27 それより私と駄弁りませんか
宿屋「タンザナイト」。
聞いたことのあるネーミングである。記憶の検索窓に入力すればヒットしそうな名前である。だが烈火は突っ込まない。心のGo○gle検索などしない。異世界と地球でネーミングセンスが似通っていても、まあ同じ人間同士なのだからありうると解釈している。そしてセンスが一致しても、名づける対象が一致するとは限らない。同名別物があってもおかしくはない。同姓同名の別人がこの世にありえるのがその証明だ。そのはずだ。いや、待てよ? こちらの世界にもタンザナイトという物質、もしくは概念的アレソレが存在しないとも限らない。モチーフが元来あって、それを引用して宿の名に据えた可能性は充分ある。あ、だめだ。タンザナイトはタンザニア地方が関係して名付けられたはず。ではこちらにタンザニアがなければ……いやいや、名称決定の順序や方式が違えばその限りでもないはずで――
とか、烈火が深遠たる人類に内在される普遍性への着目と指摘を内面へと沈めている間に、キッシュは喜色に彩った声をだす。宿屋のカウンターにいる若い女性に声をかける。
「ファウスー!」
「いっらしゃい……って、キッシュじゃないの!」
「一年ぶりくらいだね! 元気だった?」
「勿論、見ての通りの元気さ。そっちこそ討伐業は命がけだろう? 無事でよかったよ」
どうやらキッシュおすすめの宿は、キッシュの知り合いが勤めている宿らしい。友人だからこそおすすめできるのだろう。若いし、従業員だろうか。料理人の線もあるな。
うん、なんにせよ美人さんだ。タンザナイトと名称について悶々阿呆らしく思案しているよりも、キッシュや美人さんの笑顔を眺めていたほうが百倍くらいは有意義だ。たぶん今、烈火のストレスポイントが軽減された。脳内物質とか知らんけど間違いない。
うんうんとひとり頷く烈火に構わず、キッシュとファウスと呼ばれた妙齢の女性は会話を続ける。
「それでキーシャはどうしたのよ? 見当たらないけど」
「あっ。うー。キーシャとは逸れちゃってね」
あぁ、キッシュの顔色が少し曇った。やはり気にしてない風を装っていても、常に心配しているのだろう。この件に関しては、烈火はなんの力にもなれないので悔しい。心苦しい。
「それで――って、それは後で話すね。とりあえず部屋は空いてる? 二部屋とりたいんだけど」
「二部屋? どうしてさ。キーシャはいないんだろう?」
「レッカがいるからね、友達」
「へえ?」
キッシュの目配せから、ファウスの視線が烈火へと向かう。なんだろう、恋人の両親になんの備えもなく偶然出会ってしまったくらいの威圧感があるんだが、気のせいか? 美人さんだからこそ、鋭い目線が余計に堪えるんだが。微妙に気付かれない程度に睨んでませんか。
烈火は目を逸らさないようにしつつ、こちらからは害意に相当するものを視線に乗せないように気をつける。フレンドリーな笑顔を張り付けてみる。第一印象これ大事。
「どうも、玖来 烈火です、キッシュレアさんにはここに来るまでの道中大変お世話になりまして」
「あたしはファウス・タンザナイトだよ、ここの宿の主さ」
あぁ、タンザナイトは名前からとったわけか。なるほど、わかりやすい。タンザニア地方出身の人かな? ないか。ないな。
じゃなくて宿の主って言いました? え、美人女将……はいいとして、その若さで? どう見ても二十代前半か、それ以下なんだけど。店主にしては尚早じゃない?
すかさず七ちゃん口を入れる。
「この世界だと平均年齢が低いですし、仕事をはじめる年齢も低いですし、ついでに言えば結婚出産の年齢も早いですよ」
(流石異世界、低年齢化が進んでますな。しかし最後の情報はいらんかっただろ)
中世とかでも寿命は短かっただろうし、日本でも十五歳とかで元服だった時代もある。魔物とかいう敵対者が存在する命の軽い異世界、もっと平均寿命が低くてもありえる。そして、平均寿命が低ければ低年齢が頑張らねばならない。若女将マジ若いもありえるのだろう。というか目の前にその情景がアリアリ在りだ。
どうでもいいことを納得していると、キッシュが首を傾げる。なんでそんな殺伐とした空気でいるのだろうかと。
「どうしたの、ふたりとも? それにレッカ、キッシュでいいってば。なんでさんづけ?」
「あっ、あぁ、悪い。知り合いの知り合いさんなので丁寧アピールをしておきたくてな。第一印象は大事だろ?」
「別にいつも通りで構わないよ、あたしもいつも通りだからね」
初対面に威圧向けるのがいつも通りなんですか、やだー。
なんて言えるはずもなく、慎重に首を引いて首肯を示す。その仕草をどう見定めたのか、ファウスは翻り宿台に戻る。宿主としての声に切り替える。
「とりあえず、二部屋ね。わかったよ、ゆっくりしていきな」
微妙な雰囲気のまま部屋を案内され、烈火としては一呼吸さえ気を遣って粗相のないように緊迫していた。ファウスの女将さんから、なんか敵意じゃないけど、値踏みの視線が遠慮なく浴びせられたのだ。
で、部屋に辿り着き、ドアを閉めて、ドアに耳を寄せてふたつの足音が遠のいていくのを確認。積もる話があると言っていたし、キッシュとファウスでお話に興じるはず。ここで足音を偽装し烈火の監視まではしないだろう。そこまで結論付けて、ため息を吐く。
「はぁー」
なんだ、なにした。おれがなにしたっていうのだ。玖来 烈火十八歳がどんな犯罪を犯してあのような視線に合わなければならないんだ。冤罪だよ。
しかしヤバイな、いつかの受付の人のヒき顔が思い出されたよ。トラウマ刺激されちゃったよ。刺突連打のぐさぐさだよ。さっき軽減された分のストレスポイントが倍返しされちゃったよ。
まあいいやと鋭意努めて嫌なことを忘れながら、烈火は濡れた外套を広げて――
「かけるとこないな……」
というか部屋にはベッドくらいしかないんだが。まあ、宿というのは究極的に言って一晩を越せればいいわけで、今までの宿だってこんなもんだった。もっと酷いところではベッドすらなく毛布一枚あるだけのところだってあった。少し一人部屋にしては広いぶん、キッシュのおすすめである辺りが見える。おすすめ理由はサービス面とか食事面かもしれないけれど。
異世界だしな。地球のホテルじゃないし、旅館でもなし。烈火は特に文句もなく、きょろきょろと部屋を見回す。置くところを考えて、まあとりあえず外套を床に置く。いつか乾くだろう。それからベッドに座りこむ。
ふむ。一ヶ月近くの旅を終え、ようやく目的地に辿り着いて、一息つける宿にてベッドの上。これは、流石に気が抜ける。全力脱力、へなへな崩れ落ちる。
「はぁ、つかれ――」
「疲れましたねー」
「…………」
「どうしました、玖来さん」
「別に」
被せてくんなよ。とか。
お前、神子なのに疲れるのかよ。とか。
部屋の狭い感はこいつがいるからだよな。とか。
言わない。思っても言わない。伝わってそうだけど言わない。
寝転がりつつ、話を続行。対話中に態度姿勢が悪いかもしれないが、七ちゃん相手だしいいだろ。
「ようやく第七大陸中心都市なわけだが、どうすっかね」
「魔法を覚えるんでしょう? 図書館ありますし、キッシュレアに案内を頼んだらどうですか」
「その予定だけど、それしか考えてなかったからなぁ。細かく行動予定を立てとかないと」
「玖来さん、割と計画的ですよね。細かくって女々しいです」
「前半だけでよかっただろ。後半ただの悪口だろ」
「えへへ」
誤魔化すように笑う。悪口言った事実は消えないのに、責める意志は消えてしまう。美少女はズルい。自覚してる美少女はさらに卑怯だ。おれも来世があったら美少女になって楽をしたい。いや、やっぱ美少女はなるんじゃなく愛でていたいかなぁ。
「ちょっと笑顔見せただけでそこまで浮き足立っちゃいますか。玖来さんの色欲が大きいのが問題なのでは?」
「おい、おれは紳士を目指す好男子だぞ、色欲はもっていても秘めて隠して日の目を浴びたりしない」
「それが表立つほど私が可愛いってことですよね」
「……」
不意に烈火は身を起こす。姿勢を正し、稚気を排除し、雰囲気も真剣神妙なそれに一変させる。これは非常に大事な話なんだと七ちゃんに目力で訴えつつ、思いの丈を偽りなく真摯に告げる。
「前々から言おうと思ってたんだが――自信満々の美少女っていうのはどうかと思う」
「はぁ」
なんでこの人は心底真面目にこんな馬鹿ができるのだろう。七の呆れも、真摯紳士な烈火には届かない。
実際、烈火は奥ゆかしい大和撫子が好みだった。実物はあまり見たことがないけれど。
あと少女に似合わない系統の粗野な言葉や下品な語彙、ともあれ非少女的な表現をするのは嫌かな。
烈火の女性の好みについては置いておくとして、七はやや不満げに言う。日本人の控えめさ加減について物申す。
「なんでですか、事実を発言するのがいけないんですか。沈黙は金とか賛美してるからジャパニーズは駄目なんですよ、自己主張しないとです」
「いや、なんていうか、こう、まるきり美少女なのに、私なんかと言える奥ゆかしさ、それがいいと思う。発言しないんじゃなくて、日本的謙遜のよさだ」
キッシュとか。キッシュとか。キッシュレア・ライロとか。
「それただの嫌味じゃないですか」
「おい、キッシュの悪口言うなよ」
「なんで玖来さんの中での順位、私よりキッシュレアのほうが上なんですかね」
「キッシュは可愛くていい子。七ちゃんは可愛くて悪い子。差は明確だ」
「悪い子が可愛いって風潮もありますよね」
「おれはいい子のが好きだ」
「むぅ」
なんだか随分と不機嫌そうに下唇を突き出す。
あー、女の子の前で別の女を褒めちぎるというのはマナー違反か。たとえ怒った顔がいじらしく魅力的でも、怒っているのは確かなのだ。
強引にでも話を変える。というか戻す。
「さておき予定を立てます」
「予定と言いますが、どのような?」
ちょっと声に不機嫌が残っている。けれど話の路線変更には付き合ってくれる。七ちゃんも性根は悪くないんだよな。
「とかく、この第七大陸でやりたいこと、やるべきことを列挙してみる」
「まずは魔法の修得ですよね」
「そうだ、それが一。で、第二に、紋章道具の購入だな」
「あぁ、便利ですもんね。あれがあれば傀儡殺しの旅もだいぶ楽になるでしょう」
「あんまり殺すとか言うなってば」
さっき言ったばっかじゃん。
「でも殺すんじゃないですか」
「オブラートに包めと言っとるんだ、外見美少女」
「外見内面揃って美少女です」
「はは、こやつめ」
とはいえ烈火はいつも通りに話を運ぶことで、先ほどの会話をなかったように扱った。せせこましいが、不機嫌を引きずられても困るのだ。烈火はキッシュだけでなく、七ちゃんにも笑顔でいて欲しいと思う。だって、そっちのほうが似合うし。
「笑いどころもなしに笑わないでください」
「笑いのツボは人それぞれなんだぞ」
「神視点で笑いどころがないと断言してますので、そこに笑いのツボが存在する玖来さんは悪魔ですかね」
「神、横暴!」
「人、家畜」
「神、邪悪」
「人、藁」
「え、ワラってなんだよ。かっこ笑い的な?」
「いえ、溺れる時に掴む奴です」
「あぁ、そっち。溺れてる時に掴んでも無駄な物代表選手の藁な」
「…………」
「…………」
謎の会話を経て謎の沈黙が降りる。
一体全体なにを話しているのだろうか。当人たちにとっても意味不明。謎めいて不可思議である。
七は小首を傾げる。小鳥のように。
「なんの話でしたっけ」
「七ちゃんが話をジューサーで掻き乱したのは覚えてる」
「私のせいですか、無駄話の振りなら玖来さんの得意分野でしょう。話を振った玖来さんも七割の責を負うべきです」
「なんでおれのせいだよ。しかも七割とか多いよ。実行犯と認めた時点でお前が七割被れ」
「実行犯より教唆犯のほうがタチ悪いですよね」
「…………」
「…………」
沈黙。静寂。
今度は烈火が額に手を置く。
「だから、なんの話だったけ」
「忘れました」
「忘れていい話だったけ」
「忘れたってことは、別にどうでもいいことだったってことですよ」
「んなことないだろ、ちょっと待て……」
間、間、間。
「あっ、思い出した」
「この大陸にやってきてすべきことの列挙、でしたよね」
「お前、覚えてんじゃん! なにがどうでもいいことだよ!」
「いえ一分前のことですし、普通覚えてますよ。玖来さんが忘れたっていうのがジョークだと思って付き合っただけです」
「ぐ」
本当かどうか不明だが、そう言われては返す言葉もない。
烈火は気を取り直して咳払い。やること列挙を再開。もう最後の一個だけだが。
「最後、忘れちゃいけないのが【運命の愛し子】の存在だ」
思い起こされるは最初の傀儡七名の居場所発表である。第七大陸には、第五傀儡【運命の愛し子】が存在するのだ。
「あれから一ヶ月近くですが、動いていなければこの第七大陸にいるでしょうね」
「もうすぐ一ヶ月だから、その確認がとれる。五日後くらいだっけ」
「そうです」
第一から第七への大陸移動で結構時間食ったな。橋も長かったし。
「じゃあ、【運命の愛し子】に警戒しつつ、五日後で行動を決める」
「大陸内にいるなら打倒、いないなら放置、といった感じですか」
「ま、おおまかにはそんな感じかね。他にもやることあるし、どこまでそっちに取り掛かれるかはわからんが」
「なんでそんな消極的なんですか。玖来さんの特化方向は暗殺ですから、敵に気付かれず、こっちが一方的に敵を視認した状態で見えないところから刺すのが最上でしょう? だったら敵に発見される前に発見しないといけないじゃないですか、もっと気を入れてください」
「いや、だってたぶん無理だし」
「え」
なんか凄いあっさり弱音を吐かれた。
ちょっと待て、玖来 烈火はそんな惰弱な精神であるというのか。
七が口を開いて文句を飛ばそうとしたが、それより先に烈火の正論が飛んで来た。弱音じゃなくて事実を言っただけだと。
「他の奴らならいざ知らず、【運命の愛し子】に先手とるとか無理だろ。だってそういう能力だろ? 幸運補正」
「あ」
絶対、運よく先に見つけられる。その気もなく不意に偶然、発見される。ただの散歩の先にちょっと気紛れで振り返ったら発見とかされるんじゃないのか。
そして烈火からすれば不運にも相手を発見できない。何故かすれ違って、視線が逸れてて、ちょうど歯車がズレて見事に回避される。都市を回っても空回りしてしまう。
そんな感じな未来がまず確実にこの先起こる。敵は、幸運の星に加護された人間だから。
「確かにそう言われてみればそうですね。じゃあどうしますか、相手からの襲撃を待つしかないじゃないですか」
「うーん、【運命の愛し子】が好戦的ならな。たぶん、そんな出張っては来ないと思うんだよな。だからなんとしてもこっちから探し出したいんだが。向こうにバレてても、一方的に知られるんじゃなく、互いに顔を知ってる状況くらいには持ち込みたい」
「運悪く見つけられないのでは?」
「運だなんだにも限度があるだろ……あるよな? あると言ってください」
「さあ?」
「おい。
まあ、黒髪黒目が目立つ場所だ、たぶん難易度が跳ね上がっていても不可能事じゃないはずだ。いつかは見つけられるはずだ」
ちょっと希望的観測が混じっているが、烈火だって周囲の目線が痛いくらいに突き刺さっている。それより以前にいた【運命の愛し子】なら、絶対に目についていたはずだ。これだけ人の多い都市、誰に問いかけても知らないなんてことはありえないだろう。たぶん、きっと、願わくば。
「うーん、まあ、確かに相手もこっちを探したりするでしょうし、そもそも玖来さんが第七大陸にいることすら情報として知りえませんしね」
「そう、情報アドバンテージはこっちにある。だから、おれが第七大陸にいるとバレる前から動けば先手がとれるかもしれない」
「もう既に玖来さんのこと、バレて見張られてたりするかもしれませんけどね」
「いや……流石にそれはないだろ。さっき第七大陸踏み込んだばっかだぜ? 早過ぎだって、ありえんだろ。こんな広い大陸の何処にいるとも知れないのに」
ありえないだろう。幸運とかそういうレベルじゃなくなるだろ。
まさか。
まさか、な。