37 あーそびーましょ
毎度となった朝食の話し合いの席。
キッシュはいつも通りに優しい声音で問いをひとつ。
「レッカー、今日はなにか予定とかある?」
「んん? 別にないな。毎度のように図書館行くくらいだけど、予定というのも違うし」
というか実はあまり行きたくない。あんな文字ばかりの本を読むのは久しくて、凄く眠くなる。まだ教科書のほうが写真とか挿絵とかあってマシだよ。教科書でもバッチリ寝てたけど。
あー、ただリーチャカの件をどうにかしたいとは思うが、具体案がないんだよな。怒った少女への謝り方。無策で行っても火に油注ぐだけだろうし。
キッシュはそっかと口の中で呟いて、それから少し言葉に迷う。けれど結局真っ直ぐに率直に、言う。
「じゃあさ、今日はわたしと遊ばない?」
「へ?」
パンを口に突っ込もうとした手が、止まる。
ちょっと意味がわからない。言葉通りそのままでいいのか。
「えっと、遊ぶ?」
「うん。わたし、明日には都市を発つからさ、最後にレッカと、ただ遊びたいなぁって」
「……いいな、そうしよう。おれもそうしたかった」
前日の気にしなくていいよ、からこう話を持っていくキッシュは凄いな、本当に。
自分のために時間を使うと言っての行動、つまりこれがキッシュにとって自分のためらしい。遊ぶわけだから、間違いではないだろうが。
敵わないなぁ、と思いつつ、烈火は平常通りに言う。
「っても、なにするんだ?」
こっちの世界に娯楽とかあんのか? 問いながら今度こそパンを噛み千切る。もぐもぐ。
ゲーム、とかは電子機器使わない系統ならあるだろうけど、それをやる歳でもないだろう。映画とかカラオケなんてあるわけない……ああいや、演劇とかはあるのかな。サーカスみたいな、見世物小屋とか。
キッシュはソーセージっぽい肉の塊的なのをフォークで突き刺しながら言う。返答は用意していたらしい。
「都市をぶらぶら歩きながら買い物かな。色んなものがあって楽しいよ」
「おー、女子っぽい」
買い物なら烈火としても、ちょっと買いたいものがあったし好都合だ。相場とかも気になるし。
ん……というか、あれ。
キッシュかっこ上級美少女かっこ閉じと二人で都市を歩いて、ウインドウショッピングなんかもしちゃうって、おいおいこれはまさか例のデ――
「デートではないでしょ、玖来さん」
思考をぶち壊す七ちゃんの突っ込み。何故だか声音は冷え切っていて、冷水を頭からぶっかけられたような心地になった。なんでそんなに怖い声だすのさ、怖いって。
「調子に乗らないでください玖来さん。一緒に買い物行くだけでデートとか、お笑いです。今時小学生でももう少しデートという言葉を重く見ますよ」
(むぅ……)
確かに調子に乗ったかもしれない。キッシュみたいな美少女かつ善人かつ有能な人間が、まさかそんなデートのお誘いをしてくれるなんて話が良すぎる。昨日実感したじゃないか、調子に乗ってはいけないと。
そうだ、これは友人に向けた餞別みたいなもの。もう二度と会えないかもしれないし、最後に友好を交えておこうみたいな。
いやそれでも嬉しいけどね。光栄恐悦至極だけどね。
「じゃ、メシ食ったら行くか」
「うんっ」
いい返事だ、こっちも元気になるぜ。
今日キッシュと訪れたのは北区、商店密集区画だ。買い物なら、ここが一番物が多くて店が多い。都市で一番ではなく、たぶん世界で一番。
ショッピングには最適だろう。いえー、ショッピング、いえー。烈火は別にショッピングとか好きではないけど、ノリは重要だ。楽しむぜ。
意気揚々と雑踏を行く。大通りを進む。両側にはお店がずらっと居並び、右を向いて服屋さん。左向いて食事処。おっと右を一個見逃したあれはなに屋だ、小物屋かな。さらに左をみっつ見逃した、胡散臭い物屋に靴屋にまた服屋。
「レッカ、レッカ、早いよ」
「え、普通だと思うけど」
「買い物ならゆったりペースで行かきゃ。疲れちゃうし、お店を見て回れないでしょ?」
「あ、そうか」
意識してスローテンポに。
そうだ、買い物だもんな。移動がメインじゃない。いつもより足を遅くすべきだ。あー、ていうかそれ以前に女の子と歩くなら歩幅を合わせるべきなんだな。今までやってなかった。通りで烈火はリア充とかいう人種ではないわけだ。
キッシュの歩幅を横からちょいと覗く。模倣。完全に真似て歩速を合わせる。玖来流技術の無駄遣いであった。
足並みを揃えると、当然キッシュと並んで歩くことになる。どうせなので話しかけてみる。見栄を張る。
「キッシュはなんかほしいものとかあるのか? なんなら買うけど」
「あはは、いいよ、気を遣わなくて」
「男の甲斐性見せたかったんだけどな。まあ、どんな店回る?」
「ちょっと小物とか服見たりしたいかなぁ。買うわけじゃないんだけどね」
討伐業の旅には荷物になるだけだから。
微妙に悲しい台詞である。
それでも見て回りたいのは、やっぱりキッシュも女の子なのだろう。いじらしい。烈火としてはその姿を横から拝見しているだけで満たされる。
今日はあまりでしゃばらず、キッシュに付き合って眺めていよう。そう思った。そう決めた。
「あっ、あっち! 見てみよう」
「はいはい」
元気だ、無邪気にはしゃいでる姿はまこと眼福の至り。
あっちはどうだ、こっちもいいな。歩いて駆けて、時に跳ねたり楽しそう。
「おー、変な服あるよ、レッカ!」
「キッシュには似合わないかなー」
振り撒く笑顔は太陽のよう。
面白いものを見つけては笑って振り返る。触ってつついてまた笑いかけてくれる。
「大道芸かぁ。凄いね」
「あれならおれもできるぞ」
ころころ変わる表情に飽きることはない。
一緒に歩いて、一緒に笑って、
「そろそろなにか食べようよ、甘いものとか。レッカ、甘いの嫌いじゃないよね?」
「大丈夫、好きなほう」
あぁ――可愛いなもう。
休日に娘と一緒に買い物に出かけたお父さん気分である。いや、それともこれは彼女とテートしている男の心地なのだろうか。経験がないのでは判別できない。娘だっていないので前者の心情も深くは理解できないけれど。
ともあれ楽しい。冷めた目線で見ればただ歩き回っているだけで、言ってしまえば無駄なことをしているのに、楽しい。ちょっと不思議だ。無駄を楽しむのが人間とは言うが、一緒に歩いている相手がいいからだろうか。
キッシュは可愛らしくて、とても楽しそうに笑顔を振り撒いている。つられてこちらも笑ってしまうのだ。
――そんなキッシュと、今日でお別れ。もう二度と会うこともなく終わるかもしれない。
今まで押し隠していたその事実が、今日はやけに顔を出す。そりゃそうか、今日で最後だしな。
烈火は楽しいけれど物悲しくて、とりあえず楽しむことを努めた。
「――レッカ?」
「ん、ああ、なんだキッシュ」
適当な甘味処に入ってシャーベットアイスっぽい謎の甘味を頂いていると、キッシュがちょっと不安げに声をかけてきた。
椅子の心地は悪いが、食べ物はおいしい。甘い。この異世界で食べたものでは一番おいしいかもしれない。飽食であるこの世界だが、残念ながら味付けはまだまだ現代日本には及ばないのだ。甘いものもあまり多くない。このシャーベットアイスも結構なお値段だったりした。
ちなみにこのシャーベットは今、人気のヘキリリス味のアイスらしい。ヘキリリスってなに。地球に該当する名前のものはなかったと思うし、本気で謎だ。甘いしフルーツだろうか。
そんなことを考えながら食べていたところを話しかけられたもんだから、そっちの話題かと思い、烈火はへらへらと笑う。
「あれか、早く食べちゃって頭キーンか。キーンしちゃったか」
「子供じゃないもん。そうじゃなくて、なにか考え事? 微妙に口数が少なかったような気がしたけど」
「……む」
しまったネガティブが顔に出てたか。楽しいで打ち消していたつもりだが、流石によく見てる。
別れるの辛いと考えてました、ってだいぶ女々しいよな。素直には言えない。恥ずかしい。ちょっと話をズラす。いつものように。
キッシュは確信を持って問うたわけではない。だから、別に懸念事項を申告すればいい。なので考え事を考えてみる。ないでもない。
「えっと。女子のキッシュだから相談するけど」
「なになに?」
「女の子を怒らせてしまった場合、どうすればいいだろう」
しゃり、とシャーベットを一口食べて、キッシュは少し上向く。考える。
「んー? あれ、もしかして鍛冶屋の人かな」
「え、なんでわかんの」
「この都市内でわたしの知らないレッカの知り合いって少ないでしょ」
七ちゃん――は、置いておくとして、確かにそうだ。中心都市での知り合いはキッシュ経由がほとんどで、それでなくても都市ではキッシュと同行していることが多かった。知り合い顔見知りは共通する。
で、怒らせた女の子なんてのは知り合い内で該当者はいない。知り合いではないと考え至るのは道理。烈火だけの知り合い、それはキッシュと別行動時に出会った相手となる。ちょうど昨日、別行動していて、けれど烈火の行動は伝えていた。比較的簡単に推理できることか。
「キッシュは頭いいな」
「そんなことないよ」
まあそう謙遜するわな。烈火は予想通りの反応に肩を竦めた。
「で、地霊種のお嬢さんを怒らせちゃってな」
「どういう風に怒らせちゃったの?」
「……」
フルネームで呼ばなかったから。と、真実を語るのはまずかろう。
自分が教えていなかったせいだ、ごめんなさい。と慌てるキッシュが目に浮かぶ。鍛冶師なら地霊種に決まっていて、烈火が人間以外の種に詳しくないことを、キッシュは知っていたのだから。
なので言わない。代わりに適当なことを言う。
「おれがへらへらしてたから、かな。礼節を怠ったんだよ」
「ほんと?」
「本当。おれは礼儀とか、そういうの苦手だからな」
「でも地霊種の人って、別にそんなに礼儀うるさくはないはずだけど」
「人によるだろ。おれとキッシュは人間だけど、性格は違うだろ?」
「そう言われると返す言葉もなくなっちゃうんだけどさ」
まだちょっと疑っている。そんなことで怒るものなのか、キッシュとしても納得いかないのだろう。
烈火は言いくるめるより話を進める。キッシュを騙すのも気が引けるし、ここら辺はさらりと流したかった。
「まあ、ともあれ怒らせちゃって、謝罪も聞いてもらえないっぽいんだよね」
「そっか……」
んん、と考え込むキッシュ。話が進めば疑問も棚上げに付き合ってくれるのだ。
事実、どうして怒らせた、よりも、怒ってしまったどうしようが話の中心であり、相談したいところ。考えるならこっちにしてほしい。
キッシュはとりあえずと言った風情で単純な案をひとつ。
「鍛冶仕事なら、他の人に頼むっていうのは?」
「いや、最悪それは構わないけど、そういうの抜きで謝罪はするべきだろ」
「あ、そうだね、ごめん。考え方間違えたよ」
いい人キッシュには珍しい意見で、考え方のミスである。
あ、そうか。キッシュ的には見知らぬ鍛冶師よりも、烈火のほうが優先されたのだろう。そんな短気な人なら無理に付き合わないほうがいいのでは、という気遣いだ。
ヤバイ、場違いだけどちょっと嬉しい。キッシュとだいぶ仲良くなったってことじゃないか、これは。
頬が緩む烈火とは逆に、キッシュは真面目に考える。一度失敗したので、それを取り返すように。
「そうだね、月並みだけど贈り物とかかな」
「贈り物、なるほど」
菓子折り贈るとか、話に聞くことだ。異世界に菓子折り文化があるかは不明だが、贈り物はあるらしい。
「ついでだから今日見繕ってみようか」
「そうする。どういうのがいいか、アドバイス頼む」
「わかったよ。でも、わたしもなにがいいかとかは、あんまりわからないから期待しないでね」
「女子の気持ちがわからんおれよりはマシだから。ああ、だからって向こうが気に入らなくてキッシュを責めたりはしないぞ」
一応、言っておく。キッシュは苦笑した。
その後、しゃりしゃりとアイスを食す音だけがしばらく響き、ふたりは沈黙。
別に沈黙が苦ではないので、構わない。話題が思いついたら喋るだけ。
と、烈火がアイスの最後の一口を口に放り込んだ時、話題ができたらしい。キッシュがアイスの容器を横に置いて、控えめに口を開く。
「んー、レッカ、その、手伝う対価じゃないけど、お願いひとつ、いいかな」
「おう? キッシュの頼みか。いいぞ、できる限りなんでも言ってくれ。全力を尽くす」
本気だった。烈火は身を乗り出して、ばっちなんでも来いと構える。
ここまで親切にしてくれた人は、地球の頃から考えても多くない。受けた恩は、できる限り返したかった。
「ありがと、じゃあ――」
キッシュは懐から一枚の紙を取り出す。
以前に見たことのあるものだった。地図だ。
「これ、持っててくれないかな」
「…………それは」
キッシュの持ち歩いている、地図だ。予定を書き込み、ルートを書き込み、妹と再会するために作った手製の地図。
言っていた。信頼の置ける人に幾つか配ってあると。もしも妹さんが同じ知り合いに巡り会ったらこの地図を渡してもらえる手筈になっていると。
先日はリヒャルトの奴に渡しているのを見た。ファウスに渡しているところは見ていないが、知らないところで渡していただろう。
それを、烈火にも?
「いっ、いいのか、キッシュ。だってこれ、こんなんあったら……」
もしもキッシュらに恨みのあるような輩がいれば、居場所を伝えてしまうことになる。恨みがなくても、この地図を他者に盗られれば確実にキッシュへ迷惑が行く。妹さんにもだ。
「言ったよね、信頼の置ける人に渡してあるって。レッカは、信頼の置ける人だよ、渡さないのは変じゃない」
「でも、でも……これ、他の情報も書き込まれてる奴だろ」
合流のための地図であると同時に、これはキッシュとその妹、そして師匠さんの得た情報が詰め込まれた地図だ。あらゆる大陸でセーフゾーン――安眠スポットは勿論、町の情報、地域ごとの魔物の特性、在住する知り合いのことまで書かれている。リヒャルトに渡した地図と違う。より詳細なものだ。
「こっちのほうがレッカの役にも立つでしょ?」
「おれは……いずれは旅を再開する予定だぞ。どこで野垂れ死にするかわかったもんじゃないんだぞ」
「だからいるでしょ?」
にこにこしてキッシュは言うけれど、こんなにも情報の書き込まれた地図だ、おそらく売れば金になる。旅をする者ならノドから手がでるほどに欲してやまないものと言える。烈火が死んで、適当な奴の手に渡ったら、やっぱりキッシュに迷惑がかかる。そして旅する烈火は、どこでこれを落としてしまうかわからない。彼は殺し合いの最中にあるのだから。
「せっ、せめて、他の人たちに渡してる旅の予定だけ書き込まれた奴で……」
「いいよ、レッカ。レッカのためになるほうがわたしも嬉しいもん。それにもしもどうしようもなくなったら、これを売れば少しは足しになるだろうし」
「いや、売らないよ。売るつもりはないけど、おれが死んだら――」
「また会おうよ」
「え」
思わず――間の抜けた声が漏れた。
だってその言葉が酷く当たり前だったから。キッシュは、当たり前のようにそれを言ったから。希望や幻想を抱いているわけじゃない、本当に当然のように、それを言ったのだ。
キッシュはこの世界の過酷さを知っている。簡単に死んでいく同僚を大勢傍で見ていた。
けれど、それと同じように人々の強さを知っている。困難に立ち向かう姿とともに進んだ。
――玖来 烈火のことを、信じている。ともに戦い、助け助けられた友達の強さを、信じている。
呆気にとられる烈火に、キッシュはその力強い笑みを満開にして、繰り返す。
「また会おう? また会って、また旅したり、今日みたいに遊ぼうよレッカ。今度はキーシャも一緒に、ね」
「っ」
ああ、畜生。
自分の器の小ささに呆れてくる。なんておれは小物なのかと、泣きたくなる。
信じてくれている。他の誰でもない烈火のことを、信じてくれているのだ、この少女は。
烈火自身、この世界の厳しさに慎重という名の臆病風に吹かれているというのに。その世界で生まれ、生き続けている少女が笑ってくれる。
そんなの、自信がつかないはずがないじゃないか。
色々と湧き上がる感情をぐっと抑えて――できるだけ笑って、なるだけ不敵に、烈火は言う。
「あぁ。絶対、また会おう。おれはその日まで死なないから」
傀儡戦争がなんだ。荒貝 一人がなんだ。五人の神様スキル保持者がなんだ。
そんな奴ら、キッシュの足元にも及ばない雑魚に決まっているじゃないか。
「だからキッシュも、死ぬなよ」
「うん、約束するよ。レッカが死なないなら、わたしも死なない。きっとまた会おう?」
キッシュが小指を立ててこちらにさしだす。
一瞬意味がわからなかったが、すぐに察した。
ああ、こっちの世界にも、指きりの風習ってあるんだな……。
そして次の日の朝、キッシュレア・ライロは中心都市を去った。
烈火が目覚める前に出立していて、別れの言葉も言えなかった。
けれど、構わない。さよならを言うつもりもなかった。すでに言葉は告げてある。
――また会おう。