39 教えてリヒャルト先生! 音楽じゃないよ!
この異世界にも曜日という制度がある。七日を一週間として、三十日前後を一月として、十二ヶ月を一年とする。日本と同じ感じである。
これも神子どもの共感誘う細工のひとつか。手放しに似た制度で覚えやすいとは思えない。苦い感情が混じる。
いや、それは置いておこう。
日本における曜日は月だの火だのと七曜のあれだが、ここ異世界では流石に違う。最低限異世界っぽさを保持するためか、呼び名が違うのだ。
具体的に言えば、人間の曜日。ホビットの曜日。サラマンダの曜日。ウンディーネの曜日。エルフの曜日。獣人の曜日。ドワーフの曜日と言った形式である。
日曜日に該当するのが人間の曜日である。これはこの曜日を作ったのが人間だったからだ。
ちなみに曜日にある種族は精霊種と亜人種だけで、幻想種がいないことに気付いただろうか。これは当時、幻想種がまだ友好的ではなかったからだそうだ。
よって幻想種たる鬼族、竜族、魔族はそれぞれ七曜の呼び名が違うらしい。どういった名称かは知らないが。
で、なんでそんなことを述べているのかと言えば、今日は人間の曜日、一般的に休日だと言いたいのだ。
「よぉ、悪口エルフ」
ドアを開けた途端に歓迎しません、というオーラが全身に伝わってきたので、烈火も乗っかってそんなことを言った。
頬をひくりと引きつらせ、だが言われた美青年は返してみせる。
「間抜け面がなにしに来やがった」
広いけど物が多い部屋にて、休日の静かな読書を楽しんでいたというのに邪魔をされた。その不愉快さを乗せた文句だったのだが、烈火は聞いた風もなし。
リヒャルト・マクウェイ、学園教師にして風霊種の青年はさらに苛立ちを募らせる。なんだか笑顔のように怒っていた。彼は怒りに比例して笑顔がこみ上げてくるタイプの男だった。
烈火はやっぱり気にせず遠慮なく。今日も白衣でメガネとインテリぽいよな、とか考えていた。
「なにしに来たかと言えばだなリヒャルト」
「なんだ。というか呼び捨てか? 俺はお前よりずっと年上だぞ、わかってんのか?」
「そのツラでその口調は慣れないなぁ」
「聞いてんのか」
はっはっは。お前に敬称とかつけてやる気にはなれんな。
そんなことよりも。
「お前……舞踏魔法:印象派とかできんのか」
割と真っ当な話題。リヒャルトは片眉を上げ、少しだけ居直る。
「……そりゃな。俺はこれでも学園で魔法全般を教える実技担当教師だぞ、三系統九流派全てを収めてる。すげぇだろ、ほれ崇めろ」
「確かに凄いが、生徒に崇めてもらえ。じゃ、印相派について話してくれー」
「なんだ、お前、印相派を覚えるのか」
「それ以外でこんな話しに来るかよ」
ふぅん、となんとなく意味ありげに呟いて、リヒャルト近くの本棚に手を伸ばす。
本の背表紙を眺め、指先を数瞬迷わせてから一冊を選ぶ。爪先で引っ掛けて本を抜き出し、表紙を確認。それから雑に烈火に放り投げる。
「ほれ、それ読んで自分で学べ」
「おっと。んん――「印相一覧図」?」
「そうだ。印象派の術は、手先指先の動きを媒介とする。そのためまずは何十という印相と呼ばれる手の形を覚える必要がある、それを図解し、意味を解説してある本だ。暗記しろ」
「おっ、おお! ありがとう! なんか先生みたいだな、お前!」
「そりゃそうだろ、俺は教師だぞ。なに当たり前のこと言ってんだお前。そんなところから説明する必要があんのかよ、学園で一般常識でも学ぶか?」
「一言の度に嫌味飛ばすのやめろ」
感謝の感情が一気に消し飛んだだろ。
肩を落とす烈火に、リヒャルトは少し楽しそうに笑んで、それからしっしと手を振る。
「よし、義理は果たしたな、もう帰れ」
「ああ、なんか気持ち悪いくらいすんなり親切だと思ったらキッシュへの義理か」
「それ以外に俺がお前に施す理由があるはずねぇだろ」
リヒャルトは言いながら、本棚に手を伸ばしたついでに自分の分の本も取り出す。
そして席に戻って書を開く。もうお前に構う理由なくなったから、と言わんばかりである。
「いや待て……その、もうちょい話くらいいいだろ」
割としおらしく言う烈火に、リヒャルトは嘲笑。
「はぁ? お前と俺がなに話すってんだ」
「世間話でいい。そういうコミュニケーションを忘れると後々で苦労するし」
「なんの話してんだ」
「嫌いな奴でも知恵や力をもってるなら仲良くしときたいってことだ」
「そーかよ」
あとキッシュいなくなっちゃたから寂しいんだよ。異世界ぼっちとかスーパー心細いんだよ。
口が裂けても絶対言えないけれど。
「私がいるじゃ――」
(はーい、七ちゃん忘れてませんよー)
「言わせてくださいよぉ」
まあ、七ちゃんがいるお陰で完全ぼっちはないな。それは正直助かるぞ。
「えへへ」
うんうん、やっぱ七ちゃんには笑顔が一番ですね。
はい、ではリヒャルト先生にお話を戻します。
「で、魔法についてなんだが……」
「……はぁ」
リヒャルトはくしゃりと前髪をかき上げる。様になっててカッコいい。美形はずるい。七ちゃん美少女とは違うズルさだ。あやかりたいもんですね。
僻むような視線の烈火に、リヒャルトは無反応。ちょっとだけ変化した声音で喋りだす。
「魔法ってのはまぁ、この世界の力を使うもんだ。だからこっちはお願いする立場だ。媒介たる声だの図だの動きだの、あれは世界へのヘルプコールだわな」
「え」
「世界って言うとわかりづらいか? じゃあ空気とか、そういうもんで想像しろ。常に周囲に存在し、漂ってそこに存在するもの。なにもかもが世界の一部で、その一部の一部の隅っこを貸してもらうわけだ。
自分という魂を世界にとけこませろ。同調して己の意志を伝え、染め上げろ。そうして魔法は成る」
「おっ、おう」
凄い普通に説明してくれて逆に吃驚。
リヒャルト・マクウェイ。烈火は嫌いだが、教えるという行為は好きだった。彼は生粋の教師なのである。
「お前は印相派にするんだろ? ひとつ定めてはじめるのは正しい。だが、印相は面倒だぞ。さっき渡した本に書いてあるが、手の形を覚える必要がある」
「いやでも、それが一番実用的だと思ったんだが……」
「ふん、お前の手札なんぞ知らん。一般論を言っただけだ。それを承知しておけと言いたいだけだ」
「あー、わかった」
進路先は好きにすればいいが、そのための必要事項は確認しておけ。と似た風情の言い様である。進路相談かよ。助かるわ。
「ちなみにお前、印相の動きを見たことはあるか? 使ってる奴の手元だ」
「あっ、あぁ。二回くらい、見たぞ」
「それ、相手の手の動きは見えたか」
「えーっと」
荒貝 一人の時は、動いているという認識しかできなかった。ひとつひとつの形は、距離もあって目に追えなかった。
一方で七ちゃんのは、まあ見せるためにだがひとつの手の形を細部まで見れた。
「ちょうどいい二例を挙げたな。前者が一流と呼ばれるレベルの印相の使い手だな。後者は、まあ教えるためだったんなら程度は不明とするべきだが、それが全力なら三流もいいところだろ」
「手を抜いたに決まってるじゃないですか、神子舐めるなですよ!」
聞こえない突っ込みを叫ぶ。
無論、リヒャルトは関せず続行。
「手の動き、それをいかに高速で行い、かつどれほど他ごとと平行できるか、印相派の重要点はそこだろう」
「まあ早ければ早いほど隙も少ないし、魔法もラグなく撃てるもんな」
「手遊びしてんじゃねぇんだから、半端な動きじゃ魔法執行にもこじつけねぇけどな」
「精確かつ高速でやれってことか」
「そうだ。精確でないと魔法は発動しない。高速でないとまごついてる内に死ぬ。討伐者なんだろ?」
いつでも死が隣り合わせであり、そして今は頼れる先達もいない。もちろんリセットボタンだって見当たらない。
死にたくないなら、死に物狂いになるしかない。
「ま、ともかく印相の型を全て記憶し、手にも覚えさせえろ。話はそれからだ」
「おー、わかった」
「さて雑談終わり、さっさと帰れ」
「…………」
待てよ、おい。本読みだすなって。
もうちょいもうちょい。頼むから、ほら、話題なら振るぞ。えっと、えー、あー。
「そっ、そういえばお前、黒髪黒目の人間、見たことねぇか」
【運命の愛し子】はずっと第七大陸に留まっている。それならばこの都市に豊富な施設のなにかを利用しているかもしれない。
烈火のように図書館だったり、まだ行ったことのないコロシアムとか――あとは学園とか。
学園に生徒として入学している可能性。これはありえなくはないのではないか。
そのため念のため、教師であるこの男に訊いてみる。運がよければまさか……。
「あるぞ」
「え、嘘。どこで?」
「お前」
「……そういうクソくだらんネタはやめろ」
ちょっと期待したじゃんよ。
げんなり加減が素直だったからか、リヒャルトはメガネを整えるふりをして本から目を離す。話に乗ってやる。
「しかしなんだ、お前も探し人がいんのかよ。流行ってんのか」
「いるな。キッシュとは違って、はぐれた仲間ってわけではないけどな。どっちかって言えば……敵か」
「あっそ」
「おい、おれ今けっこう気になるようなこと言ったぞ」
「お前の事情とか興味ねぇよ」
メガネいじり終了。本に視線が戻っていく。
おい、たったこれだけで話し終わりかよ。もうちょい、もうちょい、最後でいいから。
「先生、最後にもう一個、もう一個だけ質問いいですか」
「ち。なんだよ、最後だぞ」
「その前に確認だけ、お前って種族についての知識はあるのか」
「常識的以上にはあるつもりだ。専門家には負けるがな」
「じゃ、訊く。地霊種をフルネームで呼ばないのって、失礼だよな。あれって、どういう意味合いで失礼なんだ」
お許しはいただけたけど、そういえばあれがどうして非礼にあたるのかは知らずに終わってしまった。
手の甲向けて中指おったてるファックユーみたいな感じなのだろうか。
リヒャルトはメガネの奥の瞳を広げ、ちょっと驚いた様子。
「なんだまさか呼んだのか、お前。底抜けの間抜けだな、おい」
「……知らなかったんだよ。なあ、これどういう風に失礼なんだ?」
リヒャルトは珍しく困惑気味で、視線を逸らす。それから、問いに問いで返す。それでも教師か。
「なあ、呼んだのって、若い娘さんか?」
「おっ、おう、そうだ」
「凄い勢いで怒った、んだよな」
「あってる」
「っ、はァー」
天を仰いで盛大なため息である。
「なっ、なんだよ」
「底抜け間抜けの大馬鹿野郎だわ」
枕詞に悪態吐いて、リヒャルトは睨むようにして言う。
「いいか、そもそも地霊種連中にとって名を呼んでいいのは家族同然に親しい間柄だけだ」
「うわ、そこまで限定的か」
もっと緩く、親しい友人には許してるくらいかと思ってた。親友とか、そういう……あれ、それが駄目ってことは――
「それが異性だってんなら――恋人くらいしか許さない」
「こい……びと……?」
「で、しかも若いってことは、最悪まだ一度も呼ばれたことがなかった可能性がある。あー、そうだな、人間の文化でわかりやすく言えば……」
リヒャルトは一旦そこで区切って、やれやれとばかりに首を振り――断罪するように告げた。
「見知らぬ野郎に、ファーストキスを奪われたようなもんだろ」
「!!」
烈火は理解した瞬間、ドアを蹴破って部屋を辞した。
猛烈な勢いで駆けていく烈火に、リヒャルトは驚いた様子もなく気だるそうに呟く。
「ドアくらい閉めてけ……たく」
開けっ放しのドアだけが、虚しく揺れていた。
駆けて駆けて学園抜けて、都市を走って区を超えて――だいぶ疲れて到着だ。
これで三度目、住宅街の目立つこともない一軒の家、少女の住まう場所。
流石に長距離だった、疲労が全身に乗って息は乱雑、汗したたる。
五分ほどその場で調息、乱した呼気を整える。荒れ狂う心臓を鎮めて、汗を拭う。よし。
家に寄り、ノックを鳴らす。少し控えめの音になったのは、気後れからか後ろめたさか。
すぐにドアは開く。白を纏った褐色の少女リーチャカが現れる。少し、不思議そうだった。
「どうした。まだ四日あるゾ」
「…………」
烈火は答えない。ただ鎮痛な面持ちで、一歩距離を置く。
「?」
走行中、七ちゃんに確認はとった。こちらの世界でも、アレは有効らしい。
なので。
烈火は勢いよく膝を折り地につけ、身体を折って両手の平も地面に触れる。
そして、額をも地面にこすり付けて――
「ナっ」
「ごめんなさい!」
謝る。全身で謝意を漲らせ、謝る。謝る。本当、まことに申しわけありませんでした!
七ちゃんに確認はとった。こちらの世界でも、土下座は最上級の謝罪ポーズであるという。なら躊躇わずにやります。たとえ地べたでも。
「知らなかった、じゃ済まないのはわかってる。けどごめん。おれには謝罪しかできない。ごめん」
「……もういいと、言っタ」
「それはなにも知らないで謝った時の謝罪だ。名前を呼ぶ意味、恥ずかしながらさっきはじめて知った。だから、もう一回謝る。ごめん」
「…………」
思いの丈を告げる。真っ直ぐに、決して他の意味と取り違えないよう。
リーチャカは目を伏せ、烈火から目を逸らす。なにか見ていられないとでも言うように。
関係なく烈火は土下座るが、沈黙が続くと徐々に不安になってくる。なにせ土下座姿勢、リーチャカの顔色も窺えずネガティブな想像ばかりが浮かんでくる。
蒸し返したことが気に入らなかったか。済んだ話を持ち上げるなんて、確かに面倒でただ不愉快かもしれない。思い出したくなかったかもしれない。今度こそ怒らせてしまったか。
嘆く烈火の、頭に小さな手のひらが触れる。優しく優しく、撫ぜる
リーチャカ・リューチャカは、言葉を失う烈火に言う。しゃがみこんで、同じ視線になって。
「お前の謝罪、受け取っタ。他種族の文化を真摯に受け止め、謝罪してくれタこと、ワタシからも感謝する。ありがとう、クライ・レッカ」
「いやいや! なんで礼だよ!」
土下座スタイルで言い返す。困惑が大きかった。
なんでそんなに容易く許せるのだ。許すという行為は、そんなにも簡単に済んでしまうものだったか。
それでもすぐ近くで聞こえる少女の声は、不思議なんかひとつもないという風に言葉を奏でる。撫ぜる手の平からは、憤怒も虚偽も感じ取れない。
「本当なら、お前、別に他の鍛冶師のもとに行けタ、違うか」
「えっと、いやいや、腕輪の件は他に回しても意味なかったって話で……」
「ウソ。ワタシ程度でできるなら、他の者にもできる。それでもワタシに頼み、謝罪を示してくれタ、それはとても嬉しイ」
ちょっと勘違いしている。烈火の腕輪の再現はギルドの爺さん曰くSランクの鍛冶師がいるとのこと。並みの者ではできず、それでもリーチャカを勧めたのは、Sランクと同程度の才気があるとあの爺さんが判断したからだ。他のそこらの鍛冶師に任せられはしないだろう。
謙遜している、というよりこれは自己評価が低いのだろう。そこを正すべきか、いや、それとも勘違いを促してこのままお許しを得るべきか。
後者のほうが都合が――いいわけあるか。
「腕輪の件は関係ない。おれがリーチャカ・リューチャカに失礼なことをして、怒らせた。そこが話の論点で、おれはそれに対する謝罪をしてる」
「ワタシはそれは許すと言っタ」
「でも、仕事を回してもらった恩義が混じっての許すじゃ駄目だろ」
「ダメ? なにがダメか」
「え……っと。勘違いだし、あとおれの、心持ちとか?」
苦しい言い様に、リーチャカは微笑する。土下座じゃ見えないが、なんとなく笑っていることはわかった。
「お前は謝罪する側、お前の心持ちでワタシの言葉を撤回させるのカ」
「そういうわけじゃないんだけど……」
「もういいから、許されておけ」
「……」
そろそろうざったいウンザリだ。そんな声が聞こえてきそうだった。
でも、だって、いいのか……。烈火の中にまだ残り燻ぶる罪悪感が喚こうとする。
ファーストキスだぞ。しかも美少女のだ。乙女の純情ぶち壊しじゃないか。烈火的には八つ裂きにされる覚悟であった。なにが彼をそんなに怯えさせていたのだろう。
不明だったが、烈火は葛藤の末、自分の不満よりもリーチャカの感情を優先することにした。彼女の言葉を信じることにした。
顔を上げる。リーチャカと目を合わせる。
「わかった。許されます。ありがとうございました」
「ん。お前のそういう真っ直ぐな姿勢は好ましい」
リーチャカは言って立ち上がり、手を差し出す。
「立テ。いい加減、家の前で土下座はやめろ」
「あ、はい」
一瞬躊躇ったが、烈火は差し出されたリーチャカの手を掴む。女の子の手と言うには硬く、ごつごつとした感触があったけれど、とても暖かい手だった。
意外に力強いその手を支えに立ち上がる。ようやく土下座から対等な立ち位置に戻る。
なんとなく烈火は苦笑。
「ありがと」
「いい」
「あと、なんか色々煩わせた。ごめ――」
「言うナ。ばか」
「返す言葉もない……」
なんだかんだとイザコザはあったが、こうして烈火はようやくリーチャカと真っ直ぐ向き合えるようになった。
めでたしめでたし。
本当に。烈火は心底安堵したのだった。
「さて、キッシュも去って巻き込む心配はなくなった。武器も調達できる目処が立った。
喜べ七――剣が出来次第、仕掛けるぞ」
「え。マジですか玖来さん!」