑ろに見てるわけじゃなくて、おれは人間だからさ。別にフルネームじゃなくても失礼じゃないって言いたいんだ」

「だから、名で呼べト」

「そう。なんていうか、人間――いや、おれ個人的にフルネーム呼ばわりは隔意を感じるんだよな」


 たとえば烈火は荒貝 一人を決して姓で呼ばず、名で呼ばない。思考の際にもそれは避けている。あれとは意識的に強烈な線引きをしているのだ。


「もちろん、地霊種ドワーフ的には呼びづらいだろうからできれば、だけど」

「いや、構わない。レッカ、呼ばせてもらう」

「うん、よし。じゃあ礼はいらんぞ」

「? どういう意味ダ」

「もう名前で呼んでくれるくらい仲がいいんだ、助けるなんて当たり前だろ?」


 当たり前に礼なんていらない、烈火はしてやったりとばかりに笑う。

 リーチャカは少し目を広げて、すぐに細めてくすりと笑い返す。


「そうだナ。じゃあレッカ」

「なんだよ」

「なにか悩みがあるなら、聞く。友人としてナ」

「…………」


 あっさりとやり返された。

 固まる烈火に、リーチャカは不変の微笑で見つめてくる。綺麗で花やかで、ああなんとも、敵いそうにない。

 烈火はいい人に弱い。善人に弱い。その上で美少女だってんなら、端から勝ち目なんざなかった。

 見惚れそうになるのを雑に髪を掻いて誤魔化して、観念する。両手を挙げて負けました。


「あー、わかった、わかったよ。負けだ。おれの負けだよ、リーチャカ・リューチャカ」

「勝ち負け、どうでもいい」

「そんなことよりとっとと話せってか。わかってるよ。しかしなんだ、んー、あんまり話せない類のことなんだが」

「話せる箇所だけでいい」


 譲らず素早くリーチャカはただ話を促す。

 熱心で、それが烈火は微苦笑してしまうくらい嬉しい。だからこそ、語る言葉には罪悪感が滲み出る。


「うーん、ちょっと変な話だが、リーチャカ・リューチャカが襲われたの、おれのせいかもしれねぇんだよ」

「……あの通り魔の男から、恨みでも買っタか」


 ゆるりと首を振る。そうじゃない。

 だがどう言えば伝わるか。言葉を探して、選んで、いい説明は思いつかない。


「なんて言うかな、あの通り魔も、おれのせいで通り魔になったかもしれない。色々と悪い巡り会わせが、おれを狙ってるって言うか、なんて言うか」

「本当に、ヘンな話ダな」

「そう、変な話なんだよ。自意識過剰も甚だしいし、馬鹿げた理屈で話してるおれのほうが半信半疑だ」

「……」


 少し考えるような間をおいて、リーチャカは自分なりに理解できる範囲だけを呑み込むことにする。困った顔して語る少年に、なにかを言ってやりたかったから。


「ともかくお前に敵がいて、狙われているのは理解しタ。そして周囲の被害を憂えていることも」

「正しいけど、その言い方だとちょっとおれがいい人に聞こえるな」


 周囲の被害を憂うって、別にそこまで深く思っているわけではないのだが。気分が悪くなるとか、それくらいで。


「それでその敵を迎え撃つつもりカ」

「まあ、こんなん長引いたら困るしな、どうにか解決するつもりだが」

「だったらレッカ、自分をしっかりと持テ。さっきまでのお前は、少し気が乱れていタ」

「む」

「ジジ様も言っていタ。自分を見失うというのは、何事にも共通した失敗の最たる要素ダと。鍛冶でも、戦事でも、ナ」


 身につまされる話である。耳が痛くも、またある。流石は年配の発言だな。

 自分もまだまだ若輩だなぁ、なんて肩を落としている烈火に、リーチャカは続ける。その先は爺さんの言葉ではなく、自身の思いを伝える。


「それに……」

「ん?」

「お前がお前らしくしてくれないと、リーチャカと会話もままならないじゃないカ」

「あー、そりゃ、すまん。悪かったな」


 ん、て、あれ。

 今なんか違和感なかった? 一人称がリーチャカ? 今までワタシじゃなかったっけ。

 不思議そうな顔をしていると、リーチャカは恥ずかしそうに目を逸らして唇を尖らす。耳まで真っ赤で、なんとまあ初々しい。


「やはり子供っぽいカ?」

「いや……別に構わないし、それはそれで愛らしいけど、今までと違ったから驚いたというか」

「仲もよくない間柄で一人称が名ではガキ丸出しダ。これでも一応、客商売ダぞ」

「つまりおれとはもう一人称で見栄を張らなくてもいいくらいの仲だってことか?」


 にやけた表情で問うたのは、別に茶化したいからではない。純粋に嬉しいからこそだ。

 であるが、リーチャカから見れば区別がつかない。小馬鹿にされたように感じて膨れっ面。


「どうせリーチャカは子供ダ」

「いやだから別にそれはいいって。仲良くなれて嬉しいなーって」

「どうだかナ。それにしては綻んでいるゾ」

「嬉しい時ゃ笑うもんだろっ」


 拗ねるリーチャカをなんとか宥めようと烈火が手振りを加えて言葉を並べていく。

 そのふたりの姿は仲睦まじい兄妹かなにかのようで、なんとも微笑ましい雰囲気であった。楽しげで、親しげで、第三者が見れば心和む光景かもしれない。

 ただ、ひとり背後霊のようにその様を見せ付けられた七は、


「けっ」


 と、乙女にそぐわぬやさぐれっぷりを披露していたのだが、唯一感知できる烈火は気付かなかった。

 一層、七は不貞腐れるのだった。







「それで玖来さん、どうしますか」

「なんでちょっと不機嫌気味なんだよ、お前」


 宿に帰って、部屋に戻って、即座に七は口を開いた。なにやら剣呑な声音で、ぶすっとした表情である。

 七は烈火の突っ込みに取り合わず、つらつらと何時になく平淡な声を吐く。


「敵に姿を晒してしまったせいで、こちらのスキルがある程度バレたと見るべきでしょう。そしてこちらから探りをいれていることも露見しました。二重の意味で警戒され、近づくことが難しくなりましたよ。どうするんですか、玖来さん」

「わかってる」


 あぁ、戦況悪果が不機嫌の因か。烈火は盛大な勘違いを催しながらも、神妙に頷く。七の言うことは正しい。自覚もしている。

 リーチャカを助けたことに後悔は一片もない。だが、状況は悪くなったのだ。

 探り込めば反撃を受ける。それは覚悟していた。それがリーチャカを狙ってこちらの姿を露とする不運を送りつけてくるとは、予見できていなかった。


「玖来さん、特にリスクはないと言ったじゃないですか」

「それを言ったのはお前だ」


 ともあれ烈火の失態だ。いや、相手が上手だったと見るべきか。甘く見ていたわけではなく、単純に向こうがよい手を指した。こちらはそれに唸って黙考という場面である。

 情報という面で見て、烈火は大変な不利に立たされている。今回のことで烈火はほとんどなにも得ることはできていないのに、【運命の愛し子】はこちらのスキルや行動を把握した。それ以前からもストーキングされていたことはほぼ確実で、そのため顔や住まう宿、よく行く場所、これまでの行動まで露呈している。

 烈火は【運命の愛し子】のことを、ほとんどわかっていないのに。

 どれほど強大な力を有していても、敵が敵だと判別できていなければ無意味。叩き潰す対象すら不明で拳は振り下ろせない。

 このままでは延々と無意味な鬼ごっこを続けて、尻尾も掴めず不幸に押し潰されるかもしれない。七が機嫌を悪くするのも当然だ。

 けれど。


「だけど、一個わかったことがある」

「なんですか、向こうがこちらを監視していたことはおそらく断定してよいでしょうけど」

「いや、それは当然として――たぶん【運命の愛し子】は、臆病だ」

「? 何故その結論が湧いて出たんですか。勘ですか」

「おれが通り魔とやりあってる時、手を出してこなかった」


 通り魔と争っていた時の烈火。

 あれは完全に通り魔だけを見据え、注意を外には向けていなかった。不意を討って攻め込むには好機だっただろう。

 通り魔だって【運命の愛し子】から見れば、ただの悪党。自身のスキルの成果であるとも言い切れない。要はまとめてブッた斬っても問題ない。どころか噂の通り魔を倒したと、名声をも手に出来ただろう。無論、その際に必要の犠牲として烈火の死も不問とされる。それも込みで第五神子が起こした運命の顛末だったのかもしれない。そう考えると第五神子は空恐ろしい奴だな。

 しかして、そんなシナリオに反して【運命の愛し子】は戦いに乱入してくることはなかった。

 烈火や荒貝 一人のように武術の心得があるわけではないとしても、適当に攻撃系魔法でも放り込めばいいのではないか。既に二ヶ月、それから烈火より前からこの異世界にいるのだ、魔法くらい覚えていてもおかしくないだろうし。魔法の才がなく、接近戦を得手としないなら仕方ないが、それはもはや戦いができないということ。流石に、傀儡七名にそんな雑魚はいないだろう。いたら嬉しいけど神子どもだって必死のはず、どうにか最低限くらいは戦えると想定しておかないと足を掬われる。

 では、結論として烈火はどう考えたのかというのが――


「臆病、ですか」

「そう。腕前以前の問題だ」


 魔法はどうにかこうにか覚えたかもしれない。武術に関しても、なんらかの手段である程度の対処はできるかもしれない。だが、それを運用する心のほうが、異世界に順応できていない。

 まあこれは当然と言えば当然なのだが。即時に適応せしめた烈火や荒貝 一人のほうが異常なのだ。本当に。

 七はそこまで烈火の話を聞き入り、首を傾げる。説明の内容はわかった。わかったけれど、


「それがそうだとして、だからなんになるんですか」


【運命の愛し子】が臆病者だったとしよう。第五神子のシナリオ通りに割り込めなかったチキン野郎だったとしよう。未だ異世界で生きる覚悟も弱く、ゲーム的に考える現実逃避すらできていないとしよう。

 で、それがなんだというのだ。結局、情報格差は変わらない。これ以降の戦況で、なにか役に立つのか、その推測は。

 烈火は揺るがない。無意味なことをここまで丹念に解説するわけがない。


「種が芽吹く可能性が高いってことだ」

「? 通り魔を倒した直後になにやら叫んでいた、あれですか?」


 なにやら脅し文句を喚き散らしていた記憶があった。語気荒く、虚空に向かって叫んでいたが、はてあれがなにになる。


「臆病者なら脅しに屈服すると? いささか甘い考えではないでしょうか」

「そりゃどうだろな」

「いや、そんな。自分の姿もバレていないんですよ? そんな状況下で脅されたって怖くないでしょう」

「――それを向こうは知っているのか?」

「え?」


 七はきょとんとした顔を晒す。

 対照的に烈火は頬を吊り上げ思考を走らす。留まらない。


「情報を多くとられた。ならそれを逆手にとることを考えろ。こちらの手の内がバレて、バレたからこそ使える手立てもあるんだよ」

「と言いますと?」

「たとえば『不知』。向こうはスキルの名は知らないが、おおよそは推測がつくだろう。なにもないところから突如、おれが姿を現す。これを目撃した時に想像できる能力は幾つかある。正解である姿を消していたの他にも、時間を止めただの、空間を転移しただのな」

「それで、こちらのスキルがなんなのか混乱するってことですか」

「いや、ないな」

「ないんですか……」


 なんでじゃあ言い出したんだよ。七ちゃんの言外の突っ込みに、烈火は悠然と断言。


「順序があるだろが。

 で、相手はおれのスキルは姿隠しと断定できる。なにせ一ヶ月毎の発表でおれの表記は不在だからな。繋ぎ合わせれば思考は容易だろう。少なくとも時止めとか空間操作で、不在表記にゃならん。つまり、【運命の愛し子】はおれのスキルを姿を消すものだと判断する。実際、正解だしな。

 で、だ、七」

「なんですか」

「お前、姿を一切消して感知できない、なんて相手がいたとしたら――不安にならないか?」

「?」


 一瞬、烈火の表情に亀裂が走る。いや、それは悪魔のような笑みか。


「しかも自分を殺そうとその力で探していたとすれば、どうだ?」

「あ……」


 それは、恐ろしい。とてもとても、恐ろしい。

 なにせ日常全てが自分の命の危機に成り果ててしまうということだから。

 ふと道を歩いている時、もしや不可視の敵がすぐ傍にいるのではないか? 食事を摂っている時、排便している時、友と笑って語らっている時、同じ空間に敵がいるかもしれない。そしてそれには気付けない。周囲の人間も、誰も気付かない。

 恥ずかしい場面を全て覗かれているかもしれないし、他人に見られたくないことを見られているかもしれない。寝ている時はどうだろう。六時間から八時間ほどの睡眠がいいとされるが、じゃあ八時間も意識を手放していて大丈夫なのか? 宿には警備の者がいるかもしれないが、彼らにも知覚できない。意味がない。無防備な寝ている間に、自分の首が絞まっていも、刃をたてられていても、気付かない。

 不可視の敵というのは、つまりどこにでも存在するかもしれない疑心を呼び込む暗鬼である。


「玖来さん……とんでもなくえげつない力を選びましたね。なにが花鳥風月ですか、疑心暗鬼の鬼ですよ鬼。暗がりに潜む鬼っ」

「今更かよ。てか、運命丸ごと味方につけるとかふざけた能力よりはマシだろ」


 こっちは所詮、出くわしてからスタートな能力で、対して向こうはそれ以前から多方面から攻め込める。

 未だにこちらは敵の面すら拝めてないのにやりたい放題されている現状が、そのスキルの厄介さをよく物語っている。

 悪辣なるスキルと反則なるスキル、比べて七は少し落ち着く。


「ですが、やはり私たちは【運命の愛し子】の顔すら知りませんし……」

「知っていると、おれのあの発言で勘違いする。なにせこっちは透明人間だ。知らん間に顔バレしてるかも、と思わせることはできるだろ。黒髪黒目は、まず間違いなく傀儡なんだろ?」

「うわー」


 そしてのその微かな疑心を肥大化させるのが『不知』であり、先の発言である。

 烈火はケタケタと笑う。実に楽しそうである。


「上手く疑心の毒が【運命の愛し子】に回っていれば、戦々恐々でロクに眠れないかもな。で、その不安感を取り除くにゃどうするか?」

「玖来さんを倒す、ですか」

「いや、それはない」

「あれ?」


 勝利は目前かと思われたのに肩透かし。あっさり否をだされてしまう。

 違うの? と首を傾ける七に、烈火は呆れた顔である。


「そんな上手くいくほど馬鹿ならおれも楽だがな、流石に甘く見すぎだ、その考えは」

「じゃあなんですか。不安要素がある限り、安眠なんてできませんよ?」

「馬鹿、単純で確実な手段があるだろ――逃げればいい」


 ここまで脅せば臆病者ならまず逃避の選択肢が浮かび、選び取るだろう。烈火から逃げ、この大陸から去る。それで透明人間からの不意討ちの恐怖は拭えるのだ。

 それがまあ、烈火と【運命の愛し子】と両者にとって、この見えない戦いの悪くはない落とし所だろう。

 本来【運命の愛し子】は、つかず離れずともかく逃げ続け、その姿を晒さないことだけに終始すればよかった。今もそれは変わらない。だが奴が臆病者で、疑心の毒が効いているとすれば、初志を貫徹はできまい。きっとおそらく尻尾を巻いて逃げに走る。

 ――ふと、七は素朴に言う。


「カッコ悪くないですか?」

「……おれがか」

「はい」


 それは突かれたくなかった点。考えないようにしていた不満と不恰好。

 ムカつく奴をこの手でぶん殴れない。どころか逃げるように経路を整え、戦わないようにと仕向けた。これは烈火からしても逃げのようであり、戦いを恐れ避けているようでもある。

 だが仕方ないじゃないか。烈火では【運命の愛し子】と出会うことすらできはしない。向こうから会おうとしない限り、ほぼ遭遇は不可能なのだ。だったら無理に戦おうとせず、戦わずに済まそうというのは悪くないだろう。


「ですが今、逃がしてもいずれまた脅威として立ちはだかるのでは? 他の傀儡でも、玖来さんと同じく出会えず逃げるが一番確実で楽で有効な手段でしょうし」


 ただの時間稼ぎで、誰も彼は倒せないのでは? いずれ巡り巡って相対するのでは?

 烈火は断固首を横に振る。七人傀儡、全てのアザナを知る烈火は、故に【運命の愛し子】を打倒しうる可能性をも把握している。


「いや、六番がいる」


 六番――【無情にして無垢】。その能力は異能の無効である。

 六番ならば【運命の愛し子】の幸不幸干渉にも逆らって、運命なんかに惑わされない。平然と出会い、確実に殺せる。


「あぁ成る程。確かにそれはそうでしょうね……人任せですが、それが最善ですか」

「たぶんな」

「……上手くいきますかね」

「まあ脅し無視って留まる可能性もぼちぼちあるけどな。それでもここまで来たら後はもう、相手の人間性に任せた賭けだ。おれは【運命の愛し子】が不様に逃げる方に賭けた」


 賭け金は割とマジで烈火の命。

 ここで恐怖も疑心も取り合わずに静観を決め込めるだけの精神力と頭があるなら、もう烈火は【運命の愛し子】に敗北するしかだろう。顔も合わせず、出会ってもいないのに、負けが確定するだろう。そうなったなら烈火のほうがこの都市からスタコラサッサと逃げ出すことにする。未練はあるが、仕方ない。死ぬよりマシだ。

 七ちゃんは未だにちょっと半信半疑。こちらの視点からでは、向こう側の心情は見えないから。


「うーん、賭けですか。不安ですねぇ」

「まあ、全体的にだといいなぁ、が入り混じってるって言われたら否定できないし、勝ち目は低いかもな」


 どれだけなにを画策し、行動に出ても、他人の頭の中など見えやしない。わかるはずもない。絶対の自信をもって向こうがこちらの敷いたレールに乗って落とし穴に直進しているとは言い切れない。

 だが、なにもせずにいるなんてのは馬鹿馬鹿しいだろう。どのような結果になるかわからなくても、敗北の可能性が高くても、罠を張ってハッタリかまして賭けに出たほうが、なにもせずにいるよりはずっといい。

 善果を欲するならば善因を積め――当たり前のこと。そして烈火は、善因をできる限り積んだのだ。


「自分の行動を信じると書いて自信だからな。おれの今までの頑張り具合が無駄だったとは言わせない、なにかしら【運命の愛し子】に響いてるはずだ」


 それを烈火は信じている。

 そして、自信があるからこそ【運命の愛し子】の己を信じる心を試す。


「さて、忍び込んだ疑心の暗鬼はどこまで成長するかね」


 ――お前の自信は、疑心の毒に打ち克ちえるか?


















「玖来さんは新たな称号「疑心暗鬼」を手に入れた! この鬼畜野郎!」

「嬉しくねぇ!」










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