32 洞窟で強い敵と遭遇したらどうするか
最近、身体を動かしていない。あと金を消費ばかりではいけない、溜めることも必要じゃないか。キッシュがいる内に金を稼ぐ方法に触れておきたい。
と言ったら、すぐにキッシュは文句のひとつもなく頷いてくれた。
じゃあコロシアムか洞窟に行こうかと。
やはり優しい。キッシュ優しい。最近は嫌われてばかりだから余計に心に沁みる。
というわけで、烈火の即決でさっそくやって来ました中心都市の地下洞窟。そこは底の底の最奥に「暗黒穴」が存在する巨大な迷宮でもある。その「暗黒穴」が「悪魔の顎門」と呼ばれるなら、地下洞窟は「悪魔の住処」と称されているらしい。この世界で言う悪魔ってどんな扱いなんだろ、恐れられてはいるっぽいけど。魔物と同義とか?
「レッカ、準備はいい? 装備は万端? 体調は?」
「おーるおっけー」
おっと、しまった。つい七ちゃん向けの軽薄な調子で返答してしまった。命がけになる場で軽さは信用を落とすかもしれない。キッシュの信用を失墜するのは物凄くまずい。というか嫌われたくない。
とはいえキッシュとも一ヶ月近い関係である。特に悪印象もなく進行。逆に余裕を持っていると捉え、過度の緊張がなくていいと笑顔を浮かべる。
「じゃあ、行こっか!」
キッシュの指差す先には大口を開けた竜――いや、大きな洞窟がそこに。
広がる横穴には昼過ぎの陽光をも呑み込む漆黒が埋め尽くされ、それはまるで烈火を喰らう悪魔のよう。
なんかちょっと、行きたくなくなった。行くけどさ。
洞窟の入り口は東西南北よっつあるという。
その全てが繋がっており、最奥の「暗黒穴」にも届くらしい。だが、内部は迷路染みて複雑で広大。というか大陸全体にまで地下空間があるらしいので、その広さは第七大陸と同規模と考えていい。馬鹿広い。広すぎるだろ、ふざけんな。
これでは奥の「暗黒穴」を封じるとか、まず辿り着けないから無理だ。最強の魔物が出るとか口実で、単に行き着けないだけじゃないのだろうか。いや、「暗黒穴」の存在は知れているのだから、誰かが発見したはずではあるか。
なんか、都市は蓋のような役割なのだと感じた。地下の魔物と穴を封じるための、蓋。それが中心都市のひとつの役目なのではないだろうか。割と安全じゃない気がしてきた。表面上は安全だろうが、危うい。最終回付近で地獄の釜の蓋が開いて大パニック、とか。
何故か呆れ目、七ちゃん。
「いえ考えてませんが」
(ほっ、ほんとか?)
「最近、玖来さんは邪推が過ぎます」
ぷんぷんとちょっと七ちゃんご立腹。
まあ思えば疑ってばっかだったもんな……。
状況がそうせざるをえないものだったとはいえ、少し反省。七ちゃんとは末永く仲良くしていたい。
(悪かったよ、七ちゃん)
「どうせ私は邪神ですよーだ。ぷいっ」
ぷいとか自分で言っちゃって、スーパーあざといなぁ。それでなお愛いのだからずるいなぁ。
ごめん七、許して。なんでもするから。
「なんでもですかっ!」
(反応はやっ、リトマス紙かよ。しかも思った以上の食いつきだし。まあ、おれにできる範囲内でなら、だいたいなんでも)
「仕方ありませんね、約束ですよ、玖来さん!」
笑顔めっちゃ輝いてますけどなにをさせるつもりですか、七の神子様。怖くなってきたんだけど。
大丈夫だよね? 信じてるからね?
「レッカ? ぼうっとしちゃ駄目だよ?」
「あー、おう、大丈夫だ」
キッシュに言われ、思考を内面から外面に変転。七には悪いが、今はキッシュと洞窟へと意識を戻す。
洞窟内の足場は悪く、ごつごつしてるくせに滑りやすい。道が広いのでマシだが、下り坂が続いて下手に注意を欠けばすってんころりん。その上、暗くて光は入り口から差し込む陽光だけで、直に暗黒に閉じることはわかりきっている。足場が悪くて視界も悪ければ当然、凄く危ない。
というわけでは流石にない。
多くの討伐者が毎日幾度も訪れる場所だ、光の確保くらいは既にしてある。洞窟の壁には定期的に〈明〉かりを灯す補助系魔法《明々》が紋章として刻まれているのだ。これに触れ、魔力を流せば闇は遠のき光が照らす。
「この……えっと、《明々》? の魔法って、どのくらいの時間もつんだ?」
「流す魔力によるけど二、三十分くらいかな? すぐまた別の紋章が等間隔であるから、大丈夫だよ」
「そうか」
喋りながら歩いていると、ほんの少しふらつく。整備などされていない道だ、一般的には仕方ないが……まだまだ烈火も未熟である。
玖来流として身体操作は修練したが、いかんせんまだ若い。道場などの整備の届いた環境での鍛錬ばかりで、こうした足場が悪い場所での経験が少ないのだ。烈火の師たる祖父は苛烈な修行を課したものだが、洞窟内での鍛錬はまだなかった。砂漠や森とかならあるんだが……。
とはいえキッシュからすれば烈火のバランス感覚は素晴らしい。充分に隙の少ない挙動であると思う。だからちょっと訊いてみる。
「レッカって、こういう、洞窟とか慣れてるの?」
「え」
一瞬意味がわからない烈火であるが思い出す。キッシュの視点では、烈火はそういえばひとつの町に留まっているタイプの討伐者であった。
そりゃ洞窟慣れした歩行をしてたら疑問も浮かぶ。村の近くに洞窟でもあったのか。
烈火はとりあえず真実で返す。
「いや、そういうわけじゃない。ある程度は備えてるから、なんとかそれっぽく見えるだけだよ」
「あぁ、レッカって武術やってるんだっけ。毎日毎日、鍛錬は欠かしてないし、凄いよね」
「キッシュだって隠れてやってるだろ?」
「あー、はは。バレてた?」
「一緒に旅してりゃ気付くって」
おそらく先達として不恰好や未熟な様を見せないようにしたのだろう。こちらの不安が生まれないように。一応、烈火は金を払う側だったわけだし。
今は既に支払いを終え、単なる友人として付き合っているので、もう格好つけなくてもいい。そういう含意があったのだが、それでもキッシュはちょっと恥ずかしそう。
照れ姿も大変よろしいので、烈火としては眼福サンキューである。
「まあでも、とにかく気をつけて。なんでも最近は高位の魔物がよくでるんだって。昨日も出たって掲示板に書いてあったし」
ファウスの宿屋にも掲示板があり、また別に洞窟の手前にも掲示板が存在した。ギルドのほうにもあるらしく、キッシュは昨日の内に全て見て回って来たという。討伐者の情報交換は常に過敏になっておかねばならないのだ。
そういうところ、微妙に烈火はバツが悪そう。洞窟手前の掲示板は流石に見たが、宿の掲示板すら見ていなかった。
「はい、気をつけます」
地獄の釜の蓋の下――烈火の表現は割と的を外していた。
彼の想像では、この洞窟内では魔物が溢れかえってわんさか一杯。争って争って命がけやべぇ。という感じだったのだが、実際は。
「なーんか、魔物少なくない?」
洞窟に潜ってかれこれ一時間。出会った魔物はたったの四匹で、遭遇回数で言えば二回。内訳は三匹の襲撃に、その戦闘音を聞いてやってきたもう一匹という感じ。まだ都市外の道を歩いているほうがエンカウント率高いよ。
「そりゃあそうだよ」
キッシュは普通にそう言った。それでも警戒心は緩んだりしないようで、周囲に視線を飛ばしているが。
烈火も足と周囲に気を配りつつ、問う。どういうことですか先輩。
「え、でかい「暗黒穴」があるんだろ? 魔物多いんじゃないの?」
「けど、この都市中の討伐者が毎日毎日せっせと狩りを続けてるんだよ? 奥にでも行かないとだいたい掃討されてるものだよ」
油断しちゃ駄目だけどね。キッシュは忠言だけは忘れずに、そう言った。
言われてみれば確かにそうだ。なにも討伐者は烈火たちだけではない。沢山大勢いて、そして都市にて討伐者が生計を立てる方法は四択だけ。物凄い雑に考えて都市内の四分の一の討伐者が毎日ここで狩りをしているわけだ。そりゃ魔物もだいぶ少ないわ。
というか、逆に他の討伐者がいないのは、珍しいのでは?
「うん、ちょっと珍しいかもね。だいたい入り口で出くわしたり、彷徨ってる内に顔あわせたりするかな」
「……これって、キッシュ。運がいいか悪いで言ったら、どっちだと思う?」
思うところあって訊いてみる。烈火には幸不幸の判定がわからない状況だが、どちらなのか気になる。
キッシュは顎に指をあてて上向く。
「うーん。獲物をとられないって意味なら運がいいけど、助けを得られないっていうのは不運になるのかな。あ、でも後者なら強い魔物に遭遇した場合だから、そうなってこその不運であって、やっぱり前向きに考えれば幸運かもね。なんで?」
「あー、いや。うん。最近、運が悪い気がするから」
正確には、運を悪くさせられる可能性が懸念される、だ。まだそこまで不幸は感じちゃいない。まだ。
不景気な物言いに、キッシュは元気付けるように笑顔、笑顔。笑って過ごせば不幸なんて飛んでいくとばかりに笑って見せる。
「そういうのは気の持ちようだよ」
「だといいんだけどなぁ」
苦笑だけしてその話は打ち切った。
なにせ――来た。気配を感じた。微かな足音、微量な臭気、感じ取って小剣握る。
無論、キッシュも気取っていて既に抜剣。ちょうど幾つかある分かれ道のひとつだけに眼光飛ばす。
こちらからは寄らない。待つ。できるだけ光源の近くで戦いたいからだ。こちらはどうしても光の薄さは致命に至る。だが魔物はだいたい洞窟で生じた敵対者ゆえ、その環境に適した生態をしているはず。暗闇でも見える猫のような魔物か、どんな音をも聞き分ける聴力でもあるか、はたまた匂いを敏感に感ずるとか。
いずれにせよ、暗闇では人に勝ち目はないだろう。明かりの傍に身を置くのは洞窟内で戦うならば基本だ。
「まさに明暗次第で勝負の明暗が分かれるってことですね」
(誰がうまいこと言えと)
うまいこと言えたかすら微妙である。
とか、七と見えないアホをやってると、来た。来た。しかも複数!
「ぐるぅぅぅあああ!!」
「kikikikikikikikiki」
「――――」
上から二足の獣。ビッグ蟹。巨大人面コウモリ×三。
キモイ!
なんでこんな面子でつるんでるんだ、友達作るにしても考えろ!
ふざけている場合ではない。
思慮もない魔物の突貫。立つ犬の如き獣が腕を振り下ろす。蟹がデカイ鋏を伸ばす。コウモリどもが叫ぶ。
「「「――――!」」」
「っ」
「ぐっ」
コウモリの三重奏は耳に痛い。耳鳴りが最悪に悪化したような苦痛が走る。うるさくないどころか聞こえない、可聴域にないのに頭の中を掻き乱される。脳内に手を突っ込まれている最悪な気分。音波攻撃か。狭い洞窟内ではよく反響して一層効く。
獣の打撃が降ってくる。
烈火とキッシュは咄嗟に跳び退く。避ける。動きはぎこちない。勢い余って壁にぶつかる。体の操作がいつも通りにいかない。脳内シェイクが断続する。
追撃の鋏。
「っ、キッシュ!」
「防ぐよ!」
キッシュがそこで前に出る。鋏を横から叩き、狙いを逸らす。蟹のバランスを崩す。
直後、烈火が左手で小剣投擲。コウモリ一体のノド元ブッ刺す。即死はしない。だがノドが潰れて声は枯れる。
負担が減る。
続けざまに噛み喰らおうとする獣に対処できるくらいに。
紙一重でかわす。紙一重に過ぎた、足場も悪い。回避しくじり牙が掠る。頬から一滴血がたらり。だが怯むほどではない。近いぶん反撃は素早い。足を引っ掛けておく。転ばす。犬が二足歩行すんな。
そこで二度目の投擲。今度は右。さらにもう一匹のコウモリのノドを潰す。その頃にはキッシュが三匹目のコウモリの首を落とす。音波が消えた。頭蓋にこびり付くノイズが消えた。後は獣と蟹だけで――キッシュの口元が微かに動いているのが見えて、烈火は蟹を意識から外す。こちらは犬だ。
下、容赦なく踏みつける。起き上がろうとする獣を阻害する。その間にワイヤー伝って小剣回収。キャッチの瞬間に振り下ろす。延髄断切、灰と化す。
「“――リックロックラック♪”」
視線を上げれば終わりを目撃。〈風〉の刃が蟹の甲羅を〈切〉断した。
あとは死に掛けの人面コウモリ二匹にトドメを刺して――これにて魔物五匹の討伐完了。
音波妨害がなければ、低位の魔物など既にふたりの相手にならない。
まあ、それでも烈火の口から漏れるのは安堵のため息。
「はぁ、ビビったぁ。命がけに余裕なんて一瞬もねぇよ」
「とりあえず移動しよう」
「おう」
先の音波やら戦闘音で別の魔物が近寄ってくるかもしれない。一所に留まるのは連戦の要因にしかならない。とっとと移動。もう少しだけ奥へと進む。
しばらく無言の早歩き。早歩き。ちょっと駆け足。割と駆け足――だが。
「……間に合わなかったか」
「らしいね、まあこういうこともあるけど……」
ずしん、ずしんと。
重々しい足音が洞窟内にて響く。聞こえる。近寄っている。
先の騒音を聞きつけたか、魔物がこちらを目指して接近している。
「なーんか、凄い嫌な予感がする足音なんだけど」
「前言撤回しよっかな。運、悪いかも。この洞窟で大型はだいたい高位だよ」
「やっぱり?」
「どうしよ、逃げよっか」
「超賛成だけど、逃げ切れるのか?」
《明々》の魔法が唯一の明かりで生命線。だが逆に言えば、《明々》の魔法があるところを人が通ったとバレバレで、追うための目印にもなってしまうのだ。
だから素直に真っ直ぐ来た道を戻っても追走は振り切れないかもしれない。といって変な道に逸れては迷子となるかもしれないし、別の《明々》を起動してから戻って撹乱とかは時間が足りない。
「帰り道以外への逃避って選択もあるよ。一応、洞窟の地図は用意してるし」
「けど、足音から焦って逃げる時に現在地を見失う可能性もあるよな」
「よくあるね。それに、下手な道に入って《明々》を見つけられなかったら死んじゃうし、別の魔物と遭遇する確率も上がるかな」
「……なしだろ」
「提案しておいてなんだけど、なしだね」
烈火はもとより、キッシュも洞窟に関してはそこまで精通した討伐者というわけではない。並より上ていどで、道や《明々》の紋章位置を把握しているわけではない。考えなしに移動するのは自殺に等しい。
別に討伐者と巡り会ったり出来れば、また話は変わってくるが、ないものねだりをしても意味がない。
キッシュは手早く烈火に意見を求める。
「安全優先なら、来た道を戻るか――」
「足音の主を打倒するか、だな」
「どっちがいい?」
「逃げる」
玖来 烈火は迷わない。情けない結論であっても。
キッシュはそれを馬鹿にしたり、臆病者めと謗ったりしない。ただ問いを重ねる。
「追いつかれちゃったら?」
「その時は応戦しつつ、逃げる隙間を窺う」
やっぱり情けない意見だが、キッシュは笑顔満面。
それが最も生存率が高くて妥当な判断。賛成だ。命っていうのは、とても大事なものだから。
「同意見! じゃ、走るよ」
滑り転ばないよう気をつけながらも、ふたりは出来る限りの速度で走り出した。