21 悩まないけど考えたりはする
キッシュの予測した展開はまったくその通り。
ふたりの会話の直後に村長らしき人物が現れ、村の中で有志を募った。討伐者はもちろん、村で戦える者全員に助けを求めた。
キッシュはすぐにそれを受け入れ、そのまま幾人かで集まって村長の家に消えていった。作戦会議に洒落込むノリだろう。
おそらくキッシュは、そしてこの村も、こういう場面に何度も遭遇してきたのだろう。対応が互いにスムーズで、他の討伐者たちも嫌そうな顔はあっても拒否する者はいなかった。村が滅びるかもしれない、上位の敵と戦わねばならない。この世界ではそういった危険なんてありふれたことなのだろう。
平和と安穏に浸かった現代日本人の烈火には、想像して余りあるほどに。
ああ、なにが玖来流師範代だ。くだらない、使えない。なんて無意味な肩書きなんだ。所詮はただのガキじゃねぇか。
「ち。せめて最初に選んだ力が、もっとマシなもんならな……」
「今更言っても変更なんてできませんよ」
「わかってる。愚痴だ」
落ち着かない様子でそんなことを言い、烈火は腕組みする。指を上下とんとんする。
珍しく、苛立っているらしい。
七はそんな状態の相手に話し掛けるのは嫌だったけれど、そういう玖来 烈火も知りたいとは思う。つついてみる。
「で、玖来さんどうするんですか」
「どうって、なんだ」
「だって会議が終わるのずっと待ってるじゃないですか。追いかけるつもりですか?」
烈火は宿に戻って窓際に突っ立っていた。なにをするでもなく、呆然と。ただその視線はちょうど見える村長の自宅だけを睨んで射抜いて絶え間ない。
それは、その建物から人が出てくれば即座に動けるようにではないのか。
烈火の側からすれば既定事項。特に隠し立てもせずに率直に言う。
「追いかけるに決まってんだろ。ここで引き下がったら男が廃る」
「――やめておいたほうが賢明ですよ、玖来さん。あなたが行ってもなにもできません」
「っ」
冷厳と言い切られる。常の軽さもなく重々しい、神の子としての声だった。
「キッシュレア・ライロの言ったように、あなたの剣は対人特化。化け物相手など想定外、外皮を貫くこともできずに返り討ちです」
「けど!」
「これはこの世界の揉め事、この世界の人間が解決します。あなたには関係ない、あなたは異邦人でしかないんですから。ご自身が仰ったことでしょう。あなたにはあなたのなすべきことがあります」
「それでも助けたいと思った。そもそもどうだっていいだろ、そんな理屈。友達が危険なところに突っ込んだ、じゃあ追っかけて助けてやるのが世の情けってもんだ」
そうだ、玖来 烈火はそういう人間。わかっていた。友人の危機に黙って見ていられるような性格はしていない。
わかっていたからこそ、こんな危険に満ちた命の軽い世界で友好関係を結びたくなかった。友達なんて作りたくなかった。だって、今こうして居ても立ってもいられなくなっている。助けたくなっちまう。当たり前に。迷いなく。
なにせ烈火の死因は、まさしくそれだ。
「玖来さん、勘違いしないでください。あなたは私の与えた力を除けばなんらの特別もない人の子です。どこにでもいて、そこら中にいるただの普通の人間です。死ねば死にます。いともたやすく。ここよりも遥かに安全であったはずの地球でさえも呆気なく死んだでしょう?」
「それは……」
その通りだ。
忘れない、忘れない。自分が一度死んだ記憶を、そう容易く忘れられるはずがない。強烈過ぎて、烈火の人格に影響が加わっているのではないかと思われるほどだ。どこがどう、どういった風に影響しているのかは自分で不明だが。死の経験は強烈過ぎる。再びの死なんて、考えるだけで震えが止まらなくなる。
そういう意味では、玖来 烈火はいささか臆病になったのかもしれない。七はそこを容赦なく突く。
「また再び死ぬかもしれない。誰かを助けて、その代わりにあなたが死んで終わるかもしれない――それでも、あなたは助けに行きますか?」
「……」
一瞬間だけ口を噤んで、すぐに返す。そこに迷いなどあろうはずもない。玖来 烈火は迷わない。
「……二度目の死なんて死んでも御免だ」
「ならば、ここで大人しくしていることです。キッシュレア・ライロは強いです、もしかしたら無事に帰って来るかもし――」
「けど、助けにいかないおれも、御免だァ!」
「って、玖来さん?」
おい、寸刻以前までのシリアスはどこへいったんだ。なに声を跳ね上げてるんだ、おい。
七の非難混じりの目線など気にしない。烈火は烈火であって燃えている。燻ぶることがあっても、決して鎮火などしない。死ぬまで燃える、燃え続ける。それが玖来 烈火だから。
「おれはおれで、おれでしかない。死んでも生きても、生き返っても! 玖来 烈火は変わらず思うがままに燃えて走ってみせる!
ああ、そうだ、二度目の死なんで二度と御免だ。天寿全うしてやるよ、ジジイになって安らかに永眠してやるよ。キッシュ助けてなぁ!」
「いっ、勢いに誤魔化されたりしませんよ、無策に向かうなんて私は断固反対します!」
文字通り烈火の勢いで苛烈に言い放つ烈火に、七はなんとか言い返す。理屈もなく説得できると思うなと。
ふっと烈火は熱を収めて、やや冷静に首を振る。
「別に無策じゃねぇ。『不知』使って討伐組を追いかけて、ところどころフォローする形で行く。おれが行った証拠は残さん」
「あー、自分はバレずに隠れて援護だけですか……なんかこう、やっぱり卑怯くさいですよね、玖来さん」
「うるせー、おれの命とキッシュの命を助けるためだ」
「他の討伐者の方々は?」
「別にどっちでもいい」
「冷たいです」
「低温で燃え上がってるんだ」
どういうこっちゃ。
玖来 烈火はたまに、いや結構な頻度でわけがわからない。七ちゃんは理解しようと頑張ってはいるのだけれど、まだまだその深度が足りはしない。その技量も精神性も、まだまだ理解に及ばない。
だからこれから知っていきたいと、七はそう思う。負けましたといった風情で両手を挙げる。端から勝つ気もなし。
「すみません、意地悪言いました。訊いてみたかったんです、あなたの覚悟のほどを。
ですが私はそもそもがただの観客です、あなたの行動方針に文句はつけられても強制はできません。好きになさってください、それがあなたの望む道ならば」
――この異世界を、あなたの思う通りに生きてください。
「はっ、言われるまでもねぇ」
さあ、動き出す。
窓の向こうで覗ける風景、村長宅から出て行く人々を見遣り、烈火もまた動き出す。
村の周辺に現れたというAランクの魔物、それを討つため募り集まった討伐隊。その戦力はキッシュとBランク討伐者三名、Cランク一名の計五人だけ。
あまりに少ない。少なすぎる。小さくギルドすらない村とはいえ、少なすぎる。
言いたくはない、考えたくはない。けれどおそらくは、言い出さずに隠れている討伐者がこの村にもいるだろう。
別に文句を言うつもりはない。キッシュだって烈火に隠れていろと言った。命がけのことなんだから、志願するだけの意志と実力がなければ仕方がない。義務的に同行してもらっても犠牲者が増えるばかり。なによりも、誰だって死にたくない。キッシュだって痛いほど共感できる切実な思いだ。
けれどこの戦力でAランクの魔物に挑むのは……ちょっと厳しい。普通ならAランクの魔物を討伐するのに、討伐者ランクで言えばおよそAランクで三名、Bランクなら十名と言った目安が存在する。それで見れば、戦力不足は明白だろう。勿論この尺度は絶対のものではないし、個人の実力にもバラつきがあるものだ。であるが、魔物だって一匹だけでいるとは限らないし、遭遇までに別な魔物と出くわし消耗するかもしれない。様々な懸念事項は付きまとう。その上で、目安にすら届いていないのは不安しか生まないのだ。
キッシュレア・ライロはAランク討伐者だ。けれどその地位にまで辿り着いたのは妹のキーシャとふたりで戦い続けたからであり、当時二年前には共にあった師匠のお陰だ。
そしてAランク討伐者は、別にAランクの魔物と同レベルというわけではない。両方ピンキリだし、やはりそもそも人より魔物のほうが生物的に強大だ。先に述べたように一般的平均的なAランク討伐者ならばAランクの魔物を討つのに三名はいる。せめてキーシャさえいれば……。
であるが、やはり五人の中では最上位ランク、実力もまた外から観察する限りキッシュが上だろう。だからか、自然とキッシュが中心になって行動し、リーダーのような役割を向けられていた。
中には女に上に立たれることにバツが悪そうにしている者もいた。けれど口に出して言う者もないのでそのままキッシュが中心になることにした。少しでも生存率が上がればいいと思ったからだ。
まずは前後衛の確認から。キッシュはどちらもこなせる。Bランクの二名は前衛、ひとりは後衛。Cランクの人も後衛らしいので、その得意分野を優先、隊列を考える。
その結果キッシュが先頭、すぐ後にBランクのひとり、真ん中に後衛のふたりを置いて、殿にBランクの前衛の者を配置。そして出立だ。
ゆっくり慎重に村を出て、結界の加護から外れて外界へ向かう。まずは件の魔物を見つけ出さねばならない。討伐するのも随分と困難であれ、それ以前に発見せねばそれどころではないのだ。
とりあえず、第七大陸側の道を辿って進む。今朝はこの先で襲われたという話、そこを起点にして周辺を探ろう。まあ、後は運任せになってしまうかもしれないが。
当初、村長らにそれを告げると渋い顔をされた。討伐に関して、できる限り素早い解決を求められていたからだ。まあ食糧の備蓄や連絡が滞ることによるトラブル不具合、情報の渡っていない者の安全を考えれば確かに早急な討伐が求められるのも理解している。だが、ここでキッシュらが焦って全滅すれば、魔物の討伐などできずに救援を待つ他なくなる。第七大陸中心都市が近いとはいえ、救援が来るほどの距離ではないし、隣の村もまた戦力を出せるような大きさでもない。おそらくキッシュらの失敗は生存者を大きく減らすこととなる。そう言えば、流石にもっと素早く強行に出ろとは言われなくなった。
けれどもそれのせいで他の討伐者たちは責任を強く感じてしまうことになった。重荷として圧し掛かり四名の歩みも重くなる。先頭のキッシュは、歩幅を考えねばならない。警戒心が強く観察を欠かさないという点では、悪くはない現状であるが。
――張り切り過ぎても、参っちゃうんだけどな。
言葉にはせず、キッシュは思うに留める。今無駄口を叩いても、反感をもたれるだけ。肩が凝りそうだ。もっと強がりでも空元気でも余裕を持っていたほうが長生きできるだろうに。とは師匠の受け売りだけど。
さておき、歩き続けてそろそろ一時間になるが、魔物に出くわさない。現場に到着してしまいそうだ。できれば幾度か雑魚と戦い互いの戦い方や実力の程を確認しておきたかったのだけど。
まさか淘汰でもされているのか、Aランクの魔物に雑魚どもが狩られている可能性? 魔物同士は基本的に争わないでいるはずだが……。
さらに十分ほど歩いて――見えた。木々と大地が焼け焦げて、幾つかの馬車が派手に横転しており、赤黒い染みが残存する惨状が。
「っ」
死体がないだけマシとはいえ――死体はおそらく喰われたか――凄惨な光景だ。先ほどに襲撃された現場なのだから当然だが。
背から息を呑む声を聞きつつも、キッシュは極力、顔に出さずに馬車に近寄る。破損の仕方を確認しつつ、生存者を確認するためだ。
もう何時間も過ぎている。生存者は絶望的だろうが、キッシュは静かに探索をはじめる。希望は捨てない。できる限り。
とはいえ時間をかけたらこっちが危ないし他の面子からも文句が飛びそうなので、最短で済ませる。ここに現れた魔物なのだ、今すぐに再び現れる可能性もありうる。
「…………」
馬車の幾つかは燃えて炭化し原型くらいしか残っていない。周辺の焦土具合からも、炎は使ってくるのだろう。そちらはよい。それより、残るふたつほどの馬車が、随分と綺麗に切断されていることに目がいく。血痕があるわけで、炎だけが攻撃手段ではないとは思ったが、牙――いや、爪かなにかを備えているのだろうか。
馬車を輪切りできるような爪を持ち、炎を吐く魔物。知らないな。キッシュの出会ったこともない種類の魔物だろうか。そもそもAランクの魔物となどそう多く遭遇などしていない。
情報交換しよう。もしかしたら他のメンバーが知っているかもしれない。キッシュは振り返り、口を開き――
「――後ろ!」
全く想定していた言葉とは違う絶叫を上げた。咄嗟に全員が振り返り、戦慄する。
なにせそこには巨大な魔物が牙を研ぐ。現れ出でたのだAランクの魔物が!
体長は十メートルほど、体色は毒々しいまでの深緑。巨翼を背に負い、蛇のような長細い体躯で脚はなく、だが腕がカマキリのような一本爪が尖ている。顔もまた虫で、牙はないが口自体が鋭く尖っている。恐ろしく怖気が走る魔物だ。
伝え聞いた特徴通り――Aランクの魔物であると五名は理解する。
即座に隊列を組む。組もうとする。だが、恐怖に一歩遅れる者。不慣れに動きが戸惑う者。他を信用できずに出張らない者。
その中で前に出たのは二名。キッシュともうひとり。
抜刀、間合いを詰めすぎずに魔物に立ち向かう。
「Giiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii!!」
魔物は絶叫とともに腕、いや鎌の如き前脚を振るう。薙ぐ。
キッシュともうひとりの前衛は、前に出た勇気のためにその攻撃に晒される。意志を持つなら強さも持てと、まるで試練のように。
巨体からの一閃。受けるのは無理。回避もまた走り出している最中ゆえに困難。ではどうするか。
「っ」
なお前に走る。懐に飛び込んで間合いから外れようとする。そう上手くはいかない。だが鋭い部位からは逃れた。剣で受け止め、吹き飛ばされる。逆らわず自らも跳ぶ。木に叩きつけられるだけで終わる。
「か――はっ!?」
それでも、あまりの衝撃に視界がスパーク。意識を手放しそうになる。激しい衝突に肺の中が空になる。樹木が軋む。身が痺れる。だが生きてる。意識も残る。身体中痛いが動ける。ならば無問題。即座に間合いから外れる。逃れる。
視界の端で、先の一撃に上半身を刈り取られた男が映る。キッシュほどに判断力が早くなく、耐え切る身体能力もなく、ならば死ぬだけ。鋭い部位で叩かれれば輪切りで当然。魔物は命を雑草のように刈り取る。
キッシュは一瞬開いた口を閉ざし、歯を噛み締めて動き続ける。立ち止まっては死ぬだ――
「ぅっ、うわぁぁああああっぁあああ!!」
Cランクの男が絶叫とともに逃げ出す。背中を向けて、不様に。
逃げるはいいが声を上げるな。標的にされる。忠告は届かない。叫びを掻き消す咆哮が木々を震わす。
「Giiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii!!」
同時に口から吐き出す焔。魔物のブレス。焼き払い討ち滅ぼす黒い火炎だ。狙いは無論うるさい輩。
Bランクのふたりに助ける義理はなく自助で精一杯。キッシュは距離的に間に合わない。
火炎が地を舐め男も一緒に焼き尽くす。骨も残らず彼は死ぬ。焼死。
まだまだ駆け出しだった。先もあって、こんな命がけに飛び込む勇気もあった。なのに容易くムシケラのように殺された。
現実は厳しくて、少女の手の届くところでさえも犠牲は多くて、それでまた落ち込みそうになる。もっと上手くやれたのではと後悔ばかり湧き上がりそうになる。
全て抑え込む。切り替えが早いのはキッシュの長所。戦場で戦闘思考以外の思案はまとめて死因にしかならない。迷わないでいるのは戦場の作法で生存の最低条件。玖来流でなくても一流の戦闘者ならば当然のこと。
目線がこちらから逸れた。ならばさらに死角に移動。しながら囁く。歌う。
「“リックロックラック♪ リックロックラック――♪”」
怪物の背中に回る。そこで前方、ふたりのBランク討伐者が連携して注意を惹いていることに気付く。彼らは最初から相棒同士で参加していた。ふたりでの戦闘には慣れ、動揺は少ない。
前衛ひとりが槍を持って間合いを確保。魔物の鎌腕を回避しつつも掠めるように刃をぶつける。嫌がらせに等しく、ダメージは薄いだろう。だがそれで挑発にはなる。背に回ったキッシュや、もうひとり魔法を詠唱する後衛へ意識が向かないよう立ち回っている。
これならキッシュが無理して気を惹く必要もない。下手に刺激して苛立たせて変に暴れられるより、たったひとりだけに集中してくれた方がよい。
問題は槍使いの彼が、いつまでもつか。
Aランクの魔物は甘くない。鎌腕が薙げば巨木が真っ二つ。噛み喰らえば岩は砕け、ブレスは大地を焦土と化す。そして鱗が硬く、槍撃が効いていない。二、三度いい具合に直撃しているのに。Aランクの魔物に共通することだが、これらを討つには大技がいる。生半な威力では歯が立たない。外皮が硬すぎて鎧を纏っているようなものだからだ。
そこで魔法の完成。魔法使いの男が高らかに宣する。放つ。
「“――死ね化け物、もしくは凍れ! 《氷牙》!”」
刹那、大気が凍てつく。指定した箇所が〈氷〉と化し、〈牙〉を形成――射出。魔物を喰らう。まるで一口で噛み砕く超巨大な竜に呑まれたように。
牙は魔物の肉に食い込み、そしてそこを凍らせていく。侵食する毒のように氷が広がり体温まで奪っていく。
「へっ、蛇野郎に氷の毒ってな、洒落がきいてるぜ」
「よし、もう一発ぶちこめば動きが鈍って仕留められるぞ」
甘い。
キッシュはそれを理解し、まだ歌唱を止めない。水増しし続け威力を高める。囁く唄は気取られずに続く。
「Giiii……」
魔物は凍る我が身を顧みて――ブレスを放つ。自身にではない。それでは自滅。周囲にだ。森の木々を焼き、草花大地を焼き払う。すぐに熱気が立ち込め、炎に囲まれる。炎は森を火種に消えることなく燃え盛り、燃え上がり、周辺に熱を発散する。森を焼いて己の冷えを暖めている。
ブレス発射の段階で距離をとった三人にダメージはないが、単純に暑い。汗をかいて集中力が乱れる。剣と槍を持つ手が濡れ、魔法を描く脳が茹だる。
火炎地獄の中心で、魔物はただ一匹まるで堪えず咆哮す。
「Giiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii!!」
まさにこれこそ自身の世界だと言うように。地獄に挑め人類よと宣言するように。
知るか。気持ちよく叫んでいる間に果てろ。
「“――〈風〉風〈廻〉れ♪ リックロックラック♪”」
掻き乱れ〈廻〉転する剛〈風〉が轟く。まるで竜巻の如く螺旋廻転する風の攻撃系自然種魔法《風廻》だ。
雄叫びを上げた瞬間を狙い、頚椎に撃ち込む。捻じ込む。
――直前に尾が跳ねた。
キッシュを打ち払う野太い鞭の如き一撃。打ち抜かれた衝撃に魔法の射線が乱れる。《風廻》は狙いを逸れ、魔物の片翼を撃ち抜く。それだけ。
「っっ!」
気付かれていた。否、魔法発動直前の魔力の高まりに反応しただけ。ちょいと気になって尻尾を振っただけ。そんな何気ない雑な一撃でも、キッシュには痛打。膝を折って苦痛に喘ぐ。先の一撃も合わさってダメージが深刻にまで達したか。
「あっ、くぅ……油断、しちゃったかな……」
隙を突いたつもりが反撃されるとは情けない。せめて頼れる前衛さえいればと言い訳がこみ上げるも、それも無駄。
ああ、目が霞んできた。そんな酷い視界にも、ふたりのBランク討伐者が逃走する背は見えた。魔物が完全にキッシュに振り向き、その隙を突いたのだ。炎に紛れたのだ。
どうやら翼を撃ち抜いた風が脅威だったらしい。ふたりを追わずに、魔物はキッシュひとりを見定める。
まあ、全滅よりはマシかと思い、魔物の凶眼に睨み返す。
ダメージは大きい。剣も通じない。魔法を歌っている暇もない。周囲は燃え盛って移動まで制限されている。逃げも隠れもできないだろう。
詰んだ。死んだ。終わった。
けれど――キッシュは己を叱咤し立ち上がる。崩れ落ちそうになる身を気合と根性で支えて地を踏んで立つ。
「まぁ、諦めるのはしない、よ。まだまだ、生きる理由は沢山あるからね」
大切な妹のことを思い出す。はぐれてそのまま再会もなく死ぬなんて御免だ。
大恩ある師匠のことを思い出す。自由を教えてもらって、まだ師の檻を抜け出させてもらっていない。
最近同行している少年のことを思い出す。まだまだ教えることは多く、ひとりで行かせるのは不安だ。いい人なのに放り出すなんてできない。
「それに、格好つけて言っちゃったからね」
――すぐ片付けてくるよ。そしたらまた旅を再開しよう。
「嘘はいけない。だから頑張って本当にしなくちゃ」
剣を構え、敵を見据えて、キッシュは――
「えっ」
そこで突如、何かに腕を掴まれた。