34 運命を敵に回すということ
「玖来さーん」
「ん、どうした七ちゃん」
朝起きて、支度して、さて朝食行こうとした段で。
七が声を跳ねさせ呼び止める。烈火は振り返り、次の言葉を待つ。なんかあったけ。
「ありますよー。忘れないでください二ヶ月です。二ヶ月経ちましたので、場所の発表です」
「あれ、前の発表からもう一ヶ月経った?」
「経ちましたよ?」
おかしい。全然そんな経過した実感がない。
確か一ヶ月前は……あぁ途中で立ち寄った村だったっけ。あれから三週間以上かけてこの都市に来たわけで、あれ、その三週間の記憶が薄いぞ。ビッグインパクトにAランク魔物討伐があるけど、それ以外はなんかすんなり過ぎて覚えてない。確か七日は橋渡りに費やしたはずで――ここの記憶もあまりない。
あれ、おれ記憶力ない?
「まあ、異世界なんていう吃驚事態に、覚えることも盛り沢山ですからねぇ。ちょっと記憶が偏ったりもしますよ」
「そう、だな。うん、そういうことにしておこう」
異世界来てまで若年性健忘症を心配するとか嫌すぎる。もとからちょっと穴のある記憶力だったし、平常通りだろう。きっと。
「じゃあ、はい、玖来さん。今回の七名のいる大陸です。受け取ってくださいっ!」
両手を添えてラブレターのノリで勢いよく紙を差し出す。烈火はそれをさらっと受け取る。七ちゃんがちょっと不満げな顔をしたが、どう反応しろってんだ。
ともあれ内容を確認する。どれ。
【魔道王】 第四大陸グリュン(変化なし)
【人誑し】 第二大陸オーランジュ(変化なし)
【武闘戦鬼】 第五大陸ブラウ(変化なし)
【真人】 第二大陸オーランジュ
【運命の愛し子】 第七大陸リラ(変化なし)
【無情にして無垢】 第六大陸インディゴ(変化なし)
【不在】 不在
「うわー。全然動きねぇな。まあ、大陸移動って結構大変だしな」
「経験者は語りますね」
「まぁな。で、そんな中、荒貝 一人の馬鹿野郎だけは移動してんな。旅の不幸で死んでくれないかな……」
なんか森で迷子になって餓死するとか。魔物の巣窟に紛れ込んじゃって食われるとか。空から隕石降ってきてぺしゃんことか。
……ないな。
どの想定でも元気に生き残っている姿しか想像できない。怖い。
「他の方々も大陸内で動いている可能性はありますよ」
「あぁ、そういや細かいのはわからんな、この方式だと」
「徐々に情報も詳細になっていきますので」
「それはそれで……ああ、困らんか。不在だし」
位置の公開が詳細になればなるほど烈火に有利。自身は知られず、こちらからは知れて暗殺が容易になる。
やっぱり持久戦で構えて後からじわじわハンティングしたほうが有効なんじゃないだろうか。
「あ、でも今回の発表から別に増える発表項目では不在とはなりませんので悪しからずお願いします」
「え、なに、今回から項目増えるの? 早くね? まだ二回目じゃん」
「もう、二回目です。そのくせ動きが少ないので、追加です」
「そりゃ広い世界で簡単に出くわすかよ……。で、追加項目って?」
「今回は七人のスタンスですね。要はこの異世界から帰りたいか定住したいか、です」
「おー、それ通ったんだな」
以前、烈火が言った奴じゃん。ちょっと聞いてみたかったからまあ、いいんだけど。
で、どういう按配で?
「はい。こんな感じです」
【魔道王】 定住希望。
【人誑し】 定住希望。
【武闘戦鬼】 定住希望。
【真人】 不明。
【運命の愛し子】 帰還希望。
【無情にして無垢】 帰還希望。
【不在】 帰還希望。
「見事に真っ二つ――じゃなくて、なんで荒貝 一人だけ特殊枠なんだよ! なんだよ、不明って!」
「いやぁ、言いえて妙ですって。彼の心を推し量るのは無理でしょうしねぇ」
神にもできないことはあります。七ちゃんはなんだか苦笑でそんなことを言う。
そんなことで神の限界を見たくはなかった。
「しかし、ふぅん? なんか予想外だな」
「なにがです?」
「いや普通――偏見? だけどさ、おれは女は現実的で男は阿呆だと思ってたから」
だが【魔道王】は定住したがっていて、【運命の愛し子】が帰りたがっている。微妙に驚いた。いや、後者に関しては現実を直視しただけかもしれない。異世界トリップなんて、チートがあっても普通は無理。この世界はイージーな側面もあれば、ハードな側面も持ち合わせていて判断が難しくなるが、やはり一般人では生き延びるだけでも辛いだろう。帰りたくもなる。おれも帰りたい。
とか、前提としている事項に話していないことがある。七は首を傾げる。どういうこと。
「あれ、玖来さん、傀儡の性別を把握しているんですか?」
「……お前、最初に彼と彼女で使い分けてただろーが」
最初の能力説明の時、【魔道王】と【無情にして無垢】は彼女って。それ以外は彼だったのに。
言うと、七は大袈裟に驚いた。仰天の体で瞠目する。
「え、マジですか。うわ、細かいとこまで敏感ですね、玖来さん。私自分で気付いてませんでしたよ」
「ほんとセッテは杜撰だな」
「セッテ……イタリア語で七でしたっけ」
微妙極まるボケを交えてくるな、この人。芸まで細かい。というか数字の七ネタはあとどれだけあるのだろう。
七は半眼になって見遣るが、烈火はどこ吹く風。
「でさ、丁度【運命の愛し子】が話題に出てきて、あと大陸移動がない点からも論議にあげるけど」
「なんですか、探しますか? 難しいと以前に話し合った記憶がありますけど、それも忘れましたか玖来さん」
「覚えてるよ。そうじゃなくてさ……最近おれって不幸じゃない?」
「はぁ?」
いきなりなにを言い出すんだ、この馬鹿は。寝てないわー辛いわー的な馬鹿自慢の類か?
と、呆れ混じりに言いかけて七は考え直す。違う。馬鹿は馬鹿でも、発言には理屈が隠れている。
気付いたような顔の七に、烈火は繰り返し問う。
「七、客観的に見てどうだ、おれ最近微妙に不幸じゃないか?」
「……そうですねぇ。この美少女七ちゃんと常に行動をともにできるという最高の幸福がありますからねぇ、おおよその不運は帳尻あわせじゃないですか?」
「そういうのいいから。ギャグじゃないから」
「ノリが悪いですねぇ」
つまーんなーい、と嘆いてから、七もまあ真っ当に考えてみる。言いたいことは理解したから。
「若干、言われてみると、そんな気が……しなくもない、ですかね?」
「まあおれだって正直どれがどうどんくらい不幸だ、とか自虐ネタでもないんだから覚えてないけどな」
「しかしどちらかと言えば不幸になっている気がする、と? この第七大陸に踏み込んでから」
烈火は首肯さえ曖昧に濁し、その問いに返答できない。非常に抽象的で、形なく、感覚的な問題なのだ。
そもそも不幸ってなんだ。定義が面倒だぞ。
その都度感じたりはするが、それは生きている上では当然にあることで。過剰に最近不幸が連続しているというのはどこから切り取って判断すればいい。もしかしたら大局的視点で見れば確率的な不自然はないかもしれない。サイコロ振って十回連続一が出ても、一万回投げれば確率はほぼ平均化しているように。確率の収束とかいうあれだ。
いや、待て待て。それ以前、幸不幸というのはそんな数値で考えていいものなのか。確率論とか、そういうなんかわかりやすいものに置き換えていいのか。もしも数字で表していいのだとしても、人生の幸不幸は等量なのか。不幸を感じず幸せに満ち満ちて天に召された人生は皆無か。幸せなんて実感できず、ただ不幸の渦に翻弄され続けた人生はありえないのか。不幸に失ったなら、必ず同じだけの幸運が得られるのか。
否だろう。幸不幸は等量ではない。そんな整然としたシステマティックな構造ではない。どちらかに偏ることもよくよくありえる。ありふれている。
今、烈火が不幸だとして、それは誰か何かの意志によるものとは限らない。人生の一幕にありえる、そういう不運が重なる時期だっただけかもしれない。
「どう思う? これは【運命の愛し子】からの攻撃か? それとも【運命の愛し子】という幸運マンが存在することを知っているから、ちょっとの不幸が誇大に感じてる被害妄想か?」
「難しい話ですね……」
むむ、と七は可愛らしい顔に難しい表情を乗せて考え込む。
難しい表情すら愛らしいとか、一体どういう理屈が働いてるんだろ。じゃない。思考が曲がった。修正修正。
ともあれ第五傀儡【運命の愛し子】がこの第七大陸に存在していることだけは確かだ。この小さい大陸広い都市に、ふたりの傀儡がある。広さ故に互いに発見は難しいはずだが、もしや実はこっちが気付かない内に向こうは烈火を捕捉しているかもしれない。それで陰ながらスキルが使われ、不幸が烈火を襲っている可能性があるのだ。
勘違いの可能性もある。実は【運命の愛し子】のスキルなんかまだ発揮されていない、烈火自身の不運で面倒が起こっているだけかもしれない。
判断はできない。だが推測し、予測し、備えることはできる。
「あと【運命の愛し子】について考えるべきがふたつある。そいつの幸運スキルは、果たしてこっちの存在を把握していないと発揮されないのかって点。あと範囲はどうなってんのかって点だな」
「? えと、えーっと。敵認定しなくても不運が発生するかもしれないって、ことですか?」
「そうそう。たとえばおれは【運命の愛し子】を発見してないから手が出せない。けど、【運命の愛し子】は発見もしないのに、知らん間に敵対者が死んでるかもしれない。幸運にもな」
人を殺すならば通常の段取りとして、発見からの攻撃となろう。敵を敵として判断せずには攻撃に移れない。まずは敵を認識することが最初だ。
ところがどっこい、【運命の愛し子】は敵を敵と認知しないでも、神子が既に知っている。勝手に不運の名目で神子が傀儡を殺してしまうかもしれないのだ。
「おー、そう考えると便利なスキル選びましたね、五番目は。傀儡に危険なく、発見の必要もなく攻撃できる、ですか」
「流石に無理だと思うが、最悪の可能性だとそうだ」
たぶんだが、誰が敵かも判断せぬままに不幸を流し込めはしないだろう。それが可能なら、生きてるだけで他六名の傀儡に不幸を齎す最悪の敵になる。チートだからって、それは行き過ぎだろう。つまらないレベルだ。必ず制限がある。
制限のひとつはおそらく敵の把握。あれが敵だと能力者が認識することだ。能力者の敵全てを敵勢存在と判断もせずに不幸を齎していては、それは無差別攻撃。もしも神子が他者の思考を読み、先を予見し敵を推定し不幸を向けるとしたら、不可能ではないにしてもその処理量が半端ではない件数になるだろう。それはそれ、神の子なのでやってのけそうだが、チート過ぎる。ゲーム主催者なら制限をかけるべきところとなろう。
制限のもうひとつはおそらく範囲。あまり遠くては不幸を及ぼせない。【運命の愛し子】のスキルが運命干渉という名目で神子の頑張るだけの力であるなら、神子が動ける範囲でしか意味をなさないはず。そして神子は傀儡の傍から離れない。七ちゃんがその証明だ。まあ神の子なのでその場から世界に干渉とかもありえなくはないだろうが。だがどこからでも世界中に干渉可能となると、やはりチートが過ぎる。というか能力者が逃げの一手を打ってつまらんにもほどがある。
「あー、畜生、待て。神子はどのくらいのことができて、どのくらい干渉できんだよ。そこが曖昧だから推測が止まるんだが」
「およそなんでもできますけど、だからってやっていいわけでもありません。玖来さんの推測はたぶんおおよそ大当たりだと思いますよ? 五の姉ぇが世界中を監視して敵になりそうな人間全てに不幸を振り撒く、とかはないと思います」
それができたら、神子の自由行動が最強のスキルになってしまう。承認はされまいが、スキルをちょっと考えればゲーム開始の段階で神子が傀儡全員の首を狩って終了とか最悪の戦法が可能かもしれないということだ。
ない。それはない。つまらなさすぎて母がキレる。
「だよな。よかった」
「というか玖来さん、ちょっと考え方が悲観的というか、無闇に敵を強大と考えてませんか?」
「お前がチートとか言うからだ。あと、想定はいつだって最悪を考えておくべきだろ。見積もりが甘いと足を掬われる」
「ほんとに玖来さんは変にチキンですので、発破かけにくいです。まあ油断して呆気なく死んでもらっても困りますけど」
悪口交えてくんな。慎重と言え。
幾つか突っ込みどころがあって、しかしそれより言っておきたいことがある。なんか今すごい感じたことがある。
ぼそりと烈火は呟いた。
「七ちゃんて、人間舐めて油断してぶっ飛ばされる三下高位種族みたいな高飛車な感じ、あるよな……」
「な……っ!」
こう、なんか人を軽く見てる気がする。どうせ弱小種族よ、とか心の奥で思っている節がある。
人間単位で下に見てるは言い過ぎかもしれないけど、少なくとも会えば勝てると考えてると思うわ。こっちはだいぶ警戒してんのに、それをチキン呼ばわりだし。
すると七ちゃん大慌て。
「そっ、そそそそんなことないですよ!? なに言ってるんですか玖来さん、私がそんな噛ませみたいなポジションなわけがないじゃないですか!」
「いや別に、神子様だし、人を見下すのはいいんだけど、お前の駒も人間なんだからなってことを思い出してほしいというか」
「ちーがーいーまーすー。私は決して、そんな、エリート雑魚じゃありませんっ」
「あぁ、はいはい。ごめん。喩えが悪かったのな、そっちが気に食わないのな」
違うんだ、こっちが突っ込みたいのはお前人間舐めてるよなってことなんだよ。そのせいで考えが緩いじゃんって。もう少し油断なく行こうぜ、勝ちたいんだろ? おれは死にたくないぞ。
七は烈火の言葉にむぅと不満そうに唸る。
「私が、人を軽視していると?」
「たぶん。それか、もしかしておれへの評価が過大かだ」
「玖来さんは好きですよ?」
「何故か会話がズレた気がするんだが」
わざとか。わざとやってんのか、この神子は。話を逸らすとか……烈火もやるからなんも言えねぇ。
そのまま七は烈火もかくやの勢いで話を捻じ曲げる。平然の顔で棚上げである。
「で、ひとつ思いついたんですけど、玖来さん」
「なんだ」
「傀儡戦争についてキッシュレアに話して、協力を求めたりはしないんですか」
七の発言に、烈火はため息。だいぶ醒めた声音で否を言う。それはありえないと。
「馬鹿、なんでおれの都合にキッシュを巻き込むんだよ。最悪、いや、普通に命かかってんだぞ」
「いやー、この世界と玖来さんは無関係じゃないですかー。キッシュレアの命がかかったくらい別にどうでもいいじゃないですかー」
「いけしゃあしゃあと……。そういうのは現実感の薄れた奴に言え。おれはもう、ここが異世界だとか関係なく現実だと確信してるよ。キッシュが死んだら死ぬんだ、そんなの嫌だろ」
「ただ滑稽な盤上の人形である可能性は、捨てましたか」
全部全部まやかしで、自分だけが必死に頑張っちゃってる格好悪い愚者である可能性は、ちゃんと選択肢から抹消できたのか。シミュレーテッドリアリティの可能性は、ちゃんと放棄できたのか。
烈火は、七の目を見て答えてやった。
「あぁ」
「そうですか」
「そうなんだ……」
「そうですか……」
「…………」
どうしてだろう、烈火と七は沈黙してしまう。
なんとなく微妙な空気でいると、それを打ち壊すようなノックが響く。
すぐに続けて透き通ったソプラノ声がドア越しに届いてくる。
「レッカー? まだ寝てるの? 朝だよ、朝食に行こうよー!」
「っとぉ、すまんキッシュ! 今行く!」
ちょっと七と話し込み過ぎた。時間をかけ過ぎた。ぶっちゃけ話は途中でまだまだ議論の余地はあったが、また今度だな。
すぐに烈火はドアを開いてキッシュの元へと向かった。