side.【運命の愛し子】その二
「あー、こいつぁ……参ったねぇ」
「おい、どうなってるんだよ。あいつ出てきたぞ、無事に洞窟から出てきたじゃないか!」
はんなりと告げる女性に、少し焦燥したような少年。
第七大陸リラ、その中心中立都市ツェントルトにある地下洞窟「悪魔の住処」の付近にて、ふたりは話し合っていた。
上品な女性は第五神子ブラウ。焦った少年は第五傀儡、南雲 戒。つまり烈火と七の敵である。
彼女と彼は、洞窟から出てきた烈火と七、ついでにもうひとりの少女を見て驚愕していた。一応、その離脱確認は七番の死が宣告されるまで様子見していた成果ではあるが、これは想定外の予想外だった。
「高位の魔物をぶつけて殺す手筈だったんだろ? なんで、あいつ無事なんだ」
「どうやら倒したのか逃げたのか、ともかく切り抜けたようだねぇ」
Sランクの魔物を生み出すほどには時間もなく、そもそもそこまで手間もかけられなかった。だがAランクは量産し、今の洞窟は大変危険な状態であるはずだ。退き時を誤ればBランク討伐者パーティでもまず全滅の恐れがあり、Aランクパーティでも脱落者が出かねない。
そろそろその情報が周知となり、都市内で危険視されるだろう。あまり洞窟に寄るなと勧告があるかもしれない。ちょっとばかり人間どもに迷惑かけてしまっているが、まあこれもゲームの内なので勘弁してほしい。時にこうした不運が襲うこともあると思ってほしい。
だが不運にも七番はその事実が周囲に知れる前に洞窟に踏み入り、魔物に打ち倒される。そういうシナリオだった。それで七人傀儡の一人を落とす予定だった。
だが、七番は潜った洞窟から無事に脱出した。
想定よりも七番ができる人間だったのか。実は強力なスキルを保持し、それを活用できる程度の度胸は備えていたのか。であれば、なぜ四番【真人】との戦闘で倒しきれなかったというのか。理屈が合わない。
四番は無能力の只人。その無能力を倒し切れない七番もまた、相応に程度の低い者のはず。
では護衛がよかったのか。共に洞窟に入っていった少女が、実は強力な助っ人であったと。見た目からはわからないけれど。
ふむ、とブラウは悩ましげに、しかしどこまでも上品にキセルを一吸いする。その様は一枚の浮世絵の如くなんだか異様に似合っていた。
だが焦った戒の眼中には入らない。絵に描いた艶やか美麗なブラウを見ずに詰問する。
「それにあの七番、ここ四日監視しててもなんの不運にも遭ってないぞ。どうなってるんだ、僕は運命を捻じ曲げるチート能力を持っているんだろう?」
「あれでもちょくちょく不幸に巡り遭ってはいるさ。けれど、だいたいなんとか処理しちまってる。だから表面上は特になにもなく見えるって寸法だねぇ」
不機嫌な直情の獣人とぶつかっても、誠意あってイザコザなし。凶悪高位の魔物が出現する洞窟に赴いても、実力か助っ人の力か不明だが生存する。他にも細々と複数の不運を見舞っているが、それも何気なくかわしている。対処している。
不幸に見舞われても、それが牙を剥く前になんとかしているのだ。さりげなく、ソツがなく、大過なく。
とはいえおそらく、あの七番はこちらの攻撃にすら気付いていない。こちらが同じ大陸にいるのはバレている。能力のおおまかな概要もバレている。だが、それを繋ぎ合わせて自身の不幸が攻撃であるとは判断できないはずだ。不幸が肥大していることにすら気付けないかもしれない。
……いや、これは油断か。ブラウは少しだけ考えを改める。決して相手も愚鈍ではない。もしかしたら、こちらの攻撃であると薄々勘付いているかもしれない。警戒度合いを上昇させているからこそ細い不幸への対処がなされているのかもしれない。
まあどちらにせよ、まだまだこちらから仕掛け放題で反撃はないだろう。何故ならそもから出会うことだけは回避するから。その幸運によって。
ブラウは慌てず焦らず雅に笑む。
「まあまだ四日、だからねぇ。これからさ」
「けど、どうなんだ。あの人、思ったよりもヤバイかも」
「そうさねぇ。思ったよりは骨があるかもしれないよ」
「まさかここまでスキルのひとつも使わず終わるとか……ありえないよ」
戒は常に神様スキルに頼って生き残っていて、だからスキルなしでこの異世界を生きているなんて頭が悪いとしか思えない。手札を最大限使わないなんて、そんなの馬鹿だろう。
まあ洞窟内ならば使用した可能性は高いが、流石にそこまで尾行しては気取られるだろう。なにより戒が洞窟に踏み入る度胸がなかった。
南雲 戒という少年は、いつもそうだった。
いつも一歩踏み込めば何かを得られるという時に尻込みする。
もう少しだけ堪えればどうにかなるという状況で竦んでしまう。
堪え性がないというよりも、もっと単純明快に侮蔑を持って言ってしまえば――勇気がない。
彼は自分から動くことのない人間なのだ。
なので、ブラウは幸運を与える際には少々気を遣った。人の縁を恵む時に、非常に積極的な相手を選んだ。
縁故優遇――戒がこの中心都市に留まるという方針に決定した段階で、ブラウは都市中の人々を眺めて、まずは害になりそうな者と巡り会わないように仕掛けを打った。そして、逆に役立ちそうな人材をピックアップし、戒に関わるように細工をした。そのピックアップの際に、人柄もまた考慮して。
たとえばちょっと信心深い魔法使いの少女。彼女の故郷には黒髪黒目の者は幸運を運ぶという古い話があって、それを鵜呑みにしていたから、見える範囲で戒の幸運を見せ付けた。信じさせた。共にあればきっと自分も幸運になれると囁いておいた。
たとえばファッションに感心を持つ仕立て屋の少女。最近、行き詰まっているらしいので、戒の身に纏った地球の服に興味を持つだろうと思い、彼女の店の近くへ行かせた。新たなセンスに触れればスランプ打破になるのではと、客のフリをして吹き込んでおいた。
たとえば親切で人助けが好きな神官の女性。彼女の前では戒の頼りにならないサマを見せた。加護欲をそそるように、死んだ弟を思い出させるように。神官なので神子として、身近の困った人に手を差し伸べよと言っておいて。
全て、南雲 戒には気取られず、知られずに暗躍した。
だから彼の視点で見れば、突然に才気溢れる愛らしい魔法使いの少女に話しかけられたのであり、不意に討伐者達に親しまれた服屋の若店主にお願いされたのであり、思わぬところで高位神官の女性に心配そうに手を差し伸べられたのだ。
物語にてあらゆる良縁に恵まれる主人公のように。機械仕掛けの神に愛された、舞台の上の主役のように。
こうして戒はこの異世界で、一応は今も生きながらえて同郷を殺すために消極的ながら努めている。
七番を追いかけて、スキルの使用を目撃しようとして……あとは能力任せ神任せ、ではあるが。
だがそれでも充分に成果があがるはずだった。なにせ任せるのは神なのだから。人などには及びもつかない上位者、それに丸投げできる。誰だって容易に仕留められると思う。
神任せ――そのスキルの名を『運命の見えざる手』と言う。
そのひとつ前段階のスキルである常時スキル保持者に幸運を齎す『幸運招来』の発展系であり、他者に影響を及ぼすスキルである。
幸不幸は裏表。幸せ不幸せはひとつの事象に関するふたつの視点。つまり誰かの幸せは誰かの不幸せ。他者への不幸を与えることで自身の幸福へと転ずる、それが『運命の見えざる手』と呼ばれるスキルである。
要するに、自分の幸運によって他者を不運にするスキルだ。あらゆる不幸が、幸運であるべき者の敵に襲い掛かる。こちらの行動の成功に繋がる対象者の失敗、不運が自然と発生するのだ。
そして、この能力のタチの悪いところは、ターゲットひとりだけを対象にして不幸にするわけではない点にある。不幸は決してひとりだけで完結するものではないから。敵がひとりいれば、その付近全てにバラまくように不幸せが訪れる。能力者個人だけを幸福にするために、周囲まとめて不幸に叩き落すのだ。
不幸は連鎖する因果である。
不運は感染する病気である。
誰かが不幸に見舞われれば、近くの誰かもまた不幸に陥る。その誰かが不幸になって、もとの不幸の誰かが更なる不幸に転がり落ちていく。
たとえば熊の獣人が不幸に襲われて、そのせいで彼は苛立って不運にも七番に拳を振り上げた。
たとえば七番目を狙って具現された災難である魔物に、少女はともにあったがために同じくその災禍に襲われた。
烈火だけが不運に遭うために、誰かが不運に落とされて。
烈火だけが不幸に陥れられたせいで、誰かが道連れで不幸に転ぶ。
その原理原則に気付けば、力の担い手は少々の図太さ、もっと言えば自分勝手さがなければ行使を躊躇うことだろう。
誰かの幸運を喰らって己のものとしている。故意に不幸をバラまくことで己を幸福としている。
人によれば、それは深い罪悪感の生じる能力かもしれない。無関係な他者を陥れてまで幸を得たいとは思わないかもしれない。
けれど南雲 戒にその思考はなかった。
「そういう意味では、下手に善人じゃないだけ躊躇がなくて助かるのかもしれないねぇ」
「なにか、言ったかい」
「いいや、なにも?」
ブラウはそれ以上の会話を拒むように、もう一度キセルを口につけた。
「しかしまあ念のため。もう少し、手を打っておこうかねぇ」