20 いつだってありふれた困難
今日も今日とて朝には鍛錬鍛錬。
旅の合い間にもしっかりかっちり、烈火は己を鍛えることを怠らない。
というか玖来流、鍛錬せずには眠れない洗脳的教育が施されているのだからせざるを得ない。身体が動いた記憶なしには安眠できない。寝付けない。呪いかよ、呪いだよ。
くそっ、あのまるでボケないヘンタイジジイ、いつか覚えてろ。必ずこの恨みを千倍にして返してやる。
滾る憎しみにも似た怒りを胸に、朝の日課メニューをこなしていく。ストレッチ、ランニング、玖来流の身体操作の反復。それとついでに『不在』を中心とした神様スキルの特訓も組み合わせたりして、割と真面目にがんばっている。
積み重ねた努力のぶんだけ強くなるわけではないのは知っている。それほど甘くない。練習でできたから本番でできるわけではない。無駄になっていく努力も確実にある。けれども、その無駄のぶんも込みでがんばらないと、糧になるぶんまで取り逃がす。練習でできないのに本番で頼ろうなんて思えない。
せめて、ささやかながらも自信を持って力を行使できるようになれ。練習で百二十パーセントを発揮できるようになれ。前者、後者の発言で落差があるが、そう教わった。要は文句言わずに努力しろと叱られたのだ。拳骨つきで。
だから烈火は腐らず努力。暇があったら鍛錬。成果が見えずとも修練する。なんだかんだ言っても玖来 烈火、玖来流師範代なのである。
まあ、ファンタジー異世界なんて放り出されたら、死にたくないので死ぬ気で頑張る以外に選択肢もないわけだが。
「ていうか、あれ、七ちゃん服変えた? いつものと違うくない?」
のびー、っと長座体前屈しながら、烈火はふいと話し掛ける。
以前の善処するという約束は違えていない。できるだけ七ちゃんに構ってやる。鍛錬中はひとりだし、ちょっと人の少ないところを狙ってやってるので、まあ話しててもいいだろ。
「あ、気付きました?」
なんか嬉しそう。見せびらかすようにくるりと身を回してははにかんでいる。七ちゃんも女だな、いつもとの違いを指摘すると喜ぶ。
ただし基本のパーカーでシャツで下半身不明なのは変化していない。そのファッションは貫く信念らしい。今日の違いはパーカーやシャツが別物であること。兎耳パーカーピンク色で、シャツはハート柄が踊るように描かれている。あとピンクのオーバーニーソックス履いてる。ピンク縛りだろうか。
可愛い。素晴らしい。晴れがましい。兎だけにぴょんぴょん飛び跳ねたりしてくれるとたぶん烈火は身もだえするほど喜ぶ。幾らでやってくれんの?
「引き換え玖来さん、ずっと同じ服ですよね。そろそろ着替えません? 一ヶ月くらい同じ服とか、やばくないですか」
「他にねぇんだから仕方ねぇだろ。ちょくちょく水洗いはしてるし」
学生服水洗いとか、ごわごわしそうだけど仕方ない。縮んだりして行動阻害にならなければいい。……たまに七ちゃんに《復元》使ってもらってたりもするので最低ラインは確保している。セーフのはずだ。臭くもないし、みっともなくはない。ないよな?
「そういやこの世界って結構、清潔だよな。風呂とかあるし、トイレもあるし、洗濯もしてるし。なんか昔のヨーロッパは不潔で排泄物放り投げなんじゃなかったっけ」
この世界ではギルドの宿には有料で風呂があったりしたものだ。今の宿にはないが。
まあ、風呂と言っても魔法で穴を開け、魔法で石か木材を敷いて、魔法で水をぶっこみ、魔法で水を温め、魔法で温度を維持した完全魔法風呂なわけだが。
……ファンタジーだからってなんでもかんでも魔法で解決しすぎだろ。
「いえ、不潔なのは私がお断りなので指導しましたよ」
「ああ、そりゃ、助かるけど。七ちゃん個人の嫌悪かよ」
「ええ。私たち神子は一度、地球の歴史を眺めてましたからね、修正できそうな点をメモしてこっちで改善しました。しきれない部分も、勿論ありましたけれど」
「みみっちいような、神様っぽいような」
まあ文化的生活をよしとするなら、確かに指導するのは偉いんだけど。烈火もだいぶ助かってる。上から目線で土人に文化を授けてやる的なつもりはないだろうし。神だけにもとより天上から見下ろしてはいるけれど、人のことはほとんど平等に見下ろしている。
「臭くて不潔は嫌なので、風呂の習慣をつけさせ清潔を保ったり、下水についても細工をしたので地球中世ヨーロッパよりはずっとマシでしょう。というか、不衛生のせいで傀儡が病死とかしたらつまらないにも程があります。現代ジャパニーズはもやしばっかですし」
「もやしで悪かったな」
烈火は立ち上がり、尻についた土ぼこりを払う。それから次はなにしようかなー、と考えて、その考える時間も勿体無いと適当に開脚しておく。足を伸ばして筋肉を伸ばす。
小剣投擲……お手玉……ランニング……筋トレ……斬線縛り千回……仮想組み手……ふむ。
「お手玉ってなんですか、抜き身の刃でジャグリングでもするつもりですか」
「まあ、近いな」
「危なくないですか、いや危ないですよね」
「ミスったら、危ないな」
なんか興味を惹いたらしいので――呆れられているとも言う――烈火は今日の鍛錬をお手玉に決定。学ランの裏ポケットとベルト、あと袖と足から小剣七本全てを取り出し指で摘む。
そして、ひょいとなんの気負いもなく放り投げる。一本ずつ、時間差をつけて、高さを調節して、上向け投げる。
くるくる回る小剣をぼうっと眺め、落下してくる瞬間を見切り電撃的反応で摘む。また放り投げる。摘み投げるのは素早く。触れてる時間は極僅か。掠っているだけのようにも見え、どうしてそれだけの接触でそこまで剣が空を舞うのか、七には意味不明である。
「うわっ、うわわ」
七本の剣を順番に触れて、投げて、触れて、投げて――言葉にすれば酷く単純な作業だが、目の当たりにするともはやわけがわからん。剣がひとりでに踊っているようにも見え、空気を裂いては磁石のように烈火の手元に戻り、直後に反発してまた飛来、弧を描く
「わわっ……わわわ。こわっ、怖い怖い。危なっ。あぁ今、刃のほうつかみましたよね――って、あぁ、またっ! 手の平切れてないんですか、それ!」
「はっはっはっはっは! この程度なら軽い軽い! 小剣の落下のタイミングくらいわかるからな!」
ジジイがいたらもっと加速しろだの、数ミリ軌道がズレただの、ほらもう十本だの無茶振りをブッコンで来る。その意味では楽だ。
と思えば別のところに厄介があった。七が舞い踊る剣を猫のように目を忙しなく動かして追いかけていて、和む。身体を揺らして首をかくんかくん左右に振って、可愛い。こっちのほうこそ眺めていたい。
けれどダメだ。心を乱してはいけない。そういう精神的な力みも押さえ込まねばならない。変に舞い上がって力加減を間違えれば、それで簡単あっさりミスるから。
集中とは脆く儚いシャボン玉のようなもの。阻害横槍、想定外のひとつで木っ端微塵。上手くすれば天まで至るほどに飛んでいくが、下手なら力みすぎて弾け、抜きすぎてしぼむ。飛び上がるどころか形作る前に消えうせる。
なので剣のお手玉に集中――と、七ちゃんが不意に口を開く。
「ていうか、その鍛錬って、なんか意味あるんですか。大道芸ですか」
「大道芸じゃねえよ。
最小の動作で投擲する練習と、投擲の完全制御。あとは、えっと、反射神経と瞬発力を鍛えてる……んだっけ、忘れた。というかあんま話しかけてくるなよ、手元が狂うだろ」
あと刃に恐怖しないよう、自分の身体の一部として馴染むように慣らすためとか。既に烈火は小剣を己の一部とするほどに鍛えているので、その点は不要な鍛錬理由であるが。
「投擲の完全制御ってなんですか、こわい」
「いや、七ちゃん……まあいいけど」
これも修行か。ジジイよりはマシと割り切り、手と目に続いて口も回す。
「玖来流の基本は身体の精密制御、だから自分の身体の一部になった小剣も完全に制御できなきゃいけない。で、小剣は投擲もその用途のひとつなんだから、それも上手く精密に操作しないといけない。道理だろうが」
コントロールは当然として、他にも飛距離とか、かける力具合とか、そこらへん。矢の如く真っ直ぐ飛ばすだけでも結構難しいんだぜ?
言われて思い出す。今までそういえば玖来 烈火、投げて外したことあったっけ?
「ないですよね、記憶にある限り。うわ、玖来さんの投擲って、気持ち悪いくらい百発百中ですね」
「……お前最近、ナチュラルに気持ち悪いとかヘンタイとか織り交ぜてくるけど、それやめてくれませんかね」
「いえ、褒めてますよ?」
「嘘こけ。で、百発百中は言いすぎだ。そりゃジジイレベルならそうだろうが、おれはまだまだ百回やりゃ五、六回はセンチ単位でズレる」
「なにを言っているんですかね、このアホは」
もっとおかしい性能のジジイがいるからおれはまだ普通だ、とか思っているのかこの逸脱人間は。どっちもおかしいと気付いて欲しい。
「けど玖来流はそれくらいできなきゃいけねぇんだよ。武器も身体の一部で、身体を精密に完全に操作することを至上としてるんだから」
「いえ、理想と現実っていうのがこの世にはあったはずですが。できることとできないことが混在して成り立っているはずですが」
「? できることだろ、別に」
「あー、はい、そーですねー」
なんか面倒になった。というか十八年間の教育で培われた烈火の認識に、常識で訴えても通じない。烈火は未だに気付かず自覚なく常識とズレていた。玖来流マジ洗脳一家。
なので七はそれ以上の追及を取りやめ、もうなんも考えずに風に踊る小剣の演舞の観覧に集中することにした。
わぁ、すごい。とか実に中身のない感想を呟いたりしながら。
さて、鍛錬もほどほどに切り上げる。今日はこの村から出立し、次の村へと目指す日だからだ。疲れを残してはいけない。
残念ながら、五日ほど滞在したがキッシュの妹さんとは巡り会えずに今日を迎えてしまった。キッシュはもう慣れたと笑って、烈火はなにも言えなくなる。
とはいえ予定は予定。計画通りに推し進めなければさらに再会は難しくなる。立ち止まっては烈火にも不都合。出立に否もなかった。
それにしても少し腹が減った。朝食前の鍛錬はやはり堪える。宿を固定していた前の町では朝飯後に鍛錬で、生前もそうだった。今回はギルドもないほど小さな村に滞在だったので、唯一の飲食店がまだ開いてなくて仕方なしだ。宿でメシも出せよと言いたいが、まあそこまでサービス完備も大変なのだろう。二十四時間営業とか、ファンタジーで求めるものではない。ファンタジーは不便なのだ。
そろそろ店が開く時間帯と見計らって鍛錬をやめたのだが――はて、人だかりを発見。
食事処の手前、村の広場っぽいところで掲示板に人が集まっていた。ギルドがないので、人が集まりやすい広場に掲示板を配置しているのだとキッシュには聞いていたが、うん? なにかあったのか?
この異世界において情報を得るのは大事。烈火も人だかりに寄ってみる。なにか重要な情報でも書き込まれたか。
「んー? んんー?」
見えん。
ざわついた人々が壁になって見えん。
どうしよう、跳ぶか――恥ずかしい。
どうしよう、そこらの人に聞いてみるか――恥ずかしい。
どうしよう、無視するか――たぶんバッドエンド直行。
「あ、レッカ! もう見た?」
第四選択肢、人ごみを掻き分けよう――を決行する前にもはや聞き慣れたソプラノ声。キッシュだ。
知り合いを見つけて安堵とか、割と烈火も小心者。異世界に一人ぼっちなので仕方ない面もあるが。七が後ろで私もいますよー、とか言っている気がするが、烈火には聞こえない。さっき充分構っただろうが。
「いや、人だかりで見えない。キッシュは見たのか?」
「うん。大変なことになっちゃったよ。村の周辺でAランクの魔物が目撃されたって」
「Aランクの魔物か……見たことな――」
「あるでしょ、玖来さん」
「あるな」
七ちゃんナイス突っ込み。思い出す。
後の馬鹿のインパクトが大爆発でなんだか忘れかけていたが、いた。荒貝 一人に瞬殺された謎キモ生命体は、七ちゃん曰くAランクだった。
あれと似たようなのが村の周りでうろついているとか、まあだいぶ怖いな。馬鹿が半端なかっただけで、烈火個人ではどうしようもないレベルの耐久度をしていて、かつあの巨体なので殺傷力も高かろう。Aランクと言うだけあって、この世界の常識では普通太刀打ちできないのだろう。
とはいえ推測しかできない辺り、烈火もAランクの恐ろしさはまだまだわかっていない。暴れた姿を見たことないし。『不知』で隠れてたら馬鹿の爆撃どっかーんとかわけわからん状況だったし。
キッシュは親切に書き込みとその事情について説明を続けてくれる。
「今朝この先の村からやって来ようとした隊商が襲われちゃったそうだよ。なんとか一部逃げ延びてこの村にたどり着いたみたい。その逃げ延びたっていう護衛していた討伐者が、情報を伝えてくれたんだって」
「マジか。それは、やばいな」
「うん、やばいよ。物資の流通が滞っちゃえば、それだけで村は……」
滅びかねない。
その言葉は口外に出ることなく呑み込まれた。不幸は口にするだけで気が滅入る。
第七大陸とほど近いこの村は、その第七大陸から物資を調達して成り立っている中継地のひとつ。道を一本塞がれるだけで随分とまずい。
異世界ファンタジーにおいて人の命は軽く、小さな村の存続すらも儚い。外敵が常に牙を研ぎ、文明の発達具合も地球に及ばず、驚くほど呆気なく大勢の人が死んでしまうのだ。現代日本では考えられないくらい、簡単に。
「……ここいらでAランクなんて珍しいよな」
「うん。そもそも第一大陸は魔物が控えめで、だから人間が繁栄できたから。この辺りは第七大陸に近いぶん、特に」
七ちゃんに書いてもらった七大陸の危険度でも、第一大陸は低と評価されていた。Aランクの魔物は一部地域を除けばほとんどでないやさしい大陸だと。
上位ランクの魔物が少ない土地というのも、こういう時には脆さがでる。なにせこんな平和な地域だ、そこに住まう討伐者が強いはずがない。低ランクであり強者とは言いがたい。Aランクの魔物と戦いうる戦士は多くないだろう。
またこの小さな村にはギルドもないので討伐者の絶対数が少ない。戦える者、戦った経験のある者自体が少ない。知恵を絞って立ち回る、数で叩いて犠牲の上に生き残る、そうした人間らしい選択もできないかもしれない。
平和ということは衰えを意味する。危険の少ないということは緊張感の欠如をもたらす。そしてある時訪れる転機についていけずに、呆気なく崩れてしまう。
「……たぶん、村にいる討伐者を集めて倒してくれないかって頼まれると思う。烈火はその時には申し出ないほうがいいよ」
「――は?」
いきなりなにを言い出すキッシュ。
烈火は目を白黒させながら言い募る。当たり前のことを、当たり前と思っていることを。
「いやいや、おれだって行くぞ? だってキッシュは行くんだろ? 流石にお前ひとりを行かせるわけには――」
「だめ。レッカは来ちゃダメだよ」
「なっ、なんで!」
「一応、ずっと見てたからね、わかるよ。レッカの剣は、対人特化だよね。魔物との戦い、あんまり想定してないよね」
「っ」
それはそうだ。当然だ。
魔物なんていない世界で磨いた技術だから。敵と呼べるのは人間でしかなく、殺人のためだけに集中して出来上がった流派だから。
だからこそ、連れて行けない。
「魔法は使えない、魔物相手は苦手。その剣の斬れないものには、なににも太刀打ちできない。レッカの限界だよ」
「……さすが、よく見てるな」
「わたしはあなたの護衛だよ? 見ているに決まってるじゃない。だから護衛として言います、来ちゃダメだよ。レッカは待ってて。あなたを守るのが今のわたしの仕事だからね」
「キッシュ……」
「大丈夫大丈夫、わたしこれでもAランクだから。すぐ片付けてくるよ。そしたらまた旅を再開しよう?」
キッシュの力強く不安を感じさせない笑顔に、烈火はなにも言えずに口ごもってしまう。
俯いて、湧き上がる感情を抑え込もうとする。どこまで優しくて強い少女に比して、自分はなんて不甲斐なくよわっちいのか。愚かな己が呪わしい。
歯を噛み締め、言葉を噛み潰す。ここでキッシュに喚いても格好が悪すぎる。誤魔化すように七へ感情を向ける
(……七ちゃん)
「テコ入れではないかと? 平和なはずの地域に、強大な魔物の突然発生した。神がもたらした試練の一環だと?」
七は平静だった。冷めていて、溢れそうな烈火の感情を水のように受け流す。
会話はどちらも感情的では成り立たない。烈火が抑えられないなら、七が静かに理性的に話を運ぶ。
(ああ。違うか)
「さて。母さんの行動は私たち神子にも不明です。ですが、自然的偶発的な発生のほうが可能性としては高いでしょう。流石になんでもかんでもこちらのせいにされては――」
(だけど、魔物自体が結局お前らの仕業だろうが!)
「それは……そうです、ね。すみません」
(っ……わり。八つ当たりだな……)
なんでもかんでも神のせいにして、あらゆる不測の事態、理不尽不運の元凶を神子だと弾劾して――ああ、玖来 烈火はそんなにも弱い奴だったのか。
不明の事態に説明をつけたいのは安心したいから。誰かのせいにして鬱憤をぶちまけるのは逃げたいから。
だがわかっている――全て神のせいなはずがない。人が動かし運営している世界だぞ、なにか不備があって問題が発生して当たり前だろう。人々を眺めて楽しむ神どもだぞ、変な横槍はあったとしても少ないだろう。
システムは既に完成して巡っている。ルールはとっくに規定されて走っている。そして神は運命には干渉できない。進行を妨げることはできない。神はゲームマスターではない。ただゲーム盤を用意しただけの製作者であり、横で野次や助言を飛ばす観客である。
つまり烈火の発言は的外れ。
力及ばず歳下の少女を死地に向かわせ、その腹いせに別の少女に当り散らす――ああ、くそ。くそっ。
「おれは……肝心な時に限って、ほんとに駄目な奴だな、畜生……っ」
玖来 烈火の慟哭は、七の神子にのみ届いて霧散する。